第118話 不安の支配
カチッ…カチッ…カチッ…
亮司の左腕に付いている腕時計の秒針が、微かな音を立てながら規則正しく動いていく。
志乃は目を見開いて、亮司を一点に見つめていた。亮司の言葉は、今は陰に隠れているもう1つの人格に向けての言葉だろう。…明け渡してなるものか。もう絶対に人格を変えないと誓ったのだ。
なのに、亮司が死んだと聞いたときは深い悲しみを覚えたし、生きている彼を見た瞬間、心の中が嬉しさでいっぱいになった。以前のように、もう1つの人格が戻ってこようとしているのだろうか。…いや違う。今の自分の気持ちがそうなのだ。
あんなに亮司を敵視していた自分がなぜ?どうしてそう思ったのか。……もしかしたら、本当は心の中で彼のことを―――。
「亮司!良かった…!」
「渡良瀬…!」
「バカ男!来るのがおっそいのよ!」
鬼怒たちは生きている亮司を見て、感激の表情を浮かべていた。霧を変えたのも亮司がやってくれたのだろう。
「渡良瀬亮司…!この期に及んで邪魔をするとは…!」
一方、ボスは亮司に向かって歯を食いしばる。あと少しで魔女が死ぬところを見れたのに、すべてが台無しだ。実験の成果は得られたが、このままでは絶対的な安心が遠のいてしまう。
幸せな瞬間を邪魔されたボスは憤りの目を向ける。対して、亮司はここで初めてボスに目を向けた。
「遂に会えたな…ボス。あんたに1つだけ聞きたいことがある」
「…なんだ」
「勇真を殺したのはあんたか?」
亮司がそう尋ねると、ボスは一転してフッとにやけて見せた。
「…なるほど。きさまは過去を引きずっているわけだ。敵討ちをしたいのか?ならば教えてやる。鬼怒勇真を殺したのは私だ」
ボスは敵討ちに対する不安よりも、亮司が親友を殺された悲しみと後悔の念を未だに背負っていることへの優越感の方が大きかった。
――だが、次の瞬間
「はっ…!あぐぁ…!!」
突然、ボスは目を見開いて悶え始めた。息ができなくなったのだ。
「あんたの肺を固定した。息苦しいだろ?あんたはこいつらに同じ様な事をしたんだぜ?自分で味わってどんだけ苦しいかわかるだろ?」
「うぁ…!」
ボスは何とか呼吸をしようとするが、固定された肺は空気を受け入れてくれない。このままでは窒息死してしまう。
「それから、俺が過去を引きずってるって?違う。俺は過去に決着をつけるんだよ。あんたを殺すことでな」
悶え苦しむボスを冷たい目つきで睨み付け、一切の慈悲を持たずに容赦なく追い込んでいく。
――その時
バチバチバチッ!!
「ぐっ…!」
強烈な電流が亮司に襲い掛かった。亮司は攻撃を受けた拍子に能力を解除してしまう。
固定が解除され、息ができるようになったボスは九死に一生を得たように荒い息を整える。
電撃を放ったのは静歌だ。魔力が回復したために魔術を発動できたのだ。彼女は恐怖に怯えるような表情で亮司を見ていた。
「ボスを殺さないでよ…!あんたはとんでもないことをしようとしたわ…!」
亮司は怪訝な表情を浮かべる。あの静歌がボスを擁護した。それに様子がおかしい。何か異常に思えるほど怯えているのだ。
「ボスを殺したら…!わたしも志乃も不安に押し潰されてしまうわ!」
静歌は訴えるように叫ぶと、掌をかざして炎を放ってきた。
ゴオォォォ!!
しかし、直後に亮司の目の前に炎の壁が現れて、静歌の放った炎から亮司を護った。
「渡良瀬!!」
亮司の元に月音が駆け寄る。彼女に顔を向けると、目に涙を浮かべていた。
「静歌様も志乃もボスの能力に支配されている…!ボスは相手の持つ不安を増長させて、大きくなった不安で相手を支配してしまう!」
「なるほど…。小心者の能力ってわけか」
月音からボスの能力を教えられ、亮司は納得したような顔でボスを見る。ボスだからどれほどの能力かと思っていたが、蓋を開ければ、相手の心に干渉して弱体化させる、"卑怯者"の能力だ。
かつての部下から蔑みの態度をとられれば、屈辱的だと思ってしまうだろう。しかし、このボスはそれよりも、積もり積もっていく不安から何とか逃れたいと思う気持ちでいっぱいだった。
膨大な不安から逃れられるのか…それも不安だ。不安は不安を呼び、負のスパイラルに突入していく…。
『不安だ…!不安だ…不安だ不安不安不安不安………』
そして、不安はボスの限界を遂に超えた。
「げほっ…!」
その時、静歌が突然血を吐いた。亮司たちは静歌に目を向けて驚愕する。彼女は何も攻撃されていない。なのにいきなり血を吐いた。
静歌は口に手を当てて苦しみに顔を歪め、頭を力無く垂らす。
「お姉ちゃん!?どうしたの!?大丈夫!?」
志乃が焦りの色を見せて声をかける。何の前触れも無かった。魔力が回復し、体の調子も良くなっているはずなのに…なぜ?
「げほっ…げほっ…」
静歌は苦しそうに咳を繰り返す。そして、フラッと倒れかかった。
「お姉ちゃん!」
志乃が慌てて静歌を抱きかかえ、彼女の体を支える。亮司は急に容態が悪化した静歌から、ふと、ボスに視線を戻した。…すると、ボスは対照的に調子が良くなったように見えた。
「てめぇのしわざか…!」
亮司は静歌の容態が急変したのがボスのしわざだと思い、ボスを強く睨みつける。対して、ボスは不敵な笑みを浮かべた。
「限界を超えた不安は他の人間が背負えばいいのだ。私の苦しみを…たっぷりと味わうがいい!!」
「うあぁ…!!」
膨大な不安が静歌に襲い掛かり、呻き声を上げて苦しむ。
「このくそ野郎…!」
亮司はナイフを手に取ってボスに斬りかかった。―――が
「きさまは今、大きな不安を抱いているな」
直前でピタッと亮司の動きが止まってしまった。
「もしかしたら、今度は如月志乃が標的になるかもしれない…と」
亮司の顔に冷や汗が滲み出る。ボスの言ったことは図星だ。心の中の不安が大きくなっていく。このままでは……。
「渡良瀬!!」
危険を察知した月音が、ボスを攻撃しようと掌をかざす―――が
「なっ…!?」
瞬間、ボスと亮司の姿が見えなくなったのだ。さらに、周りを見ると、志乃と静歌の姿もなくなっていた。
「渡良瀬が消えた…!」
美雨たちも同じようで、月音、美雨、瑞葉、暁美、鬼怒の5人は亮司や志乃たちを見失ってしまった。その時――
「へへへ~~…。邪魔はさせないぜ…」
5人の前に、血を流してフラフラしている青塚が姿を現した。
亮司はナイフを持つ手を開いた。ナイフは落下し、甲高い音を立てて床に転がった。ボスは勝ち誇ったようににやけて、ゆっくりと口を開いた。
「渡良瀬亮司…、きさまはもう…私を攻撃できない…。もしも攻撃したらきさまは……」
ドォォン!!
瞬間、ボスの体に光弾が着弾し、爆発を起こした。
不安に押し潰されそうになっていた亮司は、ハッとして顔を振り向ける―――と、掌をかざし、凛とした目付きをしている志乃の姿が映った。




