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十四、役立たず


「ぐえるげるの森って、どの辺にあるの? 」


 息をきらしながら、ときわは前を行く秘色に尋ねた。足元の地面は苔に覆われた湿地に変わっており、ずぶずぶと踏み込むその感触が、確実にときわの体力を奪っていた。


「もっとずっと先よ。湿原を越えて森を越えて林を越えてさらに山を一つ越えたら到着するわ」

「それって、何日かかるわけ? 」


 ときわは疲れをにじませた声で苛立たしげに尋ねたが、秘色は最初の頃となんら変わらぬ声音であっけらかんと答える。


「そんなにはかからないわよ。ほら、今日の日が暮れはじめたから、今日中に森に入って野宿をして、明日一日で森と林を越えて、それから山に登って下りたらぐぇるげるの森よ」


 秘色は暗くなりはじめた空を指差してぴょんっと飛び跳ねた。それからときわを振り返って言う。


「もうばてちゃったの? 情けないなあ。男の子のくせに」

「余計なお世話だよ」


 ときわは腹を立てて言った。


「だから、最初に言ったじゃないか。僕は弱くて使い物にならない人間だって」


 ときわがそう吐き捨てると、秘色は不思議そうな顔をしてじっとときわをみつめた。そして、何を思ったのか、ときわの腕をぐっとつかんでその場に立ち止まらせた。


「ちょっと待って」

「何さ? 」


 不機嫌に問うときわを無視して、秘色はときわの両手をぎゅっと握り締めた。


「何? 」


 戸惑うときわに、秘色は彼の目をまっすぐに見据えてこう言った。


「どうしてそんなに自分を役立たずにしたいわけ? 前の世界で誰かあなたに“役立たず”って言ったわけ?

 そうね。あたしは前の世界にいたときわじゃないあなたを知らないから、あなたがどんな風に役立たずだったのか知らないけれど、少なくともここにいるあなたは役立たずじゃないのよ。ここの世界では、あなたには“トハノスメラミコト”を探すという、あなたにしか出来ない大切な役目があるんだから」


 くっと力強くみつめられて、ときわはどぎまぎして赤くなって目をそらした。これだけまっすぐみつめられた経験てなかった。


「いい? あなたはこの手で“トハノスメラミコト”を探し出すのよ。この世界では、役立たずなんて言って甘ったれてはいられないんだからね」


 そう言うと、秘色はときわの手を放し、再び前を向いて歩き出した。仕方なく、ときわもその後に続いた。


(それって、この世界では僕は必要とされてるってことなのかな? )


 ときわは遠慮がちに考えた。

 しかし、ときわには誰かに必要とされているという実感があまりなかった。というより、必要とされるということがどういうことか、想像がつかなかったのだ。


 その時、前を歩く秘色が急に立ち止まった。


「どうしたの? 」


 ときわが尋ねると、秘色は難しい顔をして前方を指差した。秘色の肩越しに目を凝らしてみると、前方にちらちら揺れる二つの人影らしきものがみえた。


「誰だろうね。こんなところを歩いているなんて」


 ときわはさして興味なさそうに呟いたが、秘色はやはり難しい顔をしたまま、ぎゅっと前方を睨んでいる。


「どうしたのさ。秘色」


 ときわは秘色の顔をひょいと覗き込んだ。


「もしかしたら……」


 秘色はときわには目もくれずに、 呟いた。


「こんなところを歩いているなんて……もしかしたら、霧の里の連中かもしれない」

「え? 」


 ときわは驚いてもう一度前方を見た。


「本当? 」

「わからないけれど……二人連れってことは、かきわとかきわの巫女である可能性もあるわ」

「確かめようよ」


 言うがはやいが、駆け出そうとしたときわを、秘色が慌てて引き止めた。


「だめよ! 」

「なぜ? 」


 ときわは振り返って尋ねた。


「あれが本当にかきわだとしたら、僕一緒に行きたいよ」 しかし、秘色はものすごい形相で、

「何言ってるのよ。さっきも言ったでしょ、かきわは敵なのよ。あんな連中と顔を合わせてごらんなさい。何されるかわかったもんじゃないわよ」


 迫力に押されて、ときわはぐっとひるんたが、あきらめることもできず、秘色をなだめるように静かに言ってみた。


「あのさ。敵って言ったって、かきわだって僕と同じで別の世界から来たばっかりで、何がなんだかわかっていないよ、きっと。ちょっと話をするだけ、ね? 」


 だが、秘色はときわの腕をぐっとつかんで放さず、真っ赤な顔で怒鳴った。


「だめっ。かきわだって霧の里の連中に何吹き込まれたかわからないわ。それに巫女も一緒だもの。かきわの巫女にあなたがときわだってこと知られてごらんなさい。殺されてしまうわよっ」

