073:傷が癒えたら
自分の怪我が治り、伊織も寮内を歩き回れるほどに回復した頃、零は自室にひきこもる事が多くなっていた。
外に出るのが怖かった。伊織と顔を合わせる事も、かおるたちに優しい言葉を掛けられる事も、苦しくてたまらなかった。
何も壊したくないのに、このままだと全てを失ってしまいそうで、どのように振る舞えばいいのか分からなくなっていた。
どれだけ優しい事を言ってもらっても、自分のせいで伊織に生死を彷徨うほどの大怪我を負わせてしまった、と言うその事実が零の心に深く突き刺さりじわじわとその傷を広げていく。
「・・・零ちゃん、そろそろ夕食の時間だよ。」
優しいノックと共に、いつも変わらずに食事の時間になると声を掛けてくれるかおるの声がする。
行かない、と言えば心配させる事が分かっていても扉を開ける勇気がない。仮に出て行ったとしても、うまく笑える自信がなくて、笑わなければまた周囲に余計な気を使わせることも分かっていた。
寮の扉には鍵がない。開けて入ってくることもできるのにそうしないのはかおるの優しさだ、と零は思う。
「・・・先に行ってるね。また、後で呼びに来るよ。」
扉の前からかおるの気配が遠ざかる。ありがとう、とさえ言えない自分の事をかおるはどう思っているのだろう。
お荷物だと、思っているのならそう言ってほしい。本当はとっくに嫌われているのに同情で優しくされているのかもしれない、そう思うと泣くつもりなどなかったのに瞳から涙があふれ出した。
・・・僕はどうすればいいんだろう。
食堂へ向かう途中、かおるは沈む心を持て余していた。零がふさぎこんでいる理由は分かっているつもりだ。
いつも通り接する事が彼女を苦しめている現実。今の彼女にはどんな言葉も届かない気がする。
「ナイト様が珍しくお悩みじゃねーか、」
歩きながらぼんやりと考え込んでいたかおるは、背後から声を掛けられて一瞬躊躇したのちゆっくりと振り向いた。
「伊織・・・零ちゃんがもう3日も何も食事をしてないんだ。部屋からも出てこないし。」
かおるの言葉に伊織は一瞬驚いた表情を浮かべ、すぐにいつもの伊織らしい相手の心を読むような鋭いまなざしに戻る。
「原因は大体わかってるんだけどね、どんな言葉を選んで、どんな風に接したら笑ってくれるか思いつかないんだ。」
いつも柔らかな微笑みを浮かべていて、どんな時でも即座に最適な判断を下すかおるらしからぬ発言に伊織は内心驚く。完璧王子、と誰もが認める彼が答えを出せずに悩む姿を初めて見た。
「お前ができないって言うなら、俺がやるぜ。そのかわり零は俺がもらう。文句言うなよ、ナイト様?」
「・・・相変わらず、自信家だな、伊織は。」
かおるは小さく吐息をついて階段を上る伊織に肩を貸す。
「・・・お前はホント、完璧王子だよな、こういうところ。」
タイミングと言い、物腰と言い、押しつけがましくなく、まるでそうすることが当たり前のようにさえ感じてしまう。相手に気を使わせない気遣いはさすがだと、いつも思う。
「お褒め頂き光栄です。」
歩けるようになった、とはいえ体中の傷が痛まないわけではない。階段を上るのはまだ少し負担が大きい。
「・・・伊織が行けば、零ちゃんはきっと苦しむと思う。伊織だって分かってるんだろう、伊織に怪我をさせたと彼女が自分を責めている事くらい。」
微かに責めるような口調に伊織は苦笑する。かおるにとって大切なのは自分ではなく零であることは承知しているが、露骨に責められると文句の一つも言いたくなった。
「分かってるから、本当なら悲鳴を上げたいくらい痛いところを平気な顔してウロウロしてんだ。これ以上俺に何を望むんだ?」
サラリと返されて、かおるは口をつぐむ。言われなくてもそのくらい理解しているのに、言わずにいられなかった。平気な顔をしていても伊織の額に浮き出た油汗や、時折微かにふらつく足元を見ていればわかるのに。
「・・・何も。ただ、零ちゃんをこれ以上苦しめたくないだけだ。」
そんな事を話しているうちに、二人は零の部屋の前まで来ていた。相変わらず、零の部屋からは物音ひとつしない。
「後は任せろ。」
伊織はそう言って、いつものようににやりと笑って見せた。
「零、入るぞ。」
