072:目覚めたら
一度目が覚めてから、再び深い眠りに落ちていた伊織が目を覚ました時、辺りは闇に沈んでいた。
時計の針は見えないが、カーテンの隙間から差し込む月明かりが夜中である事を教えてくれる。
相変わらず体中が痛むが、零の泣き顔を思い出すと、それ以上に鋭い刺すような痛みが胸に広がった。
目が覚めて、もう一度気を失う直前の記憶は、ここにいると泣き叫んでいた零をほぼ無理やりかおるが連れて出ていく後姿だ。零はまだ泣いているんだろうか。それともかおるが上手く慰めて、もう眠っているんだろうか、とそんな事を思った伊織は微かな人の気配に気付く。
頭だけを起こしてみると、ベッドサイドに座り込んで眠っている零の姿が目に映った。
「零・・・」
声を掛けようとして、泣きながら眠っている寝顔に言葉を飲み込んだ。
「バカ野郎・・・」
こんなんじゃおちおち寝ていられなくなるじゃねーか、と心の中で呟く。
冷静に記憶を辿り、自分の怪我の具合を確かめる。右腕と背中は多分見たくないレベルなんだろうな、と苦笑する。右腕を動かして見ると、声を上げたくなる痛みはあるものの、動かす事は出来るようだ。
左腕はほぼ無傷、足にも強い痛みはない。上半身を動かそうとすると激しい痛みに襲われた。
・・・まぁ、これならそのうち治るか。
痛みも、傷も、時間がたてば消える。伊織は寝台の上で軽く息を吐く。
「問題は、このお姫さんだな。」
きっと怪我をさせたのは自分のせいだと、自分を責めているんだろうと思うと伊織の心に鋭い痛みが走る。零を守る事になんの躊躇いもなかった。彼女が無事ならばそれでいい、本気でそう思っているのに。ただその一方で彼女の性格も理解しているつもりだった。自分を守ったことで傷付いた仲間に心を痛めているであろうことも容易に想像できる。
それに、負い目を感じるなと言って大人しく聞くような性格でない事は百も承知だ。
・・・ってぇ・・・
呼吸が止まりそうなほどの激しい痛みを堪えて寝台から起き上がり、床に座って眠っている零をそっと抱き上げる。
・・・傷口、開いたか・・・
一瞬眩暈がして、抱き上げた零を放しそうになったが、伊織はそのまま寝台に戻って零を寝かせ、自分も隣に横になって零の頭を抱き寄せて腕枕をする。
・・・ちょっと、無理しすぎた・・・
再び伊織は深い眠りに引き込まれる。意識を手放す直前に眠っている零が自分の胸元に頬を寄せて、穏やかに寝息を立てている寝顔が目に映り、唇の端に笑みを浮かべる。
「Sei doch immer bei mir nahe zum Greifen.《ずっと、俺のそばにいろよ。》」
「・・・・ん・・・っ?!」
瞼を叩く朝日の眩しさに目覚めた零はいつもと違う部屋と間近で自分を見ている伊織のドアップに一気に意識が覚醒する。
「・・おはよう、零。」
・・・・・え、え、え、?な、なぜ私は伊織君の、腕枕っっっ?!!!!
驚きすぎて固まる零を伊織は心底おかしそうに笑って見つめる。
・・・なんで?どうして?どうして伊織君のベッドで寝てるの?私っ?!しかも添い寝?腕枕っ!
頭の中が沸騰して、ベッドから起き上がることもできず、伊織の腕の中で伊織を見つめたままフリーズする。
「・・・お前さぁ・・・何も覚えてないの?」
いつもの意地悪な瞳ではない、優しいまなざしに零の心が跳ねる。ズキンと痛んだ心が昨日の記憶を呼び戻す。
「あっ!け、怪我!伊織君、怪我は?!」
ガバッ、と起き上った零に伊織は痛てぇ、と顔をしかめる。
「ご、ごめんっ!大丈夫?!私、あのっ、」
「大丈夫だからここにいるんだろ?落ちつけよ。・・・ほら、そんな泣きそうな顔すんなって、」
伊織はそう言ってベッドに横になったまま包帯の巻かれた手を伸ばして零の頭をなでる。
「・・・思いだしたか?」
「・・・うん。」
優しい微笑みを浮かべて頭を撫でてくれる伊織。何だか前とは別人のように思える。
「手・・・怪我、大丈夫?痛くない?怪我は手だけなの?何であんな危ない事したの?」
質問はそれだけか?と零の今にも泣きそうな瞳を覗きこんだ伊織はゆっくりとベッドから身を起こし、フゥ、と息を吐き出して軽く目を伏せる。
「手の怪我は大丈夫。他にも背中とかあちこち怪我はあるだろうがそのうち治る。痛いか痛くないかって聞かれたら痛いけど、
そこで一度言葉を区切り、鋭く零を睨みつけた。
「危ない事をしたのはお前の方だろう!手紙なんかのためにあんな事しやがって!」
「だっ、だってあれは私の大切な・・・!」
言いかけた零の言葉を遮るように、伊織の左手が零の頭を抱き寄せる。
「あんな手紙くらい、いつだって書いてやる。」
「・・・えっ・・・?」
「意外だったか?」
「・・・・・・・・」
・・・・あの手紙を、伊織君が?
