千年書館 ―神書荒らしの盗賊司書―1
1.飛ばされて地方(実習)
それは罪なのだと、口々に同胞が言った。
犯してはならない、罪なのだと。
罪を犯したわたしは、罰を受けねばならないと。
わたしを封じる為に、場所が用意された。
わたしを封じる為に、器が用意された。
わたしは独り、封じられた。
罪を犯したのだから仕方ないと。
罰なのだから仕方ないと。
それを知っていてなお、わたしは。
わたしは。
――――さびしい
永劫に等しい闇の中。
たった独りで、罪を犯すほどに焦がれたものもなく。
何もない。
溜め息が零れた。
――――だれか
願うことも許されないとわかっている。
けれど。
誰か。
――――私を、見つけて
「こんな所に居たのかぁ。探したよ」
暗く閉ざされていた場所に光が射す。
「見つけたよ。姫ちゃん」
「っあ~……。またあの夢かぁ」
郊外の丘の上。青い屋根のまるで古城のような建物。その内部で、ぼろ切れにミノムシのようにくるまり、漆喰の壁と遥か上にある硝子ドームの天井から降り注ぐ朝陽を受けて舞う埃がキラキラ輝く廃墟図書館で。
目覚めの声を上げた、七羽・ルイス・アカツキは、本来なら青めいて艶のあるはずのボサボサ黒髪をガシャガシャと片手で掻き回した。
手入れさえすれば洗髪用品のCMにも出られるだろう腰までたっぷりあるその髪も、前回の風呂から三日、しかもずっとこの廃墟で過ごしていたとなれば、そろそろ艶じゃなくギトギトしそうである。しかも身に纏っている服は寝間着の足首まであるワンピースなのだが、古着屋で買ったせいか大分時代遅れの柄。それが埃まみれでもう浮浪者にしかはっきり言って見えない。
「ふぁ。う~。眠いぃ……もう十五分……」
「いや、さっきもそう言って二度寝したんだからもう充分だよね? てか起きろこのバカ姉!」
カンカンカンカン! と鍋の蓋にお玉をぶつけ、再び丸くなろうとする姉の頭上で、七羽の双子の弟、七海・ルイス・アカツキは怒りと呆れを滲ませてそう言った。
それでも寝ようとする姉に、弟は鍋の蓋とお玉を持った手を下げる。
「…………」
顔はほぼ七羽と一緒だが、姉とは違い毎日風呂も洗濯も欠かさず、家事一切合切を取り仕切る主夫。
家の仕来りで伸ばした髪は、二十歳になればバッサリ切ることが出来るのだが、あと二年は辛抱しなければならない為、邪魔にならないように首の後ろで一つに束ねている。
黒いタートルネックと紺のジーンズ、そこに白いエプロン。足元は瓦礫でも支障のないようにとエンジニアブーツで固め、姉を見下ろす青い瞳には、いっそ慈愛めいた色がある。のだが。
七海はすやすや眠る姉の首根っこを掴む。
ズリズリと引きずり、廃墟を出てその目の前に広がる湖の浅瀬に辿り着くと、一切の容赦なく両手で姉を湖への供物として放り投げた。
僕の姉の話をしようと思う。
「七海ひどいぃー」
湖から生還した姉はさすがにびしょ濡れの寝巻きから黒いロングTシャツとズボンに着替えていた。その上から、故郷の伝統的衣装である羽織りに袖を通して。
羽織りの色は藍色で、差し色に白の流水紋と国花の花弁が描かれている。
「嫌なら起きて、強制沐浴させられる前に自分でお風呂入ってよ、汚姉」
一応こんな姉でも姉なので、名誉の為に言っておくと、いつも(普通の環境)なら毎日の入浴を楽しみにする普通の神経の持ち主だ。
ただし、普通なら、の話。
夏が過ぎて秋の顔が見える今日この頃。こんな廃墟に僕達が寝泊まりしなければならなくなった原因は、姉の起こしたある事件のせいだ。
「お姉、わかってる? これ、学生じゃなく会社なら明らかに左遷ていうかクビだからね?」
埃っぽい廃墟で食事するよりは野外の方がましである。
到着してからずっと朝昼夕、湖の側で火をおこしての炊事にも慣れてきた。飯ごうを火にかけて、手鍋で湯を沸かす。
だってガスも電気も止まってるから。
辛うじて電子端末の圏内である事は到着初日に確認済みだけど、それも電源が止められた状態じゃ意味がない。切れる前に街に戻ってどこかの端末ショップで充電させてもらわないと。
「学生にクビはないもん。だから違う。これは『実習』だー」
「現実逃避も大概にしなよ。大学府入学早々なんてことしてくれてんの?」
「えー。わたし悪くない。悪いのはあのハゲ」
「ハゲ言うな! 思ったことそのまま言ったりやったりしてこうなったんでしょ!」
「だってー、あのおハゲ様が女の子にセクハラしてたから」
「おを付ければ誤魔化せるとか思ってないよね?」
「てへペロ」
「おい」
「むー。じゃ、七海はそれみて放っておく?」
「…………」
わかってる。そこに関して姉が間違った事をしたとは思わない。助けたこと自体は良いんだ。問題はそのやり方。
「何で真っ向から教授のヅラ叩き落として見せたりしたのっ……!」
姉はセクハラを働いた教授のヅラを、真っ正面から叩き落としたらしい。姉以外のその場の空気が凍ったのは想像に難くない。
何故かと問えば姉は言う。
「え。黙れおハゲ様って思ったから」
真顔で言われたその答えに、言葉もない。
「もういい…………」
話を戻そう。故郷から遠路はるばる留学した異国の大学府で我が姉上が入学早々、教授が他の女性徒にセクハラをしている所を発見。それを真っ向から断罪。教授怒る。でも非は教授にあり、加えて僕も姉も特待生として招かれた立場があった為、うかつに手が出せない。教授考える。無駄に頭脳働かせる。導き出された答えは……。
「それにしても、図書館再生学の実習って開始はや」
「違うから。お姉。何度も言うけど、これそのハゲ散らかした教授の嫌がらせだから」
何が『異国の方にはまず我が国に馴染んで頂く事が不可欠。その為にはやはり実地が一番と考え(中略)図書館再生学の実習先で色々学んできて下さい(要約・嫌なら退学しろむしろそうしろ貴様らの居場所なぞここにはない)』だ。
「あのクソハゲ……」
「おーい。七海さーん。言葉遣い」
「……ともかく、これはあの教授の嫌がらせ」
「ふーん。でもまぁ、とりあえず七海が承諾したってことは、大人しくここで実習しとけば良いんでしょ?」
「まぁ、ね……。あ、ダメだやっぱ腹立つあのヅラハゲ」
要綱を確認したら期限から何からふざけていたのでそこはきっちり修正要求をさせてもらった。
まず期限は一年。月々の支援金と取り計らいとか諸々。行けるだろと思われる所は全部。
普通は年に三ヶ月ずつの実習を一年にまとめて、この一年間の課程は期ごとの試験をクリアすれば単位獲得となるようにしたり、など。できる限り。
しかし実習先がこれだとは思わなかった。何が由緒ある貴重な建築と蔵書の、今は『少し』活気の薄れた図書分館、か。
――――え。丘の上のって……あの廃墟かい?
