深潜士、セイラ
「断ります」
開口一番そう言ったのは、赤茶色の髪を雑に束ねた、レナと同じ年頃の少女だった。
南の島出身だという。名前はセイラ・デプスウォーカー。「デプスウォーカー」は「深みを歩く者」という意味で、これも拾い子の苗字だ。見た目は全体的に余裕のない印象がある——目が鋭くて、動きが速くて、腰にナイフを三本ぶら下げている。潜降の装備は手入れが行き届いていて、でも全体的に使い込んだ跡がある。
「断りますってなんですか」レナは言った。
「知らない人の話だからです。あなたたちのことは名前くらいは聞いていますけど。レナ・フォグウォーカーと……天落ちの子」
「アシュといいます」
「アシュ。で、なんで私があなたたちについていかないといけないんですか」
「ついてきてほしいとは言ってない」とレナは言った。「ノアが言ったんだよ。もう一人必要かもしれないって」
セイラはノアを見た。白い狐と目が合って、セイラの動きが一瞬だけ止まった。すぐに戻ったが。
「……この狐、普通じゃないですね」
「変な感じ、というのは正しい認識です」とアシュが言った。
「なんで私なんですか」セイラはノアに直接聞いた。
ノアはしばらく黙ってセイラを見ていた。
「お前は先月、単独で中層六百メートルまで降りた」
「……なんで知ってるんですか」
「白淵は見ている。お前のことも見ている。縄なしで降りていた。装備は最低限で、それでも霧食いをかわして帰ってきた。運ではなく実力で」
セイラが少し黙った。
縄なし六百メートル。無謀だ、とレナは思う。でも生きて帰ってきたということは、確かに腕があるということだ。
「それに」とノアが続けた。「お前は深層に行きたいと思っている。長い間、ずっと」
セイラの表情が、少し変わった。
余裕のない、鋭い印象の奥に——何か別のものが見えた。重い、静かな何かが。
「……深層に、何があるんですか」
「行けば分かります」
「それはこの狐の台詞ですよ」とレナが言った。
「うるさい」
セイラはしばらく黙っていた。
何かを考えているのか、あるいは何かと戦っているのか。視線が一度だけ、遠い場所に向いた。霧の方向に。
それから、静かに言った。
「一個だけ聞いていいですか」
「どうぞ」
「帰ってこられますか」
レナは少し考えた。
「帰ってくるつもりで行く。保証はできない」
「正直ですね」
「嘘ついても仕方ないんで」
セイラは少し考えてから、頷いた。一度だけ、決めたような頷き方で。
「分かりました、行きます。ただし——私の分の食料は自分で持つ。縄の扱いは私のほうが得意なので、その場面では従ってください。霧食いに遭ったら私が対処します、あなたたちは下がること」
「了解」
「出発はいつですか」
「明後日の夜明け」
「作戦会議は?」
「明日の夜、ガルーンの仕事小屋で」
「ガルーン——あの記録を持っている老深潜士ですか」とセイラが言った。声に、わずかに緊張が混じった。演技ではない、本物の緊張が。
「そうです。今は体が本調子ではないですが」
「……分かりました。行きます」
セイラが先に立って歩き出した。
レナはその背中を見ながら、深層に行きたい理由が何なのか、と少し思った。あの目の重さは——ただ腕試しをしたい者の目ではない。
聞ける機会があれば、聞こうと思った。
作戦会議は、仕事小屋で行われた。
ガルーンはセイラを見て「南の島の潜り師か」と言い、セイラはガルーンを見て頭を深々と下げた。丁寧な、でも過剰ではない礼だった。
四人とノアが地図を囲んだ。
前回の潜降で持ち帰った廃墟都市の構造図を広げる。レナが記憶と左目の感覚を頼りに書き起こしたもので、アシュが補足を加えている。中心広場の位置、根の入口の座標、幻影霧が特に濃い区域の印。
「ここまでは把握している」とガルーンが言った。「問題はここから下だ」
「根の入口から先は地図がない」とレナが言った。「前回は入口に触れただけで引き返した」
「今回は入る」
「そう」
ガルーンは咳をひとつして、口を開いた。
「深層について、私が知っていることを話す。千二百メートル——私が到達した最深部の話だ」
全員が静かになった。
