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四十七、決断



 同じような木々の立ち並ぶ森を抜けて、ようやく泉にたどりついた広也は、泉の淵にちょこんと小さな蛇が座っているのを見て声を上げた。


「なんでここにいるの?」

「広也が遅いから先に来たんだよ」


 蛇は尻尾をぴろぴろ振りながら答えた。駆け寄った広也は、相変わらず馬鹿にした態度の蛇にむっとしながらも泉の淵にかがみ込んだ。


「さあて、かきわの姿は映るかな?」


 楽しそうに言う蛇を無視して、広也は泉をのぞきこんだ。 水面が震えて波紋をつくった。その揺れが収まると、平らになった水面にゆらゆらと映像が浮かんできた。


「かきわだ!」


 最初に見えたのは黒いTシャツの少年だった。広也はほっとした。

 だが、映っているのがかきわだけではないことに気付いて、広也は目を凝らした。なんだか様子がおかしい。かきわは誰かの手をつかんでいる。


(秘色だ!)


 広也は驚いて身を乗り出した。かきわは秘色の腕をつかんで、必死に引き戻そうとしているように見える。そして、秘色の下半身に絡み付いているものに気付き、広也は思わず声を上げた。

 真っ黒な、大きな蛇だ。それが秘色を飲み込もうとしている。


「助けなくちゃっ」


 広也はすぐさま泉に飛び込もうとした。だが、背中にかけられた声に、その動作は止められた。


「秘色を助けるの?どうして?兄さんを殺そうとしたのに?」


 からかう調子は変わらないのに、先程までとはうってかわって冷酷な声だった。広也はぎこちなく振り返った。小さな黒蛇がちろりと舌をのぞかせていた。


「何を、言って……」


 声がうわずった。


「秘色なんか蛇にのまれてしまえばいいんだよ」

「そんなわけない!」


 広也は大声で否定した。だが、蛇は冷たい声で言い募った。


「秘色みたいな、自分の役目のためには他人を殺したって構わないと思っているような人間、助ける価値なんてないよ。それに、最初から彼女は言っていただろう?かきわは敵だって。君の兄さんを敵だと言っていたんだよ。許せないだろう?」


 広也は息を飲んだ。小さな蛇はその体にみあわない威圧感を噴出させていた。その迫力に広也は圧倒されてしまった。


「だいたい、秘色は人殺しじゃないか」

「違う……」


 広也は弱々しく反論した。


「秘色は確かにかきわを突き落としたけど、殺そうとしたわけじゃあ……」

「本当に?じゃあなぜ彼女を人殺しと罵ったんだい?」

「それは、あの時は取り乱していて……でも、かきわはちゃんと生きている!」

「かきわは、ね」


 蛇が大きく口を開けて笑った。真っ赤な口の中が見えた。ひどく禍々しい。


「じゃあ、緋色は?」


 広也の背筋がすっと冷えた。


「緋色が死んだのは秘色のせいじゃないか」

「違う!」

「違わないさ。秘色は夜の森が危険だと忠告しなかった。わざと二人を危険にさらした。そのせいで緋色は死んだんだ」

「違う!秘色は二人を助けにいったじゃないか!」

「本当に?だって結局、緋色は死んだじゃないか。それは間違いなく秘色のせいだ。そうだろう?」


 広也は言葉を失った。否定する言葉を頭の中で探すが、何もみつけられなかった。代わりに、弱々しい呟きが漏れた。


「……お前は何者だ?」

「ぼくは、お前さ」


 蛇はそう言うとすいっと鎌首をもたげた。そうして、黒い体がみるみるうちに白く変化していった。

 声もなくみつめる広也の目の前で、黒い蛇は色を変え、形を変え、やがて小さな白い光の玉となって空に浮かび上がった。光の玉はからかうように広也の周りを一巡りした後、立ち尽くす広也を置き去りにして空の彼方に飛んでいってしまった。広也は呆然としてそれを見送った。

 声もなく立ち尽くした後、はっと気付いて泉を振り返った。そこに、先程まで見えていた映像はなかった。さざ波一つ立っていない静かな水面は、鏡のように広也の顔を映すだけだった。


「どうして……」


 広也は呻いた。ほんの少し前まではかきわと秘色の姿が映っていたのに。


「映れ!映れよ!」


 広也は水面に鼻が付きそうなほど身を乗り出して泉をのぞきこんだ。

 広也は後悔した。一瞬でも迷うんじゃなかった。


(さっきは映ったのに、どうして今は映らないんだ……?)


 自分の息に震える水面をみつめながら、広也は考えた。思い当たるのは蛇に言われた言葉だけだ。この泉がのぞきこんだ人間にとって必要な場所を映すとぐえるげるは言った。自分はかきわを必要としている。では、秘色は?


(僕は……)


 広也は自分の心に問いかけた。


(僕は、秘色を許していないんじゃないのか……?)


 自分の心のどこかが、秘色を助けることを拒絶しているのだ。広也は胸を押さえた。秘色がかきわを突き落とした時の光景がまざまざと思い出された。それから、かきわと緋色が夜の森を進むのを止めなかったこと。泥に引きずりこまれる緋色を助けようとしなかったこと。

 確かに、秘色には広也には理解できない部分、非情な一面があった。ときわの巫女としての立場からしか物事を見ない狭量なところがあった。自分の役目のためには他人を殺したって構わないと思っている。あの蛇が言っていた。確かにそれは真実かもしれなかった。


(助ける価値なんてないよ)


 蛇の言葉がよみがえる。

 広也は水面に映る自分の顔をじっとみつめた。


(でも、かきわは秘色を助けようとしていたじゃないか)


 突き落とされた本人が彼女を許したのなら、それでもういいのではないか。


(いや、違う……)


 広也は空を振り仰いだ。


(たとえ、かきわが秘色を許しても、僕は秘色がしたことを許せない。兄さんを殺そうとしたことは絶対に許せない)


 広也は刀の束を握り締めた。


(でも、僕は秘色を見殺しにはしない。秘色を許せなくとも、死んで欲しいとは思わないから)


 広也は刀を抜いて立ち上がった。そして、再び泉を見た。


「ぐえるげるの泉!僕が必要としている場所に、僕を必要としている人達の元に連れていけ!」


 広也の声に応えるように、水面が大きく揺れ始めた。その波の中に、はっきりと浮かび上がった光景に、広也は今度こそなんのためらいもなく飛び込んだ。





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