40、妥協点
少女は再び携帯電話を取り出すと、表示された時間を睨んだ。
今いる電柱の前から、はて学園までどれくらいの時間がかかるか。少女は頭の中でそれを計算しながら、うなり声を上げた。
そろそろ時間がまずかった。このままでは遅刻の危険性もあり得る。
ポケットに携帯電話を突っ込み、腕を組んで不機嫌そうに片足を鳴らす。しばらくして再び少女がポケットに手を突っ込んだとき、少女に降り注いでいた光が遮られて日陰になったのを感じた。
振り向けばそこには見慣れた男の姿があった。
「わりぃ……待たせた!」
両手をあわせて、謝罪をする男。少女は何か文句を言ってやろうかと思ったが、ため息をついただけで、何も言わなかった。
「まぁそれくらい気にしませんよ」
なんといっても相手は病人である。多少のことは多めにみれるくらい、こちらが心を大人にする必要があるだろう。
「それよりも時間がまずいですから、早く行きましょう。歩けますか?」
携帯電話をちらりと覗いて時間を確認した後に、すかさず男の傍らに並ぶ。
「そもそも俺はここまで歩いてきた訳だが? っつか別に俺は一人で普通に登下校できるぜ?」
「ダメに決まってます! 一人とか、また倒れちゃったらどうするんですか? 第一に会長さんはまだ病院で寝てないといけないはずです! それを学園祭の準備があるからとかいう無理矢理に学園に行こうとしてるのですから、一人とか絶対にダメですよ! というか私たちは大丈夫ですから、今からでも病院に戻ってください!」
正真正銘の気持ちをもって少女は説得に出る。
「ま……今更その話題はやめようぜ。時間がやべェんだろ? 行こうぜ」
男はそう言うと、鞄を片手に歩き出した。
少女は脱力したように息を吐き出し、しかたなく後に続く。
結局、今日も男の説得は出来なかった。しかしそんなことは、ここ数日、学園に行こうとする男を止め続けていた少女からすれば分かりきったことだった。
少女の力では、この男を止めることなど出来るはずはなく、このまま説得を続けたとしたら、男は少女の目が届かないタイミングで学園に来てしまう。少女にとってそれは絶対に避けなくてはいけない辞退であった。
この男を一人にさせること、それは少女の中ですでにトラウマのようになっていた。そのため最終的に男のわがままに少女は折れて、条件着きで学園に行くことを許したのである。それが登下校の監視と、並びに生徒会の仕事を少し控えることである。
「あ、会長さん。鞄持ちますよ、重いでしょう?」
少女は男の側面に回り込んで、男の鞄に腕を伸ばす。しかし鞄に触れるより先に、男は鞄を持ち上げて肩に担ぎ上げた。そして男はいかにもだるそうにあくびをする。
「ったく、朝から騒がしいかぎりだぜ」
少女にかまわず、ずしずしと前進していく男。
「あ! ちょっと会長さん! 鞄持ちますっていってるじゃないですか! それじゃぁ手が届きませんよ!」
男の後ろでぴょんぴょん跳ねて、少女は必死に鞄に手を伸ばすのだが、身長さがありすぎて奪うことは無茶だった。
もし男が病人であることを知らなかったら、その背中を踏み台にして奪ってしまうのだが——しかしよく考えれば、病人であることを知らなければ鞄を持とうとすることもなかっただろう。
「……これぐらい問題ねェっての。しかしアレだぜ。思った以上にちいせェな」
めんどくさそうに男が振り向いた。
「な!? 急に何を言い出すんですか!? わ、私だってそのうち大きくなるんですよ!」
セーラー服越しに自らの胸を隠して、顔を赤らめながら少女は睨んだ。
「…………」
男は呆れたように、少女を見下ろしている。
「……なんですか?」
「どう勘違いしてンのか分かってるつもりだが、俺が言ったのは背丈だぜ?」
さらりと言った男の言葉に、少女の中の時間が停止した。
「…………」
顔を赤くして、俯いてしまった少女。男はそこになにやらただならぬ予感を感じて、いつでも逃げられる準備を整える。
「分かってます……」
「おう! そいつはよかったぜ」
「ですけどね! 私は平均より少し低い程度ですよ! ですから誰にも小さいとか低いとかチビとか言われたことないですよ!! だいたい会長さんが高すぎるのが問題なんです! ですから別に私は勘違いとか、いえ、勘違いして普通じゃないですか!!」
鋭い目でギロリと睨む少女。男は身の危険を理解して学園にむかって逃げ出した。
「待てぇー!!」
何故追いかけるのか分からなかったが、声を上げて男を追いかける。
しばらくして通学中の女学生を追い抜いた。彼女は小さな叫び声を上げた後に、
「やっぱりあの二人には笑顔が一番だよね」
と微笑み、二人を追いかけて走り出した。
「…………馬鹿どもめ。一体なにをやっている……」
途中でそんな声も聞こえた。
逃げる男。そしてそれを追いかける少女。
そしてその背後には、知らぬうちにたくさんの生徒が群がり、列となって走っていた。
みな何で走っているかなど分からず、ただ先頭の二人があまりにも楽しそうだったから、それに誘われるように走っている。ただそれだけだった。
そして今、唖然としながら顔を見合わせた2人の学生が、同時に笑い出して二人を追いかける。
通学中の学生がもっとも多いこの時間帯を、少女と男は走り抜けていくのだった。




