71頁目 鬼の観察と夜襲
前回のあらすじ。
元気に歌う幼女は可愛い。
次回の投稿は明後日予定です。
※今回汚い表現があります。ご注意下さい。
戦闘を始めると言っても、相手との距離は五〇〇ファルト程。おおよそ五〇〇メートルだ。その為に、まずすべきことは情報収集。観察だ。
この距離から見える怪物のサイズを算出すると、恐らく身長は一〇ファルトかそれ以下。中型種程度だろう。
まぁヒト型の一〇ファルトという時点で十分大きいのだが……大体三階建ての建物相当かな。同じヒト型で同じくらいの大きさの敵と言えば、最近は岩人形と対峙したのが記憶に新しい。
全身が岩で構成された岩人形と比べると、単眼鏡の奥で戦利品のウシを貪っている戦鐸鬼の姿は、全身がムキムキの筋肉で覆われたとんでもマッチョマンだった。メスの可能性も捨てられないが。
目に付く相手の装備は、冒険者を倒して手に入れたであろう、防具を適当に縛って身体に巻き付けているような状態である。防具に付着している血は冒険者の物か、それともその後に襲われた獲物の物か。いずれにせよすっかり乾ききっており、黒ずんでいた。
当然手入れなどしている様子もなく、壊れた部分は壊れたまま。汚れもそのまま放置しているので、そこから傷んできているのがこの距離でも大体分かる。防具だけでなく、その下の皮膚にも多くの傷が付けられていることから、当然だが歴戦の猛者なのだと予想出来る。
皮膚は全身褐色。角は頭部に二本。人間で言う眉毛の上の位置くらいから生えている。長さは約五〇ナンファ強と思われる。身体のサイズの割にそんなに長くはない。まぁ長くても邪魔なだけだし、折れやすくなってしまうから実用性のある長さにしている可能性がある。動物が歯や爪を削って長すぎないようにするように、あの鉄大鬼も同じように整えているのかもしれない。
髪の毛は黒っぽい。この距離では正確な色は分からない。ボサボサで荒れ放題で肩に掛かる程度には伸びている。毛先が歪ながらも整えられているのは、こちらも自身で切っているのかもしれない。私の感覚ではただの浮浪者であるが、彼等にしたら立派なオシャレなのかもしれない。知らないけど。でも、興味はある。そういう生態を調べるのも旅の目的だ。
「アネモネ。風向きはどう?」
「問題ありませんわ」
「ありがとう」
魔剣ノトスから生まれた風の精霊。アネモネ。この子のおかげで、私自身の匂いの拡散を防ぐことが出来ており、隠密行動がやりやすくなっているので非常に助かる。
これまでは、わざわざ風下に移動したり、最悪怪物の排泄物を身体に塗って匂いを誤魔化したりもした。初めてやった時は、見つからないようにという緊張感でいっぱいいっぱいだったこともあってあまり気にしていなかったが、終わった時には緊張の糸が切れたことで我に返り、あまりの不快さと匂いに思わず吐いてしまった覚えがある。
ただまぁ、一回吐いてしまえば慣れてしまうもので、それ以来は排泄物に限らず、泥濘地に飛び込んだり、そこら辺で狩った動物や虫の体液を塗りたくったりして、とにかく生き残ることを優先して活動していた。
あの頃は若かった。とにかく我武者羅に突き進んでしたから、危険と安全の境界を平然と踏み外していた。それでも、そうやって咄嗟の判断に助けられて、今もこうして五体満足でいられている。
というか、片腕を切り落とされる程の大怪我をしたのは後にも先にも、この魔剣ノトスの素材の持ち主、翡翠鳥だけだ。その他は岩人形との戦闘で骨折複数、一部内臓損傷くらいか。
あれ? 何か冒険者に復帰してからの方が酷い怪我を負っている気がするが……気にしないでおこう。うん。
とりあえず、そんな頃が私にもあった。今も索敵には十分気を遣っているが、アネモネのおかげで大分楽が出来ている。
風の精霊だけあって、周囲の空気の流れを操ることが出来、それによって私達の匂いを周囲にばらまかないようにしてくれているのだ。
とはいえ、見つかってしまえば意味がない為、今もこうしてすごく離れた位置ではあるが、身を隠してチャンスを窺っているという状況である。
「これは夜まで待たないといけないかもね」
「退屈ですわね。今からわたくしが突撃して倒してきますわよ?」
「戦闘狂な発想ね。流石に危ないわよ。相手の情報がなさ過ぎる。今は相手の特徴を捉えて、確実に倒せる時期を計るのよ?」
「面倒ですのね」
「我慢してね」
「お母様が言うのであれば異議はありませんわ」
「ごめんね。ありがとう」
「いいえ、お母様がわたくしを案じてくれていることは、十分伝わっていますわよ。ですから大丈夫ですわ」
「そう」
少しばかり戦闘への比重が大きいだけで、基本的には素直でとても良い子である。素直で聞き分けの良い子というと語弊があるかもしれない。捉え方によっては親の言いなりの人形だからだ。勿論、元は私の剣であり武器であり道具であるので、物扱いになったとしても問題ないのだろうが。意思ある物をただの物として切り捨てられない。ましてや生命が宿ったともなれば、立派な私の娘である。処女だけど。
そのことを理解しているのかいないのか分からないが、私が彼女のことを大事に思っていることは伝わっているようで、私の言葉に屈託のない笑顔を向けてくれる。
その笑顔を見ると、思わず頭を撫でてしまう。そうすると、目を閉じてされるがままになるのが何とも可愛くて愛おしい。だが今は戦闘状態だ。まだ戦っていないけど、いつでも移行出来るように待機している状況なので緊張感を持つ必要がある。撫でた手を早々に引っ込めて、再び警戒に戻る。その時の名残惜しそうな顔に、また手を伸ばしたくなったが我慢だ。我慢。
「巣から動く様子は見られないわね?」
「そのようですわね。風の流れも正常ですわ」
「え? 今あなたどこに風を送っているの?」
「どこって、あの鬼さんの後ろですわ」
「……」
もしかして、この距離から奇襲出来るの?
