16 肉奴隷
「ふたりとも。その場に全ての武器を置いて、十歩下がりなさい」
カロルに従い、短剣と革袋を含めた装備を置いた。リーズが偽者という可能性に賭けていたが、これでは手を出せない。
「アルバン。そんなにこの子が大事?」
魔力灯の淡い光が、カロルとリーズの姿を浮かび上がらせていた。長く伸びる影が、この女の心へ巣くう魔獣のように見える。
「カロル、馬鹿なことはやめてくれ」
「馬鹿なこと? 馬鹿はアルバンでしょ。こんな小娘のどこがいいのよ」
呻くリーズ。その頬を涙が伝った。
「そっか。幼馴染み同士、久々の再会ね。Gに捕まってすぐ、引き離されたんだもんねぇ? 通話石の声で、安否を確認するだけ」
カロルは手にした短剣の柄頭を使い、リーズの首筋から胸元をなぞってゆく。
「でもね。Gに奴隷扱いされてたのは、あんたたちだけじゃないのよ〜」
ねっとりとした口調に、リーズが一際大きく唸った。それを聞いたカロルは、王の首でも捕ったように意地悪く微笑む。
「この子はさしずめ肉奴隷ね。Gでしょ。弓矢使いのAと戦士のB、剣士のCとM。特にAは、この子にご執心だったのよねぇ。毎日毎日、代わる代わる犯されて……でも、意外と本人も楽しんでたのかもしれないわね〜」
顔を伏せ、うな垂れるリーズ。静かに床へ落ちる涙は、深淵へ向かう自らの心を象徴しているようにも見えた。その様に、胸の奥が締め付けられる。
「黙れ……」
呻くようなアルバンの声が漏れた。
「私だったら、とっくに自害してるわね〜。それをこの子ったら、お母さんを助けるためにも生きなきゃいけない、なんて。笑っちゃうわよね〜。もともと奴隷の素質があったのよ」
「黙れ、黙れ、黙れぇっ!」
「アルバン、落ち着け」
床へ置かれた長剣。それを目掛けて走る背に向かい、慌てて叫んだ。
リーズの身を案じて立ち止まるも、怒りに肩を震わせている。
「くそっ、くそおぉぉぉっ!」
壁を殴り付け、苦しみ悶えるアルバン。その姿を見ながら、カロルはさも楽しげに笑う。
時計塔の窓を揺らす風の音。それがアルバンの怒りを代弁するように強く吹き付け、室内へ乾いた音を響かせた。
「アルバンもモーリスも見る目が無いのよ。せっかく私が見初めて仲間に誘ってあげたのに、この美しさに見向きもしない。こんな女より下に見られた、私の屈辱がわかる?」
整った顔を歪め、蔑むような目をリーズへ向ける。
「最初は、この子が探す秘薬と一緒に、あなたたちも横取りするつもりだった。でも、薬はないし、あなたたちもなびかない。腹立たしいなんてもんじゃないわ。私の思い通りにならないことなんてなかったんだから」
そして、部屋の隅を微かに伺った。
「その点、ニコラは従順。口づけしてあげるだけで、笑っちゃうくらい良く働くの。二十歳で女も知らない純情男。最高の奴隷よね〜」
恐らく、視線の先へニコラがいる。だが、あれだけの深手では死んでしまったかもしれない。
「アルバン。こんな汚れた肉奴隷なんて捨てて、私に忠誠を誓いなさい。Gに頼んで、あなたとモーリスは助けてあげる」
「ふざけるな! リーズは見捨てない!」
「はん! あんたにも、この子が蹂躙される様を見せてあげたかったわ〜。そりゃあもう、胸がすかっとしたんだから」
短剣を手にした右腕を広げ、高らかに笑う悪魔のような女がひとり。最早、常識を逸した所へ墜ちてしまったのか。
「あんたたちと会う度に、笑いを堪えるのが大変だったわよ〜。リーズのために、なんて歯を食いしばって悲鳴を上げてる間、この子は喘ぎの声を上げていたとも知らずにね〜」
その瞳へ、怪しい光が灯った。
「だけど、それも今日でおしまい。私の誘いを拒否するようなゴミはいらないの。この子と一緒に、あの世へ行くといいわ」
左腕にリーズを抱いたまま、ゆっくり近付いてくる悪魔。そいつは俺たちの武器を踏み付けると、呪文詠唱のために短剣を構えた。
「がう、がうっ!」
左肩の上で、ラグが警戒を促して吠える。
「くそっ、魔導武器か!?」
この状態で魔法を使えるということは、あいつが手にする短剣は魔力を秘めた魔導触媒だ。とにかく、詠唱を止めなければ。
「カロル、聞いてくれ。君も、Gに騙されてるんだ。気付かないのか?」
「はん! この期に及んでなんなのよ?」
