目覚める者
深層の入口は——根の空間の最奥にあった。
硬い床が突然現れた。石畳でも金属でもない、時間そのものを圧縮したような素材。その中央に、縦に細長い裂け目がある。裂け目の向こうが暗い——根の白い光が届かない、本当の暗闇。
音が——ここだけ、聞こえた。
低い、波のような音。
規則的で、ゆっくりで——呼吸に似ていた。
セイラが霧灯を点けた。一人ずつ、裂け目に入っていく。
通路は十メートルほどで終わった。
その先が——開けた。
深層は、ガルーンが言っていたよりも、おかしかった。
霧が消えた空間が広がっていた——それは想定通りだった。でも——方向が、ない。天井がどこにあるのか分からない。床があることは分かるが、壁がどこにあるのか見えない。空間の端が、霧ではなく暗さで消えている。どこまでも続いているのか、それとも数メートル先で終わっているのか——分からない。
一歩踏み出した。
体が、一瞬だけ——揺れた。
揺れた、というのは正確ではない。体が揺れたのではなく、自分が「今ここにいる」という感覚が、一瞬だけぶれた。夢の中で一歩踏み外すような、あの感覚に近い。
「レナ・フォグウォーカー」とノアが言った。
「……いる。ここにいる」
「足元を見ろ。床があるな」
「ある」
「それだけを信じて歩け」
レナは足元を見ながら、前に進んだ。一歩一歩、床があることを確かめながら。
アシュは右腕の方位機能を使って方角を確認している。セイラは縄を手に持って、入口の裂け目に結んだままにしていた。どこへ動いても、入口に戻れるように。
そして——いた。
人が、立っていた。
十五人ほど。霧の消えた空間に、まばらに、立ったまま動かない人々が。衣服は廃墟都市の彫刻に刻まれたものに似ていた。目は開いている。でも動かない。
近づいた。
左目が——熱くなった。
「……生きてる」
声は届かない。でも自分の中に確認として残った。
ノアが言った。
「時間がほぼ止まっている。この人々は、千年前の時間に止まっている。生きているが、動けない」
「戻せますか」とレナが聞いた。
「試したことがない」
ノアが一人の前に立った。
背の高い人物。廃墟都市の彫刻に刻まれた人々に似た顔立ち。
「この人物が——最後に動いた。千年前に止まった他の者より、少し後に止まった。意識が、他の者より根に近い場所に残っている」
レナはその人物の前に立った。
目が開いている。虹彩が——薄い銀色だった。
左目と、同じ色だ、とレナは思った。
意識を左目に集めて、言葉ではなく「意志」を向ける。
——聞こえますか。
三分、経った。
諦めかけた時——銀の瞳が、動いた。
まるで止まった時計の針が一目盛りだけ進むように、視線が動いて、レナを捉えた。
指が動いた。右手の人差し指が——ゆっくりと持ち上がった。
止まった時間の中で、その動きはひどく遅い。でも確かに動いている。意志がある。
口が動こうとした。
少しずつ形が読めてきた。
「……霧眼の——子供が——」
ノアが補完した。
「霧眼の子供が来た日に、目が覚める、と言っている」
「約束ですか」
「そうだ。根と、千年前に結んだ約束が」
人物の口が、また動いた。
「……名前……は……」
音が、薄く届いた。千年の時間を越えて、引き延ばされた声が——かろうじて聞こえた。
「……ヴェロ、という——」




