その9
まーが皇子と会話した三日後、ネットニュースで以下のような記事が出回った。
『超進学高での殺人!? 学年首席美少女謎の死亡事故 重要参考人として現役警察キャリアの息子が関与!? 怨恨、痴情のもつれ、はたまた名前狩りによるいじめが発端か!?』
これは断じて二時間サスペンスのタイトルとサブタイトルでは無い。
まーは学校に友達がいないのですぐには分からなかったが、あの正義が学校を欠席し続けていることで、ようやくその事態に気が付いた。いまやこの学校はその事件のせいで注目のマトになっているらしい。
「最悪、校門でめっちゃマスコミ騒いでるし」
「俺も、部活の帰りに声かけられた。緊張して変なことしゃべっちゃったよ」
記事の内容は意外な程に正確な情報のオンパレードであり、ほとんどが否定できない事実ばかりだった。ただ、例に挙げると「牧島聖歌は新入生総代であり、学年首席でありながら、一人の友達も作れずにいた」ことや「学校ではいないものとされており、校外学習などにもほとんど参加しないことがあった」とか「人目を引くほどの美貌にも関わらず、誰も彼女を褒めない」ことは、事実であるものの真実では無かった。
単に、あの子の性格とか言動が奇天烈過ぎて相手に出来ないのが原因なのだ。それなのに「ただ一人だけ出来た友達とも最後は会話も出来ず、一週間を一人で過ごしていた」のは、単にまーがインフルエンザで学校を休んでいたという話であり、いうなれば日常の延長に過ぎなかった。
けれど、メディア媒体というのは影響力が強い。すぐに特集が組まれ、朝から晩まであることないこと勝手気ままに放送するものだから、調子に乗った他の媒体もこぞって群がってきたわけだ。しかも、ネットではまとめサイトやら、内情を知る人間でしかわからない詳細な暴露話が踊っており、事件日照りのこの時期に面白可笑しく弄られている。
「ほんと、人がゴミのようね」
まーが校門を眺めながらぽつりと呟く。
「でもさぁ、やっぱり山崎くん、何か関係してるのかな?」
「わかんねえ、でも無関係でもないだろ?」
「通夜のあれもあったしな」
「誰かが撮ってたあの時の音源、もうネットに上がってるって。動画のまとめサイトでも見たし」
「まじかよ!」
まーは携帯を持たないので、正義と個別に連絡を取ることが出来ない。いわゆる焦燥感は無いが、モヤモヤは晴れない。どうにも相手に上手く転がされているようで、いろいろと気が乗らないのだ。
授業修了後、急いで帰ろうとするまーを呼び止める声があった。
「おい、田中。ちょっといいか?」
よくはないのだが、無視するわけにもいかない。何故なら相手は担任教諭だったからだ。
「……はい、何ですか」
「生徒指導室まで頼む」
それだけ言うと、担任はそそくさと教室を後にする。
「わかりました」
まーは返事をしたものの、少し考えた。この場合待っている可能性が高いのは限られている。
《警察だなっ!》
「何でわかんの?」
《無線でっ!》
「ごめん、聞かなかったことにするから」
イマイが勝手に警察無線を傍受していたらしい。とりあえず、まーは警察も嫌いなのでフツーに無視して帰ることにした。どうせ怒られるのは明日の自分なのだから、別にいいだろう。
そんな風にしてアルバイトに向かうため職場であるお店に向かうと、そこには噂の人物が変装しながら待っていた。正義だ。
「よっ、有名人」
「……」
「あれ? 一発屋の方が良かった?」
正義は声に出して反応しないものの、その視線は「とりあえず、二人で話がしたい」と雄弁に語っていた。まあ、そんなことは知らないのでバイトが終わるまで待たせたのは言うまでも無い。
「イートインでコーヒー10杯飲んだの、あんたが初めてだわ」
「……何か頼めってうるさいの誰だよ」
アルバイトの後で正義は、ちゃぽちゃぽになったおなかを抱えながらまーについて店を出た。ニット帽にマスクと伊達眼鏡をしているが、どう見ても三流読者モデルという様相だ。
「とりあえず、二人きりになりたいんだけど」
「ハアハア言いながらそういうこと言うの止めて貰えます?」
「マスクしてるんだから仕方ないだろ!? 頼むよ、ちょっとだけ、な!? 少しでいいから」
セリフの後半がどうも事案発生する感じなのだが、焦っている正義にはわからないようだ。
「じゃあ、あたしん家来なさいよ」
「……いいのか?」
「早くしなさい」
まーは返事も聞かずに歩き出す。正義は慌ててついて行く。
まーの部屋は質素の最上級だった。布団しかないのだ。