――――あれ図書館だったんだ?
――――あそこ、お化けが出るんだぜー?
――――もう何年も締め切られて、バスだって路線が廃止された所だよ? なんでまた……。
――――あんた、若いのに神隠しにあいにいくなんて、そんな辛い思いしたのかい。可哀想に。けど、生きていれば何とかなるもんだ。ワシの若い頃(長いので割愛)
以上。地元民の皆さんだ。
「にしても、驚いたよねー。今時まだ電子錠も警備システムもない公共の建物って存在してたんだ」
「いらないでしょ。コレなんだから。蔵書なんて、『一冊もない』んだから! そもそもあっても電気止まってるし!」
司書資格を得るためには、必須課程と選択課程を修了している必要がある。図書館再生学は図書館司書の資格を得るために必要な選択課程の一つ。
電子情報化が進んだ現在、現実の建物としての図書館は縮小傾向にあるのだが、そうなると次々に閉館する事態になってしまう。建てるのも壊すのも費用が掛かるもので、閉めるくらいなら何かに利用できないかと考えた。そんな国の作った課程で、歴史もたかだか数百年と浅い学問だ。
ただ、僕たちの場合は国柄としてそういった図書館が多く、もったいない精神とかそういうのが強い民族の性分で、この課程をよく学ぶ為に発祥の地であるこの国の大学府に留学した。まあ、姉は他にも目的があったからだけど。
実習先として指定されたここはイーステッド地方のレンザという場所の小都市ユルナノグ。そこの図書館分館。
数十年前までは一応機能していたようだが、それ以降は蔵書を増設した本館の書庫へ移し、分館の書架は全て空っぽになった。
本の無い図書館に司書はいらない。分館として籍は残しつつ廃墟となった図書館の出来上がり。
「こんな不便な所……誰も来ないよ…………」
いくら有利に単位条件を勝ち取っても、一年後に実習で成果が出せていなければ意味がないのに。……あの教授、この事を知ってたから余裕だったんだ。
「いや、そうでも無いっぽいよ?」
姉はアクビをしながら立ち上がると、おもむろに茂みに手を突っ込んだ。
「へ?」
「とったどー!」
「ひ、ぎゃあぁぁぁぁー!」
「うえぇっ!?」
マンドラゴラ、ではない。
頭髪をカブみたいに鷲掴みにされて悲鳴を上げたのはフチのない丸メガネを掛けた、紫紺のウェービーヘアをもつ人間の青年だった。ぎゃあっとまだ騒ぎつつ手足をばたつかせている。
「ほら。活きが良い」
「いやいやいや、何それ。とりあえず離してお姉! ポイして!」
「ひ、人をゴミみたいに言うなぁ!」
マンドラゴラもどき(仮)はその叫びを最後に放り出された。
白衣。よれよれの白シャツ、ループタイと黒のスラックスに革靴。わりかし顔は整っていると思うけど、陽の光を拒否したような白い肌と目の下の隈が不健康そうで、例えるなら吸血鬼のマッドサイエンティスト。ただしメガネの奥にあった瞳は赤ではなく揺らめくような緑だった。
「君たち、何なんだ!」
マンドラゴラ(仮)あらためマッドサイエンティストが言う。
「それはこっちの台詞だよ。貴方だれですか?」
「エリン。君たちは?」
エリンと名乗った青年は姉に掴まれて乱れた髪を整え、警戒するように後退りして距離を取った。
「七羽」
「ちょっとお姉!」
無用心過ぎると思うんだけど!?
「だって名乗ってくれたんだし、礼儀でしょ」
「もう! だからってこんな怪しい……」
とはいえ、ここは姉の言うとおり。礼儀は大切だ。
「……七海。ところで」
「エリンは何で私達の様子、窺ってたの?」
何でワクワクして言うかなお姉。しかも言おうとした台詞!
エリンがじとりとした目を向けてくる。
「別に君たちに言う必要な」
い。と繋げたかったんだろうけど。きゅるるるる。という微妙に間抜けな空腹を訴える音がエリンの中から聴こえ、当人が真っ赤になって俯いたから、つながるわけもなし。
「とりあえず、ご飯一緒にど?」
姉がそう提案した以上、もう一膳分食器が必要になるのは確定事項。
「…………お姉が何かしらで壊した時用の予備買っといて良かったね」
僕は溜め息一つ。食器を取りに建物に戻った。
で、戻ったら何か増えてた。赤毛の紺色ワンピースを着た良い所のお嬢様ぽい見知らぬ女性が一人。
しかも姉を崇拝しそうな感じで、姉の前に跪いて……いや、崇拝『しそう』じゃない。祈るように両手組み合わせてる。これ崇拝てか信仰してる。ヤバい。
どう見ても不審者。
「お姉! 離れて!」
「ご、ごめんなさい、私ったら!」
僕の声に状態異常が解除されたのかも知れない。
カアァッ! と頬を染め、その女性は立ち上がって丁寧な礼をとった。
「シェリア・エンバルムと申します。突然のお訪ねして申し訳ありません」
ふんわりとした赤毛は椿とまではいかないけど色鮮やかな赤で、肌は雪みたいに白いし、翡翠のように綺麗で大きな緑瞳はその令嬢めいた服装と雰囲気を差し引いても可愛い。
が。
名乗り顔を上げ、再び祈るように手を組み合わせる。勿論、うるうると熱の籠った瞳を姉に向けて。え。何? 状態異常がデフォルトなの?