伊織はそう声を掛けて、ノックとほぼ同時に零の部屋の扉を開ける。
もう外は暗くなっているのに部屋の電気もつけず、ソファーに丸くなっている零に一瞬良くない想像が心をよぎってドキッとする。
「電気を付けない方がお好みならそうするけど、どうする?」
いつものように意地悪く問いかけると、クッションに顔をうずめたまま小さく首を横に振った。
・・・何泣いてんだよ・・・。
そう思うものの、心に鋭い痛みが走る。独りぼっちでずっと泣いていたのかと思うと何もしてやれなかった自分に腹が立ちもした。
「困ったヤツだな、零は。」
部屋の明かりを付けるべきか、一瞬迷った後、伊織は閉めてあるカーテンを開ける。幸い、月が明るくうっすらと室内を照らしてくれた。
「・・・それは、背中から抱きしめて添い寝して下さいって言うアピールなわけ?」
ローソファーに丸くなってクッションをかかえたまま自分に背を向けている零に声をかけるが、零は幼い子が駄々をこねるように首を横に振るだけで顔をあげる事もしなかった。
確かに、かおるがお手上げってのも頷けるな、と伊織は心の中で思いながら、どうしたものかと零の脇に腰を下ろす。
「・・・めんね・・・」
背中を向けたまま、震える声でそう呟く零に胃を掴まれるような苦しさがこみ上げる。謝らせたいわけじゃない。泣かせるために助けたんじゃないのに。
「ごめんと思うのなら、泣くな。零が泣いているのを見るのは辛いからな。」
「・・・・」
「・・・結果的に、俺には零を苦しめる事しかできないって事だよな。かおるみたいにもうちょっと自然に守ってやれたらよかったんだけど。」
伊織のその言葉に、零がピクリ、と反応する。
「ごめんな、零。俺のせいで苦しい思い、してるんだろ?」
伊織はそう言いながら、それが零の優しさを利用した卑怯なセリフであることも理解していた。卑怯でもなんでも、今は彼女が自身を責める事をやめて、前のように笑ってくれるならそれでいい、と伊織は思う。
「違うよ!・・伊織くんのせいじゃない!」
クッションを抱えたまま、零は機械仕掛けの人形のように勢いよく起き上がった。涙がいっぱいに溜まった瞳でじっと見つめられると抱きしめたくなる。
「じゃあ、どうしてそんなに泣いてるんだ?ずっと部屋から出ないで・・・食事もとってないんだろ?」
もともと華奢なのに、痩せた、と感じる。そんなにも自分を責めて一人で苦しんでいたのかと思うと自分の身体の痛みなどどうでもいいとさえ思えた。
「私、お荷物だって・・・思われたくない・・・嫌いって・・・言われたくない・・・」
「・・・え?」
「でも・・邪魔だって、そう・・思われてるのに・・優しくしてくれてるなら・・・っ!?」
零の涙の理由を理解した伊織は、泣きながら話す言葉をさえぎって零を抱き寄せた。
「お前、ホントに馬鹿だな。」
この場合の馬鹿は、愛おしいって意味なんだけどね、と伊織は心の中で思う。
「誰がいつ邪魔だって言ったよ?誰かに言われたのか?お荷物とか、嫌いだとか、」
普段の零なら、抱き寄せると放せと暴れるのに、今はおとなしく腕の中にいる。伊織は、小さく首を横に振る零の頭を自分の首筋に抱き寄せた。
「余計な事心配すんな。お前はみんなに好かれてる。大切に思われてるよ。誰も邪魔だなんて思ってないし、零が意地を張って頼ってくれない事を寂しく思ってるんだ。」
「でも・・伊織君・・怪我・・・」
零の瞳から溢れる涙が自分の首筋を伝っていくのが分かる。伊織は内心小さくため息をついて、抱きしめていた零の身体を離してソファーに座らせた。
「怪我をした事は事実だ。・・・零、顔上げてこっち見ろ。」
伊織は目をそらせてしまう零の顔を覗き込む。
「俺の怪我は零のせいじゃない。どうしても零が自分のせいにしたいのならそれでもいい。だけど俺はそう思ってない。」
「あの時も言ったけど、俺は零が無事なら自分はどうでもいいって本気で思ったし、今もそう思ってる。零のいない未来に価値なんてないからな。」
「・・・ど・・して・・・?」
あいかわらず、零の瞳からぽろぽろとこぼれ落ちる涙にどうしようもなく苦しくなる心をなだめながら、伊織は言葉を続ける。