「Gは俺たち諸共、君もここで始末するつもりだ。考えてみろ。どうしてここに、人質はリーズだけなんだ? 俺の行動を完全に奪うつもりなら、人質はマリーと大司教だろ?」
「それは……」
言いよどむカロル。不安を感じた視線が、落ち着きなく辺りを彷徨った。
「もし俺が、アルバンとリーズを見捨てたら? 君がリーズに短剣を突き付けても、俺には何の被害もない。君が踏んでいる剣を拾って、首を刎ねれば終了、だろ?」
「碧色さん!?」
戸惑いを含んだアルバンの眼差しが痛い。
「そんなはずない。Gが私を見捨てるなんて……この数ヶ月間、どれだけあいつに奉仕してきたと思ってるのよ!?」
「でも、これが現実だ。俺たちと一緒に来ないか? Gに復讐するんだ」
「復讐?」
カロルの動きが止まった。もうひと押しで堕とせる。
「君が一緒に来てくれたら、あいつを追い詰められる」
「ちょっと待って! 話を……話をさせて。Gから通話石を預かってるんでしょ? 彼と話すまで、私は応じない!」
「話してどうなる? はぐらかされるだけだ」
Gと接触させるわけにはいかない。
「ニコラがいい見本だ。最後は捨てられる」
「うるさい! 早く通話石を出しなさい!」
「んぐうぅっ」
怒りに任せてわめいたカロルは、左腕へ抱いたリーズの肩へ短剣を突き刺した。
「落ち着いてくれ、わかったから!」
さすがにアルバンが黙っていなかった。即座に通話石を取り出し、拡声音量を上げるためにそれを捻った。
『クックッ……こっちにも良く聞こえてるぞ。おもしれーことになってるじゃねーか』
聞きたくもない邪悪な声が、室内を満たすように響き渡った。
「お願い。G、助けて!」
「G、よくも騙してくれたな。こそこそ隠れてんじゃねぇ! さっさと姿を見せろ」
「ちょっと、碧色は割り込まないで!」
カロルの怒鳴り声が邪魔だ。
『悪いが、人見知りが激しくてな。こうして遠目から見てるだけで充分だ。ところで、俺とのんびり話してる場合じゃねーんだろ? カロル。こんなバカどもに騙されるおめーじゃねーだろ? おまえは優秀な俺の片腕だ』
「G、信じて良いのよね?」
『当然だ。美人で有能な魔導師。Dは死んじまったが、希少な存在であるおまえたちだからこそ、解毒薬まで持たせてやってるんだろーが。おまえは最高の女だよ』
にわかにカロルの顔が明るくなった。やはり、こいつは墜とせないのか。
だが、このやり取りの最中、俺の耳には微かな三つの金属音が聞こえていた。
『おまえにリーズを任せたのは、急な対応だったからだ。碧色がひとりで来れば、ジョフロワを人質にするつもりだった』
「ねぇ、Cもやられたわ。すぐに来て、こいつらを八つ裂きにして」
『慌てるな。まずは落ち着いて、アルバンへ縄を渡せ。そいつらを縛る間に、俺もそっちへ向かう。いいな?』
「わかったわ。お願いだから急いでね」
カロルは腰に括り付けていた縄を解き、アルバンの足下へ放った。
「それで碧色を縛りなさい。妙な動きをしたら、またリーズを刺すわよ!」
「わかったから、彼女には何もしないでくれ」
縄を拾ったアルバンは、すまなそうな顔でこちらを振り返ってきた。
反撃に出るならここしかない。このまま縛られてしまえば、ドミニクと戦った時のように一層不利な状況に追い込まれる。そのためには、アルバンとリーズを見捨てるしかない。
だが、竜臨活性の切れた今、アルバンを振り切るだけの力があるのか。もたつけば、カロルの魔法で返り討ちだ。最悪、アルバンとカロルを敵に回すことになる。
奥歯を噛み締めていると、こちらを見て愉悦の笑みを浮かべるカロルがいた。
「ほらね。Gは裏切ったりしない! 私も最初は、助かりたい一心で仲間を裏切った。でも、Gと接している間に分かったのよ。この一団の裏で、もっと大きな力が動いてる。私だって、富と権力を手にできるの!」
大きな力。それが妙に引っかかった。
「碧色さん。すみません」
アルバンの手にした縄が、両腕を塞ぐように巻き付けられてゆく。どうすることもできないもどかしさと苛立ちを抱え、カロルへ視線を向けた時だった。彼女は背後へ近付くその陰に、全く気付いていなかった。
「かはっ!?」
カロルの腹部から、刃の先端が勢いよく飛び出した。
リーズを捕まえていた手を離し、呆然と刃を掴むカロル。恐る恐る振り返ったその先には、恍惚とした狂喜の笑みを浮かべるニコラが寄り添っていた。