Ⅱ-i 雪に埋まる想い出
Ⅱ
チィが来て一つの季節が過ぎ去り、いつの間にやらすっかり冬であった。比較的温暖な地方とはいえ、冬になれば雪の降る日もある。ましてや山中の小屋は、雪が降らずとも寒い。しっかりした備えが必要であった。
あの日以来チィは魔法の修行をごく短時間しか行わなくなった。カイにしてみれば勿体無いのだが、チィ曰く「執政官に必要ないし、得意なことを極めた方がねぇねの役に立つもん。」とのこと。レントは例のごとく何も言わず、チィの好きなようにさせていた。しかし以前よりチィに教える様子が熱心に見えるのは、カイの気のせいではなかろう。
カイは妹弟子が贔屓されているのを必ずしも心穏やかに見守れるほど大人ではなかったが、それでもチィのことを認めていた。確かにすごいと思ったし、だからこそ自分も負けてはいられない。
年の差はあれ二人はよきライバルであった。それに大賢者と呼ばれるレントが教えているのである。二人の成長は目を見張るものがあった。
カイが毎日しっかりやった修行のおかげでこの冬は街まで一っ跳び、とまではいかずともかなりの短時間で往復できるようになっていたので、冬の間中ずっと小屋が閉鎖されることはなさそうだった。
冬じゃなくとも月にニ、三度しか行かぬ街であるが、それでも全く行かないと色々不便が生じる。まず食事に偏りが出る。山で取れる食材には限界がある。家庭菜園もやっているがさすがに乳の出る動物は世話していない。レント一人では手に負えないし、特に飼う必要もなかったのだろう。また色の鮮やかな野菜も街まで行かねば手に入らなかった。
食事以上に、レントが困るのは新しい本の入手ができないことであった。時折しか出ない街は小さいのだが、何でも取り扱う雑貨屋の主人が長年住み暮らすレントの気質をよく知っていて、彼のためだけにわざわざ毎月新しい本を仕入れていた。多ければ四、五冊、少なければ一冊しかない時もあるが、読むペースが速いため、多い月でもレントは物足りないくらいだ。
「師匠、毎年冬はどうしてたんすか?」
この小屋で初めて冬を過ごすカイが、ちらちら雪の降り始めたのを見て言った。先日晴れてる内に街に行ったのは幸いだった。いくら短時間とはいえ、雪の降る中を飛びたくはない。
「んん?どうしてたって、そうだな、雪根草を取りに行ったり、あと桜の芽とか、冬眠中の蛙も探したな。」
「いやそういう冬に取れる材料ではなく、街へ行くのにどうやって行ってたかって質問ですよ。」
言葉が足りなかったかなと、カイは補う。レントは即答した。
「街には出なかった。」
「え?」
思わず聞き返してしまう。だって大魔法使いならそれくらい容易いだろう。そんなカイの心を読んだかのようにレントは言った。
「俺は街に出るために使えそうな魔法が使えないんだ。得意系統が全く違うし、そもそも使える魔法のレベルがへぼい。だから今年はお前がいて助かるよ。」
カイは後半をいつもの謙遜と受け取って無視し、前半に突っ込むことにした。
「そういえば師匠の得意な魔法って、どんなのなんすか?」
結局未だにカイは師レントの魔法を使うのを一度しか見たことがない。いつぞやの本を複製する魔法だけだ。
意外なことにその質問に答えたのはチィだった。
「念写、でしょ、パパ!」
正解を確信して答えあわせを待つチィであった。
そしてそれは実際正解だったらしく、何故それを、といった感じでレントがぎくりとしていた。
「おま、あの魔法一回でわかったのか?」
一回、というのは例の魔法具複写帳、を使った時のものだろう。確かにあれは典型的な念写の魔法である。
「んーん、ねぇねに聞いたの!」
チィがにっこりして言う。
言われてみれば王宮暮らしをしていた頃のレントをよく知るシーナが、その魔法の腕について知らないはずがない。
そんな当たり前のことなのに、何故かレントは嫌な顔をして、カイにはすぐにわかったのだが、この上なく不機嫌になった。
「……本を読む。邪魔するな。」
それだけ言って、部屋を出て行ってしまった。
だが質問をした師匠がいなくなったことで逆に、カイは思う存分チィに質問することができた。
「チィ、師匠の魔法についてねぇねはなんて言ってたんだ?」
チィは言われて、思い出すように「えーと」と首を傾げ、目を上方にやる。そして一言。
「へたれ!」
「……へ?」