「えっと、テーブルとかは……?」
「無いわよ」
「そっか…」
「で、被告人くんはどうしたの?」
「言い方にすげー距離を感じるんだけど……はあ、どうもこうも、噂ぐらい知ってるだろ?」
「例のあれでしょ?」
「単刀直入に聞くけど、どうすればいい?」
正義の動揺は見ての通りだ、家の中に入っても変装を止める気配が無いのは良い証拠だろう。人生何度目かの藁にも縋る思いで、この場所に来ていると思えた。
「どうもこうも、正直に話せばいいじゃない。あんたは実際のところ直接は殺して無いんでしょ?」
「それでも無理だ。……言えない」
「相手もそう思ってるんでしょうね、あんたは言いだせないことを、分かってる」
「……」
もしかしたら、とまーは考えた。正義が伊達眼鏡もマスクも外さないのは、その顔をはっきりと見せたくはないからだろうか。だとすれば、今の正義の顔には殴られた痕でもついているに違いない。父親か、それとも母親か。
「もう虚勢を張るのは止めればいいじゃない。あんたのストーカー行為が問題だったなら、それを正直に懺悔すれば済む話じゃない。どうせあの子はもうこの世にいないんだからさ。咎める人間は他人しかいないわよ」
「……」
正義は答えない。肯定も否定もしない。
《ちょっといいかなっ!》
突然の声に正義がビクッとした。声はまーのカバンから出てきている。まーは面倒そうな顔で、カバンからイマイを取り出す。
「え? それがしゃべったのか?」
《それじゃねえ、イマイ3号。まーの相棒さっ!》
「え? 相棒? え?」
「いいから無理やり理解して」
ムチャをいうまー。
「何よ、言いたいことでもあるの?」
《相手方が死んでいる場合、ストーカーの立証は難しいぜっ!》
「……で?」
《それだけさっ!》
(今の時間返してほしいわ)
まーはそう考えたものの、ふと、思い直した。
「あー、そっか、なるほどね」
「…………何がなるほどなんだよ?」
「正論かもね。だって、結局この世であんたの違法行為を証明できるのはあんたしかいないわけじゃない?」
「……」
「正しいことをしたいなら、あんたはあんた自身を訴えて、裁くしかない」
まーは笑う、しかしそれは嘲笑でも侮蔑でも無かった。
「それって、すっごい真理よね」
正義は何も答えない。ただし、まーも答えを求めて言ったわけではない。
コンコン。
突然、玄関の扉が叩かれる。ビクリと反応する正義と、無反応な。まー
『マナカ。帰ってるのか?』
「おい、お前って一人暮らしじゃないのかよ? どういうことだ?」
どうしたものかと部屋をあっちへこっちへ移動する正義を無視して、まーは玄関の扉を開ける。いたのは肌の浅黒い男で、長身で細身の体格をしている。服装は黒っぽく、夜になれば影と見分けがつかないかも知れない。
「久しぶり。じいちゃん」
「…………え?」
いきおい余って押し入れにでも隠れようとしていた正義だが、まーの言葉でその場にへたり込む。まーの身内と聞いて安心したようだ。
「何やってんの? あんた?」
「それならそうと先に言ってくれよ」
「はいはい。で、じいちゃんも入れば?」
「……いいのか? 何か、取り込み中じゃないのか?」
まーは鷹揚に「大丈夫大丈夫」と手を振り、さっさと中に入るよう促した。お互いの自己紹介を率先してさせるつもりは全く無いようで、正義とまーのおじいちゃんは恐る恐るといった様子でお互いに挨拶をする。
「す、すみません、お邪魔しています……」
「いや………」
微妙な沈黙が辺りを支配する。唯一の救いであるまーは冷蔵庫からビールを取り出す。
「はい、これ。前にじいちゃんが置いていったやつの残り」
「ああ、すまんな……」
このまま微妙な時間が過ぎるのかと覚悟した正義だが、どうも様子が違った。
「そういや、もうすぐ年末か……」
「ああ、あいつの命日だな」
「え?」
「うちの母親。死んだの大晦日だから」
それは、もう十年ほど前の話だ。
ガルシアが日本に帰化したのは、自身が20歳の頃だった。異国の土地で生きるにあたり色々と壁はあったものの、周りの助けもありどうにか平穏な暮らしを過ごしていた。やがて結婚し、娘が産まれた。
その娘が20歳になった頃、娘から妊娠したとの連絡が入る。最初に言いたかったことを何とか飲み込み、まずは「おめでとう」とガルシアは伝えた。電話越しで娘はボロボロと泣きじゃくり、最後に消え入りそうな声で「ありがとう」と言った。ガルシアと娘はすでに離れて暮らしており、電話が繋がったのは奇跡に近い偶然だった。現在の住所を聞き出してガルシアは家を飛び出す。橋はまだ完成しておらず、大きく迂回をしながら目的の場所へと急いだ。
