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「か、帰りません」


 高い梯子に腰掛けるお母様は、美しい顔の眉ひとつ動かさない。


 軽やかに梯子を降りたお母様が、ツカツカとこちらに歩み寄ってくる。


 向き合ったお母様の空っぽの目は、やはり私を見てはいない。


「どうして、私がここにいることがわかったんですか?」

「深夜の酒場でおまえと男が食事をしているところを私兵が発見。男の身元を特定したら、ディナス魔法伯だった」


 お母様の声は、いつにも増して冷たい。


 恐怖がぞくりと全身を駆け抜けて、動けない。


 怖じ気づく私の隣から、ワルターさんが一歩踏み出した。


「グロウ公爵夫人。挨拶が遅れました非礼をお許しください。リーリス嬢の結婚式の晩。アコナ嬢が街をさまよっているところを保護したのです。あまりに……痛々しい姿でしたので」


 本当は、ワルターさんは血の湖で私を助けてくれた。

 だけど、あそこはグロウ家の敷地であり、聖地。


 侵入したことを伝えるわけにはいかず、嘘を織り交ぜたのだろう。


 お母様は「そうでしたの」と、特に感嘆もない声で答えた。


「保護してくださったことには感謝します。ですが、あれは、うちのものです。お返しください」

「申し訳ないことなのですが、返せません」


 ワルターさんが毅然と答える。


 お母様が無表情のまま、私に顔を向ける。

 私も、背筋を伸ばして答えた。


「帰りません。私は、ワルターさんと婚約したのです。このまま、ここで過ごして彼と結婚します」


 断られたって、食らいついてやる。

 絶対納得させてやる。


 そう意気込んでいた私は、お母様の答えに目を見開くことになった。


「すれば良い」

「……いいの、ですか?」

「今答えたわ」


 思わず、ワルターさんと目配せしてしまう。


 ワルターさんも、目を丸めてパチパチしているけど、私も同じような表情だ。

 まさか、こんなにあっさり了承をもらえるとは、思っていなかった。


「おまえの居場所がわかり、保護されていれば問題はない」

「……それは、私が毒血(どっけつ)の呪いを受けた者だからですか?」

「誰から聞いた」


 間髪入れずに、お母様がぴしゃりと言う。

 たたきつけられるような声に、肩が跳ねてしまったものの、どうにか答えた。


「この、書庫にあった文献を解読しました。あの血の湖に私を沈めたのは、呪いを継承するためだったのですよね」


 素直にワルターさんから聞いたことを話せば、彼の素性が疑われる可能性がある。

 遠くはない嘘を吐くと、お母様は金色の目を鋭く細めた。


「役割がわかっているなら、居場所は伝えなさい。何かあれば、おまえを吸血鬼に差し出さなければならない」

「どうして、私にもお姉様にも、呪いのことを教えてくださらなかったんですか?」

「教える必要がなかった。それよりも、余命を見せなさい」


 歩み寄ってくるお母様から退く。

 余命の刻まれた左手首を握りしめて、数字を隠し、お母様を精一杯にらみつけた。


「嫌です。ちゃんと、教えてくださらないのなら、余命は伝えられません」


 グロウ家の家長として、お母様は生け贄の余命を知っておかなければならないのだろう。


 交換条件に提示すると、お母様は手首に伸ばしていた手を下ろした。


「リーリスもおまえも。リーリスを呪いから守るためだけに、おまえを産んだなんて事実は、知る必要がないと判断したからよ」


 愕然としてしまう。


 お母様の言っていること。

 それは、つまり……。


「私が生まれた意味は、お姉様の身代わりに呪われて死ぬこと、だったんですか?」

「リーリスを産んだとき、この子どもを呪いから守らなければと思った。そのためには、他の生け贄が必要。だから、おまえを産んだ」


 足下がぐらぐらする。

 目の前が暗くなる感覚だ。

 でも、鈍る頭をどうにか回転させた。


 ちゃんと、この過去をすべて知って、乗り越えなければ。

 私は、この先ずっと母に対する疑問を抱えて生きていくことになる。


毒血(どっけつ)の呪いは、きょうだいが居る場合、未婚の者が呪われるんですよね。私がマティアスと婚約をしたことは、お母様にとって不都合だったのではないですか?」

「不都合だった。だから、リーリスに馬車を壊せと言った」


 目眩がして、思わず目を閉じた。

 ぎゅっと唇を噛んで、どうにか床を踏みしめる。


 なにも言えない私に代わって、口を開いたワルターさんの声は、怒りに震えていた。


「……ギゼラ様が、リーリス嬢をけしかけたと?」

「マティアス様はマリッジブルーのきらいがあった。今が好機だと、リーリスに教えたわ。あの子は、おまえに先を越されることを悔しがっていたから、すぐに馬車を壊した」

「アコナは、あなたの実の娘でしょう……!」

「私の娘はリーリスだけ。もうひとりの方は産んだだけ。ただの道具。結婚しようが構わない。ただ、役割を果たせば良い」


 茫然としている私の手を、歩み寄ってきたお母様がつかむ。

 手首の内側に刻まれた数字を見て、お母様は小さく言った。


「……想定よりも短いか」


 お母様の声は、珍しく憎々し気に響いた。


 私の手首を離してお母様は去って行く。

 書庫の扉を開くお母様を振り返って、気付けば私は叫んでいた。


「あなたの、思い通りにはなりません!」


 人生で一番大きな声を出した気がする。


 お母様は、扉を開けたまま振り返った。


「私はワルターさんと結婚して、幸せになります! 呪いだって克服して、長生きします! 私は、あなたの道具のままでは死にません!」


 叫ぶ私に、お母様は何も返しはしなかった。


 無言で、お母様は扉をくぐって出て行く。


 ワルターさんとふたりきりになった書庫で、私は膝から崩れ落ちてしまった。

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