63ページ目「選ばれた未来。」
身体の中で魔力が弾けた気がした。
丹田の中で練られ続けた魔力が、英輔の心に呼応する力が、今弾けた。
激しい戦いの中で、英輔の身体は完全に破壊されていた。生き物として終わる程に。
だが最後に残された生命の欠片が、龍衣の力を掴んだ。超常の力が英輔の生命を再構成し、新たな存在として昇華した。
「英輔……お前……っ!」
もうそれは、元の英輔ではない。
人間の桧山英輔は、本当に死んだのだ。
そこにいるのは人間でも悪魔でもない。
限界を越え、生き物を超越した超常の存在だ。
「ふざけるなよ……なんだその姿は! なんだその力は!」
英輔の遥か前方で、バラールが立ち上がる。
最早その表情には一切の余裕がない。忌々しげに睨みつけるバラールに、英輔は悠然と歩み寄る。
「行くぞ、バラール……。俺が、お前に災厄をもたらしてやる」
刹那、英輔の全身から雷が迸る。
体内で荒れ狂う魔力を、英輔はもう留めてなどおけない。
翼が大きく開くと同時に、英輔は高速で滑空する。雷鳴のような音が鳴り響いて、英輔の拳がバラールの拳に叩き込まれる。
「かッ……ァ……!?」
「痛ェか? リンカの痛みはこんなモンじゃねェぞ」
校門目掛けて背中から吹っ飛ぶバラールの視界から、英輔が消える。そして気がつけば、英輔はバラールの背後から迫っていた。
「こいつッッ……!」
バラールが吹っ飛ぶ速度よりも早く、英輔はバラールの背後に移動したのだ。
「なァめェるゥなァァァァァァッッ!!」
ここで初めて、バラールが激情を顕にした。
その怒りに呼応するように、バラールの身体から凄まじい量の魔力が放出される。それは漆黒の爆炎となって広がり、半径一メートルの地形を破壊した。
「調子に乗るなよ……ヒヤマエイスケ……!」
「英輔っ!」
爆風の中から最初に姿を現したのはバラールだ。しかしその姿は、今までのバラールとは似て非なるものだった。
「その姿は……!?」
バラールの頭部からはとぐろを巻くようにして角が生え、背中には蝙蝠に似た巨大な翼が生えていた。
長く鋭い爪は伸びたままになっており、口からは牙が丸出しになっていた。
「お前……元は下級悪魔だったのか……?」
上級悪魔は限りなく人に近い姿をしているが、下級の悪魔は異形の姿であることが多い。
元々悪魔達は人間と比べると異形の姿をしていたが、人間の文化を真似ていく内に人間の姿を取るようになったのだ。
「この姿だけは誰にも見られたくなかったんだけどねぇ……! もうなりふり構ってられないんだよ!」
文化水準の高い生活をしている悪魔程人の姿を真似、低い生活をしている悪魔程異形の姿のままで暮らしていた。
その結果、進化の過程で上級の悪魔程人に近い姿で生まれ、下級の悪魔程異形の姿のままで生まれるようになったのだ。
「僕は全てを手に入れる! いや、もう手に入れている! こんなところで、人間なんかにやられるかよ!」
「俺が人間に見えるかよ」
爆風と土埃が収まり、英輔が再び姿を現す。
「チッ……!」
その身体には、傷一つついていなかった。
金色の輝きを放つ雷帝は、ただそこに悠然と立っている。
「行くぞ」
そう言って英輔が両腕を伸ばすと、その両腕から雷の魔力が放出され、剣の形で固定化される。
そして強く拳を握りしめ、英輔は大地を蹴り、翼をはためかせて飛翔した。
空中で、雷の剣と黒炎を纏った悪魔の爪がぶつかり合う。互いに激しくぶつかり合い、金と黒の閃光が空中で何度も弾けた。
互いの力は互角に見えたが、徐々に英輔が押し勝っていく。剣と爪で鍔迫り合いをしながら、バラールは牙をむき出しにして激昂した。
「この化け物がッ……! そこまでするかよ普通! 頭おかしいんじゃないの!?」
「なんとでも言えよッッ! リンカを守るためなら、俺は何にだってなってやるッ! バケモンだろうがなんだろうが構わねェんだよッッッ!!!!」
振り抜いた英輔の剣が、バラールを弾き飛ばす。
