第14話 接触
毛布代わりのマントで身を包んだエインゼルは、自分がその日一日搭乗していた戦闘機を草地の上からぼんやりと眺めた。
長時間の飛行で身体が綿のように疲れていた。
既に日は落ちている。
二人にとって今は一刻を争う空の旅ではあったが、夜間飛行はあまりに危険だった。
「エンジンも人も休まなければ必ず事故が起きる。夜は降りよう」
ルーベンスデルファーはそう告げると、陽が落ちる前にこの草地へ着陸したのだった。
近くに人影がないのを確認すると、彼は愛機の傍でエインゼルを休ませ、近くの林へと分け入った。
そして、しばらくすると「あの林の奥に小川がある」と嬉しそうに戻ってきた。
「綺麗な水だ。水浴びも出来そうだから行って来るといい」
女の子だから気になっているだろうと思ってな、と照れたようにルーベンスデルファーが言い足したので、エインゼルは思わず「まぁ……」と微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて……」
実際、小川の水に身体を浸して憩うと驚くほど疲れが取れた。
食事はエインゼルが旅の為に用意していたパンとバター、川で汲んだ水という粗末なものだったが、空腹の二人にはお腹を満たすことが出来ただけでもありがたかった。
水はルーベンスデルファーの水筒に付いているアルミカップを焚火で温め、それをお茶代わりにした。あとは睡眠を出来るだけ取り、明日の長距離飛行に備えなければならない。
しかし、少しでも休まないと……と思いながらもエインゼルは気持ちが昂ぶって、なかなか眠気が訪れない。
ルーベンスデルファーはと見ると、草地の上で仰向けに寝そべって満天の星を静かに眺めていた。夜の離宮で出会ったときと同じように。そのまま寝るつもりなのだろう。
「ルーベンスデルファー」
「……どうした?」
返事はしてくれたが、彼はずっと夜空を見上げている。
「実はその……聞きたいことがあるのです。よろしいですか?」
「別に構わないが……」
「貴方がここに来る前にいらっしゃった、ドイツという国はどんなところだったのでしょう」
「……」
「貴方もあの飛行機も、ドイツという国から来られました。貴方がそこでどう過ごしておられたのか、聞かせて欲しいのです」
正直なところ、異世界の国よりエインゼルはルーベンスデルファー自身のことを聞きたかった。
だが、そう言うのが恥ずかしくて、こんな尋ね方になってしまったのだった。
ルーベンスデルファーはしばらくの間じっと考え込んでいる様子だったが、ポツリと応えた。
「エインゼル、ドイツはたぶん貴女が思っているような処ではない」
「えっ……?」
それはどういう意味ですか? とエインゼルは尋ねようとしたが、その前にルーベンスデルファーは「聞かない方がいい。楽しい話じゃないんだ」と、ぶっきらぼうに会話を打ち切ると向こうを向いてしまった。
「陽が差したら出発する。少しでも寝た方がいい」
「あの……気を悪くしたらごめんなさい……」
「俺が気を悪くしているのはあのバカ皇子だけだ。そんなことより貴女は疲れているんだろう? 生命も削って……だから、少しでも休んでくれ」
ルーベンスデルファーの声は穏やかで優しかった。気遣ってくれているのを感じてエインゼルはホッとした。
「はい……お休みなさい」
マントにくるまったまま仰向けになり、夜空を見上げる。
彼女はふと「ドイツ中の人々は歯を喰いしばって戦争の苦しみに耐えている」とルーベンスデルファーが言っていたことを思い出した。
(水を絶たれたフェリーリラのように、ルーベンスデルファーの祖国の人達もきっと今、苦しんでいるに違いない……)
フェリーリラも、ドイツも、人々の苦しみはいつか報われ、喜びがもたらされるだろうか。
(そんな日がきっと来ますように……)
夜空へ祈りを捧げていたエインゼルは、いつしかうとうととまどろみの中に落ちていった。
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翌日。
