070:目が覚めて・2
風に舞う淡い藤色の紙。失くしてはいけない大切なもの。必死に追いかけているのに足がもつれてうまく前に進めない。
「そっちへ行っちゃダメだ!」
遠くで叫ぶ声。この声は、伊織?辺りを見回しても、誰もいない。
足を止めている間にも、風に飛ばされた手紙は遠ざかっていく。
「あ、待って!」
零は再び、走り出す。その瞬間、足元にぽっかりと穴が開いて、身体が空に投げ出される。
「キャァッ!」
夢の中の恐怖に悲鳴を上げる。
「・・・ちゃん!零ちゃん!」
うなされて悲鳴を上げた零を、かおるが揺り起こす。
「・・・・あ・・え・・・夢・・?夢、じゃないよね?」
「零ちゃん?」
「かおる君、伊織君は?怪我、してた・・・よね?」
「夢じゃないよね?私、伊織君が、怪我・・・・」
ぼろぼろと零の瞳から溢れ出した大粒の涙に、かおるは思わず零の頭を抱き寄せる。
「伊織は大丈夫だよ。安心して?零ちゃんはちゃんと身体を治さないと。」
寝台の上に起き上がって泣きじゃくる零をベッドサイドに座って抱きしめる。身体の傷に触らないように、そっと。
「いっぱい、怪我してたもん。大丈夫じゃ、なかったもん。」
泣きながら訴える零にかおるの胸の奥が苦しくなる。何をどこまで思い出したんだろう、と聞けない疑問を心に抱く。
「・・・零ちゃん・・・大丈夫だよ。落ち着いて?そんなに泣いてたら伊織だってびっくりしちゃうよ?」
「私が、落っこちたの、伊織君、どうして・・?・・・私のせいで、伊織君・・・」
「零ちゃんのせいじゃない!伊織は大丈夫だから。・・・本当は僕が守りたかったよ?零ちゃんを守れるなら、誰だってどんな事だってするさ。零ちゃんは何も悪くない。」
どうして落っこちたの、と言う疑問の言葉を、かおるは飲み込む。
「どうして・・・?何でそうやって言うの?私・・・私っ、」
「零ちゃんが守るべき人だからだよ。零ちゃんは何も考える必要なんかない。姫が騎士に守られるのに、何か理由が必要?」
「私・・・姫じゃ、ない・・」
泣きながら反論する零に、かおるは苦笑する。姫じゃない、なんて今更この子は何を言うんだろう。
「零ちゃんは僕が・・・いや、僕らが守るべき姫だよ。いつもそう言ってるのに。」
零を抱きしめてなだめながら、片手で携帯を操作して医師を呼ぶ。
「失礼します。」
すぐにやってきた医師は瞬時に状況を察知し、かおるに小さく頷いてみせる。
「ご気分はいかがですか?お嬢様、」
医師はそっと問いかけ、零の脈を診る。
「・・・少し興奮なさっていらっしゃいますね。鎮静剤を処方しましょう。まだ身体をお休めになったほうがいい、」
「大丈夫です・・私、大丈夫ですっ!」
「零ちゃん、先生の言う事は聞いたほうがいいよ?大丈夫、僕が付いてるから安心して休んで?」
・・・今はまだ、伊織の所に行かせるわけには行かない。せめて、伊織の意識が戻るまでは時間を稼がなければ。
「・・・・!」
医師が準備した注射を見て、零は固まる。
「・・・大丈夫だよ?零ちゃん注射嫌いなの?」
腕の中の零の身体に緊張が走ったのを感じたかおるが声をかける。
「・・・じゃあ、痛くないように僕がおまじないをしてあげるよ。ちょっと目を瞑ってじっとしてて、」
かおるはそう言って、零が自分の言葉に従って目を閉じたのを見て医師から皮膚麻酔のシートを受け取って、そっと零の腕に触れる。
細くしなやかな腕。あちこちに出来た傷や痣が痛々しい。
「僕の愛する人が痛みを感じませんように。」
かおるはそう言って、しばらく待ち、その場所に口付ける。
「もう大丈夫だよ。痛くないから零ちゃんはそのまま目を瞑っていてね。」
かおるの合図で医師は失礼しますね、と零の手を取る。一瞬ピクリ、と身体を強張らせるが、零は大人しく従った。
「はい、終わりましたよ。後は気持ちを楽にして、横になっていてください。」
「え・・?」
「ね?痛くなかったでしょ?」
「うん。すごいね!かおる君ホントに痛くなかった。」
驚いた顔で、それでも少し笑顔を見せる零にかおるは微笑む。まだ涙の乾いていない瞳で、それでも笑ってくれた事が嬉しい。
「零ちゃんのためならどんな魔法でも使って見せるよ。・・・さ、先生の言う事を聞いて横になって身体を休めて?」
かおるは幼子をあやすように零の頭を優しく撫でて抱きしめていた零の身体をそっと放す。
「眠れないなら、僕が添い寝してあげるよ?姫が望むなら腕枕でも膝枕でも何でもするけど?」
かおるは冗談とは思えない口調でそういいながら零をベッドに寝かせてしっとりと肌に心地いい夏用の薄い毛布をかける。
「かおる君・・・」
「何?」
泣いているのか、泣きそうなのか判断の付かない潤んだ零の瞳。思い出した記憶は彼女には辛い記憶に違いない。
「僕はずっとここにいるから、安心してね。今は何も話さなくていいからね。」
かおるはベッドサイドに座り、鎮静剤の効果で眠りに就いた零の髪をそっと撫でる。
「今は、ゆっくり休んで。」




