I-iii 幼女の快挙
それから数日して、チィの学力が年齢以上にずっと優れていることが判明した。中でも現行の政治における知識は遥かにカイを凌ぎ、目を見張るものがあった。本人は本気でねぇねの執政官になりたいらしい。
しかし執政官には特に必要ない、薬学だとか神話だとかの知識になってくると、カイには及ばなかった。……及ばないものの、しっかり授業についてくるし、時折する質問は中々鋭く、レントとカイ両者を唸らせた。
そしてカイの待ちに待ったその日は訪れた。
その日、レントは二人の前に前日採取した堅い木の枝を置いた。枝といってもその辺に落ちているような細いものではなく、レントが吟味を重ねて選び抜いた、杖にするのに適したものであった。
「師匠、これどうするんすか?」
前日の採取で全く説明がなかったので皆目検討もつかないカイが尋ねる。レントが不機嫌そうに口を開くよりも先に、チィが答えてやった。
「魔法の杖作るんでしょ!?ね、パパ。」
ばっと、期待に輝いた顔がレントに向けられる。レントは不機嫌そうに言った。
「……お前たちがしつこいからな。執政官に必要ない才能だが、まあ使えて不便はない。初歩だけ教えてやる。」
そう言うとレントは用意させておいた材料を指した。
「そこにある材料は全部チィが来てから一度は使ったやつだ。効能は説明したはずだ。いずれも魔力伝導に有効だ。その中から直感で好きなものを選べ。」
「直感……ですか?」
訝しげにカイが尋ねると、レントは頷いた。
「杖造りに必要なのは、使用者自身の魔力だ。直感というやつは魔力の原始的な形だからな。それに、杖はあくまで補助だ。魔法をかける対象に意識を集中させてイメージしやすくするための道具に過ぎん。慣れてきたら特に必要なくなる。」
「へえ。」
しかしカイは師の言葉に何か引っかかりを感じた。確か、師は一度だけ見せてくれた魔法で杖を使用していなかっただろうか。
と思ったものの、大魔法使いでもやっぱ杖があった方がやりやすいには違いない、と納得して、既に選び始めているチィと一緒に材料を選ぶことにした。
いずれの材料も、既に粉末状にされているものばかりだ。
「決めたらその鉢に取っていけ。」
と示されたのは薬の調合に使う大き目の鉢であった。チィは早速鉢を手に、さっさか粉末を掬っている。
「はい、揃えた!」
カイが一匙も掬わない内に、チィは高々と鉢をあげた。レントのアドバイスがカイに飛ぶ。
「迷わないのが一番だ。迷えば迷うほど、直感が遠ざかるからな。」
「えー……って言われてもなあ。」
これからずっと使っていくことになる杖の材料を選ぶのに、迷わないでいられるわけがなかった。ましてやカイはチィ以上に並んだ材料に関する知識があるだけに、余計迷う材料があった。
結局カイはなんとなく花の形が好きだったホウライ花の燐紛を主にして、後はなんとなく利きそうなものを選んだ。
「じゃあそこにニス剤を加えて直接手で混ぜるんだ。大事なのは自分が魔法を使ってる姿をよくイメージすること。もう十分だと思ったら杖に塗りこんでいけ。」
二人は言われた通り粉の量と杖の大きさに適した量のニス剤を加え、一生懸命に混ぜ始めた。
これに関してはカイの方が終えるのが早かった。カイがすっかり作業をやり終えてチィを見ると、まだ一生懸命に混ぜている。手元の鉢の中では、十分混ざりきった材料が見て取れた。だがレントは全く止めようとしなかった。これもまた直感が大切なのだろう。だがあまりに違うチィとのリズムに、少しばかりカイは不安になった。
ようやくチィが全ての作業をやり終えると、レントは満足そうに二つの杖を眺めた。
「よし、ニス剤が乾ききる前に最後の仕上げをしよう。杖を持ってこうするんだ。」
レントが脇に置いていた自らの杖を手に取り、作業していたのと別の机に置かれていた水の並々注がれたコップの一つにその先を当てた。
「ニママノウゾウソガワレワカヨズミ!」
透き通った水がわずかに揺らめいたかと思うと、何かを映し出した。誰かの不機嫌そうな顔のようだったが、それが誰だかわかる前に水は再び元の透明な状態に戻った。