立ちこめる層積雲を右へ右へと避けながらルーベンスデルファー機は飛行を続けていた。
この機を追える者こそいないが、ルーベンスデルファーは周囲の監視を怠らなかった。この間のように待ち伏せがあるかもしれない。龍だって、どこからか現れないとも限らないのだ。エインゼルも風防の外に目を凝らし、見張りを手伝った。
幸いにも敵らしい影は見当たらなかった。
だが……
(いや、いる)
(誰かが、どこかに息を潜めてこの機を見つめている……)
過酷な空の戦場でずっと戦い続けてきた戦闘機パイロットのルーベンスデルファーは、経験や空戦の技量と共に磨き続けてきた「勘」があった。
視力が遠く及ばない彼方の空域に隠れている敵の存在を、そうやって幾度か看破して来たのだ。
その「勘」が、彼に「恐ろしい敵がどこかにいる」と告げていた。
昨日まで、こんな感覚はなかった。
だが、何度見渡しても空には雲以外に何も見当たらない。
(俺の取り越し苦労だろうか……)
そう思って視線を下げたルーベンスデルファーは、ふいに低い高度で飛んでいる何かを視界に捉えた。エインゼルも「あ、あそこに飛行機が飛んでいます!」と下方を指差す。
だが、見た瞬間彼は自分の肩から力が抜けてゆくのが分かった。
「ルーベンスデルファー。見て下さい。あの飛行機はセント・ラースロー帝国の紋章を付けています!」
「ああ。だが、戦う意思はないようだ」
「えっ、どうして分かるのです?」
ルーベンスデルファーは翼を少し傾けて、エインゼルへよく見えるようにした。
「目立つように全身を真っ白に塗装しているだろう? それにわざと撃墜されやすい、ゆっくりとした飛び方をしている」
「なんでそんなことを……」
「戦う意思がないことを示しているんだ。見つかって、こちらに何か伝えたいことがあるんだろう」
彼が言ったことを証明するように、件の交渉機はルーベンスデルファー機を見つけると翼を振りながらゆっくり上昇し、接触を求めてきた。
「もしかしたら、水宝玉を返せばフェリーリラへまた水を下さるという申し出でしょうか」
「あの皇子のことだ、そうだとしても婚約破棄みたいに簡単に約束を破ると思うんだが」
ルーベンスデルファーの言っていることはもっともだった。
だが……
「それでもフェリーリラが救われる可能性はありますわ」
「そうだな。だが罠かも知れんぞ」
「ええ。でも……」
傍若無人な我儘皇子とはいえ、亡き主君が一生懸命愛そうとしていた人なのだ。話があるなら一度聞いてあげたい……と、エインゼルは言った。
「……」
エインゼルの気持ちは、ルーベンスデルファーにも分からなくはなかった。
このまま飛び続けて果たしてフェリーリラまで辿り着けるかどうか、間に合うかも危うい空の旅なのだ。
「もし、ランスロット様がフェリーリラの困窮する人々のことを思って、考え直してくれたのだったら……」
ルーベンスデルファーは少し考え込んだ。そんな甘い話とは到底思えない。
だが彼女が「一度は信じたい」と云うのだ。ならばその意思を尊重するしようと彼は腹を括った。
「分かった。では降りてみよう。俺も銃があるから貴女の身を護るくらい出来るだろう」
「……ごめんなさい。ありがとうございます」
エインゼルの意を汲んだルーベンスデルファーは交渉機の横に翼を並べた。
交渉機のパイロットはうなずいて見せると、自分の後に続くようゼスチャーで示した。
真っ白な交渉機はゆっくりと高度を下げてゆく。その先に飛行場が見えてきた。飛行場のずっと向こうの荒野には柵が設けられている。あれは国境線で、飛行場は国境警備隊の基地なのだろう。
「エインゼル、着陸する……いいんだな?」
「はい、お願いします」
ルーベンスデルファーは油断なく周囲へ目を配ったが、空を遊弋する飛行機は見当たらない。
それでも彼は、自分の背中を突き刺すように見ている「誰か」の視線を感じずにいられなかった。
頭を上げ、幾度も空の高みに目を凝らす。高高度から急降下して襲い掛かる敵がもっとも見つけづらく、恐ろしいのだ。
だが、どこにもそんな影は見当たらない。
(気のせい、だろうか……)