期待を大いに裏切られ、カイは言葉がない。
よくよく考えてみれば、一度だけ会ったあの時も、レントの魔法についてはひたすらけなしていたシーナだった気がする。水神の魔法使った人間に対して、あまりに不当な評価だ。
しかしチィはその不当な評価を支持するのか、にこにこシーナの評価を語る。
「パパはね、現在のこととか真実とか、そういったものをちょこっと映すくらいのことしかできないんだって!でもいっつもねぇね言ってたの。魔法の才能なんかより、もっとすごい才能持ってるって。」
「……執政官の才能?」
少しの間の後に発せられた言葉は、疑問系であった。
カイにしてみれば確かに師匠の知恵はすごいしこの上なく尊敬しているが、自分もそうだが師匠も、その知恵は学者向きのものであって、政治向きでない気がする。
チィはと言えば、カイの疑念を肯定するでも否定するでもなく、頭を傾ける。
「うーん、ねぇねは執政官にしたいってずっと言ってるけど、執政官はチィがなるの。ねぇねはね、パパの知恵は誰にも負けない、って言ってた。きゅーてーひっとーまどーしの息子じゃなければ、国一番の学者にもなれたって。だからパパは学者になればいいの。」
そう言って、にっこり笑う。カイはその笑顔を軽い驚きをもって眺めた。
何か、引っ掛かりを感じる。そう、最後の言葉だ。
それは、カイの考えと同じである。しかしそれをチィが言うとなると、何か違和感があった。幼い、無邪気な、にこにこするばかりのチィに、悪意を感じたのである。
何に対する悪意か。
――考えてみれば、恐らく自分が執政官になりたいが故の悪意であろう。悔しいからと魔法の初期修行を諦めずに続けたチィなのである。慕っているシーナが執政官にしたいと言うレントに対して、悔しいという感情を抱いてもおかしいことはない。
そう考えた時、カイは何故だかわからぬが焦りを感じた。
別に妹弟子は確かに年齢の割りに勉学に非常な才を見せてはいるが、まだまだカイを追い越すほどではない。現在の政治状況だけは悔しいことに負けているが、それ以外の分野ではまだまだカイが優位に立っていた。それでもカイは、この妹弟子に、決定的な敗北を感じた。
カイはその敗北感が何なのかよくわからなかったが、とにかく焦ったのだった。
「にぃに、どうしたの?」
心の底から心配しているような、そんな顔が、気づくと目の前にあった。その瞳には、カイの無意識に出ていた険しい顔が、よおく映りこんでいた。
カイはその顔を見てはっとして「なんでもないさ。」と言った。
「それよりさ、師匠はあの水神の魔法使ったんだろ?だったらへぼいわけないと思うけどなあ。」
慌てて、話を戻す。別に本当になんでもないのだ。自分でもよくわからない感情を、チィに説明できるわけもないのだから。
チィは暫く心配そうにカイを見つめていたが、結局兄弟子の質問に答えることにしたらしい。
「んー、チィは見てないからわからない。でもねぇねはパパの魔法はへぼいって言ってたよ。」
「そっか。」
まあシーナの考えを全てチィが読めるはずもないのだ。チィに訊いても無駄な質問であった。
そういえば、とふと思い出す。
「チィの本当のねぇねって、何者なんだ?」
「アズリルのねぇねのこと?」
「そうそう。」
現在政治状況が大分わかるようになってきたとはいえ、結局チィの血の繋がった姉の事は未だにわからなかった。レントがわざと授業で避けているのか、全く出てこない名前である。
だからカイは未だにチィの宮廷での位置づけがよくわからなかった。かと言ってレントの前では聞きづらいものがある。最初に聞きそびれ、ついこの前まで魔法の初期修行に気を取られていて結局今まで聞きそびれたままになってしまった。
チィは困ったような顔で、再び頭を傾けた。
「チィよく知らないの。会ったことないから。」
「え!?姉妹なのに!?」
よほど忙しい人間なのだろうか。驚いて聞き返したカイに、チィはさらりと答える。
「だってチィが生まれる前に死んじゃったんだもん。」
「あ、ごめん……。」
小さい子供に言わせることではなかった。困ったように言ったチィはしかし、気にするでもなかった。幾ら聡くても、これだけ幼ければ会った事もない人間の死など理解できなくて当然であろう。
「じゃあチィのパパとママって、何してる人なんだ?」