「呪文は唱えてもいいし唱えなくてもいい。大切なのは魔法を使う自分をイメージすること。どんな魔法を使うかは好きにしていい。もし呪文があった方がやりやすいのなら、さっき俺が唱えた奴でもいいし、自分で考えたのでもいい。俺が使った呪文は水に対する魔法ならどんなのでも有効だからな。それに水に対する魔法と考えなくてもいい。呪文にしろ水にしろイメージをしやすくするための物だからな。むしろイメージが十分できるなら水も呪文もないほうがいい。
そんでもう十分イメージしたと思ったら実際に水が変わってなくても終わりにしていいぞ。杖にイメージを練りこむのが目的だからな。それにずっとやってたらニスが乾いて手がくっついちまうから気をつけろよ。」
レントの言葉の通り、二人はやり始めた。最初、二人とも無言だったが、先にチィがぶつぶつとレントの唱えていた呪文を唱え始めた。
カイの方はといえばじっくり黙り込んで目を瞑ったままずっと夢だった自分の魔法を使う姿を想像していた。そしてその想像が尽きた時、杖を手から離した。
カイが目を開けると師匠は持ってきた本をじっくり読みふけっていた。隣ではチィがまだ呪文を呟いていたが、しばらくするとその声も止んだ。
「師匠、終わりましたよ。」
本に夢中で二人の様子に気づかないレントに声をかけると、レントは顔をあげ、満足そうに頷いた。
「ふうん、カイ、お前、空飛びたいのか?」
「え、なんでわかったんですか……!?」
「杖見てたらな。よくイメージが練れてる証拠だ。」
「パパ、チイのもわかる!?」
にこにこ期待をかけて、レントに問いかける。その視線は真っ直ぐレントを見上げていた。
だがレントは視線を泳がせた。
「あー、まあ悪くはない……。
続きは明日やろう。杖を屋根裏の月見台の上に置いてこい。」
悪くはない、というのはチィのイメージの内容が悪くないということだろうか、それとも練り方が悪くないということだろうか。どちらにせよ、チィは満足していない様子だった。が、大人しくカイと杖を置きに行った。
翌日杖はすっかり完成し、塗りこんだニスの光沢に、それぞれ混ぜた粉末の色合いを僅かに帯びて、特徴のある仕上がりになっていた。
カイのはホウライ花の紫色の燐紛を使ったせいだろう、光の加減で青みがかった深い色に仕上がっている。
対してチィの杖はニスで艶が出ただけで、殆ど昨日と変わりなかった。そういえばチィの鉢には大きさの割りにずっと少ない量の粉しか入っていなかった。
しかし出来上がった杖に触らせてもらえたのは、夕暮れも沈みかけようという時間だった。
二人は準備万端、期待に顔を輝かせ調合室で杖を持って構えていた。レントも自らの杖を持ち、昨日と同じように並々水の注がれた三つのコップの一つを示した。
「ではこれから昨日の最後の仕上げとほぼ同じことをやってもらう。ただし今日は呪文を使い、なおかつ水への明確なイメージを持つこと。水がどう変化するかは好きに任せる。……が、なるべく昨日イメージした魔法に近いのがいいな。飛ぶ魔法なら水が浮かぶとか、変身する魔法なら水が氷になるとか。
そう、あんま複雑な変化をさせようとするなよ。どう考えたって無理だからな。変化が複雑になればなるほど魔法は難しくなるんだ。
じゃあやってみろ。」
「え、本当にそれだけなんすか!?」
思わずカイが抗議の声をあげる。魔法の初期修行について本で読んで知ってはいたしレントの言葉はその通りのものだったが、本当にそれだけだとは思っていなかった。きっと何か魔法使いだけの口伝があるに違いないと思っていたのだ。イメージするなんて、今まで散々やってきたことだ。それだけで魔法が使えるようになるとは思えない。
「今まで魔法を使ったことのない人間に魔法の使い方を教えるのは、或る日突然翼の生えた猿に飛び方教えるようなもんだ、って昔言われたが、全くその通りだ。一回飛び方覚えちまったら後は楽なんだが、そこまでが大変なんだ。
そうだな、呼吸を整えて、全神経を研ぎ済ませろ。このくらいだな、できるアドバイスは。」
「そんな……。」
