千年書館 ―神書荒らしの盗賊司書―2
2.未知との遭遇?
月明かりが漆喰の壁も木の床も青白く染めている。
「…………」
古ぼけた廃墟同然の図書館。その両翼とも言える生活棟の二階。食堂がある男子棟とは反対にある女子棟の一室。
青白い光に黒髪が揺れ、夜闇よりも濃い青の瞳が自身の手にしている廃墟よりも古ぼけボロボロの本へと視線を注ぐ。
寝間着のワンピースから覗く手首足首、顔は白く、人形のようにさえ見えそうだ。
ぺたりと床に座り込み、少女は本を開く。
虫食いか、それとも別の理由によってか。
黄ばみ大半の頁はごっそり破れ抜け落ち、本としての体裁をよくもまあ保てていると感心するしかない、本。
焼け焦げや、汚れで開けない頁もある。
それでも丁寧に一頁ずつ繰っては一文字ずつ目を通す。
それはそれは大切そうに、優しげに、本を読む。
「ねえねえ、七海」
「…………」
朝の陽射しが柔らかく照らす食堂で、僕は毛布に包まれ吊り下げられた姉を腕組みして見上げている。
「七海さーん。許してぇ」
「おはようございま……七羽様!?」
食堂に顔を出したシェリア嬢は、簀巻きで吊り下げられたお姉を見て声を上げた。
ため息をついて、僕は食堂からすぐ隣の厨房へ。やりかけの仕事を再開する。
「シェリア嬢、おはよう。悪いけどお姉よろしく。僕、いま手が離せないから」
鉄のフライパンをカン、と一振り。
並べられたそれぞれの皿の上にカリカリに焼けたベーコンとチーズオムレツが載る。
サラダはボウルに盛り付けて、と。上に散らすクルトンは今からカリカリに焼いたらすぐだし。
「そこの荷物、解いておいてくれます?」
カラカラとさいの目切りになったパンが軽くひいた油とフライパンの上で踊って音を立てる。香ばしい匂いがしてきた。
乾燥バジルを少しと塩を振る。
それをサラダに散らし、振り返ったところで丁度トースターが元気よく返事をした。トーストの出来上がりだ。
家電は最新じゃないと、と言う人もいるけど、僕は事足りるなら別に中古でもなんでも良い。現に今日の朝食作成を手伝ってくれたトースターは街に行った時にアンティーク的に売られていた超お買い得品だし。
発電機を直しても、厨房は意外と古めかしいつくりだった。
まずオーブン。これ薪突っ込むタイプだ。そして水。水道がまだ止まってるからありがたいけど、なんと裏口のすぐ側に手押しポンプがあった。ウェルの話だと森の近くに井戸もあるらしい。
今はありがたい。けどやっぱり早く水道とガスを復旧させたいと切に思う。
秋はすぐ終わるし。冬場はやっぱり湯船に浸かりたい。僕たちの故郷はシャワーが主なこちらと違って、たっぷりの湯に浸かるのが伝統的入浴方法だから。
身体を拭くだけでも今は我慢できるけど、なるべくゆっくり暖まりたい。幸いなことに、この食堂と中庭を挟んで反対にある棟にはシャワールームと男女それぞれの浴場があった。もちろん掃除は必須だけど。
到着早々、廃墟だった図書館にはがく然としたけど、ライフラインの復旧は速攻で手配した。そろそろ復旧しても良いと思うんだ。
「あの、七海さん」
「あ、シェリア嬢。荷解きは終わりました? それならそこの料理を運んで頂けると嬉しいです」
お姉を下ろしたらしいシェリア嬢が厨房の入り口に現れる。
「はい。……申し訳ありません。明日はもっと早く参りますね」
「いえいえ。大丈夫ですよ。今日はちょっと早起きしちゃっただけですから」
これは本当。何故なら……。
「ね。お姉」
「うう。七海の意地悪うぅ~」
「うん。朝ごはんいらないのかな?」
「いります」
いるなら朝から手間を掛けさせないで欲しい。
今日の僕が朝早くから覚醒する事になった原因、お姉はそんな事もう忘れてそうな顔で皿を運んでいる。
でも本当に勘弁して欲しい。
「は? ……弟の布団にもぐり込んだ?」
「正確には、見張りの為に廊下で毛布に包まって座っていた僕の毛布を半分奪って僕を抱き枕のようにして締め殺そうとしていた、ですけど」
十人くらいが余裕で席につける長いテーブルに、僕とお姉とシェリア嬢、その向かいにウェルとエリンに二藍が座っている。
食事が始まって間もなく合流したエリンが、気まずさを紛らわすために出した緑茶のティーカップに口をつけて眉をひそめた。
「だってー、七海が一番良い感じの抱き枕のなるから」
「お姉、自分の歳わかってる? むしろ歳考えてよ。弟の寝床に入るな抱き枕にするな」
そもそも部屋から出て廊下で一緒に寝るとか、僕の見張りの意味がない。
エリン以外はみんなで図書館に泊まる事になった。それは別に良い。雨風しのげて掃除もされた場所だ。文句なんて無い。
が、一応女性が二人いる。
宿直という制度が全盛を極めていた頃からすでにあった(とウェルから聞いている)この図書館。その為に生活棟―― 寝泊まりする施設も備わっている。
図書館の大広間から奥へ進み、左手にある両開きの扉をくぐれば、この食堂がある生活棟に。反対にも同じ扉があって、そちらをくぐれば浴場がある生活棟に行ける。
きっと上空から見たら図書館はコの字型に見えるだろう。
まあ、大広間部分は円形に近いから、コの字に円がくっついたものと思う方が正確かな。
話を戻すと、そんな二つに別れた生活棟。一つは女性用、もう一つは男性用としたところまでは良い。
けど、ウェルはともかく二藍…………。
いや、態度と口はあれでも多分恐らくそこまで非常識じゃないとは思ってるんだけど、ね?