「到達した時、最初に気づいたのは音だった。霧の音がなくなる。白淵の中には常に微かな音がある——霧が動く音、生物の気配、水が滴る音。それが、ある深さから先では完全に消える。静寂ではなく——音が止まっている、という感覚だ」
「時間が遅くなるから、ですか」とアシュが言った。
「そう思っている。時間の流れが遅くなるということは、音の振動も遅くなる。ある深さを超えると、人間の耳では認識できないほど音が引き延ばされて——聞こえなくなる。だがそれだけではない」
爺さんが少し、言葉を切った。
「空間が、おかしくなる。歩いている方向が分からなくなる。同じ場所を何度も通っているのに、景色が変わる。下へ降りているつもりが、気づくと横に動いていた。深層は——方向の概念が、薄くなっている」
セイラが低い声で聞いた。
「生物には会いましたか」
「一種類だけ」
「どんな?」
ガルーンは少し間を置いた。
「霧食いより大きかった。形は人間に近かった。でも動いていなかった。ただ、浮いていた——霧の中に、立ったまま。目を開けて、でも動かずに。近づこうとした瞬間に、体が動かなくなった。自分の体なのに、自分のものではなくなったような感覚で——頭の中に、知らない映像が流れ込んできた。知らない人間の記憶が」
「記憶が」
「誰かの記憶が、頭に入ってきた。子供の頃の映像だった。私の記憶ではない。でもひどく鮮明で——自分がどこにいるかを、一瞬忘れた。それで引き上げた」
深い静寂があった。
セイラがゆっくりと息を吐いた。
「……深層は、記録が漏れ出している場所なんですね」
ガルーンがセイラを見た。鋭い視線だった。
「南の島の伝承か」
「……少し」
「お前は深層に縁がある、か」
セイラは答えなかった。視線を地図に落として、ただ見ていた。
ガルーンはそれ以上聞かなかった。
「深層にいたその存在が——止まった人間なのか、白淵の記録が形を持ったものなのか、あるいは別の何かなのか、私には分からなかった。でも——」
視線が、レナに向いた。
「お前の左目が、その存在に反応するかどうか。それが今回の鍵になると思う」
レナは左目に手を当てた。
「……試してみます」
「ノアが言ったことを忘れるな」
「なんですか」
ガルーンはノアを見た。ノアが静かに言った。
「深層では、他者の記憶が流れ込んでくる。どんな映像を見ても——自分が今どこにいるかを、忘れるな。名前を覚えていろ。それだけが錨になる」
「名前が」
「そうだ。名前は記録の中で最も固い結び目だ。記憶の嵐の中でも、名前だけは溶けない」
ノアがアシュとセイラを順番に見た。
「三人それぞれが、自分の錨を持て」
セイラが静かに、でもはっきりと言った。
「リン」
全員がセイラを見た。
セイラは地図を見たまま、それ以上は言わなかった。ただその一言だけが、夜の仕事小屋に残った。
ノアが何も聞かなかった。レナも聞かなかった。アシュも。
その名前が何を意味するのかは、聞かなくてもいつか分かる、と思った。
話が一段落した頃、ガルーンがもう一つ、付け加えた。
「あと——一つ、気になっていることがある」
「なんですか」
「廃墟都市の記録を読んでいた時に気づいたことだ」爺さんが地図の端を指で叩いた。「島の東端の丘に、守り神がある。子供の頃から島にあるものだ。あれに刻まれた文字が——廃墟都市から持ち帰った遺物の文字と、同じ形をしている」
「守り神が——廃墟都市と関係あるんですか」
「分からない。ただ、同じ文字だった。それだけは確かだ。降りた先で何か関係するものを見たら、覚えておけ」
アシュが少し間を置いた。
「守り神——島の東端の丘にある、金属の骨格ですか」
全員がアシュを見た。
「ここに来た最初の週に、島を歩き回った時に見ました。触れてみましたが、その時は何も感知しませんでした。今の話を聞いて、廃墟都市で見た金属の構造物と骨格の形が似ていたことを思い出しました。素材まで同じかどうかは分かりませんでしたが、気になっていたので」
ガルーンが少し目を細めた。
「降りた先で確かめてみろ。廃墟都市の中に、同じ構造物があるはずだ」
「はい」
ノアは何も言わなかった。でも一瞬だけ——アシュを、長く見た。