「理由なんていらないだろ。お前は自分がやりたい事をする時いちいち理由なんて考えるのか?」
「まぁ・・・理由が欲しいって言うなら、ないこともないな。俺が零を愛してるからだ。愛する人を守るのは当たり前だろ。」
言ってから、かおる的セリフを吐いてしまった、と伊織は心の片隅で思う。
「お前は笑っていればいいんだ。もう十分泣いただろ?もういいから、泣くな。」
「・・おりくん・・・」
零の瞳からぼろぼろと、新しい涙が溢れ出す。それでも、涙を堪えようと一生懸命努力しているのが手に取るようにわかる。
「・・・かおるなら、もうちょっと上手く慰めるんだろうけど、俺にはこれ以上は無理だ。ごめんな?」
「もう・・・泣かない・・・」
そう言いながらぽろぽろ涙をこぼす零に伊織は思わず微笑む。本当に、どうしようもないくらいに好きだ、と心の中で思う。
「零、約束してくれ。これからは一人で泣かないって。泣きたい時は俺がいるところで泣けよ。泣きやむまで付き合ってやるからさ。」
「伊織君・・・」
「・・・っ!」
伊織は痛みに微かに顔をしかめて、それでもしがみついてきた零の身体を抱きとめる。
「もう、怪我・・平気なの?」
「平気、ってわけじゃないけどな。・・・ちなみに、それ、微妙に痛い。」
苦笑しながら、自分の右腕にしがみついている零の指を指す。
「え・・・?あ、あっ!ごめっ!ごめんなさいっ!」
零は慌てて伊織の腕を離し、反射的に瞳の中の涙の海が深くなる。
「・・・またそんな顔する。どうしよう、って顔に書いてあるぜ?・・・痛いけど、悪い気はしないしな。いちいち気にすんな。」
クスリ、と笑って伊織は左手を伸ばして零の頬に触れる。
「怪我が治ったら零が俺の部屋に来て看病してくれることがなくなっちまうなら、ずっと治らなくてもいいかな。」
「だっ!だめだよ!そんなの、ダメ!」
「・・・わかってるよ。やっと泣きやんだと思ったのにまたすぐ泣きそうになる・・・。」
「だって、伊織君が・・・」
「ごめん、悪かったよ。・・・零、前にも言ったけど、ずっと俺のそばにいろよ。もう泣かせないし、誰にも傷つけさせない。」
伊織のまっすぐな瞳が零の心の奥に向けられる。いつもの意地悪な伊織ではない、穏やかで、優しくて、そして少し不安気なまっすぐな瞳。
「・・・していい?」
「え・・・?」
「キス、してもいい?」
「・・・・・・」
伊織の切ない問いかけに、零の心が揺らぎ、少し熱を帯びた様な伊織の色気のある視線に背筋がぞくぞくするような感覚を覚える。いつもの強引さはなく、気持ちを確かめるように瞳の奥を見つめる伊織の瞳に苦しくなった。
「・・・零・・・」
伊織の手が頬に触れ、ゆっくりと近づく唇に零は反射的に瞳を閉じる。
「・・・・・ッ」
いつもの激しい伊織とは違い、ためらうよに、確かめるようにそっと重ねられた唇に零は身を固くする。
「もう、離さないぜ?」
覚悟しろよ、と唇の触れる距離で囁くように呟いた伊織は腕の中の零を強く抱きしめながら何度も唇を重ねる。次第に熱くなる伊織の口付けに零は体の芯が痺れるような感覚を覚えた。
・・・ヤバイ、溺れそうだ、と伊織は腕の中のしなやかで子猫のような零の身体を抱きしめて唇を合わせた瞬間に思う。零の柔らかな唇からは甘い香りがする。いくら口付けても足りない程愛しくて、二度と離れたくないと願わずにはいられない。この瞬間が永遠になればいいと願いながら零の身体を強く抱きしめた。
「・・・く、くるし・・・・痛い・・・」
「・・・・わ、悪い・・つい・・・」
伊織は謝りながら腕の力を抜き、零は息苦しさから解放されて小さく息を吐く。心臓が怖いぐらいに暴れて落ち着こうとしても身体が小さく震えてしまう。伊織はそんな零を優しく抱きしめた。
「零、やっと俺の女になったな。言っただろ、必ず惚れさせるって。」
毒のある声ではない、穏やかで優しい声に零が顔を上げると、少し照れたように笑う伊織と目が合った。
やっと・・・
くっつきましたね!ぜぇぜぇ。本当は違う人とくっつくバージョンも私の中にはあるのですが、彼を選んでみました。
ポイント付けて下さったかた♪
いつも読んで下さっているみなさま♪
本当にありがとうございます!これからも頑張ります☆




