第11話 羽の取れた蝶 その1
道路脇のバス停に設置してあるベンチに一人の男が座っていた。そこへバスがやってきて停車する。無論、男が待っていると思ったからだ。だが、男は目線を下に向けたままピクリとも足を動かさない。運転手は男の様子を不思議そうに窺っていたが、男が手を軽く横に振り、バスに乗らないと判ったので、ドアを閉めてバスを発進させた。
バスが走り去った後も、男はじっとしていた。
―――その光景を、美雨は蝶を媒介にして眺めていた。
「魔女の気配を消す…。そんなことができるのかおまえは」
亮司が関心の目で美雨を見る。それ以上に、志乃が大きくリアクションをとっていた。
「そっか!だから黒薙さんが魔女だって気付かなかったんだ!」
志乃は屋上で美雨と話すまで、彼女が魔女であることに気付かなかった。それはつまり、美雨が魔力を感知されないようにしていたということだ。
魔力を感知されない―――それがもたらす大きなメリットは、魔女狩りに狙われるリスクが格段に減るということ。
「渡良瀬。あなたからヒントを得たのよ」
美雨は亮司を見てそう告げる。亮司は特に驚く様子も見せずに美雨と目を合わせた。ヒントというのは亮司の持つ"特効薬"のことだろう。だが、あれだけで自分の特性を創り上げてしまうのはさすがと言ったところか。
「如月。お前もその特性身につけたらどうだ?」
亮司は振り向いて志乃に提案を持ちかける。
「願ったり叶ったり!黒薙さん!私にも教えて!」
志乃は飛びつくように美雨に迫った。志乃にとって……いや、魔女狩りの恐怖に怯える魔女たちにとっては、喉から手が出るほど欲しい特性だ。だが、美雨の口から発せられた言葉は酷く現実的だった。
「それはできないの。これはあくまでわたし固有のもの…。別にいじわるを言ってるわけではないわ。魔力のタイプは千差万別。あなたの魔力はあなた自身でしか理解し得ないの」
「そんな~~…」
志乃はゲームを買ってもらえない子供の様に残念そうな表情を浮かべる。期待を寄せていただけに尚更だ。
「で、さっきの魔女狩りはどうなんだ」
亮司が唐突に話を切り替えた。先程美雨が見つけたという魔女狩りの話だ。
「動きがないわね…。ずっとバス停のベンチに座ってる」
蝶が見ている光景が美雨の頭に流れてくる。周りの人や車は絶え間なく動いているが、狙いの男ただ一人、まったく動きがない。
「そいつが魔女狩りだという確証は?」
亮司は淡々と質問する。
「わたしの蝶は魔女狩りが放つ特有の気配や雰囲気を感知することができる。この男は"クロ"だと蝶が言っているわ」
ブオーーン…
男の前に白のセダンが停止した。すると、今までずっと下を向いていた男が顔を上げて運転席の方を見た。
ガチャ…
運転席のドアが開いて、中から一人の男が出てきた。身長180以上はあろうかという長身の男で、オールバックにサングラスをかけていた。
「おい赤渕。待ち合わせ場所がおかしいんじゃないか?もっと適当な場所があっただろう」
運転していた男が椅子に座っている赤渕と呼ばれる男にそう指摘する。バス停に車を停めるのは道交法違反だ。
「ごめんよぉ葛。おらぁ足が弱いだろ?近くに座るところが見当たらなかったからここにしたんだ」
赤渕は垂れた目に覇気のない声でそう言い訳する。……と、葛は赤渕の近くに黒い蝶が舞っているのを見つけた。葛はサングラス越しにじっと蝶を睨み付ける。そして、この蝶が普通ではないことに気が付くのにはそうそう時間がかからなかった。
「赤渕。監視されているぞ」
「はっ?」
素っ頓狂な声を発する赤渕。葛が見つめる方向に慌てて顔を合わせると、奇妙な美しさを持つ黒い蝶が舞っていた。
「アゲハ蝶じゃね~ぇのぉ~?」
赤渕は間抜けな声で黒い蝶がただのアゲハ蝶だと指摘する。
ヒラヒラ……
すると、蝶は2人から離れていこうとした。
「ほらぁ~。飛んでる様もそこらの蝶と何ら変わりないぜぇ~?」
ヒラヒラ…ヒラヒラ………
スパッ!
「あっ!」
突如、蝶の胴体が何かに切断されて真っ二つになった。突然のことに赤渕は思わず声を上げる。
切断された蝶の体は無情にも地に落ちていくのかと…思いきや
サラサラと砂の様になって消えていってしまった。
「やはり魔術で創られた蝶か。近くに魔女がいるな」
葛の疑念は確信に変わった。
「まじかよ~ぉ。おれ監視されてたのかよぉ~」
そうは言うものの、赤渕の声には抑揚がなかった。
「蝶が何かに斬られた…!」
美雨が先程まで見ていたビジョンが突然途切れてしまったのだ。
「えっ!?黒薙さん大丈夫なの!?」
志乃は蝶が斬られたことで美雨も傷を負ったのではないかと心配したが
「大丈夫。わたしにダメージは無いわ…でも」
美雨はそう言って心配そうな表情で亮司を見る。
「なんだ?俺は魔女狩り二人を一度に相手するのはごめんだぜ。それに、俺は魔女狩りと戦うなんかよりもやるべきことがあるんだ」
"魔女助け"
志乃はすぐに思い浮かんだ。…そう。自分たちから魔女狩りを倒そうとすることはない。それよりもやるべきことがある。この町に住む魔女たちを救うこと。
「でも、魔女狩りを倒さない限り、真の平和は訪れない。……わたしはそう思ってる」
美雨の言っていることも尤だった。魔女を助けたところで、彼女たちをこの町から追い出すしか方法がない。それでは、真の平和はいつまでたっても実現しないだろう。
「なら、おまえは自分の信念に従えばいい。俺は俺の信念に従う」
亮司は突っぱねるようにそう言う。その態度が美雨の癪に障ったのか、彼女は表情を険しくさせた。
「あなたはわたし達魔女の気持ちなんて本当はわかってないんでしょ?」
「あぁ…!わからねぇだろうよ!そりゃ俺は魔女じゃないからな!」
「ちょ…!黒薙さん…!渡良瀬も…!」
二人が互いに険悪なムードになりつつある中、志乃はあたふたしながらこの状況をなんとかしなければと必死に考える。
「二人とも落ち着いて…!今はこんな口論してる場合じゃ…!」
志乃が何とか宥めようとしている………次の瞬間
スパッ…!!
亮司の腹部が一直線に切れた。
「ぐわぁぁ…!」
亮司の腹部から血が大量に出血し、彼は倒れてしまった。
そのあまりにも突然の光景に、志乃も美雨も目を見開いていた。
「渡良瀬ぇぇぇ!!」
志乃は頭が真っ白になりそうだった。真っ赤な鮮血が彼女の脳裏に焼き付いていく。
ザッ…
そこへ現れた葛と赤渕。葛は亮司を見て怒りを露にしていた。
「渡良瀬亮司…。てめぇ…組織を裏切ったな…!!」