67話
それから1週間程、古泉さんがひたすらに楽しそうな期間は続いた。
その頃にはもう、桜さんによる風の刃では殆どダメージを受けなくなっていたし、その拳で地面を裂くまでになっていた。
「久しぶりにヒーローをやってる気分だよ」
笑いながら古泉さんは非常に嬉しそうにしている。
その分、茜さんとソウタ君に事務仕事が回っている訳だけれど、ソウタ君は割と楽しそうに事務仕事をしているし、茜さんも、あまりに楽しそうな古泉さんを見てついに諦めたようだ。
「ま、その久しぶりヒーローが年寄りの冷や水になんないようにしてよね、叔父さん」
茜さんも悪態をつきながら、けれど一方では古泉さんの伸び具合に舌を巻いている。
「いきなり強くなったよな、古泉さん」
「そりゃ、ここで強くならなきゃどこで強くなるっていうんだ」
「くそー、俺もこのペースで強くなれたらなー」
今まで事務仕事ばかりでヒーロー業が疎かになっていたからだろうか、それとも、単純に復讐心に燃えているからだろうか。それは定かではないが、古泉さんは1週間で恐ろしく強くなっていた。
「桜ちゃんにエースの座を奪われた挙句、真君まで入ってきたからな、結構ヒヤヒヤしてたんだが。まだ俺も現役で行けるなぁ」
「……エース、返上する……」
今や、桜さん相手に練習する古泉さんに桜さんが振り回されている有様で、桜さんは珍しく、ソファでくったりしながら冷たい緑茶を飲んでいた。
「それはいいけどさ、叔父さん。体への負担はあるんでしょ?」
「そんなに気になるほどでも無い。反動はほぼ100%反転できるようになったし、後は消耗だが……ま、短期決着を目指すさ。あとは茜頼みだな」
頼まれてもなぁ、と茜さんはぼやきつつ、緑茶を啜った。
「繰り返すようになるが、俺がしくじったらその後は、よろしく頼むよ」
「それこそ頼まれてもなぁ……」
内容が内容だけに、俺達も反応しづらいのだが、古泉さんは一人、楽しそうに笑っているばかりだった。
そして、ついに作戦の決行日になった。
アイディオンの基地までの移動は、前回同様に他所の事務所のヒーローに頼む。
片道切符だが、これしかないのでしょうがない。
……アイディオンの集団侵攻の時みたいに、バンバン瞬間移動を使えるヒーローが居たら良かったんだけれど、文句は言えない。
「それじゃ、『スカイ・ダイバー』。気を付けろよ。健闘を祈る」
「ありがとう、『ライト・ライツ』」
挨拶もそこそこに、ヒーロー達はアイディオンの基地へ一斉に侵入していった。
中に入ってすぐ、比較的低レベルなアイディオンとの交戦になった。
「おっと、お前らはさっさと奥行け、奥」
尤も、戦うのは俺達じゃない。
今回も、他の事務所のヒーロー達がこっちは任されてくれる。
早速凄まじい乱戦状態になったロビーを抜けて、俺達はひたすら奥へ進むことにした。
「トラップ類が碌に無いのが助かるな」
内部は、Lv30アイディオンの時ほどは酷くなかった。
つまり、精々トラップは矢が飛んで来る、槍が降ってくる、というレベルで……その程度なら、俺達は無傷で通ることができるのだ。
「レーザーは嫌い……」
「あと、毒物とかね。あーいうのは困るよね」
先陣を切る古泉さんと茜さんと桜さんは余裕たっぷりに雑談しながら進んでいく。
一方、コウタ君とソウタ君はシルフボードの操縦に集中しているし、恭介さんはいつものように死んだ魚のような目で酷く安定した飛び方をしている。
しんがりは俺だ。
……後ろから何か来ていても『異常無し』と前の人達に伝えられるからだ。
すっかりテンションの上がった……吹っ切れた、ぶっ壊れた面々は、『異常無し』に対して、疑う素振りも見せずに進んでくれる。
……実は既に1体のアイディオンを『いなかった』事にしてしまっている。
つまり、俺が最後尾に配置された事は概ね成功と言えるだろう。
ひたすらに進み続けて、ひたすらに降り続けた。
この基地は逆さに生えた塔のような建物になっていて、複雑な内部を通りながら少しずつ下へ降りていかなければならないような造りになっていた。
そして、案の定というか、ボス級……Lv24の『赤い鎌のアイディオン』は最深部に居た。
「久しぶりだな」
古泉さんがいっそ、友好的なまでに穏やかな声で話しかける先に、それはいた。
巨大な、赤く光る鎌のような武器を手にしたそれは、ゆっくり振り向く。
〈誰だ〉
そして、その瞬間にはもう、赤い鎌のアイディオンの腹には古泉さんの拳が突き刺さっていた。
「お前に妻を殺された奴の顔なんて覚えてなくてもいいさ」
古泉さんはさらに蹴りを一発叩き込んでから、距離を取る。