空中で態勢を立て直し、バラールは炎の魔術を放った。
膨大な量の魔力が、黒き炎の獅子を形成する。だがその姿は獅子であると同時に、様々な動物の特徴を持つ怪物――――キマイラだ。
蛇の尾が揺れ、獅子の頭の両隣では山羊の頭と虎の頭が口を開けていた。
「うおおおおおおおおおッ!」
迫るキマイラに対して英輔が放った雷の魔力は龍を象る。
英輔の翼に負けるとも劣らない両翼をはためかせ、魔力の龍は行く。
そしてキマイラと正面からぶつかり合い、互いの身体に噛み付いた。
三つの頭で噛み付くキマイラだったが、龍は動じない。龍が容赦なくキマイラを食い千切ると、魔力で象られたキマイラの身体は龍の魔力で消滅していった。
「クソがァァァァァッ!」
激突する龍の魔力に、バラールは悲鳴を上げる。
予め自分の周囲に魔力による結界――――魔力障壁を発生させていたが、一切意味はなかった。
英輔の魔力はもう、それ程までにバラールを上回っているのだ。
「これで……終わりだァァァァッッッ!!!!」
閃光のように接近する英輔の剣が、バラールの身体を貫く。剣から流れる魔力が、バラールの全てを破壊する。
「がァァァァァァァァァァァッッ!?!?!?」
絶叫しながら悶えるバラールの身体が、次第に動かなくなる。
やがて完全に動きを止めて、バラールの生命はそこで終わった。
雷の魔力がバラールの全身に行き渡り、灼き尽くす。大量の真っ黒な灰だけが宙を舞い、バラールの全てがこの世からかき消えた。
加減する余裕など、もう英輔にはない。
迸る魔力を、英輔自身にも完全には御しきれなかった。
「…………」
リンカはそれを、呆然と見つめていた。
変わり果てた英輔の姿を。消えてしまったバラールのいた場所を。
バラールが消えたことで、リンカの身体を校舎に縫い付けていた炎の槍が消滅していく。解放されたリンカは、一気にそのまま落下し始めたが、すぐに優しく抱きとめられた。
「……リンカ」
そっと包み込むように、リンカを抱きとめたのは英輔だった。
龍衣の力は解除され、鎧は外れていたがその姿はもう元の英輔のものではなかった。
頭には鋭い角が生え、顔や身体の所々には金色の鱗が見え隠れしている。
巨大な翼と尻尾は生えたままになっており、再構成された右腕は完全に龍のものと化していた。
「馬鹿者……! どうして……どうしてこんなっ……!」
もう人間には戻れない。人間としての桧山英輔は終わったのだ。
バラールを倒すために、リンカを助けるために、桧山英輔は人間としての生を投げ捨てた。
「お前には……お前には普通の生活と幸福があったんだぞ!? それなのに……私は……! 私が、お前を巻き込んだからっ! 私が人間界に来なければ! お前がっ……お前が、あの魔導書をっ……拾わなければ……っ!」
あの日、桧山英輔の全てが変わった。変わってしまった。
戦い、傷つき、命さえ失ってしまう。そんな世界に、英輔は迷い込んでしまった。
「違う。あの時お前が巻き込んでくれたから。お前が人間界に来てくれたから。俺が……あの魔導書を拾ったから……俺は今、お前の傍にいる」
「英輔…………」
「リンカ……お前のいない日常なんて、俺はいらない。それが俺の平和な日常だってンなら、投げ捨ててやる」
傷つけてしまわないようにそっと、それでいて強く、抱きしめる。
英輔の身体に包まれて、リンカはそのまま泣きついた。
「馬鹿だよ……お前は……」
「こういう馬鹿が一番嫌いか?」
茶化すように問う英輔の顔を、リンカはもうまともに見られない。
真っ赤に染まった顔を見られたくなくて、リンカはそのまま英輔の胸に顔をうずめた。
「……私は、お前のような馬鹿が……一番、好きだ……」
「…………俺も、お前みたいな意地っ張りが一番好きだよ」
想いが通じ合う。
どうしてこれだけのことを言うのに、こんなに時間がかかってしまったのだろう。
満たされた二人が、ゆっくりと地面へ降り立った。
「俺……決めたよ」
