04 : それだけは、変わらない。2
アサリ、という名のイチカの恋人は、イチカと肩を並べる長身の女性で、溌剌とした人だった。イチカと顔を合わせると、嬉しそうに笑う姿がとても印象に残る。
誰かに似ている、と思った。
「風詠さま? どうかされました?」
食後のお茶までご馳走になりながら、ギアはハッとわれに帰る。
イチカに案内され、ご馳走になった料理屋、というより大衆食堂は、ギアの口にも合う美味しい料理ばかりで、今いただいているお茶も申し分ない。
「すまない、考えごとをしていた」
「考えごと、ですか」
「その……彼女が、誰かに似ている気がして」
あと少しで名前も思い出せそうなのに、なかなか思い出せない。それはもやもやと、胸中をざわつかせる。
「性格が、どうやらシィゼイユさまのお知り合いに似ているようですが」
「え……シゼさま?」
「はい。以前シィゼイユさまが、そのようなことをおっしゃっておられました」
ここで思い出の人の名が出たことには驚いたが、それを聞いてふと、唐突に思い出した。
「ああ、慈光の魔導師さまだ……」
「慈光……エルティさま、でしたか」
「ああ。知って……いるわけないか」
「はい、お名前だけ。確か雷雲さまのお母上さまだったかと。僕が師に拾われるずっと以前にお亡くなりになっているので、それくらいしか知らないのですが」
ああそうだ。随分と懐かしい記憶だ。
「わたしもそれほど憶えているわけではないけれど……うん、彼女によく似ているような気がしたんだ。もっとも、慈光さまはもっと口が悪かったけれどね。雷雲みたいに」
「二世代で魔導師というのは、珍しいことだと聞きました」
「そう……かな。兄弟姉妹ではたまにあるけれど。魔導師の力は、親から子へと継がれるとは、限らないからね」
「師の力はアリヤ殿下に受け継がれていますが」
「堅氷は別だ。あの人の力は大きい」
「例外、ですか」
なんにでも例外はある。それは懐かしい記憶の人と、ロザヴィンもそうだ。それに、イチカだって、その特異体質は例外になる。
「きみも例外的だけれどね」
「僕ですか?」
「力を変換できるなんて、誰にでもできることじゃない」
「僕は……その体質でもありますが、ほとんどの部分は呪いに補われています。基本的な力が弱いので」
「呪い?」
「師から呪いを受けています。この目に」
イチカの双眸は、渦を巻いている。特徴的なものだと思っていたが、どうやらそれは呪いの影響によるものだったらしい。
「やっぱり堅氷の力は計り知れないな……」
「そうですね」
苦笑したイチカは、お茶のおかわりを頼むと、運んできてくれた恋人に優しげな目を向ける。
「ええと、ギアさん、でしたよね。いかがですか?」
「いただこうかな」
記憶に懐かしい人に似ているイチカの恋人は、しかしその人と違って口調は丁寧だ。あの人は誰に対しても口が悪くて、師団長によく叱られていたものだ。
くす、と微笑んだときだった。
「魔導師がふたりも珍しいとか思ったら、イチカくんと、ギアじゃないの」
その声に、ギアは硬直する。
忘れもしないその声、絶対に忘れられない声、それはギアの思い出の人。
「……シゼさま」
「やあ、ギア。イチカくんと食事? 珍しい組み合わせだなぁ」
笑顔で現われたのは、村に随分と馴染んだ様子の、思い出の人。その素性が王弟殿下であると、知れたらどうなるだろう。
「アサリちゃん、わたしにもお茶をくれるかな。あと店主に、持ち帰りできるものを頼んでくれない? 麺麭はあるから、煮もの系で」
「汁ものは要らないの?」
「まだあるなら欲しいけど。ただ容器は持ってきてないよ?」
「うちで用意するわ。待っていて」
「お願いします」
イチカの恋人に、それが目的だったのだろうことを頼むと、断りもなく思い出の人、王弟殿下でもあるシィゼイユ・ホーン・ユシュベルは、ギアとイチカの席に腰を下ろした。
「こんばんは、シィゼイユさま」
「こんばんは、イチカくん。なに、今日はラッカさんとアンリさんに家を追い出されたの?」
「アサリさんが深夜までの勤務なので」
「ああ、それじゃあ仕方ないね。それから……ギア」
久しぶりに呼ばれて、呆然としてしまっていたギアはハッと息を呑む。
「お久しぶり、です……」
「久しぶり? この前逢ったばかりだろう」
「え?」
「祭りのとき、ギア、いたでしょ。忙しそうだったから声はかけなかったけど」
ギアがいたことに気づいていたとは驚きだった。ギアとしては、一方的に見かけていたつもりだったのだ。
「ここにイチカくんといるってことは、外回りの途中? レウィンの村に泊まってくの?」
「か、帰るところです。夕食は、瞬花に誘われたので……」
「今から帰るの? 近くの街に移動するならともかく……え、帰るの? 今から?」
「はい。いくつかもう回ったので、報告しなければなりませんし」
帰る、と言ったら、シィゼイユに剣呑そうな顔をされた。それが不思議で首を傾げたら、だめだよ、と言われた。
「なにが、だめ、と?」
「もう陽が落ちたんだよ? ひとりで今から王都って、危ないだろう」
「は……いえ、わたしは魔導師ですし、特に危険は」
「あるよ。ギアは女の子だよ? 女の子が今からひとりで王都って、そんな危険なことしちゃだめだよ」
「あの、わたしは魔導師なので……」
「そういうの関係ないよ。それに、ギアは翼もないでしょ。今日は泊まっていきなさい」
危ないからね、と言うシィゼイユには妙に気迫があって、なんとなく逆らえない。
「イチカくんも、こういうときは泊まるんだよって、言わなくちゃだめだよ。ギアは女の子なんだから」
「はい、申し訳ありません」
女の子、と呼ばれていい歳ではないのだが、シィゼイユの気迫はイチカも黙らせた。
「ということだから、ギアは今日泊まること。宿屋はあるけど、イチカくんやわたしがいることだし、路銀を使うなんて勿体ないから……アサリちゃんが遅番なら帰りは深夜か……うん、わたしのところにおいで」
「……、はっ?」
なに、と瞠目して驚いている間に、シィゼイユは勝手に決めていた。
「え、シゼさま?」
「ああそれ、ギアにそう呼ばれるの、すっごい久しぶり」
「あ……申し訳ありません、ホーン公爵」
「シゼでいいよ。公爵なんて、ただの肩書きだからね」
「ですが」
「あ、アサリちゃんが戻ってきた。よし、じゃあ、お酒でも飲もうか」
「え?」
「アサリちゃん、果実酒お願いしていいかな」
断ろうとしたギアだったが、シィゼイユは話を聞こうとせず、けっきょく飲む予定にもなかった酒が、卓に三つ並ぶことになった。




