第19話 暗闇からの来訪 その1
「一体どういうつもり…?」
美雨は勇気を出して尋ねた。今の志乃からは得体の知れない何かを感じるのだ。
志乃は足を止めて振り向いた。
「何が?」
志乃は不思議そうに訊き返す。自分は至って普通だ。何も変なところは無い。…そんなことを言いたいように見える。
「あなた…憶えてる?あなたは渡良瀬を魔術で吹っ飛ばしたのよ?」
美雨は窺っていた。志乃がどういう返事をするのかを。もし、彼女の性格が戻っていたとしたら、一目散に彼の心配をするはずだ。
「あぁ…、あの魔女狩りの男ね…。憶えてるよ~。私は魔女同盟の一員だから消してやったの。普通じゃん」
美雨のほんの少しの希望は簡単に崩れた。志乃の口からそんな言葉が出るということは、彼女は"あれ"から変わっていないということだ。
「それよりも美雨ちゃん。私からの提案なんだけどさ」
提案…?一体何のことか?美雨は怪訝な表情を浮かべて耳を傾けた。そんな美雨の様子を見て志乃はクスッと笑い
「そんなに強張らないでよ。美雨ちゃんさ、一応組織の裏切り者扱いになっちゃってるんだけどね、戻らない?」
「はっ…?」
思わず声を出してしまった。志乃の口からとんでもない言葉が出たからだ。組織に戻る…?一体彼女は何を考えているのだろうか。
「私がお姉ちゃんに頼めば多分許してくれると思うんだよね。美雨ちゃんも魔女なんだし、私達の仲間じゃん。ね?」
志乃はそう言ってニコッと笑顔を向ける。だが、美雨は全然笑顔になれなかった。
「志乃…、あなた…一体何を考えてるの…?」
「美雨ちゃん警戒しすぎだよー。私は美雨ちゃんを危険から護りたいだけなんだよ?」
「志乃……断るわ」
美雨は冷や汗を垂らしながらもそう告げた。
「えー?なんでー?美雨ちゃんだって魔女狩りの男を殺したじゃん。私さ、あれ見て、自分もぶっ殺したいなーって思えてきちゃったんだ」
パチンッ…!
平手で頬を叩く音が響いた。志乃の左頬が赤くなっていた。
「志乃…目を覚まして。あなたはそんなこと言う子じゃない。私はあなたを見て心を改めたの!なのに…なんで…!」
美雨は必死に訴えかける…が、志乃は気にするどころか、自分の左頬をさすり
「いたぁ…。酷いよ美雨ちゃん。いきなりビンタするなんて。交渉決裂かぁ……残念だよ美雨ちゃん」
志乃は冷たくそう言うと、美雨に背を向けて歩き出した。志乃と美雨の間には深い深い溝ができてしまった。
「ばいばい、美雨ちゃん」
「それはまた残念だな」
美雨はその後、亮司と公園で落ち合い、志乃とのやり取りの件を話した。話を聴いた亮司は、志乃の性格が一変したままであり、過激な発言までしていることを知った。
深く考えることはせず、思ったことを口に出した。
「今あなたが彼女と会うのは危険ね。もう少し様子を見てからの方がいいわ」
今の志乃と亮司が逢ってしまえば、彼女は躊躇もなく亮司を攻撃するだろう。
「おまえこそ、あいつと同じクラスなんだろ。転校した方が身のためだぜ」
「逃げるつもりはない。今日と同じように"演技"するわ」
美雨は志乃から距離を置こうとは思っていなかった。確かに、今日の一件で彼女との間に明確な亀裂が走ってしまった。かといって転校してまで逃げようとは思っていなかった。
「そりゃすげぇな。せいぜい気を付けるこった」
亮司はぶっきらぼうにそう言うと、ベンチから立ち上がり、持っていた空き缶をゴミ箱に捨てた。そして、美雨に背を向けたまま別れの挨拶をした。
「じゃあな。今日はここまでだ。早く帰って寝ろ」
美雨は無言で、去っていく亮司の背中を見ていた。彼の背中はいつもより小さく見えた。
夜。魔女同盟のアジトの建物の一角では、瑞葉が一人悩んでいた。
「あーあ…。新人に掃除してもらおうと思ったのに…どうしよ」
ガチャリ…
そこへ月音が入ってきた。月音は一人悩んでいる瑞葉を見た後、視線を上げて部屋を見渡した。……一言でいうと、散らかっている。
「…汚い」
「うるさい!人が気にしてることを口に出すな!」
瑞葉は弾丸のような勢いで文句を言った。どうやら、彼女は散らかっている自分の部屋を掃除するのが面倒だから、それを志乃にやらせようとしたようだ。…だが、それは失敗に終わっている。
今一度部屋を見て、やはり面倒だということで悩んでいるのだ。
「なるほど…。これならいい新人いじめにはなるな」