リンカを地面に下ろして、英輔は空を見上げる。
「俺が、悪魔界の王になる」
「なッ――――!?」
「バラールを倒した今、悪魔界で一番強いのは俺だ。俺が全てを従わせる。リンカの望んだ世界を作るために」
悪魔界では力が全てだ。
最も強かったバラールを倒した今、英輔には全ての悪魔を従わせる力があるということになる。
「お前に降りかかる火の粉は、俺が全部払う。俺は全てから、お前を守りたい」
「悪魔界で生きるつもりか……?」
「どの道これじゃ、もう人間界ではやってけねェだろ」
冗談混じりに軽く翼を羽ばたかせ、英輔は微笑む。
「それに今だってかなり無理矢理魔力を抑えてるんだ。今の俺じゃ、俺自身の力を制御し切れない。魔力が漏れてるのがわかるだろ?」
英輔の身体からは、常に魔力が溢れている。リンカを抱きしめていた時は必死で制御していたが、その状態を常に維持できるわけではない。
その証拠に、英輔の足元の地面は穿たれていた。
「こうなったのは私のせいだ……。私は、お前と――――」
「リンカ」
言いかけたリンカの言葉を、英輔はそっと遮る。
「お前は、人間の世界で生きろ」
「何を……言って……」
「言ってたじゃねえか。悪魔界を良くしたいって、教育制度を作りたいって。それはきっと、こっちで学ばなきゃなんねェだろ」
本当なら、逆であるべきだった。
英輔が学び、それをリンカに伝えていければ良かった。
「俺、やっぱ馬鹿なんだよ。解決のために、力を選んだ。力を求めてた」
他に手段がなかったとも思う。けれど、リンカの傍にいるために力ばかり求めていたのは事実だ。
その果てがこの結果なのだ。
「だからお前が、俺の代わりに学んでくれ。この人間界のことを。そして悪魔界に最善の未来をもたらす方法を」
触れようとした手を、英輔は引っ込める。今は迂闊に触れれば、リンカを傷つけてしまう。
「お前……お前……! 私のいない日常はいらないだなんて言いながら、私をここに残すつもりか!? 私だって……私、だって……」
英輔のいない日常なんて、いらない。しかし英輔はそっと首を左右に振った。
「俺は待ってるよ。お前が来るまで。この道の先にきっと、俺達が共に歩める未来があるハズだって信じてるんだ」
「英輔……」
「これが俺の選ぶ、俺の未来。俺の進路だよ」
この日を最後に、桧山英輔は人間界から姿を消した。
バラールの消滅と同時に、人間界を襲っていた配下の悪魔達は全員が困惑し、沈黙した。
彼らは全員が悪魔界の新たな王の力によって悪魔界へ強制送還され、破壊の跡を残しながらも町には平和が戻った。
「いやあしかし、何とか元通りになって良かったなぁ」
桜の花びらの舞う校庭を歩きながら、高島雄平はぼやく。
「そうだねぇ。あの時はどうなることかと思ったよ」
隣を歩く森田淳は改めて辺りを見回しながらそう答えた。
例の事件は、表向きには地震によるガス管の破裂やそれに伴う事故として処理されている。この手の悪魔や魔術が関わる大きな事件は、国の上層部と繋がっている魔術師達がひっそりと隠蔽工作を行うのだ。
悪魔を目撃した者は多く、様々な噂や憶測が飛び交っており、現在もワイドショーなどでよく取り上げられている。
「……ま、ピッカピカの校舎に見送ってもらうのは良いかもな」
今日は旅立ちの日――――卒業式の日だった。
校庭の至るところで、親や友人を交えた記念撮影が行われている。雄平と淳はもう、写真を撮り終わって帰るところだった。
別れを惜しんだり、新たな旅立ちに胸を膨らませたり、様々な感情が飛び交う中、雄平と淳はなんとも言えない気分で卒業式を終えた。
きっとその感覚を覚えているのは、この二人だけではないのだろうけれど。
「桧山君……来なかったね……」
「…………そうだな」
うつむく淳に、雄平は短く答える。
校舎が崩壊したあの日以来、桧山英輔は姿を消していた。
携帯に連絡を入れても全く繋がらない。家を訪ねると、母の鏡子も妹の麗華も帰って来ていないと悲しげに答えるだけだった。
