第41話 ヒスイの森④ ヒスイの泉の精霊
「この仕業はどいつだ?話を聞かせてもらおうか……」
怒気をはらんでいるような、いつもより低い声。
水面はまるで氷が張っているかのように、小さな波ひとつ立たない。
ぴんと張り詰めたような空気だ。
「……ふーん。そうか」
彼の声もそんな空気に負けず劣らず冷ややかだ。
「俺がランドルフの当主と知ってのことなんだろうな」
レイがゆっくりと低く告げる。次の瞬間、ぶわっと風が吹き抜けた。
ふいに水面がさざなみを立て始めると、泉の中から浮かび上がってくるように、光の粒を全身に纏った美しい女の妖精が姿を現した。
薄い水色の髪は腰よりも長く、絹の糸のようにさらりとまっすぐに伸びている。
瞳は大きなブルーサファイアの宝石のようだ。少しレイの瞳の色に似ている。
今まで目にした妖精は可愛い感じのタイプが多かったけれど、こんなにも美しい妖精は初めて見た。
陶器のお人形のような、ガラス細工のような、繊細でとても綺麗。
「これはランドルフの当主。お久しぶりね」
清らかな鈴の音のような声。
「ヒスイの泉の精霊」
彼女はこの泉に棲む精霊で、レイとは顔見知りのようだ。
「この前に会ったときは小童だったのに、少しは見られる顔になったわね」
「少し大人になったということかな」
「美味しそうになった」
「………………」
「アハハハ……まだまだね」
レイが小さくため息をついた。
ヒスイの泉の精霊は、薄い唇を弓のように両端を上げて、笑みを浮かべる。
「ランドルフの当主が久しぶりに来たと思ったら、可愛らしい恋人連れだから、からかってしまったわ」
「恋人ではない。城の大事な客だ」
本当のことなのだけど、恋人じゃないって、そう速攻であっきり否定されると、なんだか寂しいな……
「ふーん。……あら、そう。城の」
「ああ。だが、ランドルフ家で大切に預かっている」
「ふむ……」
ヒスイの泉の精霊は笑うのを止めて、私の顔をじっと見る。初めて彼女と目が合った瞬間、ぞくぞくっときて、息が止まるかと思った。
人ならざる者……。
その言葉がピッタリとして、脳裏に浮かぶ。
今まで可愛い妖精達はいくらでも見たことがあるけれど、この精霊はきっとその中でも格が上なのだろう。威圧感を感じる。
私が何も言えずに固まっていると、私の内を品定めをするように見ていた彼女が、もう一度「ふぅん」と言った。
「その娘の右手にあるもの、なぜそこにある」
彼女の言葉に、私はとっさに右の手首に左手をやり、そこのところを見る。今は、例の白銀の姫にもらったブレスレットは出ていない。城でドラゴンを操るミレイユと対峙したあの晩から、一度もブレスレットは見ていない。
ヒスイの泉の精霊は無表情のまま、私を見下ろしている。
「右手?どういうことだ?」
答えられない私の代わりに、レイが答えた。
ヒスイの泉の精霊の視線に射抜かれそうで怖い。でも、ここで怯えてはいけない、なぜかそんなふうに感じた。
私は目を逸らさず、彼女のコバルトブルーの瞳を黙ったまま見返す。
「それは、その娘には過ぎたるもの。まだ覚醒しておらぬということか」
レイは、スッと私と精霊の視線の間に自分の身体を滑り込ませた。彼女の追求の視線から、私を守ってくれたのだ。
「ヒスイの泉の精霊、なんのことだ」
「ふむ。ランドルフの当主も知らぬことか。まあ、時がくれば知るかもしれぬし、知らぬかもしれんな」
「はっきり言ったらどうだ」
「今ははっきり言えぬ。だが、ヒスイの森の精霊の息子のために、泉に落ちたお節介な娘に免じて、ひとつ教えてやろう」
「お節介で落ちた!?」
レイが眉間に皺を寄せて、いきおいよく私のほうへ振り向く。
わあ~、ごめんなさい。私は愛想笑いで答える。
レイから、またか……と盛大なため息が聞こえてきそうだ。
そんなジト目で見ないで下さい……
「まあ、そう見てやるな。遊ぼうと誘ったのは我だ」
「やっぱり悪戯したのか」
「フフフ。あまりに二人が恋人かと思う程に楽しそうにしていたのでな」
「う……」
ニヤリと笑うヒスイの泉の精霊の前に、レイも流石にこの一言には黙ってしまった。
「ランドルフの当主よ、ひとつ教えてやる。北の魔法使いは目覚めている。それはもう知っているからここに来たのだろう。お前たちが思うよりも復活は早く、あやつは力をつけ始めている。すでに北の地で白銀の姫も対処しているが、中央の国へ来るのも時間の問題かも知れぬ」
「白銀の姫が……」
レイも驚いているようだ。
白銀の姫……確か、私に思念で会いに来たあの夜、彼女は急いでいるふうだった。
あやつらに見つかっては大変だと、言っていた。きっと、あのとき言っていたあやつらというのは、北の大魔法使い達のことなのだろう。
危険を犯して、私に思念を送り、ブレスレットを渡したのだ。
「その娘、じゅうぶん守ってやると良い。そのうちお前達にとって輝石と成るやも知れぬし、成らぬかもしれぬ。まあどうであれ、魔法を使えばよいのに我を忘れて、慌てて水の中に飛び込むほど、大切な娘っこなのであろう?のう、ランドルフの当主?」
ヒスイの泉の精霊は、そう言って愉快そうに笑った。
……え?
私がレイを見ると、レイは慌てた様子で
「いや…、それは…、つい。……あ、あれだっ……魔法より飛び込んだほうが早いと思ったんだよ」
と言う。
「アハハ、苦しい、苦しい。言い訳になっておらぬ」
高らかに笑いを残し、美しい精霊は泉の中に姿を消した。
ふと近くの木立のほうへと目をやると、大きくて真っ白な鹿の横に、ボールを手にした金髪の男の子が並んで立っている姿があった。
「レイ……、あの男の子」
「ああ。ヒスイの森の精霊と、おそらくその子供だ」
男の子はペコリとこちらへ頭を下げると、鹿の姿をした精霊とともに木立の奥へと姿を消した。
その後、私たちは森での調査を終えて、ランドルフの屋敷へと戻った。
泉に落ちて濡れた服はレイに魔法で乾かしてもらったけれど、さすがに疲れたので帰り道はレイの馬に乗せて貰うことになった。
レイの前に座りながら、背にレイの体温を感じて、なんともこそばゆく落ち着かなくてドキドキしてしまった。
そのはずなのに、いつの間にか私はレイの胸にもたれて爆睡したあげく、目が覚めたときには屋敷の門をくぐった後で、執事のセバスチャンがすでにお迎えに出てきていた。
「おかえりなさいませ。レイファス様、ミツキ様」
そして私達を見て、意味ありげににっこりと笑った。
ちょっとぉ~!もう少し早く起こして欲しかったぁ~




