Ⅲ-ii 北にて、猫たちの一時
夜風に吹かれて淡い花びらが舞う。飾りの何一つない簡素なドレスを身にまとい、夢中で少女が一人、踊っている。月光が彼女を照らし、不思議なことにドレスが輝いているようだった。少年は茫然と、その光景を見つめていた。
――どうだ、我が金の妖精の舞いは素晴らしいだろう?
背後からいきなりかけられた声に、少年は驚き、少女は踊るのをやめた。……ああ、彼女が来なければ、もう少しその舞いを見ていられたのに。その胸中を見透かしたかのように、彼女は言う。
――残念だが、あれは私の女だ。
幼い彼女の言葉に驚いて、咄嗟に言い返してしまった。
――シーナ様は女では?
言った途端に、はり飛ばされた頬、怒ったのは踊っていた少女で、かばわれた方は呆れたように少女を見つめてたしなめた。
それが、始まり。以後、何度も似たようなやり取りを繰り返した気がする。いつだって怒るのは彼女で、今一人の黒髪の幼馴染は一しきりおもしろそうにやり取りを見て、最後に彼女をたしなめて、それで、終わり。
……そう、いつだって彼女は、全てを見透かしているようだった。
“氷の都”とは、一年の殆どを雪に閉ざされるその寒さのためと、何よりもう一つ、少しでも明かりを取り入れようと工夫した先人たちの知恵によるケパルドの首都グリルの呼び名であった。
「……見事ですなあ。全て自国で産出されているのですか?」
ラカ王国第四王子ゴンザレスは、王宮育ちで数々の贅沢に慣れていたとはいえ、氷の都グリルの王城ほどふんだんに宝石、中でも水晶を使った宮殿を見たことがなかった。シーナと並んで一行を案内していた騎兵ガリがその質問に答える。
「ええ。我が国随一の水晶にございます。」
「見事だろう?この鉱石類と竜がケパルドの一番の名物なんだ。我が国の鉱石類もほぼケパルドの産出品だぞ。」
「そうなのですか?宝石なぞ女子のものだと興味を払っておりませんで、恥ずかしい限りです。」
「お前は昔から剣と武芸にしか興味がなかったからな、ゴンザ。だからそれだけいい男なのに、今一歩女子の心を掴めんのだ。可愛そうなやつめ。」
「そんな、そりゃ姉上に比べればラカ王国の男総出でかかっても勝てませんでしょうな。」
先頭の姉弟の会話は微笑ましく、並んで歩くガリも思わず微笑んでいた。
レントの腕に抱かれたカイは、そんな微笑ましい会話を聞きながらも、サーヘルとの会話以来黙りがちになってしまった師を心配そうに見上げていた。
ケパルド自体がラカ王国と隣接しているわけでもない上、氷の都までたどり着くには野性の魔物を避けるため回り道したりしていたものだから、結構な日数かかったわけなのだが、道中師と二人きりになれる機会はなく、当然黒猫カイが師と言葉を交わすわけにはいかなかった。……そもそもシーナに夢中になっているアズリルに魔法を解いてもらわなければ、黒猫の体で喋ることは不可能である。
「さてブレッド、すまんが正式の使節以外は王にお目通り願えないのでな。……黒猫とて例外でない。チィを預かっていてくれないか。」
「シーナ様、それでしたら私が……。」
隣にいたガリが咎めるように言うと、シーナは微笑んで、言った。
「すまんなガリ、チィはブレッドのことが大好きなんだ。……だから世話はブレッドでないと任せられん。」
毛並みを逆立てて嫌がっているアズリルは、全身でその言葉を否定していたのだが、ガリはシーナをまっすぐ見つめると、静かに「御意。」と言った。
「では私目が責任もって預かると致しましょう。……シーナ様の命令だ。お願いだから引っ掻いてくれるなよ。」
ぼそっと呟いたその囁きは、シーナと引き渡されたチィにしか聞こえていない。チィもわかってると言わんばかりに、拗ねながらも大人しくブレッドに引き取られた。
「レント様、よろしければそちらの黒猫も私目がお預かりいたしましょう。」
「そう、だな。よろしく頼む。」
チィと違ってカイはブレッドが嫌いなわけではなかったが、恨めしそうに師を見上げた。しかし結局は大人しく引き取られた。
「ではまた後で。」
そう言ってにこやかにシーナとラカ王国の正式使節は玉座へ向かった。残された下っ端一行は、城の賓客用の一角に案内され、やがて戻ってくるであろう主たちのために過ごしやすいよう部屋を整え始めた。
しかし黒猫二匹を連れたブレッドは、部屋に落ち着くと人払いさせて、チィではない黒猫に向かって言った。
「……おい、お前さん大魔法使い殿と一緒にいた坊主だろ?ちょっと姿を元に戻して話さないか。」
カイが驚いてきょとんとしていると、勝手に体が一転、二転、三転したと思った次の瞬間、完全に元の人間の姿に戻っていた。……アズリルが魔法を解いたらしい。
「ほう、見事なもんだな。……こんな術使える連中丸ごと敵にしようっていう親父も陛下も気違いに思えてくるな。えっと、カイ、だっけか?」
「え、はい。そうです。」
何故大嫌いなブレッドの呼びかけで、アズリルが魔法を解いたのか気にかかっていたが、それよりも久々に人間の姿に戻れてなんだか安心する心地であった。