「先日の件で貴女様に」
「あ。私、七羽。よろしくー」
いや、あの女性、お姉の言葉に感激した感じで口許押さえて震えてるけど本格的にヤバくない? 小さくお姉の名を呟いてうっとりしてるし。
本格的にヤバい人かなって思ったのが顔に出たかも知れない。そのシェリアと名乗った見知らぬ女性が再び我に返り、憂いを帯びた表情で丁寧に頭を下げた。
「先日は、私のせいで七羽様にご迷惑を掛けてしまいました」
「「え。ナイナイ」」
七羽『様』って何。誰。
声と動作がまともに姉と被る。思ったことは違うだろうけど。
「あの時の子だよね? 君は別にわるくないし。てか、被害者じゃん」
やっぱり。
姉の言葉に僕は心の中でそう呟いた。
「お姉、この人が例の?」
「うん。あのハゲにお尻触られてた子。でも、正直最初わかんなかった。あの時は確か三つ編みでメガネ掛けてたよね?」
「はい。何故か昔から男性からも女性からも目をつけられる事が多くて……。少しでも目立たないように、と」
一歩間違えば嫌みに聞こえそうな言葉だけど、それが本当ならわりとすんなり頷けるものだよね。今回はまさにそれ。
さっきの言動さえ記憶から消去すれば、シェリア嬢はそりゃ目をつけられるだろうという容姿をしている。
「それでも、ああいった事は時折ありましたので、少しの間我慢すればそれ以上はされませんし」
本当に良い所のお嬢様なのかも。それ以上されない保証なんてないだろうに。大丈夫かな。
「いや、まずそれ我慢するの止めようよ。今までが幸運なだけだよそれ」
あ。お姉も同意見だった。ですよねー。
「そう、ですね。そのせいで七羽さ」
「様いらないからね」
言おうとしてたらしい。様って。
シェリア嬢が一瞬言葉に詰まってから言い直す。
「七羽さん達にこんなご迷惑を……。本当に、申し訳ございません」
深々と再度頭を下げられて、姉と視線を交わす。
『よろしく七海!』
『いや、何でも僕に押し付けないでよお姉』
『だって私こういう難しい話にがてだしー』
『あー! もう!』
わかったよ。わかりましたよ!
「シェリア嬢」
「シェリアで構いませんわ」
「じゃあ、シェリア。今回の事は別に気にしないで下さい。姉が勝手にやった事ですし、一応片もつきましたから」
「そうそう。気にすることなし!」
「お姉は少し気にしようね!?」
シェリア嬢の顔はまだ晴れない。
仕方ない。
「とりあえず、ご飯にしましょう」
「さんせー! シェリアも一緒に食べよう?」
「え。でも」
用意した食器の数と人数を見比べてシェリアは居心地悪そうに身動ぎした。
「シェリア、大丈夫。ね? 七海。弟のものは姉のものだし」
「ねえ、真顔で何言ってるの?」
七海、あんたの分あげて良いよね? とナチュラルに言ってくる。
「まぁ良いけどね。あ、気にしないでいいですよ。僕、自分で言うのも何ですが普通の食が細い人よりさらに食細いんで」
「そんな…………」
「ああ。大丈夫。これ本当だから。気を遣ってるとかじゃなく、マジでこの子、食細い。気にしないで」
正直、毎日水を少しとかで済みそうだし、一週間くらいなら何も食べなくて平気なんじゃないかって自分でも思う。やったことはないけど。
「ねえ、ちょっと。君たちボクのこと忘れてない?」
あ。エンバルム嬢のインパクトですっかり忘れてた。
エリンが木の陰から恨みがましい視線を向けてきていた。しかし何故そんな所に?
「そもそも君たち、一体何でこんな所に来たのさ」
「それはエリンにも聞きたいですね」
「ボクは、この図書館が取り壊されるかも知れないって聞いたから」
「ちょっと待った。今、なんて?」
スルーしちゃいけない言葉が聞こえた気がする。
「だから、ボクはこの図書館の常連なの。ここは人が来ない最高の場所だからね。それなのに、取り壊すって話が出て、おまけに君たちがいきなり来たから、てっきり工事の下見に来たのかと」
あっ、のハゲ! 取り壊される予定の再生放棄した図書館に送り込んだって事だよね!? ふざけんな!
「私達は工事業者じゃないよー。中央の大学府の一年生。ここには図書館再生学の実習で来たんだけど、ね」
「そっちの赤毛は?」
「ちょっと。女の子に失礼だよ。でも、シェリアはそう言えば何でここに? わざわざ謝りに来たの?」
「いえ、実はあの後、私も七羽様達と同じ実習に志願したのです」
「ちょっ、なんでそんな!」
シェリア嬢の一言に思わず叫ぶ。
「私を助けて下さったせいで七羽さん達が地方の図書館に一年実習に行かされると聞いて……。何か少しでもお役に立ちたくて」
いや、その献身要らないから! なんてもう手遅れだよね。
あ。ダメ。色々一気にきて頭が混乱してきた。
しかし。
「すみません、新しい司書さんですか?」
掛けられた声に全員が振り向く。今度は何!
