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21 苦しい時ほど笑うんだ


「これで決めてやる」


 数メートル先に見えるGの姿。残された力を考えれば、次の一手に賭けるしかない。奴の懐へ潜り込み、一撃を見舞う。


 こんな危機的状況でも、気付けば兄の記憶が過ぎる。俺の闘争心に火を付けてくれるのは、やはりあの人なんだ。


“苦しい時ほど笑うんだ。相手に、まだ奥の手があるんだぜ、っていう余裕をほのめかすのさ。敵がひるめばこっちのもの、だろ?”


 あの言葉が脳裏を過ぎって。


「何を笑っていやがる。気色悪い」


 Gがそう言うのも無理はない。奥の手も、余裕もない。あるとすれば、譲れない意地とプライド。今の俺を動かす唯一の原動力だ。


 閃光玉や魔法石も手を動かせば見破られるし、隙へ繋がる。左肩に乗ったラグもこの気配を察して、黙ってGを見据えていた。


 言いようのない緊張感が走る。実力的には格下に違いないが、決して油断はできない。


 攻めあぐねる俺に痺れを切らせたのか、先に動いたのはGだった。こちらを見据え、足を引きずるようにゆっくりと右方へ移動する。それに習って、俺も一定の距離を保ったまま逆方向へ移動した。それはまるで、北と南を示す方位磁石の針のように。


 魔獣たちの死骸を踏み越える感触は気持ちのいいものじゃない。まして、この不安定な足場で戦えるだろうか。


 敵の狙いを計りかねていたが、あいつが立ち止まった瞬間、それに気付いた。まんまと思惑にはめられ、側には倒れたレオンの姿がある。同時攻撃を警戒し、まとめて視界へ収まる位置へ誘導されていたのだ。


「しゃあっ!」


 直後、短剣を手にしたGが駆け出してきた。しかも、接近戦を仕掛けてくるとは完全に予想外だ。こいつの性格からして、遠距離からじわじわ削ってくると踏んでいたのに。


 正眼へ構えた長剣を強く握り、攻撃に備えた時だった。視界の端で大きな影が動いた。直後、右腕と左足を襲う、鋭く深い痛み。


 手中からこぼれる剣。それが落ちる乾いた音を聞きながら、頭の中は混乱していた。


 真っ白になる思考とは対照的に、視覚はGを追い続けていた。そして、淡い光を放つ右腕をはっきりと捉える。そこでようやく気付いた。この痛みの原因が、手足へ食らい付いてきたクロコディルだということに。


 迫るGの姿が、驚くほど緩慢に映った。

 あいつが笑みを浮かべながら突き出してきた短剣。俺は無我夢中で、唯一自由な左手を伸ばすのが精一杯だった。

 Gの体を掴むつもりが、身を低くしたあいつはそれを容易にすり抜けた。


「ふっ!」


 懐へ潜り込まれ、伸び上がりながら刃を繰り出してきた。

 咄嗟に身を引いたものの、狂喜で彩られた刃に、左鎖骨の真下を深々と貫かれていた。


 命の危機に痛みを感じている暇はない。再び左腕を伸ばしたものの、Gは機敏な動きでするりと逃げる。


「があっ!」


 刃が引き抜かれると同時に、胸元を斬り付けられた。俺はただ、Gが後方へ飛びすさる様を眺めることしかできない。口元を歪めて嘲笑うあいつを、睨み付けるのが精一杯だ。


「俺が正攻法で戦うとでも思ったか? ランクAを二人も相手にするほどバカじゃねー。クロコディルを見落とした、てめーの負けだ」


 悔しいが、こいつの言う通りだ。確かに、あの爆発で魔獣が全滅したと思い込んでいた。


 腕と足に食らい付く二体の魔獣。振りほどこうにも重りのような巨体は動かず、牙が一層食い込んでくるだけ。激しく動かない所を見ると、瀕死なのは間違いない。でなければ、既に手足を食い千切られている。