女性棟の個室がある二階の階段横で毛布に包まって寝ずの番……のはずが寝入った僕も非はあるけど、そんな事されたら僕の見張りの意味は……。
「今度やったら寝る時に簀巻きにして部屋に放り込むからね」
「はーい」
とは言え、何かもう馬鹿らしいから見張りいらないかな。部屋に鍵あるし。
「二藍さんも、変なことしないで下さいね」
「義弟、さすがに酷いぞ」
トーストにかぶりついていた二藍が軽く眉を下げる。けど、苦笑まじりのそれは怒っている雰囲気ではなかった。
僕が言うのも何だけど、趣味以外は悪い人じゃないとは思う。
「シェリア嬢とお姉、寝る時はちゃんと窓とドアに鍵忘れないで」
「…………」
「何ですか。エリン」
「君、少し……」
ああ。みなまで言うな、だ。
こういう視線や意見を向けてくるのはエリンが初めてじゃない。僕だって、他人が同じ事してたら思う事だから。
「過保護だって言いたいんですよね」
ティーカップに注がれた緑の水面。紅茶よりも甘味のある故郷の茶。本当はティーカップではなく、僕たちの国で使用している湯飲みが相応しいけど仕方ない。
ティーカップからエリンへ目を向ける。
「それでも、お姉に何かあると、僕が困るんですよ」
ドン引きしてますね。ええそうでしょうとも。僕だって以下略。
「まあ、この美少女な姉を心配する弟の気持ちは必然だよね!」
「お姉、目が覚めてないなら行水する?」
ダメだ。可及的速やかに説明しないと、今のお姉の発言で混沌に陥る確率が爆上げされた。
このままだと確実に病的姉愛好者扱いされる。
「お姉、指」
「はい」
冗談じゃないので早めに誤解は解いておこう。
隣に座る姉の手を取り、軽く右手小指の腹に小刀を滑らせる。
「お分かり頂けただろうか」
「こういう事なんですよ」
姉の右手の小指に浮かぶ赤い珠。
同じように、僕の左手の小指にも同じ傷と血が浮き上がっている。
「ツインズリンク……?」
エリンが一般的に呼ばれる現象の名前を口にする。
ツインズリンク。
双子の神秘とも呼ばれるが、簡単に言うと片方が怪我をするともう一方にも同じ怪我が勝手にできたりするという、普通ではないシンクロ現象。
「そう言うと神秘的かも知れませんけど、実際は神秘とかどうでも良いただただ迷惑な現象です」
いや、マジで。神秘とかいらない。急に覚えのない外傷ができるのやめて欲しい。
しかも腹立たしい事に……。
「え?」
「七海さん!?」
僕は自分の左手の甲に小刀で傷をつける。それを見てエリンとシェリア嬢が声を上げる。
「お姉が怪我すると僕は問答無用で被害受けるのに、何で逆は何ともないのか……」
赤い線が入った僕の手の甲と、まっさら傷一つ無い姉の手の甲。理不尽だ。
救いは病気など外傷がないものは影響がほとんど無い(それでも若干熱っぽくなったりはする)事くらい。はっきり言って心底迷惑。
「ともかく、そういう事です。お姉の怪我は僕の怪我になるので……」
「いやー、やっぱり普段の行いと美少女の柔肌に傷はつけちゃいけないっていう世界の不文律が」
「お姉、もっかい簀巻きになる?」
「……大変だな」
エリンの視線が本当に同情を帯びている。だけどまあ、
「わかって頂けて何よりです」
この一言に尽きる。
「それにしても……初めて見ました。私の知人にも双子の方はいらっしゃるのですけど、ツインズリンクはないとおっしゃっていましたし」
シェリア嬢が本当に不思議そうに目を丸くして呟く。
「普通は無いと思いますよ。あっても、こんな直接的かつあからさまじゃないんじゃないですかね」
僕だって、自分以外こんなの見たこと無いし。
まあ、その理由もちょっと心当たりあるんだけど……。この国で通じるかな?