「んで、サーヘルの野郎は何を条件に出してきたんだ?」
「え?」
「何か揺さぶりかけてきただろ?別にそれで大魔法使い殿が裏切るなんざ思っちゃねえから安心しろ。」
「はあ……。」
安心しろとて、あのレントの表情を思い出すと話していいものやら迷ったのだが、結局カイはレントの反応を除いて話すことにした。ブレッドとアズリルは黙って耳を傾け、件のアズリル暗殺説では黒猫はにんまり笑っていたものの、師の暗殺の話になると、少なからず衝撃を受けたようだった。
全てを話し終えたカイは、ブレッドに疑問をぶつけた。
「……本当にシーナ様はシグロって人を暗殺したのでしょうか?」
「さあな。十年前じゃ俺も知らん。幼馴染の方は疑問に思わないのか?」
「あ、それは絶対ないだろうって、師匠が。」
というより、現在本人が目の前にいるのだから、疑う余地もない。だからシグロの件も単なるでっちあげだと思うのだが、何故あれほどまでに師匠は凍りついたのか、気になってしょうがない。
「まあレント殿を引きとめるために暗殺した、ってのは完全に外れだろうな。そんなことで離れた人間の心が戻ってくると思うほど陛下は馬鹿じゃない。そのくらい幼馴染だったらわかると思うがな。
……にしても、奴さん、相当焦ってるな。俺は魔法についてはよくわからないんだが、精霊の扱える魔法使いってのはそんなすごいのか?」
「え、はあ、精霊の力を引き出せるだけでもこの国では十指に入る魔法使いになりますね。隣のシャシーなんかは精霊を感じることのできる人間多いみたいですけど、その分魔法使いが少ないんです。ラカの場合は逆に魔法使いは多いけれど精霊を感じることのできる人間は少ない。まあ多いって言っても比較的、って話で絶対数としてはどちらの才能も少ないですよ。だから両方の才能揃ってる、って時点でかなり貴重な人材なんです。その上熟練してる魔法使いなんて言ったらそうそういません。
加えて、師匠は十年前でさえ精霊の力の少ない人工物からあれだけの力を引き出せた。それだけの力持ってたら間違いなく世界一の魔法使いですよ。しかもこの十年の間にさらに力を伸ばしているとすれば……。」
カイは黒猫をちらりと見ながら言いきった。
「史上最強の魔法使い、ですね。」
ブレッドはその言葉の意味が呑み込めたのかどうなのか、呑気に「ほう」と漏らした。
と、カイの体が勝手に一転、二転、三転して、気づくと黒猫の姿に戻ってしまった。……前触れもなくやるのはやめてほしい。せめて何か人間の食べ物口にしてから戻りたかった。精霊使いについて力説したのがチィの機嫌を損ねたのだろうか。
恨めしく思いながらもう一匹の黒猫を見ていると、どうやらカイの推測は違ったらしい。扉を叩く音がした。
「誰だ?」
「世話係のリュクルスです。軽食と猫様方に温かいミルクをもらってまいりました。」
「ああ、すまんな。ありがたい。」
ブレッドの許可が下りると、ラカから連れてきた召使いの一人が姿を現した。
「お休みのところお邪魔して申し訳ありません。」
「いやなに、シーナ様に預けられたこいつらが寝かしちゃくれなかったさ。せっかく形式ばった交渉の場から逃げ出す口実もらえたのに、その口実が寝かしちゃくれないわけだ。」
「こちらのミルクを飲ませれば、満足して猫様方も眠ってくれますよ。」
「ならいいがな。……実を言うと交渉でまた陛下が一芝居打つのを見逃した暇を持て余してた。」
「一芝居、というと?」
「シーナ様のことだ。最低限の取引で最大限の効果、つまり華々しい帰国と友好の証を狙うこと間違いないだろうな。何せあの場でチィを預けるくらいなんだから。」
「?チィ様を預けるのに何か意味があったのですか?」
召使いが問うと、ブレッドはにんまり笑った。
「そりゃあケパルドの騎兵の姿は様になっていたが、心は我らが王、ってことさ。」
召使いは一拍ほど心、すなわち悠然と構える一匹の黒猫を見つめてから、納得した。
「なるほど。帰国の意思表示というわけですね。」
「その通り。……まあその心を俺に預けてくれたのは光栄至極なんだが、おかげで他の護衛の連中同様見られたはずの一芝居を見逃したってわけさ。
ところで、そりゃ一体なんだ?」
ブレッドは皿に載せられた白い粉のふられた焼き菓子を指して尋ねた。
「ケパルド風のクッキーだそうです。毒見は済んでおりますから、ご安心ください。」
胸を張って家来が言うと、ブレッドはにんまり笑った。
「剣に倒れるなら名誉だが、異国の地で毒殺は俺には向かないな。」
そう言うと、ひょい、と口につまむ。そしてもう一つを、落ち着かなさげな方の黒猫の口に放ってやった。
「ブレッド様、猫様にはあまりよいものではありませぬ。」
「一粒くらい平気だろ?ほら、喜んで食べてる。」
ブレッドの言った通り、久しく人間の食べ物を食べていなかったカイは、生まれて初めて食べる贅沢品を、黒猫の姿で嬉しそうに頬張るのであった。隣で悠然とミルクを舐めていたチィは呆れてしばらく見つめていたが、黒猫らしく、再び温かいミルクに興味を戻していった。