英輔はあの日、恐らく――――。
「その内帰って来るだろ! あいつ、前も急にどっか行ったかと思ったら急に学校戻って来たしな!」
厭な想像を振り払うかのように、雄平は大げさに笑って見せる。
「あいつもしかしたら帰ってきてもすぐは卒業出来ないかも知れないぜ~? あいつだけもう一回高校三年生ってわけだ」
「あ、じゃあ僕達先輩になっちゃうね!」
「そーゆーことよ! パシってやろうぜ!」
本当にそうだったらどんなに良かったか。
あり得ないと思いながらも、二人は陽気な想像にしがみついた。
「……チクショウ……ただでさえ泣きてえのに、変な追撃してくんじゃねえよあの馬鹿……」
「高島君…………」
こぼれ始めた涙を袖で拭い取り、雄平は空を見上げる。泣き顔を隠す意味は、もうあまりなかったけれど。
そんな中、淳は寂しげに佇む小さな背中を見つける。
春風に長い金髪を舞わせる彼女に歩み寄っていくと、彼女はそっと振り返った。
「……磯野さん」
「森田か」
磯野さんと呼ばれた少女――――リンカは淳と雄平の二人を見ると小さく笑みをこぼす。
リンカが復学したのは、事件があった一ヶ月後のことだった。
一度親の仕事の都合で転校したが、再びこの町に引っ越してきたのでまた同じ学校に通えることになった。と、表向きにはそうなっている。
「そういえば、合格おめでとう。すごいね、難関校だったんでしょ?」
「……ああ。学校の試験に比べると相当な難易度だったぞ」
リンカは復学してすぐに、都内の難関大学への進学を目指して受験勉強を始めた。高校の偏差値から考えると合格はまず無理だと思われがちだったが、リンカは無事に合格してみせた。
学部は教育学部だ。
「二人もしっかり合格していただろう。言いそびれていたな、おめでとう」
「いやー俺らなんてすぐそこの白大だしなぁ! でも、受験は相当頑張ったぜ、なぁ?」
「そうだねぇ……合格出来て良かったね」
雄平と淳は、白凪大学への進学を決めた。リンカのいるクラスの生徒は、全員がそれぞれの進路へと進んでいった。
たった一人の行方不明者を除いて。
「磯野さん、教師になるんだろ? 俺もどうせ教わるんなら磯野さんに教わりたい人生だったぜ……」
「何か教わりたければいつでも連絡してくれれば良い。私に教えられることなら何でも教えよう。人に教えることは、自身の知識を深めることにも繋がる」
冗談めかしてそう言う雄平に、リンカは至極真面目な顔でそう答える。
「よし、レポートに困ったらまず連絡するぜ!」
そんなリンカに雄平は、ニカッと笑って親指を突き立てた。
「それにしても……磯野さんとお別れか~~~~~! 嫌だな~~~~!」
「そうだな。私も少し寂しい」
結局リンカがこの学校にいた時間は、他の生徒の半分にも満たない。
しかしそれでも、ここで過ごした時間、学んだこと、育んだ気持ちは何物にも代え難い。
きっと永遠に忘れることはないだろう。
「……夏休みにでも声をかけてくれ。またここに戻ってくる。食事でもしようじゃないか」
「え!? マジで!? 脈アリ!?」
「多分ないよー」
目が飛び出さんばかりに驚く雄平を適当にいなしつつ、淳は嬉しそうに微笑む。
「その時は高島君と一緒に声かけるね」
「……ああ、是非頼む」
そっと、リンカは未来に思いを馳せる。
まだまだ学ぶことは沢山ある。これから時間をかけて、最善の未来へ向かって歩き続けなければならない。
辿り着くその日まで、彼に会うことはないだろう。
(……私は必ず帰るよ。もっともっと知識をつける。お前が守ってくれた世界に、最善の未来をもたらすために)
それが何年先になるのか、リンカにもわからない。
だがそれがどれだけ遠い話だとしても、リンカは必ず辿り着く。
「……英輔」
誰にも聞こえない声で呟くと、薄っすらと視界がぼやけた。それを袖で拭って、リンカは真っ直ぐに目を見据えた。