「わお。美形」
お姉! と思いつつ、確かに姉がポロッとそう言ってしまうのも納得だった。
歳は二十歳くらいだと思う。
白いシャツと黒い細身のズボンに革靴というシンプルな出で立ちだが、それでも育ちというか品のよさが漂う青年がそこに。
青い影の落ちる汚れない雪のような髪と透き通るような肌、儚げな美しさを伴う顔の造り。月の明るい夜を切り取ったような紫紺の瞳と、要素がこれでもかと詰め込まれている。
身長とシャツから覗く鎖骨とか胸元の膨らみのなさで男と判別したけど、そうでないなら男装の麗人でも通せる中性的な人だ。
「すごい。四人も来て下さるなんて」
嬉しそうに手を打ち合わせる様はそれだけで辺りに春が来そうな可愛いらしさと喜びの感情を振りまいていた。
「えー、と。貴方は?」
可愛いけど男だし、未だ正体不明。ひとまずは誰なのか聞いてみるしかない。
「司書さんたちのお手伝いをしに来ました。名前は……」
青年はふわりと微笑み名乗る。
「ウェル・メリーベル。ウェルと呼んで下さい」
ウェルと名乗ったその青年は、こう僕たちに説明した。
「図書館の再開に際して新しく司書の方が来てくださるとお聞きしまして。微力ながらお手伝いする為に参りました」
にっこり笑顔で嬉しそうに言うが、予算などは引っ張れる立場にないので労働力としてなんなりと。そんな内容だった。
「嬉しいです。この図書館が再び開かれる時が来たのですね」
「…………頭痛い」
どうしよ。
「七海。心配ないって。それより、ウェルさん」
「はい」
「図書館の鍵、持ってる?」
「はい。こちらに」
すんなり取り出されたのは、いまどき古風な金属の円環に通され束ねられた鍵四つ。
「すご。やっぱそのタイプなんだ」
楽しそうな姉の言葉に、何故か嫌な予感がした。
「お姉……」
そう言えば僕は色々やってから来なくてはならなくて、初日に図書館には姉が先に到着したのだが、何故か扉は開いていた。
中から姉が出て来て迎えてくれたのだから間違いない。
でも待って。よく考えるとおかしい。
僕もお姉も、鍵持ってない。
「ねぇ、お姉。初日さ、どうやって入ったの? 図書館」
うん。何とぼけてんのかなお姉ぇぇぇ?
明らかに視線を外した姉の両頬を両手でホールドしてこっちを向かせる。
「いやー、鍵なかったじゃない?」
「…………」
「でも電子錠でもなかったから」
「…………」
「女子の嗜みとして、ヘアピンでこう、ちょちょいっと」
ほぉ。つまり。
「それはピッキングというのでは」
ありがとうエリン。代弁してくれて……っていうか。
「何やってんのお姉!」
「だって暇だったか」
みなまで言わせず姉の頬を両手で押し潰す勢いでぐりぐりする。
「なーんーでーそういう事するかなぁ!?」
「ごめんごめん! あーん、シェリア助けてー」
「こら! シェリア嬢巻き込まない! シェリア嬢も助けようとしない!」
「賑やかですね」
「うるさいの間違いだよ」
エリンの方が正しい! いや、僕だってどっちかって言ったら静かな方が好きだよ? お姉が何もやらかさなきゃね!
「むー。七海んのいけずぅ」
「ねぇ、お姉。反省って猿でもできるんだよ?」
「いひゃひ」
みょーんと。姉の両頬を引っ張る。
とりあえず、不毛だからここまでにしとこう。
「あ、ところで四つあるけど他の鍵はどこの?」
駄目だ懲りてない。
キラキラ目を輝かせて姉はウェルに他三つの鍵の使い道を聞いている。
「ええと、一つは玄関。この二つはそれぞれ生活棟と地上書庫のもの。あと一つは」
にっこり笑顔でウェルは言う。
「迷宮書庫の鍵です」
…………はい?
「はーい! 迷宮書庫って何ですか?」
ウェル以外、その場のみんなの言葉を姉が手を上げて代弁する。
「この図書館の地下に広がる、電子保存化されていない書籍を収めた書庫です」
何と?
「実はこの図書館が休館する際に、一部の書籍が地下書庫に降りたまま回収されずの状態になってしまって」
あ。ヤバ。
そう思ったけど、こういう時は思った時点で大体手遅れなんだよね。
「電子保存化されていない書籍……」
何かお姉が抑揚なく呟く。
「お、お姉?」
「はい。この図書館の地下に埋没しているものは全て作成当時の製法そのままです。保存状態も完璧だと思います」
「当時の姿そのまま……!」
やめて。それ以上は!
「つまり私の王国を建国しろという天の啓示!」
「ねえ、さっきからほんと頭どうなってんの? お姉」
「だって」
物凄い警鐘が頭の中で鳴り響いている。ここで僕が何とか食い止めないとこの後の被害が甚大になる可能性があるのだ。
「あのねぇ、僕たちの仕事は図書館の再生。このオンボロ廃墟の息を吹き返させること。いい?」
てか迷宮書庫って何。初めて聞いたし。何でそんなもんが手付かずで残ってんの。おかしいって。
「うん。つまり建国」
「聴いてた!? 人の話!」
「聴いてたよ。七海の声が私に届かないなんてあるわけないじゃない」
お姉がすっごく愉しそうに笑っている。こういう時は大抵どーしようもない……。嗚呼、無理かも。
「私は私の図書館を創る!」
エリン、やめて。どーすんだコレって目でお姉を見てから僕を見ないで。どうしようもないから。
「そ・の・た・め・にぃ」
お姉、無駄にカッコつけるのやめようよ。イラッとするから主に僕が。
「この図書館の地下にある本、全部」
グ! と拳を握り、姉が高らかに宣言する。
「私の手中に! 全ての書籍は私の救出を待っている!」
「いやいやいや、お姉!」
どっちかっていうと平和に暮らしてた所に略奪の限りを尽くそうっていう魔王とかそういう。
「あのね、僕たちのやるべきことは、図書館再生学の実習」
凄く膨れっ面してる姉の恨めしい色たっぷり視線は気にしない事にする。
「まず掃除。こんな廃墟、誰も来ない」
「人なんて来なくて良いのに……」
「エリン。黙ってくれます? 来なくて良いわけないでしょ。来ないからこの図書館潰されるんですよ」
今回はそもそも数十年閉館していたから人が引きまくっている。そこにこの埃っぽさ。ダメだ。
「そもそも、人が来ないのを良しとか、図書館『再生学』の意味わかって言ってます? わかって言ってるなら敵対宣言と見なしますよ」
再生が必要な所だから実習先になるわけだし。
「掃除が終わったら、本館から引き取れる書籍の確認、手配諸々。やることは山積みなんだからね」
「あら。でも……」
「何か気になることでも?」
「…………。ウェルさん、お伺いしたいのですけれど、こちらの図書分館には、電子書架はおあり? 旧式でも良いのですが」
「ありません」
「となると、本館からは無理ではないかしら。だって現在の主流は電子書籍ですもの」
「それに先程こちらに来る前に拝見させて頂きましたけど、閉館時の引き上げで据え置き端末も持っていかれている様子。それらの設備を改めて入れるのに掛かる費用も少なくなさそうです」
「新刊とか設備の購入って、各図書館に振り分けられた予算から賄うものだけど、閉館してたんだから予算もなにも無いよ。多分」
「確かに……。僕たちの実習先という事で多少の申請を大学府に出すことはできますが」
国家予算と比べる規模ではない。それは間違いないだろう。
「お掃除をする事を優先するのは賛成ですけど、その後の書籍に関しては、七羽様のおっしゃるようにするのはいかが?」
今、さらっと七羽『様』って言ったこの人。
「それ地下に潜って書籍を回収するって事?」
「そうですね」
シェリアの言う事は理解出来る。ただし。
「…………。難しいと思う」
視線をウェルに向けると微笑みと共に首を傾げられた。
「ねえ、ウェルさん」
「何でしょうか」
「どうして閉館から今日までの長い間、誰も書籍を回収に行かないの?」
正直に言おう。僕はこの人を信用していない。むしろ胡散臭いって思ってる。人物自体。
だってどう考えても苦労もり沢山の僕たちの手伝いを進んで志願だよ? おまけに手付かずの貴重な原本書籍がごろごろ置き去りにされた地下? 怪しい。怪しすぎる。落盤が起こりやすいとか有毒な気体が出ていて、金糸雀代わりにしようとしてるとか何かあってもおかしくないくらい怪しいって!
