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根を求めて

 七百メートル。

 ここから先の記録は——ない。

 ガルーンが到達したのは千二百メートルだが、それもほんの一瞬触れただけで、すぐに引き上げたという。「あそこはもう、人間がいていい場所じゃなかった」と爺さんは言っていた。でも詳しくは教えてくれなかった。

 レナは霧灯の火を少し絞った。光を絞ると代わりに目の焦点が広がる気がした——実際には錯覚だろうが、左目の感覚が鋭くなる。霧の流れが、より細かく読める。まるで暗闇に慣れた目のように。

 廃墟が大きくなってきた。

 五百メートル付近では崩れかけた残骸だったものが、降りるほどに形が戻ってくる。七百メートルでは、半分形を保った建物群が霧の中に立っていた。扉が残っているものもある。窓ガラスの跡に——何か、薄い膜のようなものが張っている。透明だが、触れると少し弾力がある。

「腕が、強く反応しています」

 アシュが右腕を見ながら言った。指が特定の方向を指している——真下ではなく、少し横。南東の方向。

「根が、そっちにあるの?」

「そう思います。この廃墟の中を通る経路のようです。単純に下降するよりも、この都市の中を通り抜けるルートが最短、ということかもしれない」

「正しい。根への入口は、この都市の中心にある」

 ノアが歩きながら言った。レナはノアを見た。

「ノア。そろそろ話してくれないと……七年一緒にいて、まだ知らないことがあるのが気に入らない」

「……」

「あんたが何者か。白淵をなぜ知ってるか」

 ノアは歩みを止めた。

 発光苔の青白い光の中で、白い狐の体が静かに輝いている。普段は子狐のような愛らしい存在に見えるが——今、この光の中では、何か別のものに見えた。古い、とてつもなく古い、時間の堆積のようなものを纏った何かに。

「私の名前は、白淵の言葉で『番』という意味だ。白淵は、生きている。意志を持った、巨大な生命体だ。その——声のようなもの、意志のようなものを、外に伝える役割として生まれた存在が、私だ」

 レナは、黙って聞いた。

「白淵は、時々、気に入ったものを拾う。昇物のほとんどは自然に浮いてくるものだが——中には、白淵が意図して送り出したものがある。十年前も、そうだった」

「……十年前?」

「お前が白淵から岸壁に引っかかっていたのは、七年前のことだ。しかしその三年前——お前はすでに、白淵の深層にいた。白淵は三年かけて、お前をゆっくりと上へ届けた。お前が岸壁に辿り着いた時、お前はすでに三年分、白淵の中を旅していた」

 レナは口を閉じたまま、それを飲み込んだ。

「……じゃあ、私は白淵の産物なの?」

「お前は白淵が育てたものではない。お前は——白淵が、守ったものだ」

 レナは、幻の中で見た映像を思い出した。

 霧が子供を包んでいた。

「十年前、白淵の深層で、ひとりの子供が迷った。根の入口に近すぎる場所で、ひとりで、白淵の中を漂っていた。どこから来たのかは分からない。でも白淵は——その子供を、損なわれないように。上へ届けることを、選んだ。私は——その子供に付き添うように、上へ向かった」

 声が、少し——変わった気がした。

 白狐の声が、普段より柔らかかった。

「お前が何者かは、根に行けば分かる。私も——完全には知らない。白淵も知らない。だから送り出した。知ることのできる場所へ向かわせるために」

「……ノア、あんた七年間——私の保護者をしてたってこと?」

「そう言える」

「なんで最初から言わないのよ」

「自分で感じて、自分で選ばなければ意味がない。私が全部教えた答えは——答えではない」

 レナは少しの間、ノアを見て、それから前を向いた。

「……ありがとう」

 ノアは何も言わなかった。でも尾が、少し揺れた。

 レナはゆっくりと息を吸った。

 迷子だった、というのは分かった。でも——迷子になる前の自分は、どこにいたのか。白淵に流れ着く前、そもそも何者だったのか。根はすべての記憶の集積場だとノアは言った。ならば——そこに行けば、白淵が覚えていない記憶も、あるいは。

 帰る場所を知りたいわけじゃない。ただ、出発した場所を知りたかった。それだけのことだ。

「行きましょう」


 廃墟の都市の中心に向かって、彼らは歩き続けた。

 街の構造が、だんだんと分かってきた。かつては大きな広場があって、そこを中心に放射状に道が延びていたらしい。今は霧と苔と崩れた建材に埋もれているが、道の輪郭は残っている。アシュの腕が指す方向は、その中心広場だった。

 建物の壁に、彫刻が残っていた。

 人物の像——でも、今の人間とは少し違う。背が高く、腕が長く、目が大きい。衣服は今の島民とも違う、流れるような布の表現。その人物たちが、何かを囲んでいる。

 真ん中にあるのは——白い光の玉、のようなもの。

 それを人々が、両手を広げて、崇めるように——あるいは守るように——囲んでいる。

「これは……」

「信仰の彫刻?」

「根の象徴だ。この人々は、根を崇めていた。根を守っていた。なぜなら——根が白淵の生命の源であり、この世界の源だと知っていたから」とノアが答えた。

「でも、滅んだ」

「滅んだのではない。変わった。霧が増えたのは——白淵が大きくなったからだ。根が成長して、霧を出す量が増えた。人々は地上では生きられなくなって、浮遊する島へ移っていった。でも根はまだある。白淵の中心に、まだ動いている」

 アシュが彫刻の前で立ち止まっていた。

 右腕の指先が、彫刻の「白い光の玉」の部分に触れた。

 石が、光った。

 わずかな光。でも確かに、石の内部から何かが呼応したような——温かい、橙色の光。それが彫刻の線に沿って広がって、人物像の輪郭を浮かび上がらせた。

「……私は、ここにいたことがあります」

 静かな声だった。

「この都市に、ではない。この彫刻の前に——誰かと一緒に、立ったことがある。誰かと話しながら、この光を見ていた。それが——誰かは、思い出せない。でも、確かに、ここにいた」

 レナはアシュの顔を見た。

 表情の薄い顔が、少し——何かを堪えているように見えた。痛みではない。でも、痛みに似た何か。

「アシュ」

「……はい」

「根に行けば、分かるかもしれない。あんたのことも」

 アシュは少しの間、光が消えた彫刻を見て、それから頷いた。

「……そうですね」

 レナ達は広場へ向かった。



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