第25話 初めての魔法体験
パンと新鮮なミルクを味わったあと、レイに連れられて屋根裏部屋にやって来た。
埃が溜まってるかと思いきや、意外にも掃除されていた。
隅っこにおもちゃ箱らしきものと、本が数冊置かれている。
窓がひとつだけあるここは、まるで秘密基地みたい。
レイの子供頃の部屋だったのかな?
レイは窓辺に歩みより、両開きの窓を開けた。さわやかな風が入り込んでくる。
そして彼は、よっと両手で身体を支えると、なんと窓から外へと身を乗り出そうとした。
「うわっ、小さ!こんな狭かったかな」
彼の広い肩幅が邪魔して、窓枠に引っ掛かっている。
「あれ、前はもっと簡単に出られたのに」
いったい、いつの頃の話をしているのだろう……
十代男子の成長を舐めてはダメですよ?
広い肩幅を窓の外へ出した後、今度は長い足を窓の外へ引き抜いている。
もそもそと随分苦労しながら
「おわっ、マジ狭っ」
ってまだ言っている。
そりゃあ、ね。その足の長さですから……
私は苦笑しながら、頑張ってなんとか窓から出ようと四苦八苦する彼の姿を見ていた。
この目の前の男子は、いったい子供の頃より自分がどんだけ成長してると思ってるのだろうか?
ちなみに、窓は出入り口ではないですよ……
ようやく屋根に出た彼が、今度は中にいる私に向かって言った。
「あんたも来いよ」
「え?私も?」
「屋根の上からのほうが、景色がいいんだ。街が一望できる」
ここからでも十分見えるのでは、と思ったけれど、ここは拒否権がなさそうだったので、私も窓から失礼して外に出ることにした。
窓から身を乗り出す。
「わっ」
意外と風が吹いている。地面からもそこそこ高く見える。草に覆われてる土の上とはいえ、落ちたら痛そうだ。
レイの差し出してくれた手を掴んで、私は屋根の上に出た。
「……お、落ちないかな」
「大丈夫。屋根の上でも平気な魔法がある」
「そんな魔法があるの?」
驚く私の前で、彼は何か呪文みたいなものをつぶやき、指をパチンと鳴らした。
一瞬、空気中でキラキラとした粉みたいな、綺麗な光の渦がきらめいた。
「ほら、これでよし」
その瞬間、周りの空気があたたかくて優しくなった感じがした。
おそるおそる屋根の上で、私は一歩踏み出して、すぐに驚いた。身体の中はなにも変わっていないのに、屋根の上でも平気で歩ける。
「わあ、すごい!普通に歩ける!」
「だろ?」
「人生初の魔法体験よ!」
なんか、すっごく嬉しい!
「俺が子供の頃、初めて学んで使った魔法だ」
「へえ、これはなんて魔法なの?」
「“屋根の上から落ちない魔法”」
レイは笑顔で得意げに言った。
「あはは……面白いね」
心があたたかくなる優しい魔法なんだね
「子供の頃は、魔法を使うことは禁止されていたけど、これだけは母さんも許してくれてたんだ」
「禁止だったの?」
「ん、まあ……いろいろ事情があって」
レイは苦笑して言葉を濁した。
「おとなの事情ってやつだ」
そう言って、彼は笑った。
なんで、そんな言葉を知ってるの……
事情って、きっとマリアンヌが話してくれた、彼の出生が関係するのだろう。
魔法を使えることは、みんなには内緒だったのかもしれない。
彼の両親が、ランドルフ家とグラディアス家という、この国でも勢力を二分するほどの大きな力のある貴族の直系で、それぞれ違う特殊能力を強く持った者同士の血をわけた稀有な存在だから。
レイのお母さんが街から離れたここに住んでいたのも、レイが目立たないようにしたくて、母子でひっそりと暮らしていたのかも知れない。
魔法を使うことも禁止していたのは、彼が強い特殊能力の持ち主だと知られないようにするためなのだろう。
私は、そうなんだ、と短く答えて、あとは彼の優しい魔法のお蔭で屋根の上を楽しむことにした。
屋根に彼と並んで座ると、気持ちのいいスッキリ晴れた青い空と、その下には緑の野原が広がっていて、その先には宝石箱のような街と白亜の城まで一望できた。
そして、そのずーっと向こうには、キラキラと銀色に光るものが、そのまま地平線に溶け込むようにして見えていた。
「あれは、もしかして、海?」
「ああ。屋根に上がると海まで見えるんだ」
「レイが言ったように、ここからの景色は、確かにとってもいいね」
「子どもの頃、ここからよくこうやって、眺めてたんだ」
隣りに座る彼の横顔をこっそり盗み見る。
やわらかな風が、彼の額にかかる銀の前髪を、さらさらと揺らしていく。
彼は風に吹かれながら、静かに遠くの海の方をまっすぐに見つめている。
彫刻のように完璧な額、鼻筋、顎のライン。
これぞっ、国宝級の横顔。
そんなワードが脳裏を過ぎる。
紺青色の瞳は透き通る深い湖のようだけど、冷たいわけでもなく、でも穏やかというわけでもない。陽の光を受けて揺らめくようにただ静かで、綺麗だった。
ふと、彼はそこに何を見ているのだろう……と、思った。
子どもの頃のレイは、ここに座って何を見て、何を思っていたのだろう……
私は、なんとなく彼に訊いてみたくなった。
「子供の頃のあなたは、ここに座って、何を思ってたの?」
「そうだなぁ~……何だったか、あまり覚えてないけど。あの海の向こうの国は、どんな所なんだろうとか、そんなことだったかな」
「へえ~、じゃあ、実際行けたの?」
「いや。今はこの国を離れるわけにはいかないから、無理だな」
「そっか……」
確かに、お城での仕事やランドルフ家の当主の仕事とか、忙しそうだもんね。
「じゃあ、いつか行けるといいね!」
私がそう言うと、レイが不思議そうな顔をして、私の方を見た。
ん?私、何か変なこと言ったかな?
私も不思議に思って、ん?と首を傾げて彼の顔を見た。
「なんで、そう思う?」
「え?」
「いつか、行けるといいって」
「えっと……」
なんて言えばいいのだろう、と答えに困ったけど、見て感じたままを伝えることにする。
「レイが、今も海の向こうに行きたそうに見えたから」
「そう、見える?」
「……うん、見えるよ」
「そっか……」
ふうん、なんて言いながら、彼は海に目を向ける。
そうして、少し何かを考えていたみたいだけれど、にっと口角をあげて言った。
「いつか行けるかな」
「え、だって、レイの家くらいの大貴族だったら、船代くらい大丈夫でしょ?」
「旅費の問題かよ」
レイは肩をゆすって笑った。え?そういう問題ではなく?
「へんなヤツ」
「は?」
へんとは、何?
「貴族の姫達や俺の立場を知ってる者達は、そんなこと言わない」
「船代のこと?」
「違う。行けるといい、とかってこと」
「ああ。私は、あいにく貴族のお姫様でも、この国の人でもありませんから」
「褒めてるんだよ」
「えぇ、どこが?」
笑いながら言ったって、全然褒められた感ないですけど。
レイは抱えた片膝に顎あごをのせて、遠くを見つめる。
「今は守りたいものがたくさんあって、そんなことも考えたことがなかった。でもそういう生き方もいいな」
ん?生き方って。
いつのまに人生の話にまで大きくなってる。
ま、レイが清々しい顔をして、なんだか嬉しそうにしてるし、良かったかな……
優しい風が、私たちの周りを吹き抜けていく。
彼の細い銀の髪を、さらりと揺らしていた。




