EP.7 愛なんて
根は悪い人ではないのだと分かり、安心して話をできるようになったところで、ヴィクトルが戻って来た。相変わらずの無表情に見えたが、少しだけ機嫌が悪そうだとフローレンスは気付いて駆け寄った。
「何かあったのですか?」
顔に出しているつもりがなかったヴィクトルは、その僅かな機微に気付ける彼女を、よほど面倒な生き方をさせられたらしいと哀れになった。
「おそらく寄生型の魔物だ、大した害はない。死骸に取り付いて農作物を荒らしたりはするが、人間を襲うことは滅多とない。ただ、寄生した対象が熊や狼なら軽視はできんだろう。さきほど、ライラに調査を頼んだが……」
村長の家を振り返って、ヴィクトルは目を細めた。
「気に入らん村だ。港湾都市が近いという理由で中継地として使われることが多いらしい。魔物が現れたとなれば村に来る旅行者などが減るなどという下らん理由で、できれば公にしないでくれと頼まれたよ」
危険な場所に自ら足を踏み入れるのは騎士や傭兵といった戦闘のエキスパートか、猟師くらいなものだ。旅行者や行商人は危険だと分かれば滞在を好まない。すぐそこに港湾都市があるのなら、わざわざ魔物の出た地域に泊って休んだりはせずに迂回してしまうだろう。気持ちは分かるが難色を示す程度には愚かな発言だ。
「バシリオ、西にある森へライラが先行している。お前も現地の調査を頼む。魔物の痕跡が見つかったら、活動範囲を絞り出せ。討伐は明日に行う」
「了解っす。急いで手伝ってきます」
敬礼をしてバシリオが森へ出発するのを見送り、ヴィクトルはフローレンスを連れて近くの宿を尋ねた。四人で泊れそうかどうかを主人に尋ねると、二部屋しかないと言われて、少し不機嫌そうにする。
「ここが一番大きな宿だろう。なぜ二部屋だけなんだ?」
「もう予約が埋まってるんです。夕方には到着されますから……すみません。他の宿も似たような状況だと思いますが、いかがなさいますか」
わざわざ訪ねてまわって、泊まれないとなっては無駄な労力だ。
数秒の思考の後、ヴィクトルは二部屋で四人泊まれるのかを尋ねた。
「余ってるのは二部屋で、ツインとダブルが一部屋ずつとなっておりますが」
ヴィクトルが隣で黙って聞いているフローレンスを肘で小突く。
「お前とライラがダブルの部屋で構わないな?」
「はい、もちろんです」
女性同士なら安心だ。着替えるのにも気恥ずかしさがないし、ヴィクトルとであれば、そこにいるだけでも気を遣ってしまいそうだった。
「時間も余ったことだ、少しコーヒーでも飲んで休憩しよう」
「あ、はい。いいんでしょうか、お二人は働いて下さってるのに……」
「調査はすぐ終わる。大人数で行く理由もない」
置いてあった一人掛けのソファに座り、膝を組んでヴィクトルはあくびをする。毎晩、遅くまで書類仕事もしているのもあって疲れていた。今日のように楽な仕事があれば、都合よく屋敷を出て休息を取れるのかとフローレンスも納得する。
「ニックスに聞いたが、二か月の間で随分と成長したそうだな?」
「あ……どうなんでしょうね。あれ以来、決闘はしてなくて」
「序列が変わっていなければ実感が湧かないか。それもそうかもしれん」
決闘で相手に勝たなければ序列が変わらない以上、ただひたすら訓練に加わって鍛えるばかりの日常だったフローレンスには、あまり変わり映えしない。
「ひとつ変化があったとしたら、魔力を感じるようになりましたよ。ライラさんがお手製の薬を作ってくださったおかげで、ぐんぐん伸びてる気はします」
ライラは聖炎騎士団で唯一の魔法使いだ。戦闘に加えて治療薬なども調合できる優れた人間で、かつては魔塔にいたとも聞いている。フローレンスが同性として、今最も憧れる副団長の腕は間違いない。
「うむ、確かに以前より魔力が大きくなっているが、まだ伸びそうだな。そのまま訓練を続けていれば、俺やニックスのようにはなれなくとも、それなりに高い序列までは昇れるだろう。そのうち護衛も頼めそうだな」