そんな僕の心を見透かすように、二藍がクスッと笑って呟く。
「人は産まれる時には自分の本当の名前を知っている。けれど、産まれたその瞬間にそれを忘れる。ただし、まれにうっかり思い出してしまうことや、何かの理由で知ってしまう事がある」
ティーポットから自分で二藍がお茶を注ぎ足し、飲みながら瞳を細める。
「真字の概念か」
エリンがハッとしたようにその言葉を口にした。見た目がマッドサイエンティスト風なだけあって知識の幅は広いのかもしれない。
「ええ。僕たちの国に古くから伝わる概念です」
昔から僕たちの国では、名を知られる事は魂を握られる事だという考えがある。だから自分の真字は他人に教えてはならず、自分自身覚えている事さえ危険だから、人はみな自身の真字を忘れているのだと。
「お姉は……お姉と僕は『うっかり』自分の真字を思い出してしまったクチですから」
何事も、知らない方が良いという事がある。真字はある意味その代表。
真字はいわゆる魂の暗証番号で、それさえあれば、その存在まるごと『どうにか』出来てしまう。
そんな危険な代物、知らないに限る。
知らなければ、忘れていれば、そんな危険とは距離をおけるから。無意識の忘却というのは最大最強の防御だ。
だから世間一般普通はそんな余計なこと気にしなくて良いのに何でこんな事になるかな!?
どうやらお姉と僕は何の因果か『互いの』真字を覚えていたらしく……。
そう、『自分』のではなく、双子である『互い』の真字を。
「おかげでこんな事に……」
「二人は離れられない運命なんだよねー」
いや、なにかっこつけてんの、お姉。イラッとするからヤメテ。
僕としては、この現象を緩和する術か、真字をもう一度忘れる方法がないか、どうにかして探し出したい気持ちでいっぱいだ。それが目的で司書も目指してるし。
司書ものぼり詰めれば世界中のありとあらゆる文献や知識にアクセスする許可が貰えるからね。それに、もし文献が傷んでいても、僕が修復師になっていれば解読して復元出来る。
きっとどこかにあるはずのそれを探し出すまで、僕とお姉の一蓮托生は続く。正直、命がいくつあっても足りないんだよね……。もうホント勘弁して欲しい。
シェリア嬢は神秘を見たって顔で何か感動? してるけど、エリンは心底気の毒そうに僕を見ている。ウェルはキョトンとして理解しているか怪しいけど、二藍は何か薄く笑ってるムカつく。
でもまあ、一応全員に理解されたと思えば、良しとしよう。
僕は全員が食べ終え一息ついたのを見計らって、片付けをする。
「手伝います」
「ありがとうございます。ウェルさん」
「俺もやろうか? 義弟」
「いや、二藍さんはお姉が勝手に地下行かないように見張ってて下さい。行きそうなら首根っこ掴んででも止めて。これ絶対」
「私は」
「シェリア嬢は二藍さんと一緒にお姉を見張っててもらえますか? あと、図書館再生計画のレポートを今週中に作成して大学府に送らないといけないので、後で相談させて下さい」
「えー。それ、私の図書館作るって事で」
「通るわけないでしょ。そんな計画」
お姉の戯言は放っておいて、真剣に検討する事は山積みなわけで、皿を洗いつつこの後の事を考えて僕は重いため息を吐いた。
電子書籍が普及した現在、『図書館』も生き残る為に変化した。
その一番の『変化』は、
「書架だよね……。ふう」
四階までの吹き抜けを取り巻くように各階へ伸びる階段、空の書架が壁までびっしり立ち並ぶ図書館内を見回して、僕は思わずため息をついた。
紙はかさ張る、虫も涌く。
電子書籍なら場所もとらない、虫も涌かない。持ち運びも端末さえあれば自由自在。圧倒的な利便性だ。
そんな電子書籍が主流になれば、書籍の為の『置き場』たる書架の存在意義も薄くなる。存在意義が無くなれば……無くならなくても減れば、当然の流れで実際の物を見ることも減る。
「よく残って……」
暖かみのある木製のそれは、埃まみれではあったけれど、虫食いも朽ちる事もなく静かにそこで眠っていた。
「あ。保護命令式を……なるほど」
本棚の表面を撫でると、うっすらと微かな紋様が浮かび上がる。浮かび上がると言っても、目を凝らさなければ光の反射か光沢かと思うくらい細やかなものだ。そう言えば、階段の手摺や館内のそこかしこに、似たような紋様があったけど……。
「凄い。これ、もしかして」
というか、多分間違いなく、これは図書館利用者からほんの僅かずつ生気を吸い取り、それを使って木製家具を虫や劣化から守っていたものだ。