「だったら……」


 残る希望は、レオン以外にない。祈る想いで視線を向けたが、そこに広がっていたのはまさに絶望的な現実だけ。


 側で倒れているレオンの手足にも、別のクロコディルが食い付いている。あれでは動くこともできない。


「ここまでだ。積みだろ、碧色」


 ゆっくりと歩み寄ってくるG。その左手には魔法石がちらついている。

 それでも俺は、負けるわけにいかない。


「がうっ、がうっ!」


 頭上に羽ばたくラグが、急かすように吠え立てる。だが、それに応えるだけの手立てなど、まるで浮かばない。


 血の滲む左腕を動かし、腰の革袋へ手を伸ばした。まずは魔法石で魔獣を引き剥がし、反撃の機会を作るしかない。


「おっと!」


 Gの投げた魔法石が左肩を打った。

 破砕と同時に弾ける炎。それが傷跡を抉るように激しく燃え上がる。


 まるで、体を裏返して体内を直接焼かれるような激しい痛み。焦げた臭いが鼻を突き、痛みに耐えかね背中を丸めてしまう。


 実際は二十秒ほどだろうか。永遠にも思える時間の後、炎は静かに消滅した。代わりに続いたのはGの笑い声。


「いい様だな、碧色。腕輪のラインも赤。おまえの命も風前の灯だ」


 負けたくない。負けられない。こんな所で、こんな奴ごときに。


斬駆創造ラクレア・ヴァン!」


 その時だった。俺を追い越し、風の刃が駆け抜けた。白色の光がGの胸元を深く切り裂き、苦悶の顔で後ずさる。だが、致命傷には一歩及ばない。


 傷口を押さえ、Gは奥歯を噛み締めている。


「碧色に二物……てめーらはしつこいんだよ。大人しく死んでくれよ」


 後方を見れば、倒れたレオンは魔獣に噛まれながらも、魔法を放ったのだとわかった。


「おまえのような外道……生かしておくか」


 レオンの怒りと苦しみも分かる。故郷を魔獣に滅ぼされたこいつにとって、その恨みの対象と手を組むGなど最早、人という認識すら捨てているのかもしれない。


 俺たちのどちらかでいい。Gを止めるんだ。


「うおぉぉぉ!」


 歯を食いしばり、左拳へありったけの力を注ぐ。そのまま右腕に噛み付く魔獣の眼球を殴り付けたが、それでも振り解けない。しかも左腕は限界だ。右腕を解放することができたとしても、足へ食らい付くもう一体を振り解かなければGに近付けない。


 悔しさと苛立ちに打ち震えていると、Gが手を打ち鳴らす音がした。


「頑張るじゃねーか。敵ながら大した奴だ。ジョフロワとマリーを追ってきたのがてめーじゃなけりゃ、もっとすんなり運んだのにな」


 五歩も踏み込めば届くという距離から、こちらを覗き込んできた。


「おまえらに敬意を表し、ご褒美だ」


 足下へ投げられたのは金色の魔法石。これはさっき、レオンが受けた物と同じだ。


 そう思った時には、体が地面から浮き上がっていた。巨大な壁がぶつかってきたような強烈な衝撃。体がバラバラに砕けたのではないかと思うほどの激痛。背中から地面へ打ち付けられ、頭の中が真っ白になる。


 目の前が暗闇に覆われているのは、夜の闇のせいなのか。それとも視界すら奪われてしまったからなのか。もう、本当に動けない。いや。ここまでやったのなら充分だろう。何のために立ち上がる。


 自問自答が頭の中を埋め尽くす。もう何も考えられない。答えが見付かるはずもない。


 このままゆっくり眠りたい。そう思いながらも頭を過ぎったのは、儚げなセリーヌの姿。その寂しげな微笑みが思い返され、心臓を掴まれたように胸の奥が苦しくなる。おちおち寝てもいられないなんて。


「ったく……」


 溜め息と共に身を起こす。気が付けば、手足に食らい付いていた魔獣は消滅していた。


 腕輪から、ガラスの割れたような警告が漏れた。しかし、そんなものがあろうがなかろうが関係ない。目の前のあいつを倒す。ただそれだけのことだ。

 全身に力を込めて、もう一度立ち上がる。既に両腕の感覚がない。この体すら、自分の物でないように思える。


「てめー、バケモノか? そっちの二物みてーに、黙ってくたばりやがれ」


 数メートル先で、奇異な物を見るようにつぶやくGの姿があった。

 俺は負けられない。決して、あきらめるわけにはいかない。


「負けられねぇんだ……絶対に」


 笑みを浮かべてGの顔を見据えた。


「てめぇみてぇなクズに倒されてるようじゃ、いつまで経っても、あいつに追いつくなんてできねぇだろうが!」


 あいつに。セリーヌにもう一度会うまでは、死んでも死にきれない。


 マリーを無事に助け出し、俺でも十分な力になれるんだと見せ付けてやりたい。災厄の魔獣を討ち果たし、あいつが心から笑える日が来るように。あいつが望む、あいつらしい生き方ができるように。それを実現してやることこそ、今、俺が最も望むこと。


 そんなことをお願いした覚えはありませんと、あいつは怒るだろうか。いつものように頬をぷくりと膨らませ、艶やかな唇を尖らせた、可愛らしい顔を見せてくれるだろうか。


 もう一度、セリーヌに会いたい。


「ほざけ、死に損ないがぁ!」


 地を蹴り、短剣を手にしたGが駆け出す。

 目を見開いた必死の形相。そこに浮かぶのは恐怖。どれほど打っても倒れないとなれば、そう感じるのも無理はない。


 自嘲の笑みを浮かべた俺に、Gへの決定打など何もない。あいつの腕を取り、剣を奪う。それでひと突きすることができれば。

 不意に、フェリクスさんから教わった体術を思い出したが、体は言うことを聞かない。


 気付いた時には、Gに肩から体当たりをされ、腹部に鋭い痛みを覚えた。仰向けに崩れながら、こちらを見下ろすその顔が見える。


「さっさとくたばれ」


 肩で息をしたGが、真っ赤に染まった短剣を手に後ずさる。それを呆然と眺めながら、眠りへ落ちるように意識が遠のいてゆく。

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