第六十三討 襲ウ火カラ
ゲンジョウに唆された椎津と部下は、彼の言うままに何かしらを研究所から運び出す。そんな作業が行われている途中で、彼は彼女らに見つからぬようにスッとユウコの近くへ寄った。
「ユウコ君、キミの力を貸してもらおう」
「貸したら返してもらえそうにないけれど、まあ良いわ。やれる事をしておくわよ」
やれやれとユウコは肩をすくめる。
あまり長く姿を消していると再び椎津に疑いの目を向けられるため、ゲンジョウは足早に研究所から出ていった。
それを物陰から見送って、ユウコはヨーコ達に声を掛ける。
「さて、そっちの状況はどう?」
ヨーコとサラは驚愕の表情をもって異界商店街へと足を踏み入れていた。ユウコの声が耳には入っているものの、少し返事が出来るような光景ではない。
「おーい。驚いている場合かしら~?」
「はっ!?」
ユウコからの呼びかけで、ヨーコはようやく我に返った。
彼女らが驚愕に固まるのも無理はない。
商店街のあらゆる物に火が付き、あちらこちらで建物自体が崩壊する。ごうごうごうごう、と炎の燃え盛る音が地響きの様に鳴り響いている。風が運ぶ火の粉がまだ無事な建物の中へと飛び込み、更なる松明を作り出した。
異界は青白で肌寒い世界。
であるのにもかかわらず、今の商店街は肌を焼き焦がす程の熱波が包んでいる。身体に伝わる気温はドンドン上昇しており、ただそこにいるだけで頬を汗が伝っていく。
「これは…………凄い事になってるね」
「ぼうぼうごうごう、凄い音」
ヨーコとサラは周囲を見回しながら歩を進める。強烈な炎の生じさせる光、そして熱。顔も目も焼かれてしまいそうだ。
善良な者も敵対的な者も、幻魔は誰一人何一つそこにはいない。
「このまま明奉寺まで行くよ」
「先の暴力明王が巨体だったし、気を付けなさい。どんな化け物が出てくるか分からないのだから」
「りょーかい」
ユウコの忠告にサラが答える。
今まで戦ってきた破戒仏、特に横奪明王と暴力明王は一際巨大であった。権現、弁天、天王、明王。明王の更に上の観音がどうなるのか、考えるだに恐ろしい話だ。
だが逃げるという選択肢は存在しない。二人は寺院へと歩を進めた。
一方、元界の商店街。
避難誘導に当たっていた者の加勢、官憲の増員もあって人手は増えた。だがしかし、未だ炎の勢いは変わっていなかった。
「なんという炎だ。これだけの者が協力して、押しとどめる事も出来んとは……」
天へと昇る炎の先を見上げ、久坂部はギリリと奥歯を噛みしめる。多くの者が全力をもって立ち向かっているが、じりじりと後退を続けていた。
商店街の中央まで炎が至ってしまえば、店舗のガス設備への引火が考えられる。もしそうなってしまえば手が付けられない、下町一帯が炎に包まれる可能性もあるだろう。
それだけは防がなければならない。だが火勢に押され続けている状況では、打つ事の出来る手など無い。ただ悔しさを耐える事しか出来ないのだ。ただ燃えるがまま、燃やされるがままにするしかないのか。誰も彼もが、その諦めが心の中に顔を覗かせる。
だがしかし。
ガラガラガラ、ガドン
ボウッ、ボゥッ
ドルルルル……
それを一人の男が打開する。
「さあ、今こそ見るが良い! 我が発明の力をな!」
ドバァァァッッッ!
途轍もない勢いで水が噴き出す。それは放物線を描いて、燃え盛る炎へと降りそそいだ。燃え盛っていた炎が弱まり、侵攻を続けていた火勢がジワリと後退する。
現れたのはゲンジョウ、そして何故か彼に指揮される官憲たち。彼らが運んできたのは大きな二つの車輪が付いた、長く太い黒の鉄パイプだ。その後方には大きな煙突があり、その下方には石炭を投入する口が開いていた。
後方からホースが伸び、火力で動く機械の力で水源から絶えず水を吸い上げる。
遠く見た姿は陸軍大砲、近く見た姿は汽車にも似ている。
発明家、平賀幻尉作。
石炭火力式二輪馬車、改め、石炭火力式二輪放水車である。
それが合計三台、風上である北を除いた三方から炎を止めようと砲撃を開始した。筒先から放たれるのは、龍息の如き勢いの水。人が運ぶ量など比較にもならない程の水が、止めどなく炎へと攻撃を仕掛けていく。
「うむうむ、実に良い働きだ。跨って走る自動馬車を想定して作って放っておいたが、火災制圧にも使えるとは流石は天才たる吾輩である。やはり片付け論争は吾輩に正が有ったようだな」
水砲撃を手伝うわけでも無く、ゲンジョウは発明品の活躍とそれを作り上げた自身を自賛している。放水車を操作する官憲たちは納得できないといった顔であるが、扱っている物が優秀故に反論できなかった。
「久坂部警部!」
まさかの援軍に少々驚いていた久坂部に椎津が声を掛ける。
「おお、椎津くん。儂はもう現職ではない、警部呼びは不要だぞ」
「いえ、私にとってはいつまでも警部です!状況は?」
「炎は風に煽られて南へ向かっている。……のだが少々妙でな」
「妙、とは?」
顎に手を当てて唸る久坂部に彼女が聞き返す。
「炎の動きがな、どうにもこちらを翻弄してきていてなァ。人間の考えを読んでいるかのように火が広がっている」
「そんな事、あるわけが…………」
「ああ、当然だ。だがそのせいで人手がまるで足りん。平賀博士の発明品があったとて、状況が大きく変わる事は無かろう。だがやる事は変わらん、やるぞ椎津くん」
「はっ!」
ゲンジョウの放水車が加勢した事で、炎に対峙する者達の士気が戻る。
炎との戦いはまだ始まったばかりであった。
「くっ!?」
「わっ!?」
ヨーコとサラは同時に飛び退き、飛来したそれを回避する。彼女達を捉えられなかったものが壁へと衝突し、それを砕いた。
重量を持ち、当たれば砕かれた上に燃焼する決して消えない炎。人を死に送る、闇の施火である。
おおおぉぉぉ…………
仏僧が打つ巨大な鈴のように重く響く音。
それはヨーコとサラが対峙する幻魔の咆哮だ。
その体は七堂伽藍に影を落とし、その手は塔と鐘楼を軽々と掴み潰す。金色の体は炎によって焼かれ、顔面の右半分は煤によって黒に染まっている。
下顎は自身の炎によって熔け落ち、元は穏やかだった尊顔は醜く変貌していた。虚空を見つめる目は、大きく見開かれた人間のそれ。まるで体内から焼かれる苦悶に喘いでいるかのようである。
明奉寺本堂の主にして、街の中心として信仰されていた火伏の仏。焼け落ちた寺の中で他の仏像を見ながら消えた、朽ち観音。
街を火から守る利益は、奈落反転して火を成す災厄へと変じ。
参る者を慈しむ心は、堕落反魂して死を願う。
明かりを奉ずる火伏寺、明奉伽藍に棲まう者。
彼の者の名は、訃施火観音。
異界元界双界燃やす、破戒破壊の幻魔仏なり。