「勿論、あの風、空気の流れには攻撃能力はありませんわ。自然の風に少しだけお邪魔しているだけですもの」
「そ、そう。器用なのね」
少しホッとした。
「やれと言われたらすぐにでも制御を奪って攻撃に移れますわよ?」
やっぱりホッと出来ない!
この子が生まれてから戦闘好きになるように育てたつもりはないのだが、元が戦う為の道具である剣であるからか、すごく戦闘脳で時々困る。
「……夜になってから仕掛けるわよ?」
「はいですわ」
私の娘は私が思っていた以上にチートだったようです。そして私はただの器用貧乏。これでもジストでは実力も功績もトップクラスの冒険者として名があったはずなのだが、自信を失いそうだ。
もう、全部この子に任せてしまえば良いのじゃない? いや、親としてそんな無責任なことしないけども、守るはずの存在に逆に守られている。しかもこんな幼子に……複雑な気分である。
沈んだ気分を取り戻すように単眼鏡を覗き、戦鐸鬼の動向に注視することで気を紛らわす。
周囲の動物は、戦鐸鬼の存在に気付くと慌てて逃げるなどしているので、少なくとも今目に入る範囲のヒエラルキーの頂点はあの鬼ということか。他に怪物も見られない。時々、足蹴鳥や掘削鳥の姿がある程度だ。というかケルケルどこにでもいるのね。
ジストでは暖季と乾季に大移動が行われるが、一部の小さな群れはその土地に定住するらしい。分け前が減ることで十分に食糧を確保することが出来るという考えからだろうか。
「そろそろ移動しようか」
「はいですわ」
日が地平線の向こう側へと隠れ、黄昏が辺りを包む。
すると、先程までの微かにあった暖季の気配はすっかりなくなり、また寒季へと逆戻りしたかのように気温の低下が始まる。
相手の視界に入らないように暗くなってからの移動。とはいえ、あくまで私がギリギリ視覚で捉えることが出来るようにする為であって、相手の方の視力が良い可能性もあるので油断出来ない。特に今は移動中だ。匂いはなくとも、何となくの違和感、気配という物を掴んで捕捉されるかもしれない。
以前ジストからエメリナへ移動の際に盗賊団と戦闘に入った時、灯りはないものの、闇の中に蠢く気配を感じて迎撃したように、完全な闇でも何となく動いているのが見えるというものはあるのである。
「ん」
「どうしたの?」
声が聞こえないように、ボソボソと話す。アネモネは手信号が使えないし、そもそも使えたとしてもこれだけ暗くなってしまうと判別しづらい。まだ完全な闇という訳ではないが、このぼんやりとした視界の中でのサインの読み違えは重大事故に繋がることもあるので、十分注意が必要である。
「多分、寝ましたわね」
「寝たの?」
「はいですわ」
アネモネ曰く討伐対象は眠りに就いたらしい。あの巨体でも流石にウシ一体丸ごと食べればお腹は膨れたようで、それで無駄に体力を使わないように巣から動かなかったのかもしれない。
四半刻もしない内に地平線を照らしていた光も消え、空に星明かりがチラチラとしている程度で他の光源はない。月は雲に隠れているのか、雲の端っこがぼんやりと光っているのが見える。
奇襲をするには申し分ない。相手の位置と距離はあらかじめ記憶しておいたので、今のように非常に見えづらい状況でも迷うことなく進むことが出来ている。仮に間違えたとしても、風で戦鐸鬼の位置を把握しているアネモネが指摘してくれるので、修正もしやすい。あまり頼りすぎると堕落してしまうから、出来るだけ自身の力で何とかしたいのだが、娘も娘で、親の私の役に立とうと頑張るので、中々無碍に出来ない。
目の前に立っても、アネモネが風を使って匂いを遮断してくれているので気付かれることもない。いや、私は死角になるような位置取りをしているのだが、アネモネが堂々と踏ん反り返っているので、見ているこちらとしてはハラハラしてしまう。
近付いたことで実感するが、本当に大きい。山とは言わないが、それでも丘くらいに思うくらいには大きな身体である。それが豪快ないびきをかいて寝ているのだから迫力がある。
俯せで寝ているので、心臓を狙うことは難しそうだ。となると、頭部を直接狙う。その為には、やはり正面に回る必要がありそうだ。
溜め息が漏れそうになるのを我慢し、アネモネの隣に立つ。
ノトスを鞘から抜いて構える。
岩さえも容易に切り裂き、刃こぼれしない名剣だ。思いっ切り突けば頭部を貫通出来るだろう。
よし、と覚悟を決めて風をまとわせる。雷だと音や光を放つので、すぐバレるので使わない。
「ふっ」
思いっ切り踏み込んだ私は、そのままの勢いで剣を前に突き出した。




