012:涙の跡
泣いてない、と言いながら散々泣いた零はようやく泣きやみ、ずっと立て膝をして抱きしめてくれていたかおるに、小さくごめんなさい、と謝った。
「勝手なことして、心配掛けたのに、謝らせてしまってごめんなさい。」
まだ涙の乾き切っていない瞳でまっすぐに見つめられると、さすがのかおるも頷く事しかできない。
今までにたくさんの女性に告白され、たくさんの女性の涙を見て来たかおるだったが、零の涙にはなぜか、抗えなかった。今までは別に、目の前で女が泣こうが、特別何も思わなかった。形式的に慰めたりした事はあっても、自分の心まで痛くなったのは初めてで、そんな自分に戸惑う。
「もう、謝らないで、零ちゃん。ごめんね。僕の方こそ反省しなきゃいけないのに・・・。ところで、今日は街で何を買ってきたの、」
これ以上、不毛な謝り合戦をしないよう、かおるは話題を変える。今日一日、健に取られた零のエスコート役、否言い換えれば零とのデートがどんなだったのか、気になって仕方がない。かおるはそんな自分に苦笑した。
「あ、あのねっ、ソファーとセンターテーブルとラグと、TV台、後、TVと・・・
「お部屋に置くのにルームフレグランスとネコの置物と、可愛い目覚まし時計があったから、目覚まし時計と、あっ、それと雑貨屋さんでかわいい飾棚を見つけてね、
「後、雑貨屋さんで、ルームシューズを健君が、買ってくれて・・・
「健が?
「いろんな色があって悩んだんだけど、白が似合うって、選んでくれて、
買い物をしている時の事を思い出して、思わず笑顔で話す零を見て、なぜか心の奥が痛くなったかおるは、そんな自分を誤魔化すようにソファーの上に座っている零を抱き上げる。
「ハイ、掴まって?」
お決まりの様に真っ赤になって視線を逸らす零。
「ほら、暴れると危ないから」
にっこりと微笑むかおるに零は撃沈する。耳がピンク色になっている零を見てかおるは小さく笑う。女の子をお姫様抱っこなんて、実はしたのは初めてだけど毎回こんな反応をされたら楽しくて、つい必要以上にからかいたくなる。
零を腕に抱えたままかおるは自室を出て、零の部屋のドアを開ける。ドアの開け閉めをする音を聞いてか、駿が部屋から顔を出した。
駿はかおるに抱き上げられている零にチラリと目をやり、その足に再びしっかりと包帯が巻かれているのを見ると、ハァ、と呆れた顔で溜息をつく。
「お前、本当にバカなんだな。自分の体の事くらい、自分で管理できないのか?」
駿の呆れているような、責めているような口調が零の心に突き刺さり、鈍い痛みが広がる。駿の言う事は最もで、もう少し考えていれば今こうやってかおるに抱えられている事はなかっただろう。
「駿、心配する気持ちはわかるけど、あまり零ちゃんを責めないであげて?もう十分、反省したから。ね?」
「ばっ、心配なんかしてねーよ。」
「そう?僕には心配しているように見えたけど。」
「勝手な事言うな、こんな考えなしのチビ・・・ッ?」
駿は苦々しい顔をして零の方をにらみ、一瞬目が合い、息をのむ。
「?」
零は駿が突然言葉を飲み込んだ理由がわからず、じっと駿を見ていると、駿は視線を逸らしたまま悪かった、と呟いた。
「・・・・あぁ、駿も、やっぱり零ちゃんには敵わないんだね。口ではああ言ってても。」
かおるはクスクスと笑う。
「だから、悪かったって言ってるだろ?!」
やっぱり、怒ってるんだ?
零の心に影が差す。どうして急に謝ったのかはわからないけれど、それでもやはり不機嫌な駿にどう接していいのか見当がつかなかった。
「零ちゃん?駿はね、零ちゃんを泣かせたと思ったから謝ってるんだよ。零ちゃんの目がまだ真っ赤に潤んでいるから。」
「え・・?」
「駿、これ、駿のせいじゃないよ?どっちかと言うと僕のせい。健のせいでもあるけど・・・多分僕が一番悪い。」
「なっ、かおる、お前、泣かせたのか?!」
ギッ、と駿の切れ長の瞳がかおるをにらむ。その瞳の奥に閃いた怒りの感情を見て、零は身をすくめた。
「まぁ、結果的にはそう言うことになっちゃうね。」
当のかおるはいつも通り飄々と答え、ビクリと身をすくめた零に大丈夫だよ、と笑いかけた。
「駿、零ちゃんが怖がってるから、にらむのをやめてくれないか。殴りたいなら、後で。」
「・・・・チッ」
駿は忌々しげに舌打ちし、二人に背を向けて自室へ入っていく。かおるは諦めたような溜息を付くと、零の部屋のドアを閉めた。
「どうして駿は素直じゃないんだろうね?零ちゃんを心配してました、って言えばいいのに。」
かおるは零をいつも通りドレッサーの椅子に座らせ、傍らに立つ。
「私、昨日から久遠君を怒らせてばっかりで・・・」
しゅんとして俯く零を見て、かおるは微かな苛立ちを覚える。その苛立ちが、零に対してのものなのか、駿に対してのものなのか、自分に対してのものなのかの判断が付かず、その事実にうろたえる。
このお姫様が来てから、振り回されてばかりだな、
かおるは内心思う。いつも冷静に的確な判断をする、と皆に言われる通り、自分でも慌てる事などないと思っていたのに、昨日から慌てっぱなしだ。おまけに、原因不明のイライラに襲われている。
「零ちゃん、駿は恥かしがり屋で口下手なだけだから、怒ってるわけじゃないと思うよ。」
そう言って、かおるは無造作に置かれているたくさんの紙袋に目をやる。
「家具は明日?なら、この荷物は今日片付けておいた方がいいね。」
かおるは零の合意の下、梱包を解き、中身を順に床に並べていく。ネコのオブジェが二つ、実用性のなさそうなアンティーク調の目覚まし時計、クリスタルとレースがあしらわれたゴシック時代を彷彿とさせる小物入れなど、かおるの今までの人生では触れ合う事のなかった物たちがずらりとならぶ。
「あれ、ルームシューズ、ない?」
全ての袋を開けて中身を並べ終わると、その様子を一つ一つの道具について解説をしながら楽しそうに見守っていた零がたずねる。
「ん?これで全部だよ?ルームシューズって、さっき健が買ったって言ってたやつのこと?」
「うん。私、置いてきちゃった?落としちゃったのかな?どうしよう・・・せっかく健君が・・・」
明らかに、動揺して慌てふためき、泣き出しそうな顔で助けを求めるように自分を見てくる零を見て、かおるは思わず目を逸らす。零にこんな顔をさせる健がうらやましくもあり、自分を頼ってくれているようでうれしくもあった。
「多分、健が持ってるんじゃないかな?荷物運んだのって、健でしょ?零ちゃん自分で持ってたの?」
「え、あ・・・持ってない、かも・・・」
「じゃあ心配いらないさ。落としたとしても、健が落としたんだし、
そういってかおるは笑い、どうせ健のことだから、後で自分で渡そうと思ったか、今日の事を謝る口実がほしくて持って行ったか、そんなところだろうと思う。
「これが片付いたら、健の部屋へ行こうか、」
微笑みかけると、零はまだ慣れない男前の笑顔に思わず赤くなった。