けどこれ考えは出来ても、式の構築はかなり手間なはず。
「大事にされていたんだ……」
複雑だけど無駄のない命令式は美しい。紋様レベルまで完成され練られたそれはいっそ芸術。
「綺麗だなあ」
僕には絶対書けない。
姉に物質プログラミングを使うように言っておいて恥ずかしいが、僕自身は物質プログラミングが苦手だ。と言うか、本当に泣きたくなるくらい字が汚いのだ。
おかげでいつも文字を綺麗に書く事が求められる教科は赤点スレスレ。テストのほとんどは、半分くらい誤字脱字などの見直しに時間を費やす。
先生達も頭を抱えて悩むほどだったんだよね。
答えは合っているのに記号ですら汚くて読めないあたり相当だとは思う。
でもそんな物質プログラミングが苦手の僕だからこそ、美しい命令式には憧れるし、書き手を尊敬せざるを得ない。
「七海さん、皆さん下に集まりましたよ」
「ウェルさん。はい、すぐ行きます」
手分けして掃除したおかげで、だいぶ廃墟感の薄れた吹き抜けの大広間に全員が集まる。
「全員いますよね。じゃあとりあえず連絡事項から。先程連絡があり、今日の十五時から水道とガスが解放されます」
一日を二十四の区切りに分けたうち、十五時は子供にとってはおやつの時間。大人にとってはティータイム。どちらも休憩時間だ。
「七海、私パンケーキ食べたい!」
「お姉、材料あるか把握してから言ってくれる? 材料無いから今度ね。で、水道とガスの解放確認に役所の方が来るので立ち会い人が必要なんですが、ウェルさんとシェリア嬢お願い出来ますか?」
色々考えたんだけど、この二人が適任だと思うんだよね。
ウェルは元々の職員だし、僕らの中ではシェリア嬢が一番対外的にまともな応答出来そうだから。
僕とお姉はそもそも外からの留学生。エリンは何かコミュ障ぽいし、二藍に至ってはほぼ部外者(警備員相当)だ。
うん。よく考えると非常にバランス悪いな。
「七海さんはいらっしゃらないのですか? 確認時に」
不思議そうにシェリア嬢が手を上げて質問する。
「はい。今回、僕はお姉達と一緒に地下書庫を確認しようと思うので」
どんな蔵書があって、書庫自体も含めどんな状態なのか確認する必要があるし、蔵書を見つけて読み始めたりしたら姉と恐らくエリンをそこから引き剥がす役が必要だと思うんだよね。
ちなみに二藍には任せられない。下手すると姉の気の済むまで放っておく可能性がある。二藍は姉に甘過ぎで話にならない。
「わかりました」
「すみません、ウェルさん。確認だけなのですぐ終わると思いますから。シェリア嬢もよろしくお願いいたします」
二人が頷くのを見届けてから、ふと気になった事をついでにウェルへ確認する。
「ところでウェルさん」
「はい」
「地下書庫って何階まであるんですか?」
「えーと、恐らく百程度かと」
「…………はい?」
何そのありえない階数!?
この下に逆さになった高層建造物でも埋まってんの!?
「冗談……じゃない、のか?」
「冗談とは何でしょうか」
あ、ダメ。マジだ。
エリンにキョトンとした顔でウェルが返した。
「何で驚いてんの? 七海」
「逆に何で驚いてないの、お姉」
どころかワクワクしてませんか。
「だってー、ウェルさん最初から言ってたじゃない。『迷宮』書庫だって」
だから、何でそんな嬉しそうなの!
いや、お姉の司書目指す理由から検討はつくけどね!
「逆に十階程度とか言われた方がびっくりするよ?」
「…………」
いや、確かに迷宮とは言われたけどそれって雰囲気とかの例えでなく? マジもん?
「それに、それだけ階層があるってことはぁ、書籍もたっぷりって事でしょ?」
心底嬉しそうだねお姉。僕は心底胃が痛いんだけど!
「…………もう、いい」
胃薬、今度の週末に街に行ったら買いだめしておこう。
「ウェルさん。階層地図とかは?」
「それが…………作れないんです」
「……作れない?」
待った。もうこれ以上無理なんだけど。
「はい。何せ入る度に構造が変わるので」
「ははは。そんな馬鹿な。今時そんなゲームのダンジョンじゃあるまいし」
何でかな。エリンの笑いに全力で同意したいんだけど、ウェルの不思議そうな顔がもう真実ですが何かって顔に見えて同意するどころじゃないっていうか……嗚呼ヤバい意識が遠の…………。
「何それ最高!」
「お姉!」
駄目だ意識飛ばしてる場合じゃない。お姉の目がものすっごい輝いてる!