「嗚呼、それは……」
困ったようにウェルは全員の顔を見回し、やがてこう言った。
「実は、出るんです」
「「…………はい?」」
僕とエリンの声がハモる。
「すみません。言ったらやはり怖がってしまわれるかと思って」
「待って。出るって、いわゆるあれ? 何かうらめしや~とかいうそんな存在?」
「そうですね。そんな存在です」
「なになに、どんな惨劇があったのっ?」
「お姉は何でワクワクしてるの! ……いや、まさか。嘘でしょ? そんな事で?」
書籍放置?
下手したら素材によっては永久に失われるよ? 電子書籍化されてない貴重な原本を心霊現象ごときで諦める? 無いでしょ。
「恐らく、書籍の内容も関係していたとは思います。その、ほとんど子供向けの童話だったりしたので」
学術的価値が……。とウェルは言うけど。
「待った! 意義あり! 童話に学術的価値が無いとかあり得ない!」
その一言は姉には許容出来なかったらしい。
「童話や民話はその時々の風土や時代背景とかが読み解ける超重要なキーアイテムだよ!? それを価値無いとか無い無い!」
「お姉、落ち着いて」
暴れ馬一歩手間の姉をどうにか落ち着けて、図書館を見る。
「価値観が違うのかも知れないけど、僕たちの国ではどんな本でも等しく尊いものだとされています」
「童話に学術的価値があるかは個人の意見なので無視だけど、電子書籍化せず電子記録の無い書籍はどんなものでも捨て置いて良いとは思えないよ。……特にそんな非科学的理由で放置なんて」
僕とエリンの言葉に、ウェルはさも嬉しそうに両手を合わせる。
「ありがとうございます! つまり、発掘にご協力頂けるのですね」
…………。
「あ……ああぁ!」
「さっすが七海ん! 愛してる!」
しまった。いつの間にかお姉の思うつぼに!
「待って。それでもまずは図書館の状態を整える事が先だから!」
僕の言葉にお姉は唇を尖らせて不満を唱えた。
「えー。本集めの方が」
「集めた本をこんな廃墟に置く気? まだ保存が完璧ならそのままにした方がマシだよ」
「彼に同感。貴重な資料を損なう可能性があるなら現状維持だね」
エリンも同意見らしい。姉は面白くなさそうどが、それでも納得してくれてみたいだ。
「わかった。わかりましたよー。むう」
「でも、お化け、ね」
図書館を整えた後、お姉は確実に即本を探しに行こうとする筈だけど、お化けはともかくそれと見間違える何か危険な動物とかがいないとも限らない。
あまり図書館の整備に時間をかけても我慢できなくなって飛び出す可能性もあるし、どちらにしても……。
「人手、足りなそうだなぁ。どうしよ……」
「心配無用だマイブラザー!」
「は?」
呟いた言葉にお姉が何故かドヤ顔で反応した。
「困った時はお姉ちゃんにお任せだよ★」
無駄にポーズまで決めて。
「ヤバい叩き倒したい」
「やったら良いんじゃないか」
やっとけば良かった。お姉が次に発する言葉がわかってたらやってた。
「カモン! 藍ちゃん!」
その一言だけで、僕の頭は真っ白になる。
「…………ねえ、お姉。何呼んでんのおぉぉぉ!?」
「アイちゃん……?」
「呼んだか嫁ー!」
「うあぁぁぁぁ! マジで呼びやがったー!」
姉の喚び声に応えて現れた奴を見て、僕は思わず叫ぶしかなかった。
歳は二十代前半。短めの銀髪に芍薬の花弁のような薄紅の瞳。この中で言えば一番男らしい顔だろうか。背丈もそれなりにあるけど、ムキムキマッチョではなく、全体的にバランスの取れた身体つき。
染め抜きの藍色Tシャツと黒いズボンにブーツ。外套代わりに肩に引っかけているのは、色や紋様は違うけど僕たちと同じ羽織り。適当かつセンスよくピアスやアクセサリーを身に付けている見た目からも想像できるけど、モテる。
けど。
「あ、これ私の夫候補」
「はぁ!?」
「ヨロシク」
「あー……。うん。ちょっと、お姉、黙って」
駄目。もう限界。ぶっ倒れそう。
「大丈夫かー? 義弟」
「違います。寄らないで下さい。帰って良いですよむしろ」
「ハハ。相変わらず冷てぇなぁ。未来の」
「未来も過去も永劫あなたの弟になる気も事もないんで」
姉以外の周囲が呆気に取られた気配がする。
駄目だ倒れてる場合じゃない。
「こちら二藍さん。お姉の公認ストーカー」
「…………」
しまった。直球過ぎた。まあいいか。二藍だし。
