01 空は晴れ、心は欠けて
澄み渡る空に、ゆったりと雲が流れている。まるで大空を泳ぐように、どこまでも自由な姿だ。
でも、その景色はどこか色褪せて見えた。
セリーヌがいない。それだけで、世界はこんなにも退屈になるのか。
君は今、どこで何を思っているんだ。
兄を探すという目的は、ほんの数ヶ月で優先順位が塗り替えられてしまった。頭ではわかっている。俺には俺の道がある。
それでも、心がついてこない。
まるで心の一部を、彼女に持っていかれたようだった。
無性に会いたい。言葉を交わしたい。何でもないやり取りが、こんなにも大切だったんだと今さら思い知らされる。
失ってから気付くなんて、笑えない話だ。
「リュシアン・バティスト。聞いているのかい?」
「あ?」
意識が引き戻される。目の前にはナルシスの背中。そういえば、びゅんびゅん丸に乗せてもらっていたのか。
カルキエを出たのは昨日。人目を避けるため宿は使えず、まさかこいつと野宿する羽目になるとは思わなかった。
嫌いじゃないが、鬱陶しい。
早くジュネイソンへ着きたいが、今は経由地のグラセールに向かっているところだ。
「何か言ったか。全然聞いてなかった」
「まったく……僕を何だと思っているんだ」
「別になんとも」
盛大な溜め息が返ってくる。
「つくづく失礼な男だな。こうして安全に送り届けてやろうというのに。もっと感謝して欲しいくらいだ」
「あぁ、そりゃどうも。年上に友達口調で話すおまえの方が、よっぽど失礼だけどな」
沈黙と共に、びゅんびゅん丸の規則的な足音と、心地よい振動だけが続く。
「今すぐ、降りてもらっていいかな?」
「全力で断る。不満ならおまえが降りろ」
「ああもう、なんなんだ君は! こんなことなら乗せるんじゃなかった」
なんて身勝手な奴だ。
「うだうだ言うな。だったらそもそも、どうして付いて来やがった」
「それはその……姫を追いたいのは山々だが、僕ひとりでは……」
「要するに、俺たちの力をアテにしてるわけか。他力本願男め」
「そういう言い方はやめてくれ!」
「ああ、やだやだ。他力本願に甘えん坊、ついでに付きまとい癖まであるなんてなぁ」
「待ってくれ! 付きまといは君も同じだろう。それに甘えん坊ではない! 今その話をしていたじゃないか」
「は? 何の話だって?」
引っかかりはあったが、とりあえず続きを促す。
「マリー君だ。住んでいた街が滅ぼされ、身寄りがないとは本当なのかい?」
「そのことか。大司教を締め上げたら吐いた。間違いねぇ」
ジョフロワの顔が脳裏に浮かぶ。あの男が聖職者として崇められていることに、どうにも虫酸が走る。
「彼女自身も、その事実を知っているのだろう? よく耐えたものだね」
「事件の背後関係は伏せたまま、大司教がうまく丸め込んだんだろ……」
説明しながら、マリーが不憫に思えてきた。
「恩人で偉大な人だとさ……洗脳とまでは言わねぇけど、あいつにとって唯一の拠り所なんだろうな」
「その苦しみは、わかるよ」
ナルシスは手綱から片手を離し、胸元から銀のペンダントを取り出した。
「甘えん坊の誤解を解くために出したわけではないからな」
自嘲気味に笑っている。
「もう五年になるかな……僕の母も魔獣に殺されたんだ。目の前で僕を庇ってね」
「そうだったのか……おまえも苦難の道を歩いて来たんだな」
「きゅうぅん」
左肩の上で、ラグまでしゅんとしている。
ナルシスのことを、自信に満ちて活動的な男だと思っていた。陰の部分を見せない毅然とした態度は、仮面だったのかもしれない。
「冒険者になったのも、魔獣に怯えることのない平穏な時代を築きたいからさ。父には断固反対されたけれど、半ば飛び出すように家を出てしまってね……」