ちょっと待ってよねえ、僕には意識を失う権利すらないの?
「だって毎回違う構造だよ? 次どうなってるか考えるだけでもときめく」
「いや、ちょっと本気で黙って。情報整理させて」
いち。地下書庫は約百階層あると思われる(推定)。
に。地下書庫は毎回入る度に構造が変わる迷宮である。
さん。何かいる(幽霊的なの)みたいである。
…………いや、無理でしょこれ。
「すごいね。ワクワクするね。七海」
「お姉。人の話、聴こうよ……。はあぁ……」
「だって冒険の始まりだよ? ワクワクドキドキしちゃうじゃん」
ダメだ。馬鹿は死ななきゃなおらない。
どうしよ。地下行くの一旦やめた方が……無理だよね。そうだよね。わかってたんだけどね!
目をキラキラさせる姉とドン引きしつつも百階近い書庫(電子化されてない書籍で満たされた楽園)に魅了されたエリン。この二人、すぐにでも行きたいって顔してるし、中止とか聴かないだろうな多分。
中止、大人しく従ったふりして隙見て地下書庫突撃! とかされるくらいなら、まだ用心しつつ同行していざとなったら二藍と一緒に引き剥がして逃げ帰る方がまだマシだ。
「もぅ、いぃ。ただし今日は本当に様子見で、何かあったら即刻帰るからね」
街で防犯の為に買っておいた懐中電灯と痴漢撃退グッズ(これは女性陣の護身用)も少し持って行こう。念のために。
「七海さん。全てでは無いのですが、私のわかる範囲で蔵書とあると思われる階をお伝えした方が良いでしょうか?」
「わかるのがあるなら是非。助かります」
ウェルの言葉にそう返すと、横で聴いていたエリンが不可解そうに眉値を寄せた。
「わかるものがあるんですか?」
「はい。ごくごく一部ですが、以前この図書館にいた司書の方に聴いた事のある蔵書が幾つか。どれも外で保管されていない筈ですが、閉館時の蔵書移動にも入っていなかったようなので、恐らく地下にあると思います」
「なるほど……。でも、階までわかるのは何故です?」
「話を聴いた際にそこに保管したと言っていたので。多分、以降で職員の誰もそこから動かしてはいないと思います」
「ふーん。…………ちなみに、一番深い所にあるのは?」
「先程お伝えした百階に、『カノディア』があるのでそれでしょうか」
「え」
ウェルの答えに、エリンが固まった。
「エリン? どうかしたんですか?」
「いや、逆に聞きたいですね。何で君は驚かないんですか?」
何でと言われても。
「はいはーい! 知ってる。『カノの大冒険』の原作でしょ? 凄い。そんなのまであるんだ!」
姉が興奮気味に手を上げてそう言ったことで、やっとわかった。
そっか。『カノの大冒険』か。
確かに『カノの大冒険』は子供向けにアレンジされたもので、原作はわりと分厚い冒険小説だと聞いたことがある。
この国の児童書ではわりとメジャーな部類らしい。
「…………あの、つかぬことを聞きますが、まさか、その『カノディア』…………原書じゃない、ですよね?」
エリンが恐る恐るウェルに問い掛ける。原書は平たく言うと原稿とか原本のこと。
「えーと、そのまさかですね。あれはここで執筆されたものですし」
「行きますよ! 一刻も早く原書を救いだして永久保存しなくては!」
「ラジャー!」
「いやいやいや、何言ってんの二人とも。ちょっと、二藍さんエリン止めて」
いきなり暴走を始めたエリンを二藍にとりあえず捕まえさせ、僕はお姉を羽交い締めにして確保する。
「放して下さい!」
二藍に首根っこを猫よろしく捕まえられたエリンが足掻く。
「エリン落ち着いて。落ち着かないと」
「こうなるよー」
燻製丸太肉みたいにぐるぐる巻きにされて床に転がる姉を見て、そして僕の手にその残りの縄があるのを見たエリンが、ひくっと口許を引きつらせた。
「良かった。落ち着きましたね」
「…………」
僕だって好きでやってるわけじゃないので、落ち着いてくれさえすれば良いんです。
「その突っ走り方からして、貴重なものだというのはわかりますが、百階ですよ。今日は様子見だって言いましたよね。守れないなら叩き出します」
「君にそんな権限」
「ありますよ。少なくとも、今の君よりは」
多分、エリンは良いところのお坊ちゃんだろう。ちょっとコミュ障ぽいしカルシウム足りてなさそうな神経質さがあるけど、物腰というか、所作はとても綺麗だ。何て言うか、よく言えば育ちのよさがうかがえる。悪く言うと身代金目当ての誘拐とか経験してそうな雰囲気。
