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「……これは、相当罪深いぞ」
「そ、そうですね。想像以上です」
明かりを消した部屋の中。
私とワルターさんは、ひとつのダブルベッドに背を向けて横になっていた。
古代語解読をしていたときに、ワルターさんとは書庫で一緒に寝てしまっていたことがある。
あのときも寝具を共にしたのだから、大丈夫だろうと思っていた。
けど、全然、恥ずかしさが違う。
あのときは、ふたりとも寝落ちしてしまった結果だから、同衾は意図的なものではなかった。
今回は、「おやすみなさい」を言って、ふたりでダブルベッドの両脇から入ったのだ。
もう、全然、違う。
「婚姻前に、こんなことふしだらすぎます……! もしかすると、呪いが解けるかもしれないくらいの禁忌です」
「それは、すばらしいことだな! とりあえず、寝よう。リーリスが来ればわかるよう、警備魔法をドアと窓にかけてある」
「わかりました。ありがとうございます。おやすみなさい、ワルターさん」
「ああ、おやすみ」
彼がもぞもぞと上掛けをあげると、その動きがベッドの揺れで伝わってくる。
ワルターさんと同衾してしまっているのだということを意識しないように、目を閉じる。
すると、東屋で項垂れているマティアスの姿がまぶたの裏に浮かんだ。
マティアスに、私はとても怒っている。
どんな苦しみを抱えていたとしても、結論としてお姉様を選んだあの人を、私は許せない。
けど、そんなマティアスを誘惑したお姉様のことは、もっと許せない。
実の姉を恨んでしまう自分は、とても悪い人間になったような気がした。
閉じたまぶたの隙間から、涙がこぼれる。
今日は泣きすぎて、涙腺がもうバカになってしまっていた。
「アコナ?」
目を閉じた暗闇に優しい声が聞こえる。
ベッドが揺れて、温かい手が肩に触れた。
「泣いているのか? どうした?」
「っ、大丈夫です。泣いてません」
「嘘を吐くな」
めそめそと泣いてばかりでは嫌われてしまう。
目元を拭って、笑顔を見せようと寝返りを打って、ワルターさんの方へと体を向ける。
闇に慣れた目が、ワルターさんの姿を写す。
こちらを見つめる赤い瞳は、とろけてしまう想いがするくらいに、優しかった。
「ほら、泣いているだろうが。どうした?」
笑うつもりだったのに。
ワルターさんが甘やかすから、涙があふれてしまった。
ぼろぼろと堰を切ったように、涙があふれ出す。
それと一緒に、私の口からは感情もあふれ出していた。
「っ、私、マティアスに酷いことを言いました。彼は、私を食べてしまうかもしれないという恐怖に、苦しんでいたのに。それに気付かなかったのは私なのに。私は、彼を、許せなくて……」
「どんな理由があろうとも、マティアスは君を裏切って、リーリスを選んだ。その事実に、君は怒る権利があるだろう。自分を責める必要はない」
ワルターさんが、頬を伝う私の涙を指先で拭う。
ああ、もう。
きっと今、私とても不細工な顔をしている。
恥ずかしい気持ちはあったけれど、ワルターさんの包み込むような瞳を見ていると、気持ちがあふれて止まらなかった。
「お姉様はっ、幼い頃は優しくしてくださいました。なのに、なのに、私はこんなにも、お姉様を許せないっ! どんな理由があろうとも、お姉様がマティアスを、ワルターさんを、私から奪うことが、許せないんです……っ」
こんなに怒りを感じたことは、人生で初めての経験だった。
そして、怒りの感情が悲しみの果てにあるものだということも、初めて知った。
「お姉様なのにっ。血を分けた、たったひとりのお姉様なのに、私は、私はお姉様が嫌いです。これほどまでの、悪行が、ありますでしょうか」
私の役割は、お姉様のために尽くすことだった。
階段から落ちるお姉様をかばって、骨を折ってでも。
お姉様のために尽くすことこそが、私の役割。
なのに、こんなにもお姉様が許せない。
それほどまでに罪深いことがあるだろうか。
罪悪感で胸が押しつぶされそうだ。
醜い顔を晒していることが辛くて、顔を覆う。
嗚咽をこぼして、みっともなく呻いていると、私の体をワルターさんが包み込んだ。
抱きしめられているのだと気付いたのは、その一瞬あとのことだった。
「ワルター、さん?」
「君は、怒ることが下手だな。本当に不器用だ。ある意味才能だぞ」
少し掠れた甘い声に、脳がしびれる。
頬にはワルターさんの胸がくっつき、髪は彼の指に優しくとかされている。
恥ずかしい状況だとは思ったけれど、それよりも甘やかされているこの感覚が、心地よかった。
「なにかに苦しんでいようが、幼い頃に優しくしてくれた姉であろうが、関係はない。アコナ。君は君を傷つけ、苦しめた人間に対して、怒っていいんだ。許さなくていいんだ。それは、君が君を大事にしているということでもある」
「……こんな激しい感情は、禁忌ではないのですか?」
「当然だ。残念ながら、アコナがマティアスやリーリスを許せないことは、まったくもって禁忌ではない。だから、その感情では呪いは解けんよ」
「ふふ、それは、とっても残念です」
力が抜けて笑ってしまう。
なんて私は悪い人間なのだろう。
そう思って、自分自身を責めていた気持ちが解かされるようだった。
私は、怒っても良いんだ。
締め付けられていた心が緩む。
涙ももう流れない。
けれど、ワルターさんから離れたくはなかった。
「でも、こうやってくっついて眠ることは、罪深いことのような気がします」
「そうだな。これは、とても罪深いだろうな」
言いながらも、ワルターさんは私を離さない。
髪をとかす手も優しいままだ。
激しい感情を持つことは、とても疲れる。
意識がとろとろと、溶かされていく。
「ワルターさん」
「うん?」
「ありがとう……」
すり、と彼の胸に頬を寄せる。
甘えたことをしてしまったな、と頭の隅で考えたけれど、溶けた意識をつかむことはできなかった。
眠りに落ちる間際、ワルターさんがぽそりと何か言った気がした。
「……今夜は、眠れんだろう。これは」




