最後のページ。
桧山英輔は退屈していた。
悪魔界を力でまとめ上げ、城と王都ロングデイルを立て直した後は退屈な日々を過ごしていた。
「陛下。ナポリアで再び不穏な動きが見られます。恐らくルシファー派でしょう」
玉座に座る英輔の前にひざまずくのは、一人の年老いた悪魔だ。
このロングデイル城に長く仕える老悪魔、メットンだ。彼はサータの代から仕えている。
「……向こうの勢力はどのくらいかわかるか?」
「現在調査中ですが、少なくとも一小隊程度はあるでしょう。現在クレスを向かわせておりますが……」
「そのまま任せておけ。あいつなら何の障害にもなんねェだろ」
「承知致しました」
悪魔界は相変わらず、暴力が支配している。
サータが亡くなってから数十年、謀反を企む悪魔は数え切れない程いた。英輔自身が戦った回数も百は下らないだろう。
監獄が破壊されていたことと、城の悪魔のほとんどがバラールに殺されていて戦力がなかったこともあり、クレスは条件付きで英輔の配下となった。
サータはあの後一命こそ取り留めたものの、数日後には娘に看取られながら命を落としている。
もう、悪魔界での生活にも随分と慣れた。
現代日本と生活様式は違うが、基本的に人間の生活とあまり変わらない。気がつけば、人間界で過ごした時間よりも悪魔界で過ごした時間の方が長くなっていた。
「それと、アクネス様から陛下に渡すよう頼まれているものがあるのですが……」
「そういえば先日戻ってきたばかりだったな」
アクネスが人間界から悪魔界へ戻ってきたのは、つい先日の話だ。
現在悪魔界と人間界の行き来は英輔によって厳しく禁じられている。英輔が即位する前から人間界にいた悪魔が帰還する場合を除き、二つの世界の行き来は行ってはならない決まりになっていた。
「それで、何だ?」
英輔に問われ、メットンは一冊の本を取り出す。
それは緑色の分厚い本で、表紙には悪魔界の言語で何かが書かれている。
もう悪魔界に来て長いが、未だに読み書きが完全には出来ない。しっかり見なければ、書いてある意味が英輔にはわからない。
しかしそれでも、英輔はその本を知っていた。
「魔力を流すことで召喚魔術が発動する魔導書のようです。ですが特定の魔力にしか反応を示さないようでして、こちらでは何が召喚されるのか確認することが出来ませんでした」
「そうか。受け取ろう」
立ち上がり、英輔が本を受け取ろうとすると、メットンは不安そうな表情を見せる。
「アクネス様に限ってないとは思いますが……アクネス様が罠にハメられ、何かが仕掛けられている可能性は否定出来ません」
「そうだな……。だが反応しないんじゃ仕方ないだろ。俺が直接確認する」
メットンから魔導書を受け取ると、英輔はそのまま玉座から離れていく。
思わずにやけてしまった口元を見られたくなくて、英輔はメットンの方を振り返らなかった。
「陛下。どちらへ?」
「少し部屋で休む。護衛は外につけといてくれ」
「……承知致しました」
天井とカーテンのついた大きなベッドに、繊細な装飾の施されたカーペット。壁のあちこちには悪魔界の名画が飾られており、備え付けの姿見は全身を映してもまだあまる程の大きさだ。
大理石のテーブルの上に魔導書を置いて、英輔はどっかりと椅子に座り込んだ。
「わざわざ手の込んだことしてくれるじゃねえか」
ゆっくりと。魔導書を広げる。
あの時は一文字も読めなかった悪魔界の言語が、今は少しだけわかる。
眺めていると、本が光を放ち始めた。
「あ、そっか」
すぐに英輔は本を床に置き直す。すると、それと同時に床に魔法陣のようなものが現れ、激しく発光し始めた。
閃光弾のような眩しい光を見つめていると、その中から一人の少女が現れた。
「……意外と早かったじゃねえの」
「馬鹿が。すっかり人間の時間感覚を忘れおって」
金色の髪。
赤い眼。
そして少しだけ伸びた背丈。
彼女が微笑むのを見ると、英輔は数十年の時を忘れてあの頃に戻ったような気がした。
「ここはちゃんと守ったぜ。そっちはどうだ?」
「愚問だな……。あれだけ時間があったんだ、きっちり学ばせてもらったよ」
得意げに笑う彼女を、英輔はたまらず抱きしめた。
「災厄は終わりだ。私が今からもたらすのは……最善の未来だ」
落ちていた魔導書から始まった物語は、ここで最後のページを迎える。
だが二人の未来はここから始まる。
最善の、未来に向かって。