しかし、だ。
「僕たちは大学府の実習生として、国の機関である大学府から派遣されています。そしてここは国の土地であり、国の所有する建物です」
「ボクだって」
「この図書館に正式に派遣されてます?」
「…………」
されている訳がない。普通されない。されるとしたら、もっと人員もいて僕たちが来る前に整備されている筈だ。
そもそも僕たちがここに来たのも教授の嫌がらせだからで、普通は閉館して廃墟になった図書館に人なんか派遣しない。
「ウェルさんは僕たちの補佐に本館から回された気の毒な感じがしますけど、ハズレくじでも正式な派遣です。エリンは違いますよね」
いよいよ取り壊しの下見が来たとかそういう噂に、人気のない自分の癒しの場所を壊されてたまるかとノコノコやって来るような輩は、絶対正式な派遣じゃない。むしろ私的だ。
「うぐ……」
「七海ん。そんなにエリンをいじめないの」
背後から姉の両手が僕の頬をつまんだ。それを剥がしつつ抗議する。
「お姉。別にいじめてるわけじゃ」
と言うか、縄どうやって解いたのか。見ればシェリア嬢が解かれた縄を毛糸よろしく巻き巻きしている。どうやらシェリア嬢に解いてもらったらしい。
「いいじゃない。お宝があるってわかってやる気なんだし、ちょっと興奮したくらい目を瞑ってあげなよ」
「お姉。自分の時もそれ使いたいから言ってるでしょ」
「でへ」
「おい」
油断も隙もない。
嗚呼、なんか馬鹿らしくなってきた。
「ともかく、勝手な行動はしないで下さい。それで万が一なにかあったら後味悪すぎるので」
「あはは。七海はエリンの事が心配なんだって」
「変に言葉歪めないでくれるかなお姉。エリンに限定してないし、後味が悪いって言ってるだけだから」
「照れちゃってー」
「うん。黙ろうかお姉」
不毛の会話もといお姉とのじゃれあいは置いといて。
「ここに居るなら、一緒に地下に行くなら、安全の為に言っている事は守って下さい。人死にが出たりしたらそれこそ完全に、この図書館地下も含めて閉鎖と取り壊しになるかも知れませんよ」
「……わかった」
「これにて、あ、一件落着~」
「お姉、黙れ。茶化すな」
「えー」
「えー、じゃない。今日の地下書庫探索、中止したいの?」
その一言に姉はにっこり笑顔で口を閉じた。
まったく…………。
「じゃ、開けるよ」
仕切り直してウェルから預かった鍵を貸し出しカウンターの中、階段下にある扉の鍵穴に差す。
やや錆びているのか、若干抵抗するような感覚が手にあって、まるで渋々というように、扉はあくびのような音を立てて開いていく。
ゆっくり開くその様子が、微かに吹き上げ香る本がもつ独特のすえた匂いが、本当に口を開けるような感じに思えて肌が粟立つ。書庫が僕たちを飲み込もうとしているかのようだ。
「階段?」
扉の向こうにあったのは、螺旋を描くように下へ続く石作りの壁と階段。
「はい。この階段を降りた先に地下書庫への入り口があります」
さすがに曰く付きの場所へ直行ではない、か。ウェルの言葉に頷きつつ、先の見えない暗闇にそこはとなく不穏な雰囲気を感じた。
「おお! 迷宮遺跡て感じ」
「お姉……」
後ろから覗き込んで姉がとてつもなく楽しそうな声を上げる。
もう、このお姉どうしてくれよう……と、思うけど、今はこの何も考えていない欲望の赴くままな様子が、漂う得体の知れない不穏感を吹き飛ばしてくれるので良しとしよう。
「あ。電源これか」
螺旋階段に沿うように天井には光の消えた電灯がある。なら、点ける為のスイッチもあるはず。
見れば開けてすぐの壁にお目当てのスイッチがあり、入れると軽い音と共にチカチカと少し瞬いてから灯りが点き、階段の暗闇を照らし出した。
すごいホラー感満載なんだけど。
「七海ん。早くー」
「お姉、本は逃げないよ」
姉には怖いものというか、恐怖の感情自体がないのかも知れない。
今にも階段を駆け降りそうな気配に僕はため息をついた。
でも、ホラー感は大分薄まったかな。
「行こう」
踏み出し、そのまま地の底へ続くような階段を降りていく。
靴底に硬く少しだけ凹凸のある、石造りの階段の感触が伝わってくる。ひんやりとした空気に、冬になると冷蔵庫並になるんじゃないかと嫌な予感もしたり。
そうこうしている内に、思ったよりもすぐに床にたどり着き、その部屋の中央にぽっかりと四角く空いた地下書庫への入り口が目の前に現れた。
「これが?」
