表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『銀座の地下にある小さな店は、異世界で狩った食材でできている。祖父の遺したレストランを再建していたら、無口な狩り相棒と悪役令嬢みたいな常連お嬢様が今日も帰ってくれない』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

55/73

第55話 店の意味は、こちらが決める

 勝ったわけではない。


 朝倉恒一は、閉店後の静かな店で、そう自分に言い聞かせていた。


 白いものは消えていない。

 見張りも、たぶん完全には消えていない。

 境界の森の向こうにある小屋も、第二入口も、使われることをやめたわけではない。


 それでも今夜、玻璃亭は一つだけ、はっきりと押し返した。


 ここは地下へ続く都合のいい穴ではない。

 誰かが勝手に意味づけできる場所でもない。

 人が座り、皿が出て、帰りの白が湯気を立て、その先にまだ名前のない次の皿まで続いていく――そういう店だと。


 その“店の意味”を、今夜は確かにこちら側が決めた。


 だが、その事実は安心より先に、次の重さを連れてくる。


 押し返したなら、向こうもまた何かしてくるかもしれない。

 それが今の玻璃亭だった。


 最後のグラスを拭き終え、火乃坂澪が布巾を畳んだ。


「……まだ顔、抜けてない」

 彼女が言う。


 恒一は、閉めた扉のほうを見ていた視線をゆっくり戻した。

「そんなに出てる?」

「今日はかなり」

「良い意味で?」

「半分」

「半分か」

「店主の顔と」

 澪は少しだけ目を細める。

「次のこと考えてる顔」

「……」

「何」

「いや」

 恒一は少しだけ苦笑する。

「最近、完全に読まれてるなって」

「最近は」

「便利な」

「今日は許す」


 その返しに、少しだけ肩の力が抜けた。


 東條院紗雪はまだ席へ残っていた。

 カップの底には、もう温くなった紅茶が少しだけ残っている。

 彼女はそれを飲み切るでもなく、手元に置いたまま、店の空気を静かに受け止めているようだった。


「……本当に」

 紗雪が言った。

「ええ」

 恒一が顔を向ける。

「本日は、少し違いましたわね」

「違った?」

「ええ」

 紗雪は小さく頷く。

「今までは、“守っている店”という感じが強かったのです」

「……」

「けれど本日は」

 彼女は少しだけ店内を見回す。

「“ここで続いていく店”に見えましたの」

「……」


 その言葉は、今夜の感覚にかなり近かった。


 守るだけでは、どうしても後ろ向きになる。

 なくさないため。奪わせないため。通路にさせないため。

 もちろん、それは大事だ。


 だが今夜、玻璃亭はそれだけではなかった。

 帰りの白の次の皿があり、常連がまた食べたいと言い、席が自然に埋まり、知らない客もその空気へ混ざっていった。

 つまり“続いていく店”の顔があった。


「……よかった」

 恒一が言う。

「そうですわ」

 紗雪は静かに答える。

「かなり」

「お前も最近それ好きだな」

「便利ですもの」

「盗るなよ」

「盗っておりませんわ」


 そのやり取りを聞きながら、澪が小さく笑った。

「でも、ほんと今日は大きかった」

「うん」

 恒一も頷く。

「向こうの見張り、途中で引いたし」

「……」

「何」

「そこなんだよな」

「うん?」

「引いたってことは」

 恒一は言葉を選ぶ。

「見せたものが効いたってことでもある」

「そうだね」

「でも」

「でも?」

「効いたなら、次は向こうもやり方変えてくるかもしれない」

「……」

「それはそう」

 澪も、今度はすぐには否定しなかった。


 静かな沈黙が落ちる。


 店の意味を押し返せた。

 けれど、それは同時に、向こうにとっての“やりにくさ”を少し増やしたということでもある。

 ならば、次はもっと見えにくい形で寄ってくるかもしれない。


「……お祖父様」

 紗雪がぽつりと言った。

「うん」

「今夜のことを知れば」

「……」

「どう思われるのでしょうね」

「……」

「たぶん」

 恒一は静かに答えた。

「悪くは言わない気がする」