目的地であるアパートに到着する。娘は既にお腹を大きくしており、この国の法律ではもうおろせないところまで来ていた。もちろん、そんなことをする気はさらさらなかったが、長い間この国で生きていくにつれ、自然とそういう考えが頭を過るようになった。言うまでもなく、娘は一人だった。
「……どうするんだ?」
娘の感情がやや落ち着いたのを見計らい、ガルシアは聞いた。この国の言葉だ。
「産むわ」
そういうことを聞きたいわけでは無かった。けれど、それだけしか聞くことは出来なかった。
娘に娘が生まれた。名前は娘が付けたらしい。誰にも相談せず、一人で付けたのだ。普段の生活はどうしているのか、あまり詳しくは分からなかったが、どうにもそれ以上踏み込めない年数がずるずると続いた。その関係性が変わったのは、その孫が生まれてから6年が経った年の瀬だ。
「え? わ、わかりました、はい、すぐにでも。あの、もう一度病院名を……」
ガルシアが電話に出たのは偶然だった。携帯電話を持たないガルシアは同じ建物の大家さんに緊急時の電話番号としてその家の番号を使わせてもらっていた。年末の仕事がなくなり、家で時間を潰していたところ大家さんがやってきた。病院からの電話だった。
ガルシアが向かったのは市内にある大きな病院だ。どうやら娘に何かあったようだ。電話で詳しくは話せないとのことで、とにかく病院へと急いだ。橋はほとんどが完成していたがまだ使えないようだった。
そこでガルシアが見たのは、ガリガリにやせ細ったまーだった。どこか虚空を見つめ、一言も声を出さない。その瞬間、ガルシアは目を逸らしていた事実に気が付く。まーは虐待を受けていたのだ。育児放棄だ。病院に運ばれたのは母親の方で、すでに意識不明の重体。場合によっては年は越せないということだった。しかし、ガルシアにはその言葉はほとんど頭に入ってこない。ガルシアはまーの足に縋りつき、ずっと贖罪の言葉を嗚咽とともに漏らしていたからだ。それでも、まーは何も反応をせず、ただ黙ってガルシアの後頭部を見つめているだけだった。
「じゃ、橋まで送るわ。おじいちゃん」
「ああ、そうだな」
「え、あ、じゃあ俺も」
結局まーとガルシアの話は終始日常会話のような話の延長であり、最近の美味しかったお菓子の話やバイト先での妙な客の話などばっかりだった。特筆するようなことは何も無く、気が付いたら結構な時間になっていた。まーとガルシアはさっさと靴をはき、その流れに出遅れた正義が慌てて玄関から出ていく。玄関を出るとまーがカギを締め、三人並んで音の鳴る階段を降りていった。
階段を降りて歩道に出る直前、まーが「あっ」と声を漏らす。どうやら忘れ物をしたらしく、ちょっと待ってと言いながら家に戻っていく。
不意にガルシアと二人きりになった正義は、ふと重要なことに気が付く。そもそも、自己紹介はしたものの自分とまーの関係性を何一つ話していなかった点だ。しかし、そう気が付いたものの、一言で言い表すような適切な言葉が見つからない。その空気を読んだのか分からないが、ガルシアがふと聞いてきた。
「君は、マナカの友達かい? それとも、恋人?」
当然の質問を投げかける。しかし、正義はうまく答えられない。
「いえ、その、どちらでもないです」
「? ではなぜ、一緒にいるんだい?」
「えっと、その……」
答えようが無い。正義にはその答えがまだ無いのだ。
「敢えて言うなら被害者の会ってところかな」
その答えを出したのは、まーだった。気が付くと、二人の傍に戻って来ていた。
「まあ、世間一般と違うのは加害者不在ってとこだけどね」
その言葉をどう捉えたのか分からないが、ガルシアは黙って歩き出した。結局、ガルシアと橋で別れるまで誰も何も言わなかった。
ガルシアと別れてから、まーが正義に質問を投げかける。
「これからどうすんの? 家、帰るの?」
「悪い。人生初の家出中なんだよ」
「知ってる、行くアテあんの?」
「……ない」
「それも知ってる。で、どうすんの?」
「しばらく、置いてくれると助かる……」
「ま、置いてあげないこともないわ」
「いいのか?」
「ただし、条件があるけどね」
ニヤリと笑うまー。
この流れで、良い条件が出るはずも無いだろう。それから正義は人生での大きな代償を支払うことになった。