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血塗れ湖畔が嗤う ~25 HOURS ― 30人の生き残りを懸けた地獄のサバイバル~  作者: 霧原零時(orすっとぼけん太)
第3話 道化を演じる偉才の貴公子

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【4】 博士の正体と、ヨネ松くん

碧は深く息を吸い、怒りを押し殺した。

「……神童時貞博士は、いつ頃お戻りになりますか?」


「……神童博士?」


若い女がその名を繰り返した瞬間――ぷっ。

吹き出した。

隣の男も、つられるように肩を震わせた。


(……なに? なにが可笑しいの?)


「博士は――いつお戻りになりますか?」

努めて冷静に言おうとしたが、声は不自然に低くなっていた。


「いつ戻るって言われても……ねぇ?」

女が困ったように男を見やる。

男は、コンビニ袋からカレーまんを取り出し、まるで他人事のように頬張っていた。


(……こいつら、絶対まともじゃない)


ついに堪忍袋の緒が切れた。

「あなたたち……本当に、神童博士の助手なんですか?」


女はケロッとした顔で笑う。

「うん、私は助手だけど――」


そして、隣の男の頬に、人差し指の第二関節までをグイッと突き立てた。


「でも――こっちは本人だけど」


「……へ?」


その男は、もぐもぐ。

カレーまんを食べていた。


(……はい? え、誰が?)


目の前で、肉まんをむさぼっているその男こそ――

神童 時貞(しんどう ときさだ)。二十八歳。

“諏訪湖の沈没石箱”を発見した、考古学界の若き天才だった。


そして隣の女は、牧瀬 一織(まきせいおり)、十九歳。

跡見大学の学生で、牧瀬コンツェルン社長のひとり娘。

つまり、バリバリの令嬢。


「……あ、あなたが神童博士!?」


碧の頭は真っ白になった。


(この軽薄男が!? “ジャッカル”とか言ってたこの人が!?

 いやいいや、まさか……)


脳が現実を拒否する。

そして次の瞬間、顔から血の気が引いた。


(……わたし、さっきこの人、ぶん殴るとか言った……!)


足が震えた。


――その時。


「うわああーーーっ!!!」


時貞が突如、血相を変えて叫んだ。

テーブルの袋をひっくり返し、何かを探し始める。


「ちょっと四郎、なに!?」


「えっ、あ……いた! いたいた、よかったぁ!」


(……今度は何!?)


碧はもう、何が何だかわからず、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「ヨネ松、無事だったか……!」


そう言いながら、時貞はテーブルの上から黒く小さな何かをそっと握り上げる。


「なに、それ?」

不思議そうな顔をした一織が、時貞の手元を覗き込む。


時貞は、得意げに片手を開いた。


「きゃあああっ!」


一織が悲鳴を上げて飛びのき、手にしていたカレーまんを取り落とす。

それはコロコロと転がり、碧の足元で無残に停止した。


(……いや、なにこの現場?)


碧は、思わず数歩、後ずさる。


時貞はお構いなしに、カレーまんを片手でかじりながら――

もう片方の手の中の黒光りするカブトムシを、慈しむように見つめていた。


「ヨネ松、怖かったなぁ……」


その声色は、完全にペットに話しかけるトーンだった。

碧は言葉を失い、思考も停止した。


一織はため息をつきながら立ち上がり、

テーブルの上に散らばったカレーまんの残骸をひとつひとつ袋へと集めていく。


「四郎、そうやって何にでも名前つけるの、やめてってば」


口調には、すでに百回は言ってきたような呆れが滲んでいた。

どうやら時貞には、“視界に入るものすべてに命名する”という残念な癖があるらしい。


(四郎? ……だれそれ? え、やっぱり……)


碧は眉を寄せた。

この二人、やっぱりどこかで自分をからかっている――そうとしか思えない。


「あの……四郎さんって?」


釈然としないまま、碧は問いかけた。


彼女は足元のカレーまんの欠片を拾い上げようとしゃがみこむ。

その拍子に、白いミニスカートの裾が自然と上がり、

スラリと伸びた太腿があらわになる。


一織は、顔を上げて答えた。

「四郎ってね、時貞のこと。お父様――勘明博士が“天草四郎時貞”が好きだったの」


「……天草、四郎、――時貞?」


「そう。だから本当は“神童 四郎時貞”にしたかったらしいの。

 でも長すぎて“時貞”だけにしたんだけど、呼びづらかったみたいで……

 家ではずっと“四郎”なの」


(……いや、まさかの由来、そこ!?)


碧は半分あきれ、半分感心した顔で一織を見つめる。


一織は淡々と続けた。

彼女と時貞は、幼い頃からの顔見知りらしい。


「へぇ~……ん!? ちょ、ちょっと!」


碧が顔を上げた瞬間、

自分の下半身に注がれる“熱い視線”に気づいた。


スカートの裾を慌てて押さえ、勢いよく立ち上がる。


時貞はバツの悪そうな顔でくるりと背を向け、

何事もなかったように――手のひらのカブトムシへと視線を戻した。


……が、鼻の下は、明らかにまだ伸びていた。


一織は、急に立ち上がった碧を不思議そうに見ながら、話を続けた。


「四郎ってね、昔からああなの。

 だからお父様は、弟の左助さんの方ばかり可愛がっててね。

 でも――わたしも、それに左助さんも、四郎が“本当の天才”だって信じてるの」


「左助さん?」


「うん、四郎の弟。

 “左に助ける”って書いて、“サスケ”。」


碧は一瞬、瞬きをした。

次の瞬間、心の中でそっとつぶやく。


(……時貞博士の父親、趣味が渋すぎるわね)

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