護衛。そんな馬鹿な、とフローレンスは笑い飛ばす。
「要らないくらい強いじゃないですか、閣下は。先月のニックスさんとの稽古は、思わず目を奪われてしまいましたよ」
「だとしてもだよ。俺も不死身ではないのでな」
ヴィクトルは視線を遠くにして寂しそうに微笑んだ。その意味が、なんとなく分かった気がして、フローレンスもちくりと胸に小さな針が刺さったような痛みを感じてしまった。命を奪う手段など、何も剣や魔法だけとは限らないのだから。
「申し訳ありません、軽率なことを……」
「気にしなくていい。お前もそうだっただろう?」
「それは……まあ、はい。死んでこそいませんが」
今は立派に騎士団の制服に身を包んでいるが、少し前までは息をするのも億劫に思うほど塞ぎ込んでいた。小さな砦の中で自分の身を守り、毎日が過ぎていく感覚の虚しさを感じながら、少しずつ前を向こうと努力してきた。
心は一度、殺された。深い深い、真っ暗な水底へ沈められた。浮こうとする気力すら湧かなかった日々を振り返ると、今はよく笑えるようになったことが、フローレンスは少し嬉しくなった。
「閣下のおかげで、私は前を向いたと思います。あのとき、あなたが遠回しに背中を押してくれなければ……どう生きてたのかも分かりません」
「馬鹿にされたと怒ってたのに?」
ニヤッとするヴィクトルに、顔が真っ赤になった。
「忘れて、今すぐ」
「はは、やだね」
届いたコーヒーを飲みながら、ヴィクトルは楽しそうに微笑んだ。
「あの女狐……フォルミカ伯爵令嬢だったか。あんな娘を選ぶとは、カリトゥスの目も曇ったものだ。子供のときからそうだったような気もするが」
「閣下は、あの令嬢がお嫌いなんですか?」
「嫌いだね。以前、歴史ある伯爵家という理由で、俺のもとにも縁談が来た」
チッ、と舌を鳴らして語る眼つきは、ゴミを見るようなものだった。
「富と権力の虜と言うべきか。伯爵からして薄汚い。なぜ、お前が選ばれなかったのかが分からんよ。この二か月間、ときどき見ていたが、品行方正が服を着て歩いているような奴だ。皇太子妃にも向いていただろうに」
少し見ているだけでも分かるような人柄だ。聖炎騎士団では珍しく、誰とでも交流の糸を結べる。気難しさでは随一とも言える短気のウーゴでさえ、フローレンスと話すときは孫と肩を並べて話す老人のようになってしまう。
皇太子妃の席が彼女のものであれば、皇国もさぞや良い方向へ舵を切れたであろう失われた希望に、ヴィクトルはやはり苦い顔を浮かべた。
「ふふっ、フォルミカ令嬢も案外うまくやるかもしれませんよ。それより殿下のことばかりですけど、大公閣下には良い方はいらっしゃらないのですか?」
「俺は……今はいないな。跡継ぎも考えねばならんとは思っているが」
ヴィクトルも、もう二十九歳だ。いずれは退く席のために、次の血筋を残さねばならない。そう分かってはいても、この女であれば、と思えるほどの人間に出会ったことがない。縁談はきても家門が気に入らないと、勝手を言ってきた。
「父が戦死してから、母も早く孫が見たいとうるさくてな」
「相手はいくらでもいるけど、理想が見つからない……ですか」
「そんなところだ。ときどきニックスが羨ましくなる」
同じ騎士団で、気の合う妻がいる。楽観的なようで堅物なニックスが心を許す相手はライラだけだ。ああも理想的な夫婦とは、自分が求めるには高望みが過ぎるのではないかと、大公家の名が邪魔にさえ感じてしまう。
もっと自由に。鳥かごの中だとしても、羽ばたけるほど巨大な鳥かごであれば、どれほど嬉しいだろうか。そんなことをときどき考えては、振り払った。
「……いい出会いがあるといいですねぇ」
「お互いにな」
「ははは、私はありえませんよ」
空になったカップをそっと置き、フローレンスは悲し気な顔をする。
「真実の愛なんて、どこにもないと思ってますから」