距離を取った古泉さんのすぐ前を赤い鎌がすり抜けて、赤い鎌のアイディオンが小さく舌打ちするのが聞こえた。
「代わりに、これからお前を殺す奴の顔は覚えておけよ?」
アイディオンとは対照的に、古泉さんは心底楽しそうに笑っている。
「と、とりあえず僕たちのカジノへようこそ!」
「賭けとかいいから、好きに殴り合ってくれよ。ただし、セルフサービスで頼むからな!」
賭けとフィールドを切り離して使えるようになった双子がフィールドを展開させる。
一気に宵闇の中の煌びやかな建物群の中に移動して戸惑うアイディオンに一撃与えてから、打ち合わせ通り、古泉さんはアイディオンを誘導するように移動する。
誘導する先は、カジノの敷地……フィールドの端の方に新しくできた建造物だ。
建造物の中に立った瞬間、その周りは瀟洒なデザインの鉄格子で囲われ、俺達は中に閉じ込められた。
……この建造物は、磨き抜かれた白と黒の大理石で作られている。
白と黒の市松模様の床の上には、やはり磨き抜かれた白と黒の大理石で作られた柱が何本も立っている。
そして、その柱は1つ1つが、チェスの駒の形をしているのだ。
ここはさしずめ、巨大なチェス盤、と言った所だろう。
ここは古泉さんが双子に相談して作った場所だ。
見えない刃相手に戦うのなら、どこから飛んで来るか分からない状況よりは、障害物があって、ある程度軌道が分かりやすい方がいい、と。
この巨大な駒が、時にはアイディオンを阻む壁になり、時には古泉さんの進む道になる。
そしてチェス盤の端には避難所が作られていて、俺達はそこから戦況を見守る、という事になる。
……下手に俺達が足手纏いになったら、古泉さんにとってそれが致命傷になりかねない。
俺達は古泉さんを助ける以上に、俺達自身が攻撃されないように注意しておく必要があった。
俺達が見守る中、赤い鎌のアイディオンと古泉さんが動き出す。
古泉さんが良く分からない軌道で駒を蹴って空中を進み、アイディオンの手前で急激に減速して……多分、回避したんだろうけれど。
そのすぐそばを赤い刃が通り抜け、古泉さんは地面を蹴ってまたアイディオンへ向かっていき……。
戦況が、見えなかった。
絶えず動き回る古泉さんと赤い鎌のアイディオンは一進一退に見える。
古泉さんを襲っているはずの見えない刃は、時折古泉さんの髪の一房や、服の一枚を切り裂いてはいるようだけれど、未だ、古泉さんの傷にはなっていない。
一方、赤い鎌のアイディオンも、最初に古泉さんが入れた拳1発と蹴り2発以外は、まだダメージを受けていない。
古泉さんはあと一歩、という所で避けたり、急に方向を転換したりしていて、一向に攻撃を決められないでいた。
「多分、避けてるんでしょうけど」
……見えないから、一向に戦況が分からない。
古泉さんが一方的に不利な状況でもないが、どちらに利があるのかは全く読めなかった。
「私があそこに入ったら一瞬でやられる、ってことは分かるよ」
戦況が読めないとしても、そこにある緊張感は俺達にも分かった。
……成程、これは、古泉さん1人に任せて、正解だったかもしれない。
そして、そんな一進一退はじりじりと続いた。
おそらくは見えない刃を避けながら古泉さんはチェスの駒の間を飛び回る。
そんな中、見えない刃を避ける為だろうか。古泉さんは大きく宙に身を躍らせた。
その数秒に満たない程の隙をアイディオンは見逃さない。
無防備に宙に浮いた古泉さんの体を薙ごうと、アイディオンの赤い鎌が容赦なく振り抜かれる。
どう見ても間に合わない速度だ。
……古泉さんが自由落下しかしないのであれば。
赤い刃が触れんとする刹那、古泉さんは勢いよく上に落ちた。
あまりに不可思議な軌道に一瞬、アイディオンが困惑したのが見て分かった。
そして、その一瞬こそ、古泉さんが狙った瞬間だったのだろう。
上に落ちて、再び下に落ちた古泉さんはそのままアイディオンに肉薄し……その拳がアイディオンの側頭部に鋭く入った。
「やった!」
茜さんが小さく歓声を上げ、双子が手を取り合って興奮気味に飛び跳ねる。
古泉さんはにやりと笑って、思い切り振り抜いた足で、傾いだアイディオンの首に大きくもう一撃、攻撃を加えた。
吹き飛んで、黒のルークに当たって止まったアイディオンに向かって、古泉さんが追撃するべく距離を詰める。
白のポーンを超えて、飛んできた見えない刃を黒のナイトを盾にして躱して、そして、白のキングを蹴って。
古泉さんが、赤い鎌のアイディオンに向かって降る、その時だった。
アイディオンの右手から奇妙な輝きが漏れ、それとほぼ同時に、桜さんが目を見開き……小さく、駄目、と、悲鳴に似た声を上げた。




