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『銀座の地下にある小さな店は、異世界で狩った食材でできている。祖父の遺したレストランを再建していたら、無口な狩り相棒と悪役令嬢みたいな常連お嬢様が今日も帰ってくれない』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第41話 店主のふりではなく

 “継いだだけ”という言葉は、便利な逃げ道になる。


 朝倉恒一は、最近ようやくそのことに気づき始めていた。


 祖父の店だから。

 祖父のレシピ帳があるから。

 祖父の常連が来てくれるから。

 老紳士が店を守ろうとしているから。

 そういうものを理由にしていれば、自分はまだ“受け取る側”でいられる。


 受け取ったものを何とか繋ぎ、壊さず、減らさず、同じ形のまま次へ渡す。

 それだけでも十分立派だと言われれば、たぶんそうなのだろう。


 けれど今の玻璃亭は、もうそれだけでは足りなかった。


 境界の森。

 第二入口。

 白いもの。

 見張り。

 祖父の帳面。

 紗雪と澪。

 そして、店として少しずつ立ち直り始めた今の客席。


 全部が、祖父の代にはなかった形で重なっている。

 つまり、祖父のやり方をそのままなぞるだけでは、今の問題には届かない。


 営業前の静かな店で、恒一は一人、帳場の椅子に座っていた。


 目の前には二冊の帳面がある。

 一つは、祖父のレシピ帳。

 もう一つは、“印”とだけ書かれた森の帳面。


 料理の断片。

 境界の記録。

 その両方を祖父は同じ店の中へ残した。


 けれど、どちらの帳面にも“今の白いものをどうするか”までは書いていない。

 当たり前だ。祖父の代と同じ状況ではないのだから。


 答えがない。

 だから、自分で決めるしかない。


「……」

 恒一は、帳面の頁を何度も行き来した。


 《白濁茸 音を立てるな》

 《帰る味は、一つでなくてよい》

 《店側へ寄るな》

 《火の外も見て、ようやく火が守れる》


 祖父は答えを残していない。

 だが、考え方だけは残している。


 火の外も見て、ようやく火が守れる。

 ならば今の自分も、火の外を見なければならない。

 ただし、そのうえで火を絶やしてはいけない。


 その順番だけは、もうたぶん間違えてはいけないのだ。


「また、難しい顔」

 澪の声がした。


 顔を上げると、火乃坂澪が厨房の入口にもたれかかっていた。

 今日はまだエプロンもつけていない。営業前の短い、少しだけ素の時間帯の顔だ。


「最近そればっかり言われるな」

 恒一が言う。

「最近そればっかりしてるから」

 澪は平然と返す。

「便利な言葉」

「便利なので」


 そこで澪は、帳面をちらりと見た。

「祖父さん?」

「うん」

「レシピ?」

「両方」

「……」

「何か、書いてないかなって」

「今の答え?」

「うん」


 澪は少しだけ黙ってから、近くまで来た。

 帳面を覗き込むでもなく、ただその表紙を見下ろす。


「たぶん」

 彼女が言う。

「うん」

「今の答えは、書いてないと思う」

「……やっぱり?」

「だって、今の店は祖父さんの時と違う」

「……」

「森の使われ方も、白いものも、紗雪さんの立ち位置も、たぶん全部」

「そうだな」


 言われてみれば、あまりにその通りだった。


 祖父の帳面は、あくまで祖父の時代の正しさだ。

 それを土台にはできる。

 けれど、そのまま答えにはならない。


「じゃあ」

 恒一が言う。

「何」

「やっぱり、自分で決めるしかないか」

「うん」

「店主として?」

「そう」

「……」

 恒一は少しだけ苦笑した。

「その言い方、まだ慣れないな」

「何が」

「店主」

「今さら?」

「継いだ店、って感じがまだどこか抜けない」

「……」

「祖父の店を預かってる、みたいな」

「うん」

「でも、最近それじゃ弱い気がしてきた」


 澪はすぐには答えなかった。

 代わりに、帳面の端を指先で軽く押さえた。


「じゃあ」

 彼女が静かに言う。

「うん」

「もう“預かってるだけ”やめれば」

「……」

「店主のふりじゃなくて、店主になる」

「ふり、って」

「今の恒一、そういうとこある」

「……」

「責任は背負ってる」

「うん」

「でも、どこかで“祖父さんならどうしたか”に逃げてる」

「……」

「それ、悪いことじゃないけど」

「うん」

「今の状況では足りない」


 その言葉は、驚くほどまっすぐ胸に入ってきた。


 責任は背負っている。

 だが、決める時になると、どこかで祖父の影へ隠れようとしていた。

 “祖父ならこうしたかもしれない”