「そうですわね」

 紗雪も頷いた。

「“店である限り守る”と仰っていたのですもの」

「うん」

「でしたら、店が今夜のように店であったことは」

「……」

「少なくとも、間違ってはいないはずですわ」


 その整理の仕方は、やはり紗雪らしかった。


 彼女は店の中にいるようでいて、いつも少し外側の視点を持っている。

 だからこそ、今の玻璃亭がどう見えているかを言葉にできる。


「……でも」

 澪が言った。

「何」

 恒一が返す。

「今夜のこと、向こうも見た」

「うん」

「ってことは、こっちが“店として強く出る”方向に切ったの、もうバレてる」

「……」

「たしかに」

「だから」

 澪は冷蔵庫のあるほうを、見もせずに指先で示した。

「森側の線、今までよりもう一段ちゃんと見ないと」

「……」

「白が店の床まで来たの、今日で流せない」

「うん」

「……」


 やはりそこへ戻る。


 今夜は店として一手を打った。

 だが、森側の危うさが減ったわけではない。

 むしろ今後は、店の正面を強くしたぶん、向こうが裏からどんな動きをするか余計に見なければならない。


「……明日」

 恒一が言う。

「うん」

「朝いちで、冷蔵庫の前もう一回見る」

「うん」

「白の痕跡が戻ってないか」

「うん」

「森は?」

「第二入口までは行かない」

 澪が即答した。

「まず店側の線」

「……了解」


 その返答が、今はありがたかった。


 すぐに森へ答えを取りに行くのではなく、まず店の足元から見る。

 それはたぶん、今の店主に必要な順番なのだろう。


 紗雪がカップを置いた。

「でしたら」

「うん?」

 恒一が見る。

「わたくしは、家の外側を見ますわ」

「……」

「祖父の家の前」

「……」

「それから、店へ来るまでの道」

「……」

「見張る者が、今夜のあとで少しでも動きを変えるかもしれませんもの」

「……」


 その申し出に、恒一は少し考えた。

 危ない。

 できれば、あまり無理はしてほしくない。

 だが、ここでそれをまるごと止めるのも違うと、最近はわかってきた。


 紗雪はもう、都合のいい時だけ外の気配を拾う客ではない。

 自分の役割として、そこに立とうとしている。


「……無茶はしない」

 恒一が言う。

「ええ」

 紗雪が頷く。

「危ないと思ったらすぐ引く」

「承知いたしましたわ」

「その返事だと、半分しか信用できないな」

「失礼ですわね」

 紗雪は少しだけ睨む。

「本日は、かなり真面目ですのよ」

「そこはわかる」

「でしたら、よろしいですわ」


 そのやり取りに、また少しだけ笑いが落ちる。


 今夜の玻璃亭には、そういう小さな笑いが戻っていた。

 危険が消えたからではない。

 危険の中でも、店の意味を自分たちで決め直せたからだ。


 しばらくして、紗雪は席を立った。


「本日は」

 彼女が言う。

「うん」

「かなり、良い夜でしたわ」

「……」

「ですが」

「……」

「良い夜のあとほど、崩したい者は動くものです」

「……」

「ですから」

 紗雪は少しだけ顎を上げた。

「明日からも、ちゃんと気を引き締めなさい」

「命令?」

 澪が横から言う。

「ええ」

 紗雪はきっぱり答えた。

「今回は、かなり」

「強いな」

「必要ですもの」

「便利な」

「それも、今夜は許しますわ」


 扉の前で一度だけ振り返る。


「店の意味は」

 紗雪が静かに言った。

「うん」

「こちらが決めるのでしたわね」

「……」

「なら」

 彼女はほんの少しだけ笑う。

「明日も、そのつもりで」


 扉が閉まり、足音が階段の上へ消えていく。


 店の中に残った静けさは、昨夜までのものとは少し違っていた。

 守るために身を固くする静けさではなく、次の手を考えるための静けさだ。


「……」

 恒一は黒板を見た。

 帰りの白。

 角兎の赤ワイン煮込み。

 季節の小皿あり。


 そして、まだ名のない次の皿。


 この店には、まだ次がある。

 ならば、それを守るための次の一手も、きっと必要になる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