「こほん。お姉って何故かこういうのに人気があるっていうか」
「いやー、私の止めどなく溢れる魅力が」
「お姉、黙ろうか」
「いや、冗談でなくイイ女だと思うぞ。だから求婚してるしな」
「求婚……」
エリンが何言ってんのこいつ、って目で二藍を見てる。いいぞもっとやれ。
「初めて会った時、嫁(予定)は躊躇なく首を落としにきたんだ。あの度胸、判断力、思いきりの良さには痺れるしかない」
「ただのドMです」
「首…………?」
よし。これでエリンの中では二藍の変態認定が完了した。計画通り。
「おう。俺の村にある社で祀ってる禁書読みに乗り込んで、俺と切り結んでその時に」
「き、り………………」
「いやー、だって今どき呪術について詳しく書いた本なんて滅多にないし。特にきちんと効果がある本物かつ紙製なんて超貴重な本あったらまず読むでしょ」
姉の言葉に色々なものを飲み込んだ様子で、エリンは問う。
「…………。何で切り結んで?」
「だってその書架に入るのに二藍に一太刀浴びせるか降参させるかしなきゃいけない決まりだったから」
「俺、社の守り人だからな」
ちなみに、姉は二藍に一太刀浴びせる方でクリアして、社に足を踏み入れる許可を得たけど、別に剣の達人とかそんな事は一切ない。とはいえ。
「あ。言っとくけど俺、今まで嫁以外に一太刀浴びせられたこと無いから。降参も」
そう。二藍が弱いわけでもない。
「お姉がチートしただけで」
「えー。だってが弱い女の子に太刀なんて持てないし、武器どれ使っても良いって」
「それで迷いなく妖刀選ぶ? 普通」
「妖刀? って何ですか?」
ああそっか。こっちでは馴染みがないかな。
シェリア嬢が不思議そうに首を傾げた。
「妖刀というのは、曰くつきの刀剣のこと。勿論、この現代で刀剣所持なんて普通しないけど、二藍さんの村は山奥の集落で、社にそういった刀剣やら書物やらを保管してるんだ」
「この中から好きな武器選べー、って言われたら全自動の楽々選ぶの普通でしょ」
「それ楽々じゃなくとり憑かれてるの!」
選べと言われた武器の中から姉が選んだのは、昔々に非業の死を遂げたさる姫君の懐剣だった。幾人もの血を啜った妖刀として名高いそれをよりによって選んでくれたおかげで、僕も大変な目に遭った訳だけど!
「とり憑かれた嫁が強くてな。それはもう痺れるほど」
「その時に頭を」
「いや、打ってないぞ」
エリンの気持ちわかる。そうだよね。頭打ったんじゃないかと思うよね。でも違う。こいつはただのドM。
「にしても、嫁が異国に留学するって言うから長期休暇とって追いかけてみたが」
追いかけるな。
「やっぱり嫁は見ていて飽きないな。さすが俺の嫁」
「そのうち僕が訴えますから。呼んですぐ出てこられるって、いつから居たんですかアンタ」
「ん? 嫁が留学した初日からずっとつかず離れず居たぞ」
「誰か充電に余裕あるひと端末貸して」
このストーカー、やはりここで始末しておくべき!
「おいおい義弟ー。そりゃないだろ?」
「触らないでくれます? 通報して訴えますよ」
ここまでのやり取りを見ていたエリンがぽつりとこぼす。
「相当嫌いなんだな」
「いや、そんな事はないですよ」
「え?」
「生理的に無理なレベルで苦手なだけで」
「それを嫌いと言うのでは……」
僕が何故そこまで二藍が苦手かは、長くなるからまたいつか。
「それにしても国を造るか。嫁は考える規模が違うな」
「せっかく落ち着いてたのを蒸し返さないでほしいんですが!?」
「つまり義弟以外の面々は俺と同じく嫁の後宮メンバーと」
「頭アンタもどうなってんの!?」
「で、でででは! 私も七羽様の妻!?」
嗚呼、何言ってんだろうこの人。てか、貴女もですか。
「あはは。そだね」
乗るなお姉!
「違うでしょ。しかもお姉、一応女性でしょ。妻いらない。そもそもそれ以前に色々ツッコミ所満載だから!」
「えー。だって私が女帝だし、皇が側室もつのは普通でしょ」
「はい!」
いや、なに鼻血ふきそうな顔で同意してんのシェリア嬢。
「はいじゃない。女帝でもないから!」
「頭痛がしてきた……」
エリンのその一言に非常に深く同意する。
「流石わが嫁。懐が深いな」
二藍が阿阿大笑してるし!
「アンタそれで良いんですか」
「それだけ甲斐性のある女に選ばれるんだ。悪い気はしないだろ?」
いや、選ばれてないから。何どさくさに紛れて言ってるのかな!?