「はい」
ウェルの頷く様子に、僕は再び視線を向ける。
一辺が大人二人が並んで降りられる幅の四角い入り口で、扉なんかはない。すぐ階段になっているのがわかるし、地下書庫にも灯りがあるのか少し青白く照らされているみたいだ。
入り口の四隅には、ビー玉くらいの窪みがある。けど、逆に言うとそれくらいしかない。
「幽霊が出るにしちゃ、随分開けっ広げだな」
心の中を代弁するかのように、二藍がそう言った。僕もこれは同意する。
「昔はもう少し整えていたのですが、閉館する事が決まっていたのでそのまま……」
「まあ、閉館するのに扉付ける費用は出しませんね。普通」
チラリと姉を見ると、ウズウズしながらも一応約束を守ってそこにいた。駆け出そうものなら首根っこを掴んで探索中止になるとわかっているからかも知れない。
しかし我慢の限界なのか、姉は僕と目が合うとすかさず言う。
「七海。まだ? まだならちょっと先に覗いて良い?」
「あのね……。もう、仕方ないな。じゃあさっき教えた通りに並んで。お姉とエリンは僕の後ろ。二藍さん、最後尾よろしくお願いします」
これは一番初めに決めたこと。僕が様子を見つつ慎重に進んで、一番後ろで二藍が何かあったら二人を守って退却する為の布陣。
お姉に先頭行かせるとか、自殺行為だと思うんだよね。絶対無い。ムリ。それくらいなら僕が先頭で、何かあったら後ろの二人を二藍の方に突き飛ばす方がまだ良い。
「それじゃ、ウェルさん。後よろしくお願いします」
「はい。いってらっしゃい」
目の前の入り口を少しずつ降りる。やっぱり灯りがあるのか少し仄明るくて、足元が見えなくなる事はない。
階段の終わり。床が見え、降り立ったのは本当に何もない、上と同じくらいの部屋。そして奥へ伸びる通路が一つ。
いや、いきなり件の幽霊に遭遇してもあれだけど、正直ちょっと拍子抜けした。
「ふーん。罠の類いはねぇみてーだぞ。義弟」
「義弟じゃない。ふむ。まだ大丈夫そうですね。奥へ少し行ってみましょうか」
電灯もない。けど、壁の素材自体がうっすらと青白く光って結果的に雪の日の夜道程度に明るくなっている。
感触とかは普通の石畳と石壁なんだけどな……。蛍石の亜種とか?
壁を軽く撫でると少しざらついて、ひんやりした感触が手に伝わってくる。光っているけど、熱はもっていない。どうやら蛍と同じ冷光みたいだ。
「おぉ! 綺麗だねー!」
「お姉、はしゃいで先走らないでよ?」
「これ……どういう仕組みだ?」
エリンが不可解そうな声でそう呟いている。
「エリン。調べたいみたいですけど、その場合はこの部屋に置いて行きます」
「行く」
素直でよろしい。
お姉の興奮気味の音声をBGMに真っ直ぐ通路を進む。通路の終わりはやはり入り口と同じような、何もない部屋。
訂正。部屋の中央に下への階段があった。
はあ……。考えるまでもないか。
「七海」
早く早く、と期待たっぷりに姉が袖の端を摘まんで引っ張ってくる。
「行きましょう」
「GO! GOー!」
はいはい。
次の階層も大差無い感じで、僕たちは特に危険に晒される事もなく先に進んだ。
「ほんー。本ー」
「うーん。まあ、お姉の気持ち、わからなくはないかな」
もう四、五階くらいだけど、本の「ほ」の字もない。書架も見当たらないのだ。
「部屋と通路は増えてるようですけど、本当に何もない」
エリンのうんざりした声にも同意しよう。
「もう今日は」
「やーだー。まだ一冊も見てない手に入れてなーいー」
「あーもう! 駄々こねない。お姉」
「やだやだ。せめて一冊! 一冊見つけるまで帰らないー!」
うわ。駄目だ。こうなったお姉は本当に一冊見つけないと意地でも帰らない。困ったな……。
「とりあえず、後少し行って何も無ければ一度戻ります」
「えー。七海」
「お姉、明日も行けるから。今日は様子見でしょ」
「だけどー……」
「お姉。それ以上言うなら…………」
チラリと二藍の方に視線を投げると、慌てて姉は口を閉じた。
ま、凄い不満そうに頬ふくらませてるけど。
「後少しってどれくらい?」
「エリン、体力無さすぎです」
でも、その表情は姉と同様、書籍一つ見つけず帰る事への不満がある。まったく、どいつもこいつも。
「十階。そこまで行けるようなら行きましょう」
ズボンのポケットから六角柱状の透明な石がついた革ひものペンダントを取り出す。
