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リン。
頭の中で音が鳴る。
ハッと目を開けると、ワルターさんの胸に抱かれていた。
ワルターさんが、人差し指を立てて唇に当てる。
ワルターさん、警備魔法を部屋のドアと窓にかけていた。
彼は、侵入者が来たことを私にも知らせてくれたようだ。
部屋に敷き詰められた絨毯を踏む音がする。
足音はそろそろと近づいてくると、やがてベッドの横で止まった。
ワルターさんの腕の中に隠れている私は、きっと侵入者からは見えない。
息をのんでじっとしていると、細く美しい指先がワルターさんの肩をなぞった。
「ワルター様。眠れないのです。今夜もマティアス様は出て行ってしまいました。どうか、少しお話だけでも……」
お姉様が、ワルターさんを誘っている。
そう分かった瞬間、私はワルターさんの腕から抜け出し、上掛けをはねのけた。
同じタイミングで部屋の明かりをつけると、ベッドの横に立っているお姉様の姿が露わになる。
驚愕に染まったお姉様の顔は、それでもやっぱり美しくて、悔しかった。
「お姉様。妹の婚約者の寝室に忍び込むなんて、どういうことでしょうか。ご説明ください」
ベッドから降りて、固まっているお姉様の傍へと歩み寄る。
「これは、誤解よ。お茶のときにも相談していたの。マティアス様が最近帰ってこなくて寂しいのよ。今夜もいなくなってしまったから、その相談の続きがしたくて……」
「媚薬をお持ちになってですか?」
言いながら、ベッドから起き上がったワルターさんがお姉様に手を伸ばす。
お姉様が背中に隠していた手には、香水の小瓶が握られていた。
「これは吹きかけるだけで効果があるものですね。クッキーでは食べてもらえなかったから、趣向をこらしたのですな」
「あっ」
媚薬入りの香水瓶をワルターさんに奪われたお姉様は、か細い声をあげて俯く。
血を分けたお姉様だ。
追い詰められて震える姿には、罪悪感が沸く。
けれど、私にはお姉様を怒っていい権利があるのだ。
「お姉様。マティアス様から聞きました。マティアス様を誘惑したのもお姉様だったそうですね。結婚式の日取りを決めるために、マティアス様がいらっしゃったあの日。馬車を壊したのはお姉様だったのではないですか? 今日と同じように」
お姉様が息をつめて視線を逸らす。
その表情が醜いと思ったのは、初めてだった。
「なぜ、マティアス様を私から奪ったのですか? ワルターさんまで、どうして私から奪おうとするんです? ……私は、お姉様に嫌われるようなことを、何かしてしまったのでしょうか?」
「したわよ……」
答えたお姉様の声は、地を這うようなものだった。
ぎろりと、鮮やかな紫色の瞳がこちらを睨む。
蛇に睨まれたような恐ろしさに身が凍った。
「したわ。あなたは、いつでもわたくしよりなんだってできた。お母様にないがしろにされているあなたを、かわいそうに思って勉強を教えてやったというのに。あなたはあっという間にわたくしよりできるようになってしまったわ」
「それは……、お姉様のためです。お姉様が、わからないという分野を教えて差し上げたくて……」
「そう思うのなら、あなたは黙ってわたくしのために生きていればいいの! あなたが持っているものを、何も言わずに全てわたくしに差し出しなさい!」
ヒステリックなお姉様の声に肩が跳ねる。
視界の端で、ワルターさんが眉を寄せていた。
「あなたは魔法も得意で、勉強も得意。その美しい赤髪だって、わたくしが欲しいと望んでも手に入らないものだわ。さらに、婚約者は次期騎士団長のマティアス・オーゲン・ジル。しかも、彼はあなたにひとめぼれをしただなんて、ずるいじゃないの。あなたはいつも、ずるいの。なんでも持っているくせに被害者面をして、そういうところが大嫌いなのよ」
なんでも持っているのは、私にとって、お姉様の方だった。
美しいプラチナブロンドの髪。
みんなに愛される笑顔。
社交的な性格。
そして、お母様からの愛情。
だから、まさかお姉様が私に嫉妬の感情を抱いているだなんて、思ったこともなかった。
「被害者面なのは、あなただろう」
愕然としていた私を見かねたのだろう。
ベッドの上に座り込んで黙っていたワルターさんが声をあげた。
「勉強も魔法も、アコナは努力をしたと言っていた。何かを求めたとき、あなたは手に入れる努力ではなく、アコナから奪う努力しかしてこなかったのだろう。そんなあなたが、アコナを嫌う権利などあるのか?」
ある日、黒髪のウィッグをつけることを勧めてきたのは、お姉様だった。
「あなたには、赤い髪は派手すぎるのではないかしら」と親切そうな表情で、お姉様はウィッグをつけるよう勧めてくれた。
お姉様は、いつも私に参考書をまとめたノートをつくるようにお願いしてきた。
「あなたの方が得意でしょう?」と頼んできたお姉様のために、私は完璧なノートを仕上げた。
その結果、お姉様は常に学年上位の成績を駆け抜けた。
私はお姉様に尽くしていたと思っていた。
でも、実際は奪われていたのかもしれない。
ギリ、と歯を食いしばったお姉様が私に駆け寄ってくる。
私の手を握りしめ、お姉様はすがる目でこちらを覗きこんできた。