「で、嫁の後宮に入って俺の新たな仲間になる面々、名前は何て言うんだ?」
「「なってない」」
エリンと僕の声が呼吸から何からピッタリ被った。
「私はシェリアです」
「よろしくな! シェリア。そっちは?」
二藍の言葉に、ウェルが目を丸くする。
「私も、ですか?」
「ん? 違うのか?」
普通違う。何言ってんだ。
「…………」
「どうした?」
ウェルが固まるのも無理ない。
「あのですね、アンタの非常識に誰でも付き合ってくれる訳じゃないんですよ。話ややこしくしないでくれます? ったく。大分逸れましたけど、話もとに戻しますよ」
腹立たしいけど、確かに二藍が居れば地下に降りても平気だろう。一応、社の守り人になって挑戦者を撃沈してきた脳筋だし。
「必要最低限の人手は確かに揃ったけど」
「それ、ボクも入ってるの?」
「嫌ならお帰り下さい」
エリンの心底嫌そうな顔にそう言う。
「…………」
何やら葛藤してるようだ。ちょっと思ってたけど、エリンからは若干お姉と同じ匂いを感じるんだよね……。
「…………手伝う」
ようこそ、お姉とゆかいな仲間達へ。
何だかんだで、こうなるんだよね…………。
これは姉と、そんな姉に振り回されるもの達の話。
「さって。とりあえずは方針決めないとね」
何やかんやで朝食どころか昼食にもなった食事が終わり、人数が増えた事で急務となった生活棟の埃を手分けし、全て落とし終え、現在は食堂の濡れ拭き乾拭き中、姉がそう言った。
「お姉、まだ濡れ拭きと乾拭き残ってるから」
「わかってるって。でもその前に、今後の行動指針決めておかないと。指針は先にあるから指針なんだし」
お姉にしては珍しくまともな事を。
「で、どうしよ?」
「ねえ、それ結局僕に丸投げってオチじゃないよね?」
ウィンクしても駄目だからね。お姉。
「はぁ……。とりあえず、お姉は地下に早く行きたいんでしょ」
「そそ! わかってるぅ」
「ボクも」
「はいはい。エリンもね。言っとくけど二人とも今日は駄目。で、二藍さんについて行ってもらうとして、残りは僕とウェルさん、シェリア嬢」
シェリア嬢は姉について行きたいって顔をしてるけど……。
「あの、私も七羽様に」
「「駄目だよ(ですよ)」」
姉と僕の声が被る。
「お化けとかそんなものはないとしても、地下の状態を目視もまだしていません。シェリア嬢には危険です」
「そうそう。安全そうなら今度一緒に行こう?」
物凄く納得してなさそうなシェリア嬢だけど、姉の笑顔にやがてしょんぼり頷いた。
「……はい。七羽様がそうおっしゃるなら」
よし。
「じゃ、シェリア嬢とウェルさんと僕は掃除続行。明日からね」
今日はひとまずこれから街まで行って、日用品と食料その他諸々仕入れて来ないと。
「今日はこれから買い出しに行きます」
「ボクは無理」
絶対拒否。そんな様子でエリンが長テーブルの下に潜り込む。
エリンは泊まる気はなく、これから毎日通いで来るらしいから、まあいいか。
自分の生活に必要なものがここに揃ってなくても不自由ないなら、手伝わなくても構わない。
「じゃ、残る人は掃除の続きよろしく」
「え」
「エリンと、あとは……」
姉は残してはいけない筆頭。隙を見て地下に行きかねない。
とは言え、買い出しに行かせる場所も僕が目を離すと何をしでかすかわからないから、僕も行かないと。
二藍は荷物持ちで必要だし、姉が行けば自動的についてくるから良いとして、シェリア嬢にも来て欲しいかな。女性の必要なものって僕も流石にわからないし。
エリン独り残すのは姉と似たもの感じるし……。
「ウェルさん、お願いできますか?」
「はい」
「では、ウェルさんとエリンで掃除の続きをお願いします」
「わかりました」
「よし! じゃ行きますよ」
そう言って街まで買い出しに出たのは、ほんの数十分前。
「で、何でこうなってんの!?」
「だってぇ」
姉の足下には、屍……ではなく、ややくたびれた風体の男。
「私から掏ろうとしたから」
「…………ほんと懲りないよね。ま、今回は」
ぴくりとも動かないけど、死んでないよね?
「七羽様! お怪我は!?」
「いやー、嫁のプログラミングはいつも見事だな」
プログラミングとは、目的に沿って周囲にあるマナと呼ばれる元素を動かす為の命令式を組み発動させること。
現在プログラミングには大きく分けて三つの系統がある。
一つ目は言語による言語プログラミング。
二つ目は動作による動作プログラミング。
三つ目は文字やデータによる物質プログラミングである。
マナは非常に豊富で使い勝手の良い元素なのだが、命令式がなければ使用できない。元素の存在自体はかなり昔からおとぎ話として伝えられてきたものの、命令式が確立されて実用化されたのはここ数百年。わりと新しい。
「とりあえず、お姉。巡回さん呼んだからもうすぐ来るよ」
「はいよ」
命令式の確立と共に教育にもプログラミングは必修科目として組み込まれ、今では初等院で大体の人が物質プログラミングを行える。書く、というのは八割方に応用が利くからね。
しかも物質プログラミングは自分で書かなくても良い。人が書いたものでも良いうえに、命令式の起動に必要なエネルギーも電池や充電で賄える。
ちなみに言語プログラミングと動作プログラミングは命令式の起動に自身のエネルギーを消費するから、あまり複雑なものだと凄く疲れるうえに、下手をすると命の危険があったりするから……。
「ところでお姉。今の、もちろん防犯装置のスイッチ入れたんだよね?」
「…………」
「ねえ、何で顔そらすのかな?」
下手をすると命の危険があるから『普通』そんなひょいひょい使わないんだけどね!?
「お姉!」
「いや、だって、スッ転ばせて動き止めるだけの単純なやつだし」
「でもなるべく組み込んだ防犯装置携帯して、それ使えって僕いったよね!?」
端から見たら僕が物凄く過保護な病的姉愛好者に見えるかも知れないが、僕だって本当は言いたくないんだよ?
でも、ね。
「その単純作業だから大丈夫大丈夫って言葉で、何回使いすぎで倒れたか覚えてる!? ちなみに三百と六十四回だよ!」
九つ頃から数えて。
あと一回で一年の日数と同じになるんだけど!?
