第一話 破られた五年の沈黙
第三王子アランディルが、ルクレ伯爵家の長女エルミージュに求婚した。
この噂話は、またたく間にエルデリア王国の社交界に広がった。
「エルミージュ様が戻っていらしたの?」
「えっ、亡くなられていたのでは?」
「行方不明だとか、闘病中だとか、駆け落ちしたという噂までありますわよ」
「どれが本当の事なのか、さっぱりわかりませんのよ」
「有能な王太子殿下の補佐でしたのに……」
「魔力が強い上に底抜けに明るくて、少し抜けていらっしゃる……あの方を慕う者は数多でしたわ」
ルクレ伯爵家の長女エルミージュが表舞台から消えて五年。
彼女と親交のあった令嬢たちは、今や社交界に確かな地位を築いていた。
元々、何かと目を惹く彼女の名が囁かれれば、噂は瞬く間に広がる。
五年前、エルデリア王国を震わせる轟きとともに、一条の翡翠色の光がルクレ領の空に立ち昇った。
夕暮れの空を一瞬翡翠色に染めたあと、消えた。
当時の王国新聞や噂話では、発生源はルクレ領邸。
エルミージュが巻き込まれたという程度しかわからなかった。
人々の話は、すべて想像と憶測の域を超えなかった。
この事件に関しては、王家が固く口を閉ざした。
そのため、誰も何も掴めず、関係者も全て、王家に従い語ることはなかった。
全ての貴族は王家に睨まれたくない。
エルミージュに関して口にする事は、おのずと禁忌とみなされていた。
なのに……
第三王子である者が、その禁を破った。
明示的に禁忌とされている事柄ではないので、破るも何もないのだが……
これまで語ることを我慢していた令嬢たちを中心に、またたく間にルクレ家の噂話が飛び交い始めることとなった。
第三王子だけが、あらぬ妄想を口走り続けていた。
彼が引き起こした騒動は、国王へ事前に話さず勝手にとった行動であった。
第三王子は自分勝手な行動で、婚約者候補であった有力貴族家との繋がりをないがしろにした。
任されていた魔導具開発院で、有能な職員たちへの罵詈雑言。
「お役目を退かせていただきます」
と、魔導具開発院から次々に職員が去っていった。
彼は、自分の立場など理解してはいなかった。
第三王子アランディルは、庶子であり商家で育っていた。
最近、王家に迎え入れられたのは、王太子ジュリアンのスペアとするためだ。
強力な後ろ盾を与えようと考えられた婚約は、自らの手で全て潰してしまった。
「我々はアランディル殿下の婚約者候補を辞退させて頂きます」
と、求婚報道が流れると候補であった侯爵三家より申し入れがあった。
婚約者候補の中には、エルミージュの妹であるセリーヌもいた。
王家はセリーヌを候補にする事を許さなかった。
が、第三王子が強く望み婚約者候補にねじ込んだ。
そのセリーヌすらも、エルミージュを虐げているとして、エルミージュへの求婚前に、アランディルがセリーヌを候補から除外した。
その舌の根も乾かぬうちにアランディルはルクレ邸に赴き、セリーヌの目前でエルミージュに婚約を申し込み、求婚した。
その場にいた誰の目にも、エルミージュは見えていなかった。
この一件は、どこからか漏れた。
数日後の王国新聞に、
『五年の沈黙ついに破られる? 生死不明だった麗しの伯爵令嬢王都に現る?』
という見出しが踊った。
『本紙記者は聞いた。
第三王子は、王都のルクレ邸にてエルミージュ令嬢と逢瀬を楽しみ、愛を育んだ。
が、彼が育んだと主張する愛は幻であり、すべて彼の妄想だったのだ。
その時、彼は誰も座っていないはずの空席の前で跪き、
「僕の求婚を受けてくれるよね、エルミージュ・ヴェル・ルクレ伯爵令嬢」と、恍惚とした表情で、口にしたのだ。
第三王子が、空の椅子に向かい跪き、求婚したのを見た周囲は固まっていたという。
彼以外、誰にもエルミージュ令嬢は見えていなかった。
ただ一人、エルミージュ令嬢の弟リオネル令息だけが「姉上はそこに居られますね」と第三王子を労っていたという』
「第三王子は何を勘違いしたのかね」、「お疲れだったんだよ」と国民たちの話題に一瞬だけ上がったが、皆すぐに忘れ去った。
この新聞記事や噂を苦々しく見ていたのは……王太子ジュリアンだった。
記事に目を通し、新聞を投げつけるように机上へ置いた。
「何を馬鹿なことを……彼女は生死不明だ。生還は絶望的だ」
ジュリアンは、窓辺に寄りルクレ領の方角を見つめた。
あの日見た、翡翠色の光柱を思い出していた。
(それとも、本当に生きているのか? 俺だけが知らされていないのか?)
(生きているのなら……戻ってこい。俺のもとへ戻れ、エルミージュ)
「アランディルごときが、エルミージュを手に入れられるわけがない。血迷いすぎだ」
ジュリアンはエルミージュと、第二王子マティアスたちと過ごした日々に心を馳せた。