質問を変えた。カイとしては師匠が過剰に反応していた姉の存在が気になるのだが、親がわかればある程度わかるであろう。
カイの思惑は的中で、チィはにっこり答えた。
「パパはお馬さんに乗るの!ママはねぇねの先生なのかな?えーっと、ウバだっけ?」
「乳母!?あ、そっか、ってことは……。」
つまりチィの姉アズリルはシーナの乳兄弟、身分は王族と比べればずっと低いものの、幼馴染である。レントもシーナの幼馴染と言うのだから、さぞかし三人で遊んだことも多かったに違いない。
しかもその人物が死んでいるとあれば、レントの過剰な反応も頷けた。チィの存在は死んだ幼馴染を思い出せるのだ。それはチィをカイ以上に贔屓目に見てしまう一つの要因でもあるのだろう。
そう思うとむくむくと好奇心が頭をもたげてきた。さっき悪いと思った気持ちなぞどこ吹く風、カイはチィに質問した。
「アズリルのねぇねがどんな人だったか、シーナのねぇねから聞いてないのか?」
そう言えば、シーナがチィを可愛がるのもレントと同じ理由に違いない。口を開けばねぇねとシーナを呼ぶチィである。そのチィの慕う様子を見れば、シーナがよっぽどチィを可愛がっているのはよくよくわかった。
チィはカイの質問に、特に気を悪くするでもなくすらすら答えた。
「いっつもパパと喧嘩してたんだって!あ、パパってお師匠様パパね。んで、いっつもパパが負けるの。うーん、そのくらいかなあ。ねぇね、シーナねぇねあんまり話してくれないの。」
「ふうん。どうして亡くなったんだ?」
言ってから、さすがにちょっと不躾な質問だったか、とも思ったが、チィは気にしてない様子だった。
「崖から落っこちて湖で溺れたんだって。確か、十年前だったかな?」
がば、っとカイが身を乗り出す。
「それって師匠が城を出る前、後!?」
「パパがいなくなってからだって!!」
話題は絶対笑うべきものではないのに、何が楽しいのかチィはにこにこしている。
ということは、彼女が死んだのは師匠が城を出たせいだろうか。いやいや、レントが死んだのならともかく城を出ただけならば追いかければいい。ならばレントが城を出た原因が彼女にあるとか?というかそもそも……
「崖から落ちたって、事故なのか?」
「ジコ?」
よくわからない、と頭を捻る。カイは「えーと」と言葉を探す。
「つまり、えーっと、どうしてねぇねは崖から落ちたんだ?」
「わからない、って。遊んでるうちに落ちたんじゃないかって。」
「そうか――。」
しっくりこないものの、それ以上チィを問い詰めるわけにもいかない。
「にぃに、お腹空いた。」
チィが指をくわえて、いかにも幼い子の愛らしい調子で言う。カイは思わず微笑んだ。
「そうだな、ご飯の用意しないとだな!」
「うん!」
嬉しそうにチィは頷く。二人は実の兄弟のごとく仲良く台所へ向かっていった。窓の外の雪は相変わらず、しんしんと降り積もっていた。
――お前、私と母上は似ていると思うか?
その質問に、輪郭と、唇がそっくりだと思うと答えた。
――だが母上のあの絶世の美貌は反映されてない。不思議なものだ。
あっさり笑ってそう言うと、ナイフを取り出し、くるりと回す。
――見ておれ。
そう言うなり、だんだんだんだん――。力強い音がテーブルに響く。驚きに目を見張った。テーブルの上に広げた自らの指の間を、目にも止まらぬ速さで突いたのだ。一歩間違えれば怪我をしてしまいかねない勢いだ。
即座に家庭教師にたしなめられるも、からからと笑い、気にした素振りもない。
――ほらレント、お前に城を案内してやる
そう宣言するや、ぴょん、と椅子から飛び降り、手を引き駆け出す。
……今思えば、彼女なりの気遣いだったのだろう。
――お前、魔法使えないわけじゃないんだな?
別のある日、言われて黙っていると、勝手に奴は瞳を輝かせて、水面に何か映してただろう、と問い詰める。
――っうつしてないっ!
――だが、お前にそっくりの、綺麗な女の人が見えたぞ?我が母上には劣るが、さすがレントの母、美しい人なのだな。
――うつしてないっ!構うなっ!
それでも彼女はしつこく、虹が見たい、と言われて、渋々虹を出す。
――綺麗だなっ!アズリルが見たら喜ぶぞっ!
――見せるのか。
――当り前だろう?その為の魔法だ。ほら、行くぞ。
そして前と同じように、さっと手を取り、引っ張ってゆく。……彼女に勝てた試は、一度もなかった。