ちょっと悲観的にならざるを得ないアドバイスだったが、とにかくやるしかなかった。と、二人が杖をコップに向けた途端、レントの口が開く。
「言い忘れたが、この最初の段階乗り越えるのに、人によっては一ヶ月とかかかる奴もいる。……まあそれはかなり遅い場合だがな。大抵は一週間くらいで乗り越えられる。それ以上かかる場合は、才能ない場合が殆どだからな。皆諦めるんだ。
だからこれは空いた時間に各自でやれ。今日は夕飯俺が作るからな。できあがったら呼ぶからそれまでやってるといい。」
「はい!」「はあい。」
絶対一週間で終わらせてやる、という気概満々のカイと、いつも通り元気なチィの返事が重なる。レントはそんな二人の返事を聞いて、どこか懐かしそうに目を細めて苦笑した。
「ま、頑張れや。」
それだけ声をかけるとレントはさっさと部屋を出ていった。
それからの数日間、二人は各々で修行した。カイは集中したかったので基本的にチィと違う場所でやったのだが、時折見かけるチィの修行が、全く成果を見せていないのを見るとほっとしてしまう。魔法が才能とレントは言っていたが、だからこそ妹弟子に負けたくない。まあそんな邪心が沸いてしまうからこそチィと違う場所にしているというのもあった。
その邪心があったからか、先に成果を挙げたのはカイだった。
大抵一週間、というその言葉の一週間が過ぎ、最初の修行から十日が経って、さすがに苛立つことが多くなってきたカイは、ふっとした瞬間コップが震えるのを凝視した。……風はない。今の感覚だ。イメージが、確かな現実へ練りこまれる、何かが自分から出て行き、目の前のコップとつながる、そんな感覚。
その感覚を忘れぬ内に、今度は意識的にその感覚に陥るようにしてみる。
コップが浮いたのはそれからあっという間だった。
静かに、ふわふわと不安定そうでありながらも、コップが浮いている。
やったぞ、と喜んだのも束の間、すぐさまコップは落ちた。どうやら浮かせ続けるには集中力を途切らせてはならないらしい。幸い、浮かんだと言っても大した距離ではなかったので割れはしなかった。
それからカイが自在にコップを空中で動かせるようになるのには数日とかからなかった。
「ほう、よくできるようになったじゃないか。」
感心したようにレントが漏らす。カイは嬉しそうに笑った。と、その拍子にコップが落ちてきた。気を抜くとすぐに落ちる。
「ちぇ、師匠が声かけるから……。」
「ま、この段階で声かけられても飛ばせりゃ結構な才能だな。だが、最初の段階ができたなら教えることもない。後は本読んで自分で修行のやり方考えろ。」
「えー、師匠は教えてくれないんすか!?」
不満の声をあげたカイに、レントは即答した。
「理屈はいくらでも教えられっがな、魔法に関する理屈なんて全部仮説だ。それにお前のことだ、どうせ本読み漁ってんだろ?なら後は実践だけだ。そればっかは俺には教えられん。」
「ちぇ。」
カイは不満そうに舌打ちしながらも、幾分はレントの言葉に納得したのだろう。渋々修行を続けた。
魔法は実践、と言ったが実際その通りで、言葉で伝えて習得できるものなら歴代の魔法使いたちは誰も苦労していない。その辺の話もカイは書物で読んでちゃあんと知っていた。
そして師の扱える精霊を操る魔法が、完全に才能に拠るものだということも知っていた。
精霊を操るには、精霊の存在を感じる特別な能力が必要だ。加えて魔法の才能がなければその力を引き出すことができない。
ちなみに隣国シャシーに多く存在する精霊使いはこれとは違う。魔法で精霊というと精霊の意思に殆ど関係なくその力を引き出せるが、精霊使いの場合、精霊との長い対話の末結ぶ契約に従ってその力を引き出す。魔法で引き出す力に比べてやれることはかなり限定されるが、精霊の存在を感じる能力さえあれば努力次第で確実に扱える術である。対して魔法で精霊の力を引き出すのは魔術と精霊術両方の才能が必要なのだ。
そんなただでさえ難しい魔法だが、その分威力は絶大である。故に扱える魔法使いは歴史上国宝扱いされてきた。国宝、というよりは兵器、と言った方が正しいかもしれない。生きた最強の兵器である
精霊の力を引き出せる魔法使いだけではない。