これは昔の坑道なんかで使われていたもの。毒性のあるガスなど危険なものがあれば石が赤く染まる。加えて酸素が薄くなれば薄いほど濃い黄色に染まるというものだ。
両方の場合は、黒くなるらしい。ならないことを祈るばかりだ。
幸運なことに、今のところは透明を保っている。
別の考え方すると、異常だけどね。空気を循環させるダクトもないのに、これだけ降りても平常とか。
それでも危険よりはずっと良い。僕たちはそのまま先に進んだ。
段々と通路も部屋も増えてきたような気がするけど、お目当ての書籍は見当たらなかった。
本当に書籍があるのかな? と疑い始め、十階に到達した時にそれは起きた。
「こーんにちわー♪ お嬢さん♪」
頭の中お花畑な声ってこんな感じかなと思う底抜けに明るい声が降ってきたんだ。
「子供? どこから」
こんな所にいるはずがないけど、とっさに声からイメージしたのは子供。
「うふふ。お客さんがこーんなにいっぱい!」
姿は見えないのに聴こえる声。姉はブレずにわくわくした顔で、エリンは忙しなく辺りを見回し、二藍は特に慌てることもなく何が起こっても対応できるように自然体。
「ようこそ。招かれざる盗掘者の皆さん♪」
「盗掘者って……。いや、お前は何だ!」
「ちょっとぉ、人に尋ねる前に自分が名乗るのが礼儀でしょー?」
あれ? その台詞わりと最近……。
「ま、いーや」
何もなかったはずの暗闇、虚空から赤い革のショートブーツの爪先が出現し、紺色の靴下と金の靴下止めに包まれた白く細い両足、赤を基調にしたチェック柄のハーフパンツとジャラッと音を立てるチャーム付きのチェーンがまとわりつく革ベルトに締められた細い腰。
チョコレート色のベストと白いシャツにハーフパンツと同じ柄のジャケットを羽織った、金髪の少年が僕たちの目の前に降り立った。
「ボクらの安らかな眠りを妨げる迷惑な盗掘者たちに断罪を。ね、帰るなら見逃してあげるけど、どーする?」
「ふむ。『ボクらの』安らかな眠り……と、いうことは」
ちょっとお姉? なんでそんな楽しそうな顔でにんまりしてんの!?
「君がこの地下書庫に出るっていう幽霊かな?」
「ブッブー! ハズレだよお姉さん。ボクは幽霊じゃありませーん」
両腕を交差させてバツをつくり、可愛らしい顔に笑みを浮かべた少年は言う。
「ボクは幻想化身だよ。しーっかり、覚・え・て・ねー?」
「幻想化身!? まさか! そんなわけ」
「知ってるんですか?」
少年の言葉にエリンが目を見開いて叫ぶ。
僕としては何が何だかさっぱりなわけだけど。
「ありえない……」
「ありえない? 失礼しちゃうなー……。ボク、キミきらーい」
うん。誰が誰を嫌いでも良いから、ほんと誰か説明して。
「幻想化身……」
「お姉?」
笑みのまま、お姉が少年を見つめて呟く。それに応えるように、少年は小首を傾げる。
「うん」
「じゃあ、君は『本』だね」
何で。
「大当たりー。お姉さんやるぅ!」
そして何で。いや、何と?
「で。どーするの?」
「決まってるよ。本ならもれなくお持ち帰りさせてもらう為に来てるからね」
いや。いやいやいや! 待とうよお姉!
「ふーん。じゃ、見逃しは出来ないなぁ」
「あはは。それはこっちの台詞かな」
ちょっとー! 何か凄く嫌な予感しかっ!
「二藍さん!」
恐らく本能が、このままだとヤバいとビシバシ告げていた。
「了解」
「う?」
僕の声に二藍がお姉を俵よろしく担ぎ上げる。
「エリン、走って!」
「へ? あ、ああ!」
僕たちはそのまま一目散にその場から逃走した。
「あれー……。行っちゃった」
七海達がまっしぐらに敵前逃亡をキメたその後に、ぽつんと独り残された少年はパチクリと紫水晶のような目を瞬いた。
「んー……。でも、まぁ、どうせまた来るだろうし」
きゅっと少年の口角が笑みにつり上がる。
「面白いもの、見ちゃったな」
クツクツと口のなかで飴玉を転がして味わうように、少年は笑う。
「楽しみ」
◆◆◆◇◆◆◆
子どもはオバケをみて、オバケも子どもをみました。
いつものようにオバケは子どもを怖がらせてやろうと思いました。
けれど、子どもはオバケを怖がりません。
オバケがこわい顔をしてもこわい声をだしても。
オバケはとてもこまりました。
だってオバケの仕事は、存在意義は、人を怖がらせたりとり殺したりする事なのです。
とほうに暮れるオバケに、子どもは言いました。
「いっしょにあそんで」
子どもも、ひとりぼっちでさびしかったのです。




