55 フェリクスの原点
出立に備えて身支度を進める。
「めんどくせぇ……」
この神竜鎧にも助けられたが、長い間を冒険服で過ごしてきた身だ。
ひとつずつ装備を整えていく工程が、わずらわしく感じる。
すると、見慣れたビキニアーマー姿のシルヴィさんが戻ってきた。隣にアンナもいる。
「レオンは?」
「仮眠中だった」
何気なく問うと、アンナが呆れたように言う。
「出発する時に起こせ、って伝言を残したみたい。朝方まで見張ってたんだって。自分も疲れてるはずなのに、ほんと凄いよね」
「また見張りを? 粘り強い奴だよな……」
アンナと顔を見合わせ、苦笑する。
勝利の余韻で油断している時が一番危ない。
レオンはいつもそう言う。
こんな時くらい、周りを頼ってもいいだろうに。
「悪いけど、起こしてきてくれるか? マルクさんの見舞いに行くつもりなんだ。置いていくと、後でうるさそうだし」
「わかった。任せて」
アンナはそう言って、レオンを起こしに向かう。
しばらくして戻ってくると、セリーヌも一緒だった。
パーティ登録を済ませた五人が、初めて揃う。
顔を見合わせただけなのに、胸の奥に不思議な達成感が広がった。
「皆様、おはようございます」
セリーヌが深々と頭を下げる。
マルティサン島で一年を共に過ごしたが、パーティの一員として向き合うと、どこか特別な感じがした。
「守り人のみんなは?」
「それが……」
セリーヌがわずかに視線を伏せる。
「皆様、朝早くから出掛けられました」
「どこに?」
疲労というより、困惑している顔だ。
「プロスクレ様が住まわれていた滝裏の洞穴の存在を知ったそうなのです。現在は魔獣の巣になっていることが許せないと……激怒したクロヴィス様を筆頭に、ユリスまで討伐に付いていってしまったそうで」
地の民クロヴィス。
あの威圧感を思い出し、苦笑が漏れる。
六十を過ぎているとは思えない屈強な体躯。
セリーヌが止められなかったのも無理はない。
「全員が竜の力の使い手だぜ……洞窟が崩れないことを祈るよ」
「コームも止めてくれたのですが聞き入れていただけず、テオファヌ様も楽観されております」
「で、そのふたりは?」
「テオファヌ様は青年姿のまま、本部の食堂で朝食を召し上がっています。コームが話し相手を務めてくれているところです」
「みんな奔放すぎるだろ……」
思わずため息が漏れた。
「テオファヌ様はお食事が済み次第、マリーさん、ブリジットさん、デリアさんをヴァルネットまで運んでくださるそうです」
「三人はどうして戻るんだ?」
「我々が出立するまでに、秘薬をいくつか生成できるかもしれないと」
「本気か? みんなだって疲れてるだろうに」
それでも動いている。
それぞれが、自分の役割を理解している。
俺たちも予定通り、五人だけでマルクさんを見舞うことにした。
「そういえば、この神竜剣だけど……」
道すがら、セリーヌに声を掛ける。
「戦いが終わるまで、リュシアンさんにお預け致します。ユリスも了承しておりますから、光の民の総意だと思ってください」
「いいのか?」
「はい。神竜剣の力を最大限に引き出せるのは、今はリュシアンさんだけです」
「助かる。ありがたく使わせてもらうよ」
この剣との結びつきは、俺自身も強く感じていた。
ようやく取り戻した。
もう手放すつもりはない。
※ ※ ※
看護棟の個室を訪ねたが、マルクさんは話せる状態ではなかった。
『はいはい、こっちは私たちに任せて。リュシアンは世界を救うことに集中して』
『どうせならこんなおじさんじゃなくて、ジェラルドさんのお世話したいんですけど〜』
クリスタさんとソーニャが交代で世話をしてくれている。
長居すれば、かえって邪魔になるだけだ。
見舞いを済ませた俺たちは、レリアさんと一緒に中庭へ移動した。
「容態は芳しくないわね……」
レリアさんが疲れた声で呟く。
夜通し付き添っていたのだろう。
「私でも知らない種類の毒だった。エドモン君がいてくれて助かったわ」
思わぬところでエドモンが役に立った。
追放した立場としては複雑だが、今は感謝するしかない。
「解毒の薬草を採りに行くとか?」
「そうなのよ」
言葉を合図にしたように、兄とナルシス、エドモンが現れた。
すでに武装を整えている。
「リュシアン」
兄が駆け寄ってくる。
「やっと会えた……」
泣き笑いのような顔だった。
「礼も詫びも言えないままですまない。皆さんにも迷惑をお掛けしました」
兄は太腿に手を添え、深く頭を下げた。
「一度ならず二度までも失態を晒した。この借りは、マルクさんを助けることで返します」
「兄貴が謝ることじゃないって。モニクの不意打ちもあったし、どうにもならなかった」
肩に手を置く。
だが兄は頭を上げない。
「甘やかさないでくれ。自分で自分を許せないんだ」
背後でナルシスとエドモンも困った顔をしている。
「昨日からずっとこの調子なんだ。励ましてやってくれたまえ」
「オイラたちも同罪っスよ……やられっぱなしで、満足な支援ができなかったんスから……」
その空気を断ち切るように、レリアさんが手を叩いた。
「この話は終わり。マルクを助けて借りを返してくれるなら歓迎よ」
兄の肩に手を置き、満足そうに頷く。
そして周囲を見回し、人の気配を確かめると声を潜めた。
「みんなには話しておかないとね……フェリクスのこと」
「あの人のことをですか?」
世界を終わらせようとしている男。
その名を聞くだけで、空気がわずかに張り詰める。
「そうよ。相手を知らなければ戦えないでしょ。どうして彼が、世界を憎むほどになったのか」
「それは……確かに知りたいです」
「とはいっても、私も本人から聞いた話しか知らないけど」
レリアさんが声を落とす。
俺たちは自然と円を作り、小さく集まった。
「フェリクスが十五歳の時、彼の住む街で流行病が起きたそうなの」
初めて聞く、あの人の過去だった。
「ご両親が感染してしまって、寺院にしかない特効薬が必要だった。けれど、その薬はとても高価だったの」
レリアさんの声は静かだった。
「彼は家財をほとんど売り払って、どうにかお金を用意した。そして寺院へ向かった」
そこまで聞いた時点で、胸がざわつく。
「幸い、薬はふたつ残っていた。ちょうど両親の分。でもね……」
歯切れの悪さに、不穏な流れを感じる。
「特権階級の富裕層が割り込んできたそうよ」
嫌な予感が現実になる。
「結局、ひとつを横取りされてしまった」
拳を握る。
あの人の話だというのに、自分のことのように腹が立つ。
「母親は父親に薬を飲ませて、自分は次でいいと言ったそうよ……」
呻くように言葉を紡ぐ。
「その晩、容態が急変して……そのまま亡くなった」
沈黙が落ちる。
「父親は後日、寺院へ抗議に向かったらしいわ。でも帰ってこなかった」
声が、わずかに震えている。
「数日後、街の片隅で……変わり果てた姿で見つかったそうよ」
胸が重く沈む。
「魔力優先の世界を変える」
レリアさんが静かに言った。
「家族を奪われた怒り。それこそが……フェリクスの原点なの」
胸の奥に、重いものが残る。
それでも。
「俺たちにだって負けられない理由がある」
拳を握る。
「世界は終わらせない」
何としても。
あの人を止める。