魔法使いそれ自体が兵器として扱われる。魔法使いの才能があればそれだけでかなり質のよい暮らしを保証されるのだ。とはいえ魔法は誰にでもできるわけではない。レントの言っていたように最初の一週間が分け目なのだ。才能を持つ者と、持たざる者との。一ヶ月かけてできた、というのは例外中の例外である。どんなに長くても二週間、やって駄目であれば、もうその人間に才能がないのは明らかとされた。
才能があっても、使える魔法とそのレベルは人それぞれである。修行次第ではあるのだが、やはり伸び代というのは大体決まっている。人によっては魔法の才能はあってもてんで役に立たないとされていることもある。そういう魔法使いはごくわずかだがいる。彼らは魔法使いなのに役立たず、と単純に魔法の才能がない人間よりも蔑視される。魔法の才能がないのは普通の人間で、中途半端な魔法使いは落ちこぼれだった。
その点カイの最初に習得した飛ばす魔法は、系統の幅が広く、応用が利く。それなりに複雑な段階までこなせるようになれば、重宝される部類の魔法であった。
一方のチィはと言うと、問題の二週間が過ぎてなお、修行に奮闘していた。二人ともそんなチィの邪魔をしないように、見る時はそっと見るのだが、カイなぞは本で読んで費やした期間的にチィの才能は絶望的だと知っていたので、もう駄目だろうと思っていた。それに対しレントは、出来の悪い弟子が心配なのか、気づくと伸び盛りで見ていておもしろいカイの修行より、全く何の変化も起こらないチィの修行を見守ることが多かった。
当然三人揃う時間の空気は重い。というか本人以外が何気なく気を使っているのが伝わる。チィ本人は以前と変わらず勉学に年齢に不似合いな才を発揮し、レントをパパと呼びカイをにぃにと呼んで生意気ながらも可愛く元気な態度なのだが、一人修行している姿を知る二人はそれが空元気と思い、自然口が重くなる。
修行開始から二ヶ月、流石にレントも無理だと思ったのだろう。夕飯の席でチィに向かって言う。
「どんなイメージを練っているんだ?」
やめろと言うでなく、単純に聞く。カイはその質問は、と師匠の心配はわかるもののやり方がまずいと思った。
しかしチィは意外なことに落ち込むでもなく、普通にいつもの笑顔で答えた。
「あのね、お月様がお水の中にあるの!」
「?」
質問しておきながら、答えを聞いた二人は咄嗟にイメージが沸かなかった。いや勿論、ぼんやりとしたイメージは浮かぶ。丸い黄色い球体がコップの水の中を漂うイメージ。しかし本物の月はもっと大きかったし、魔法として具現化するだけのイメージにはどうしても到達しづらい。
「お前、ずっとそんな複雑なイメージで修行していたのか?」
レントが呆れたように言う。するとチィは首を捻った。
「えー、だって池にお月様浮かんでるの見たことないの、パパ?」
言われて、ああと合点がいった。水の中、ではなく、水面に月が写りこむイメージだったらしい。
しかし合点がいったところで、それはそれでレントの皺が深くなった。
「最初に杖に練りこんだのは、どんな魔法だったんだ?」
カイはその言葉を聞いておやっと思った。師匠はその答えを知っているはずだった。杖を作った時にわかってるようなことを言っていた気がする。
と、気づいた。レントにはチィの練りこんだイメージが見えなかったのだろう。だがそう言うのは恐らく魔法の才能がないと宣言するに等しかったに違いない。だからレントは言葉を濁したのだ。
そんなことには露と気づかず、チィは楽しそうにイメージを語る。
「えっとね、お空に世界が見えるの!お空を見るだけで色んな場所が見えるの!」
「そうか……。それで月の水面に映るイメージなら、いい線いってるんだがな……。」
「ホント!?やった!」
いかにも嬉しそうなチィの様子を見て、カイは師匠に腹が立った。明らかにレントの顔は言葉と裏腹に、チィには才能がないのだと語っていた。やり方が間違っていないのなら、やはり問題があるのはチィの才能なのだと。それを言わないのは優しさではない。ここははっきり言うべきだ。
「チィ、修行楽しい?」
「うん、楽しい!」