「いやー、その記憶力凄いね七海。さすが粘着質!」
「黙れバカ姉!」
「えー。ほめたのに」
「言葉の使い方間違ってるでしょ! そんなでよく言語プログラミングなんて出来るよね」
「いやん。そんなほめないで」
「あー、もう!」
僕たちの故郷には『のれんに腕押し』『ぬかに釘』って言葉がある。まさにそれ。
目眩がする。誰か助けて。
「七羽様、言語プログラミングと……動作プログラミングもお使いになってましたよね? 凄いです! 私、初めて言語プログラミングされるのをこの目で見た上に、動作プログラミングとの複合なんて奇跡まで!」
僕がちょっと(本当に一瞬)目を離した隙の出来事だったからこれは予想だけど。姉は今回、まず逃げ行くスリの足元に向けて軽く指パッチンをして(動作プログラミング)、風がスリの足元をすくって転ばせたところで、軽く片手の人指し指をスリに向けたままぐるぐるトンボの目を回させようとするかのように回し、スリが悲鳴を上げなくなったら石畳にポイ(ここまで動作プログラミング)して、最後に『縛』の一言(言語プログラミング)で拘束して歩み寄り、スリの背を踏みつけたのだと思われる。
ちなみに指パッチンとかぐるぐる指回しとか、凄く簡単そうだし、一言しか発してないから何だ大したことないとか思うかも知れないけど、はっきり言って姉は異常な部類だ。
大事なことだからもう一回。異常な部類なのだ。
普通、そんなのを間髪いれずに使ったら倒れて寝込むレベルなのに。異常さで付け加えて言うと、普通は一言で、とか、指パッチンやぐるぐる指回しで発動とかもおかしい。
「シェリア嬢、ごめん、声おさえて。二藍さん、お姉とシェリア嬢を連れて商業複合施設行って!」
とりあえずこのスリを巡回に引き渡すのは僕がやって、姉たちは話がややこしくなるから、ここを離れてもらおう。
「お姉、モール入ったらすぐのフードコートで待機! 二藍さん、お姉がどっか行ったり余計なことしないか見てて! ちゃんとやりそうだったら止めて! シェリア嬢、とりあえずこれ飲み物代! 三人とも何か飲んで静かにしてて!」
「ただの買い物で、どうしてそんな疲れてるの?」
日暮れの図書館、天井には夕陽の空を映す硝子ドーム、両脇に四階層の書架という翼を持つ吹き抜け円形の大広間に買ってきた紙袋をいくつも下ろし、僕は冷たい大理石の床に燃え尽きた灰みたいに白くなって倒れ伏した。あ、床きもち良い……。
「次、一緒に来ればわかるよ……」
買い物から何とか無事生還した僕をエリンが見て、怪訝な顔でそう言ったので、とりあえず次はエリンにもいざという時の為に経験してもらおうと思った。対応できる人員は多いほど良い。
「…………」
訂正。何が何でも、首に縄をつけてでも道連れにする。遠慮なんてする必要はないと理解してもらい、辞退を顔に浮かべて逃げようとしている引きこもりマッドサイエンティスト風体の社交性向上に協力しよう。そうしよう。
「お疲れ様です。食材は厨房に運びますね」
「ありがとうございます。ウェルさん」
「いえいえ」
日用品を紙袋から取り出し整理しようと起き上がり、ちょっと後ろを振り返る。
「お姉、これ」
買ってきた小さな宝石のような光輝電池が五つ入った小袋をあくびをしていた姉の胸元に投げる。
「おっ、と。ありがと! 七海」
「お願いだから今度はそれ使ってよ」
危なげなく投げた電池をキャッチした姉がそれを羽織の内側に仕込んだポケットにしまったのを確認して、一息つく。
まだ倒れるわけにはいかない。
僕にはこれから姉の夕飯を作ってお風呂を沸かして明日の地下書庫への準備を整えるという仕事があるのだから。
「七海ー。今日のデザート、焼き林檎が食べたいな♪」
「はいはい」
まだ。倒れ(眠れ)ない。
エリンが帰って、ウェルと一緒に厨房で動き回る。
あまりウェルの手際は良いとは言えなかったけど、わからない事はすぐ聞いて、一つ一つを確実に行っていく。多分、やったことがないから覚束ないだけで、次からはもっとスムーズになるだろう。
「できたよー。ほら、運ぶの手伝って」
「な、七海さん……?」
「どうかしました? シェリア嬢」
一番に食堂へ手伝いに来たシェリア嬢が驚いた口の形で疑問を口にする。
「この量は……?」
ああ。そっか。
「驚きましたよね」
食堂の両側に十人ずつは並べる長テーブルの上、ずらりと並んだ肉に魚に野菜と故郷の主役、白い粒の穀物を炊いたご飯。
「二藍さんとお姉がいるので、これで丁度良いはずです」
「七羽様がこの量を?」
「今日、言語と動作でプログラミングしたでしょう。お姉、あれで凄くエネルギーを使ってるので」
ただ言語や動作でプログラミングするだけでも体力を使うのに、お姉はさらにエネルギーの必要な『ショートカット』までしている。
動作でのショートカットは手を振る方向や速度、動きに意味を仕込み、言語でのショートカットは音程と波長、滑舌で仕込む。
あのお姉だからそんな大層な事には思えないけど、実際はとても繊細で正確な表現力が必要な事なのだ。それをひょいひょいひょいひょい……。はっきり言ってお姉は化け物じみているとも言える。とはいえ、流石に化け物じみているだけでお姉も人間。
大量に消費された体力を回復するにはたっぷりの食事と睡眠が必要だ。
「ジュースじゃ焼け石に水だから、これくらいじゃないと」
「そうなのですね……」
ぶっ倒れない時点でおかしいのは確定なんだけどね。
「あの、ごめんなさい。ウェルさんと七海さんだけじゃ大変でしたよね。明日の朝からは私もお手伝いします!」
「ありがとう。じゃあ、明日からよろしくお願いします」
「はい!」
うん。やっぱりちょっと変な所(主にお姉を信仰するところ)もあるけど、良い子だ。
「まずは、運びますね!」
「うん。重いのはあらかた運んだから、取り皿よろしく」
配膳を済ませ、食卓を囲む。
「じゃ、頂きまーす!」
「はい。召し上がれ」
ウェルとエリンが自家発電機を直してくれたおかげで数日ぶりの文化的な生活だ。
これでどうにか明日からもやっていける。
なる早でちゃんとした水道とか電気ガスも手続きして復興してもらおう。
目指せ必要最低限な文化的生活! 頑張ろう。
◆◆◆◇◆◆◆
昔々というには新しい物語。
あるところにオバケがいました。
オバケの仕事は人を怖がらせたり、とり殺したりする事です。
そんなオバケですから、誰もお化けに近づきません。
「さびしくなんかないさ」
オバケはそう言います。
でも、本当はとてもさびしかったのです。
ある日、オバケはひとりの子どもに出会いました。