家を飛び出したという境遇は俺と似ている。だが、家族を失った痛みを抱えている分、こいつの傷は深い。
「ここ数年で、魔獣たちが突然、凶暴になってきたのは知っているだろう? その原因を解明したくてね。自分の気持ちに整理を付けるためにも、絶対に成し遂げたいんだ」
ペンダントを仕舞い、前を向く。
「マリー君のことも他人事に思えなくてね。僕にできることがあれば力になりたいんだ」
「おまえ、意外と良い奴なんだな」
「意外とは何だ。でなければ、君のような男を乗せるわけがないだろう。そこは姫の指定席だというのに」
「永久に空席だろ。俺が有効的に活用してやってるんだろうが」
「やはり、今すぐ降りてくれ!」
「全力で断る!」
言い合っているうちに林を抜け、小高い丘へ出た。
左下方には街道が延び、グラセールの街へ向かう馬車が見える。あれにシルヴィさんたちが乗っているはずだ。
「このまま馬車に近付いて、ジュネイソン方面へ乗り換えるのを待つか」
「その間に僕は食料を調達する。君は姿を隠していた方がいい」
「そうさせてもらうか」
大司教の誘拐騒ぎから二日。魔導通話石を介して、近隣の衛兵たちへ俺の情報が流れていてもおかしくない。下手に動くのは危険だ。
馬車が街へ吸い込まれていく。それと入れ替わるように、街の入口を塞ぐ数人の人影が目に付いた。
なんだか嫌な予感がする。
「あれは何だ。ナルシス、もう少し近付いてくれ。ゆっくりだぞ……」
びゅんびゅん丸の速度を抑え、様子を伺う。
人影は五人。陽射しを照り返すのは、軽量鎧だ。清らかさを象徴する純白と、左胸に刻印されている炎の紋章は闘志を意味しているのだとか。
ラグも牙を剥き、威嚇の声を上げる。
「まずいな……衛兵だ」
「どうして急に彼等が?」
「待ち伏せか……」
不安が過ぎり、腰の革袋へ手を伸ばした。
シルヴィさんと対になっている魔導通話石を取り出し、強く握る。
「聞こえますか?」
声を潜め、様子を伺うように尋ねた。
『さぁ、速やかに馬車から降りるんだ!』
返ってきたのは知らない男の怒声だった。
『リュシアン・バティストの仲間だな。この街を通ると聞いている。事情を聞くため、拘束させてもらうぞ』
その言葉が信じられなかった。
「知らせを受けた? 誰が……」
「簡単じゃないか。大司教とマリー君を攫った一味以外に考えられない」
背を向けたままのナルシスが即答した。
「ジュネイソンに来いって言ったんだぞ。どうして、こんな所で……」
「恐らく、こちらの戦力を削ぐためだろう。リュシアン・バティスト。狙いは君なのかも」
「ふざけやがって!」
マリーの両親を名乗ったり、遠回しに消耗させたり、やり口の汚さに苛立ちが募る。
舌打ちを漏らした時、街の中から白煙が立ち昇った。
『リュシー、聞こえる? 煙幕を撒いたわ。街を出たら合流しましょう』
早口でまくし立てたシルヴィさんは、通話を遮断した。
街の方角へ視線を向ける。白煙の向こう、姿は見えない。
だが、不思議と不安はなかった。
シルヴィさんがいる。あの人なら、簡単に捕まるはずがない。
それに、レオンもいる。あいつは簡単に追い詰められるような男じゃない。あの冷静さと執念は、嫌というほど知っている。むしろ、追い詰める側だ。
必ず合流できる。ここで足止めを食らうわけにはいかない。
「ナルシス、準備はいいか」
「何をするつもりなんだい」
「決まってるだろ。みんなを無事に逃がす」
気合いを入れ、ベルトからスリング・ショットを引き抜く。
「正気かい!?」
「いいから行け!」
「君は本当に、早死にしそうだな」
ナルシスは苦笑して、びゅんびゅん丸の腹を蹴った。
風を切り、白馬は一気に加速する。
「何とでも言いやがれ。誰ひとり欠けさせない」
風を切りながら、前を睨む。
「俺が守る!」
この決意は決して揺るがない。