「殺されっ……」


 いくらなんでも大袈裟じゃないか。と、ときわはあきれたが、秘色は本気でそう思い込んでいるらしく、ぎゅっと唇を噛んでときわの腕を押さえつけている。


(秘色がこんなにむきになるなんて、晴の里と霧の里ってよっぽど仲が悪いんだな)


 ときわはそう思いながら、人影のほうを振り返ってみた。もちろん、秘色に腕をつかまれたまま。

 だが、人影はすでに見えなくなってしまっていた。


「あの連中も、ぐえるげるの森を目指しているんだわ」


 湿原を見渡して秘色が言った。


「こうなったら、森と林であいつらを追い抜きましょう。絶対に負けるもんですか」


 そう言って拳を固く握り締める秘色の横で、ときわは大きくため息をついた。


(僕は別に、晴の里とか霧の里とかどうでもいいんだけど、秘色がいるとかきわと話せそうもないな)


「さあ、行きましょう。ときわ」


 言って、秘色は歩き出した。ときわも彼女に続こうとした。が、その時、ときわの右の足首を誰かがわしっとつかんだ。

 驚いたときわが足元に目をやると、地面から泥まみれの太い腕がにゅっと突き出て、ときわの右足を捕まえていた。


「うわぁっ、なんだよこれっ」


 慌てて振りほどこうとしたときわだったが、腕はときわの右足をしっかりつかんで放さず、さらに恐ろしいことにはそのまま地面にずぶずぶ沈みはじめた。ときわを引きずり込むつもりなのだ。


「何やってんの、ときわっ」

「秘色! なんとかしてよこれっ」


 ときわは情けない声を上げて助けを求めた。すでに右足は腕と共に足首まで沈んでしまい、ふんばっている左足もずぶずぶと泥にのめり込みはじめている。


「はやくなんとかしなさいよっ」

「どうやってっ? 」

「ええいっ、もうっ」


 秘色はときわの手から刀をひったくり、すらりっと刃を引き抜いた。そして、ときわの足元、ちょうど股の間あたりの地面に刃を突きたてた。


 ぐぎいいいああっ  


 ものすごい絶叫がこだまして、ときわの右足をつかむ力が消えた。

 ときわは埋まった右足を泥の中から出して心底ほっとした。とはいえ、心臓はばくばくしっぱなしで、遅く来た恐怖のせいでときわは今頃涙ぐんだ。


「里の外が、こんなに物騒だったなんて……」


 秘色も青ざめた顔でじっと地面をみつめている。


「もういやだ。はやく行こう。秘色」


 ときわは秘色をせかした。もう一秒だってこんなところにいたくなかった。

 秘色も頷きはしたものの、その場から動こうとしない。


(何してるの? )


 そう言おうとして振り返って、ときわは絶句した。秘色は動かなかったのではなく、動けなかったのだ。彼女の両方の足首を、泥まみれの二本の太い腕がしっかりと捕まえていた。


「秘色っ」


 駆け寄ろうとしたときわは、辺りの地面を見てぎょっとして足を止めた。

 腕が——それはもう何十本、何百本ものおびただしい数の腕が、湿原のいたるところににょきにょきと生えているのだ。

 あまりのことに、ときわは言葉をなくして立ち尽くした。秘色は手にした刀で自分を捕らえる二本の腕を切りつけた。ぎいっと呻いて、二本の腕は秘色から手を放した。秘色はぼけっと突っ立っているときわの手を取って走り出した。


「走ってっ! はやくっ」


 秘色は金切り声を上げた。


「もう少しで森に出るはずよっ! 湿原を抜ければとりあえず安全だわっ」


(でも、このぶんじゃ森の中にも得体の知れないものがいるんじゃ……)


 そうは思ったものの、ここに残って引きずり込まれるわけにもいかないので、ときわも黙って秘色の後を走った。もちろん、地面に生えた無数の腕を、踏まないように、捕まらないように、飛び越え飛び越え、二人は全力で走った。息が切れ、足も重くなったが、ときわは必死に走った。とにかく森へ。とりあえず森へ。


 がむしゃらに走っているうちに、暮れかけていた日が完全に暮れ落ち、辺りが暗くなり走りにくくなった。それでも二人は走り続けた。

 その時、無言で走る二人の耳に、はるか前方に悲鳴が聞こえた。


「うわあっ」

「きゃああっ」


 二人は思わず顔を見合わせた。




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