 “祖父が残したものだから”

 “祖父の常連が来てくれるから”

 そうやって、自分が“決めた側”になることを少しだけ先延ばしにしていた。


「……お前」

 恒一が呟く。

「何」

「たまにほんと、刺してくるな」

「たまにじゃない」

「そこは譲らないな」

「事実だから」


 そこへ、足音がした。


 少しだけ速く、でももうこの店に来ることそのものはだいぶ自然になった足音。

 東條院紗雪だ。


 扉が開く。


「ご、ごきげんよう」


 今日は白に近い淡い灰色のワンピース。

 静かな色なのに、店へ入るとやはり空気が少しだけ明るくなる。


「いらっしゃいませ」

 恒一が言う。

「ええ」

 紗雪は小さく頷く。

「本日は……」

 彼女は二人の顔を見比べる。

「お二人とも、少しだけ“決める前”のお顔ですわね」

「そこまでわかるのか」

「最近は」

 紗雪は少しだけ得意げに言う。

「そのくらいなら」

「便利な」

「本日は、それを言わせませんわ」


 今日の紗雪は少し調子がよさそうだった。

 いや、調子がいいというより、こちらの空気へ入ることをためらわなくなっている。


「何かあったんですか」

 彼女が訊く。

「店主の話」

 澪が即答した。

「店主?」

 紗雪が首を傾げる。

「恒一が、まだ“継いだだけ”の顔してるって話」

「おい」

「合ってるでしょ」

「……」

「え」

 紗雪は少しだけ目を丸くした。

「それは」

「何ですの」

「いや」

 紗雪は椅子へ座りながら、ゆっくりと言う。

「火乃坂さんが、そこまで言葉にするのは珍しいですわね」

「必要だから」

「……」

「何ですの」

「いえ」

 紗雪は少しだけ口元を和らげた。

「たしかに、必要なお話かもしれませんわ」


 その一言に、恒一は思わず顔を上げる。


「紗雪さんもそう思う?」

「ええ」

 彼女は静かに頷いた。

「祖父様のお店であったことは、変わりませんの」

「うん」

「けれど、今ここへ来ているのは」

 紗雪は店内を見回す。

「“祖父様の店だったから”だけではありませんわ」

「……」

「今のこのお店へ来ているのです」

「……」

「でしたら」

 彼女はまっすぐ恒一を見る。

「いつまでも、受け取っているだけでは足りませんでしょう?」


 その言葉は、澪の言ったことと少し違う角度から、同じ場所を突いていた。


 祖父の店だから来る客もいる。

 帰りの白が記憶へ触れるから戻ってくる人もいる。

 けれど今この店へ通っている人たちは、もう“今の玻璃亭”にも来ているのだ。


 ならば、その店主もまた、“今の店主”にならなければならない。


「……」

 恒一は、しばらく言葉が出なかった。


 祖父の店を継ぐことと、今の店主になることは、似ているようで違う。

 前者には受け取る姿勢が強い。

 後者には、決める責任がある。


 森のことも。

 白いもののことも。

 店をどう見せるかも。

 新しい皿をどう出すかも。

 もう、“祖父の代なら”では済まないところまで来ている。


「……じゃあ」

 恒一がようやく言う。

「うん?」

 澪が返す。

「何ですの」

 紗雪も静かに見る。


「決める」

 恒一は言った。

「……」

「店のことは、今の店主として決める」

「……」

「祖父の帳面は読む」

「うん」

「老紳士の言葉も聞く」

「ええ」

「でも、最後にどうするかは、今の店として決める」

「……」

「それが、たぶん足りなかった」


 言葉にしてしまうと、不思議なくらいすっきりした。


 ずっと怖かったのだろう。

 祖父の店を、自分が変えてしまうことが。

 祖父の正しさから外れることが。

 けれど、変わらなければ守れないものもある。


「……うん」

 澪が小さく頷く。

「それでいいと思う」

「ええ」

 紗雪も静かに言った。

「今のそのお顔のほうが、ずっと店主らしいですわ」


 その一言が、思っていたより深く胸へ残った。


 店主のふりではなく。

 継承者の顔だけではなく。

 今の店に責任を持つ人間の顔へ、少しだけ近づいたのかもしれない。


 その夜の営業は、いつもより少しだけ穏やかだった。


 気持ちが軽い、という意味ではない。

 むしろ重さは増している。

 だが、その重さを“誰かのもの”ではなく“自分のもの”として背負い直したことで、手元の動きだけは妙に静かだった。


 帰りの白の湯気も、角兎の煮込みの照りも、前より少しだけはっきり見える。

 店はまだ危うい。

 でも、自分がここで決める側なのだと認めた瞬間、火の見え方が変わった。

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