「いじめとか言うな!修行よ修行!先輩の部屋を心行くまで綺麗に片づければ心も綺麗に洗われるじゃない!」
瑞葉はジェスチャーを交えてそう訴える。だが、月音から言わせればただの言い訳に過ぎない。
「それを言うなら自分でやった方が…」
「何!?私の心が汚いって言うの!?」
まだそう言ったわけではないのに、瑞葉が過剰に反応する。自分のことを少しでも悪く言われると気に食わない性格のようだ。
瑞葉はハァーと深いため息をついて立ち上がり
「…とりあえずころころ買ってくる」
「いってらっしゃい」
とぼとぼと部屋を出ていく瑞葉に、月音は小さく手を振った。
廊下を歩いていると、ある部屋から楽しそうな喋り声が聴こえてきた。瑞葉はドアの隙間からそっと中の様子を覗きこんだ。
中では志乃と静歌が二人でおしゃべりしていた。二人とも笑顔で楽しそうだ。…羨ましい。
瑞葉はすぐに覗くのを止め、不機嫌そうにその場から去った。
『なによ…。あいつが来てからあいつばっかり…。血のつながった妹だからって何よ…。フンッ!』
瑞葉が心の中でブツブツと文句を言っていると……
パサァ…
結わいていた髪が勝手に解けて垂れてきた。
「えっ?」
瑞葉は立ち止まり、慌てて自分の髪を触る。
「何?ヘアゴムが無い…」
いつの間にか二つあったヘアゴムがなくなっているのだ。つい今さっきまであったのに…だ。別にゴムが切れたような音もしていない。スマホのライトをつけてそこらの地面を探したが見当たらなかった。辺りは暗く、電灯の灯りがあるだけだ。
「え…何ちょっと…気味が悪い…」
「お嬢ちゃん…」
「!!」
ドキッとした。突如、どこからか、男性のささやく声が聴こえてきたからだ。瑞葉は首を素早く振って辺りを見回す。人気はまったく無い。
「お嬢ちゃん……。何かを探してるようだねぇ…」
また聴こえてきた。確かだ。幻聴ではない。瑞葉の心臓の鼓動が速くなる。もしかしたら魔女狩りかも知れない…。彼女はそう思い、いつでも魔術を発動できるように迎撃態勢に入った。
「…その探してるものって……もしかしてさ……これのことかい?」
次の瞬間、瑞葉の右隣の暗闇から――腕が現れたのだ。その腕は手に持つ二つのヘアゴムを地面にポトリと落とした。
「わああああああああ!!」
その光景を見てしまい、瑞葉は恐怖の悲鳴を上げ、必死に後方へ下がった。腕の方はヘアゴムを落とすとまた暗闇の中へ消えてしまった。
瑞葉は衝撃の光景を見て、恐怖のあまり腰を抜かしてしまった。魔術で迎撃するどころの話ではなかった。だが、このまま居ればまた現れる。もう見たくないという心の底からの願いが、彼女を即座に立ち上がらせ、足を動かした。
「もう何よぉぉ!!恐いよぉぉ!!」
必死に走りながら弱音を吐く瑞葉。それもそうだ。いきなり暗闇から腕だけが現れたのだ。しかも、その腕は自分がさっきまで使っていたヘアゴムを持っていた。普通なら110番にでも通報するだろう。…だが、相手は十中八九魔女狩りだ。頼れるのは魔術だけだ。
走っていけば走っていくほど辺りはますます暗闇に包まれた。ついには電灯さえなくなってしまった。無我夢中で逃げていたせいで、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。スマホのライトを辺りに照らす…と、自分はあぜ道にいた。どうやら、水田地帯にいるようだ。
「うそっ…!?電池がもうなくなる…!最悪…」
画面を見ると、電池残量はわずか5%になっていた。灯りもなくなれば、いよいよ動けなくなる。
ポチャン…
「!!」
水田に張っている水から音がした。瑞葉はすぐさまライトを音のした方へ向けた。波紋ができている。蛙かアメンボだろうか…そう思いたかったが――――
「まぶしいなぁ……灯りを消してくれよ…お嬢ちゃん…」
「ひゃっ…!」
ドキッとして思わず声を上げた。そして、波紋ができているところを恐る恐る見ると…男の顔が揺らいで見えた。
「ぎゃあああ!!人がぁぁぁ!!」
瑞葉は攻撃するどころではなかった。必死で逃げた。その時…
ガシッ…!
足をいきなり掴まれて転倒した。
「いっ!」
「逃げることないだろ~~お嬢ちゃん…。こんな夜にさ~~、一人で出歩いてたら悪い奴に捕まっちゃうよ~~」
「ひいぃぃぃ……!!」
瑞葉はボロボロと涙をこぼした。その瞳に映ったのは、自分に近づいてくる男の姿だった。