即答、である。驚いたことに、チィは本心からそう言っているらしい。空元気なのではないらしかった。
カイにはとても理解できなかった。あんな修行望みがなければ楽しいはずがない。
「でももう二ヶ月だろ?はっきり言ってもう諦めた方が……。」
「なんで?」
無邪気に、首を傾げる。にっこり笑顔が、痛々しくさえ見えるのはカイの色眼鏡であろうか。
それでもカイは、ここははっきり言うべきだと思った。レントはカイを止めるでもなく、静かに二人を見守っている。カイはそんな師匠に無性に腹が立った。なんという日和見主義!そんなのは優しさではない。残酷な優柔不断だ。
だからカイははっきり言った。
「師匠が一ヶ月でできた人間もいると言ってたけど、それだって僕は初めて聞いた。ましてやチィは二ヶ月じゃないか。はっきり言って、もう無理だろ?」
カイは真っ直ぐチィの顔を見つめた。
予期せぬことに、チィは笑った。なんでもないことのように、笑った。
「いいの、チィは執政官になるのが夢だから、魔法ができなくても何とかなるの。でも一人だけ使えないのは悔しいから、絶対使えるようになりたいの。それにはね、無理なんて言っちゃいけないんだよ。」
魔法を使えるようになりたい、というのが本音でありながら、それが適わないことに絶望していない。それはとんでもない矛盾だと思った。
気づくと、レントも目を丸めていた。レントが口を開く。
「……辛くは、ないのか…?」
その口調があまりに真剣だったので、カイは思わずぎょっとした。カイにはどう考えても大賢者と呼ばれる師匠が、あの水神の魔法を使った師匠が、そんな質問をぶつけたくなるような経験をしているとは思えなかった。
質問をぶつけられたチィは、にっこり笑った。
「悔しいけど、別に辛くはないよ?だってねぇねが言ってたの。何にもできなくても、チィのこと大好きだって。だから大丈夫!」
それは本心から言っているように見えた。強がりではなさそうだ。ならば悔しいという気持ちが、嘘なのだろうか。いや、そうでもないだろう。修行に対するチィの真剣な態度は二人とも見て知っていた。邪魔しては悪いと思わされるほどの、高度な集中力。何故それだけ集中できて魔法が使えないのか、不思議なほどの集中力。才能がないとしか言いようのない、皮肉なほどに高度の集中力であった。
「……頑張れよ。」
呟くようにして、レントが言う。チィは笑って「もっちろん!」と元気よく答えた。
カイはと言えば、何も言えなかった。あまりに無駄な努力に思えた。それでもチィが納得しなければ、やめろと言っても意味がないのだとわかった。だから何も言えず、黙る他はなかった。
次の日、二人は気づくと示し合わせたように、チィの修行を見守っていた。チィは静かに目を閉じ、コップに杖を向けるのだが何も起こらない。はっきり言って見ていても退屈である。それでも二人は静かに見守った。
と、あれほど高かったチィの集中力が途切れる。そして何かに気づいたように、もう一度杖を構え直すと静かに目を閉じた。
二人が身を乗り出す。すると、水面が、わずかにきらっと光るのが見えた。昼の光の悪戯ではない。その確信が、二人にはあった。
チィがもう一度、同じように最初からやり直す。すると今度は確かにはっきりと、水面にゆらゆら小さな黄色い光が揺れていた。
「やった!パパ、にぃに、できたよ!」
チィが頬を上気させてそう叫んだ途端、光は消えた。しかし三人はお構いなしだった。
カイが思わず駆け寄って抱き上げる。そしてくるくる回転する。
「おっまえすっごいな!」
事実カイは本気でそう思っていた。奇跡である。師匠が言っていた一ヶ月だって十分驚きに値するのに、この幼い女の子はその二倍でも、諦めず、そしてものにした!聡い子だから十分その無謀さがわかっていただろうに、本当にすごいことである。
チィを下ろしてカイが師匠の方を向くと、師匠は丁度扉に手をかけているところだった。一瞬見えたその頬に、水面と同じくきらきら光るものが伝っている。カイは思わず微笑んで、師匠からチィへ視線を戻し、今度は師匠の分も頭をくしゃくしゃになでてやるのであった。