驚きすぎて、言葉にならない。流れるような繊細な文字で書かれた、読むだけで心の奥が苦しくなる切ない文章を、この烈しい伊織が書いたなんて。
「ど・・・して・・・?」
伊織の腕の中に閉じ込められた零は暴れ狂う鼓動が自分のものなのか、伊織のものなのかどうかさえも分からなくなっていた。頭の中が混乱して何も考えられなくなる。
「どうして?って、そんな事前からずっと言ってるだろうが。俺がお前の事をいつも想っているからだ。そんな事よりも・・・零、お前の怪我は大丈夫なのか?」
思わず抱き寄せたものの、腕に巻かれた包帯を見て零も無傷ではなかった事を思い出す。
「伊織君に比べたら、全然・・・」
「俺がどうとか、そんな事言ってんじゃねぇよ!お前の怪我の事を聞いてるんだ!ちゃんと答えろ。」
「ごっ・・ごめん・・なさい。腕とか脚はちょっと切ったりとかしてるだけで・・背中を強く打ってるから、内出血がひどいって、先生が・・・。内出血がとまるまではおとなしくしてなきゃだめって・・・」
やっぱりか、と伊織は内心思う。
「おとなしくしてろって言われたヤツが、人の部屋の床で寝てたのか?」
「私・・心配で・・・そばに・・いたくて・・・」
部屋に帰っておとなしくしていろと怒るつもりだったのに、ごめんなさい、とうつむいて小さく呟く零が苦しいほどに愛おしくて伊織はその言葉を飲み込む。
「・・・痛みは?」
「え・・?私?」
他に誰がいるんだよ、と伊織は思わず苦笑する。
「痛くないようにって、かおる君がおまじないしてくれたから大丈夫。」
「おまじない?・・・あぁ、麻酔か。」
・・・かおるの野郎、痛みを消せばコイツが無理をすることくらい分かるだろうに、と伊織は内心思いながらどうするべきかと考える。
怒った振りをして部屋に戻れと追い返す事くらいは簡単だ。だが、零自身が納得して、きちんと怪我を治そうと思わせなければまた同じ事をするだろう。それに、平気な顔をして身を起こしている事もそろそろ限界だ。
「零、零が俺の事を心配してくれてるように、俺もお前の事が心配なんだ。・・・零は俺が寝てないでお前の部屋へ行ったらどう思う?」
「そんな・・・!ちゃんと寝てなきゃダメだよ!酷い怪我してるのに・・・」
すぐに泣きそうな目になった零に、伊織は急いで言葉を続ける。
「だから!お前もそんな事するな。俺に余計な心配、かけたいのか?」
「違う・・けど・・・」
「だったら、ちゃんとおとなしく医者の言う事を聞いて早く怪我を治してくれ。・・・ここにずっといるって言うんなら、ずっと大人しく俺の腕枕で寝る事。どっちがいい?」
昨日の夜は俺に抱かれて幸せそうに眠ってたもんな、と意地悪な笑いを浮かべると、零は真っ赤になってうつむいた。
「・・冗談だよ。・・・ほら、お迎えが来たから、零は部屋で休め。」
伊織がそう言うのとほぼ同時に珍しく血相を変えたかおるがノックもせずに部屋に飛び込んできた。
「よぉ、ナイト様。お迎えご苦労さん。」
ベッドの上にいる零と、起き上がっている伊織、いろいろと言いたい事があったが、かおるは全ての言葉を飲み込んで零をベッドから降ろす。
「零ちゃん、先生を待たせているから、部屋へ戻ろうか?・・・伊織も、後で先生を連れてくるよ。」
かおるの言葉に軽く頷いた伊織は、零が部屋を出て行くのを見届けて、再び意識を手放した。
腕枕・・・。
添い寝・・・。
あぁ・・・。
目が覚めてイケメンに腕枕されていたらそのまま気絶できます(笑)
次も頑張ります!