53 宣告の後で
「くそっ!」
遠ざかる魔獣を睨み、リュシアンは怒りを吐き出した。
振り下ろした神竜剣の刃が地面へ食い込み、鈍い音を立てる。
モニクが離れたことで暗黒結界は消滅し、漆黒の景色が本来の夜へと戻ってゆく。
だが、胸の奥の闇だけは晴れない。
「ジェラルドは、僕が探しに行こう」
青年の姿をしたテオファヌが告げた。
「助かります」
「俺たちも手伝います」
リュシアンが弱く頭を下げると、水の民イヴォンが声を上げ、炎の民ヘクターが無言で頷いた。
それぞれが、すでに動く覚悟を決めている。
結界が消えた戦場には、王国軍と冒険者たちの姿が浮かび上がった。
魔力灯が闇を押し返す。だが、空気は重いままだ。
「何が起こった? 説明しろ」
エヴァリストがリュシアンに詰め寄る。
臙脂色の鎧は砕け、血の跡が滲んでいる。それでも、瞳は軍団長としての光を失っていない。
『落ち着いてください。後で話します。ブリュス・キュリテールの討伐は完了しました。当面の危機は去った。それだけ伝えておきます。帰還しましょう』
声が拡散され、周囲から歓声が上がる。戦い前の険悪な雰囲気は失われていた。
だが、その歓喜はどこか遠い。
リュシアンは軍団長と三名の隊長を呼び止めた。
「新たな敵が現れました。拠点はラモナ島です。七日以内に攻め込まなければ、凶暴化した魔獣を世界中へ放つと宣言しています」
「魔獣を飼い慣らしているとでもいうのか? しかも、たったの七日だと?」
空気が変わる。
「奴らの仲間と以前に戦いましたが、魔獣を操る者がいました。同様の技術だと思います」
さすがに理力の宝珠の存在を明かすわけにはいかない。リュシアンは情報を伏せた。
「敵は何者だ」
深手を負いながらも、エヴァリストの目は濁っていない。
「声を聞いただけで、顔まではわかりませんでした。ですが、ブリュス・キュリテールの騒ぎは陽動だった可能性が高い」
「第一波は防いだ、ということか」
「そうですね。余計な騒動は避けたいので、今はあなたたちだけの胸に留めておいてください。それから、ラモナ島へ攻め込むことになった際には、王国軍からも再度手を借りたいんです。兵と船を集めておいてください。今後の動きは後日改めて……」
短い言葉だけを残し、別れる。
勝利の喧騒の中に、確かな温度差があった。
「すっきりしない勝利だな」
リュシアンは加護の腕輪を使い、下半身だけとなってしまった魔獣を映写に収めた。
「ったく。ちまちまやってんじゃねぇよ」
豪快な声と共に現れたのは剣豪アクセルだ。
「こういうのは、大胆かつ派手にやるもんだ」
自慢の大剣を一閃。大蛇が根元から断たれた。
「これくらいなら持って帰れるだろ。冒険者ギルドに展示でもしてもらうか?」
丸太のような大蛇を担ぎ上げる姿は、もはや怪力の域を超えている。
「これは後で仲間たちに運ばせる。あいつらは、マルクさんの様子を見に行ってるからな」
「毒を受けたとか……心配ですよね」
押し黙るリュシアンの周りに、レオン、シルヴィ、アンナが集った。
遅れてやってきた、ナルシスとエドモンも合流している。
「フェリクスが生きていてくれたのは嬉しいけど、まさか敵側に寝返ったなんてね……祝杯どころか、やけ酒ね」
シルヴィの顔には疲労が濃い。結わえていた髪は解け、乱れている。
「だけど、みんなが無事で良かったよ。アンナも秘薬のお陰で命を救われたし、マリーちゃんに感謝だね」
アンナは他人事のように笑う。シルヴィは、驚きと呆れを含んだ顔をした。
「大丈夫なの? おかしなところがあったらちゃんと言いなさいよ。あなたに何かあったら発狂しちゃうわよ」
「大丈夫だよ。シル姉は心配性なんだから」
無邪気な顔でシルヴィに抱きつくアンナを見て、エドモンがたまらず口を開いた。
「それがですね、全然、大丈夫じゃないんスよ。火凶星のデニスって大猿と戦って、全身の骨がぐちゃぐちゃに……」
「エド君!」
アンナの蹴りが、エドモンの尻を打った。
「ちょっ、何するんスか!?」
「余計なことは言わなくていいの」
「待ちなさい。詳しく聞かせなさいよ」
迫るシルヴィの姿に、アンナとエドモンの顔が引き攣ってゆく。
彼らと入れ替わるように、びゅんびゅん丸の手綱を引いたナルシスが、笑みを浮かべてリュシアンに近付いた。
「念願の討伐だというのに冴えないな、リュシアン・バティスト」
「うるせぇよ。っていうか、おまえはランクSにも達してねぇだろうが。勝者の輪に入ってくるんじゃねぇよ。帰れ」
「酷い言い草だな……君の剣になると約束したじゃないか。なぁ、レオン・アルカン」
「馴れ馴れしい」
「ぐぬぅ……」
ふたりに拒絶され、ナルシスは渋い顔になる。
「酷いじゃないか、君たち。僕は悲しいよ。マルティサン島という場所は、人の心すら変えてしまうほど恐ろしい場所なのか……」
肩を落としたナルシスが不憫になり、リュシアンはやり過ぎたと苦笑を浮かべた。
「ほんの冗談だ。ナルシスが、兄貴やエドモンの仲を取り持ってくれたのは感謝してるよ。ありがとな」
「その通りだ。もっと感謝したまえ」
「やっぱり、面倒くせぇわ……」
軽口が交わされ、空気がわずかに緩む。
だが、それがあるから立っていられる。
やがて、レオンが腕を組んだ。
「で、どうする」
真っ直ぐな視線がリュシアンを捉えた。
「戦うの?」
「言っただろ」
即答だった。
「あいつはもうフェリクスさんじゃない。ただの怪物だ。必要なら斬る」
一瞬の沈黙が場を支配する。
「安心した」
レオンの声は冷えている。
「迷いがあるなら、見限っていたところだ」
「神器は戻った。あとは宝珠だ」
「それで終わる?」
「終わらせる」
視線がぶつかる。
確認ではない。覚悟の共有だ。
「最後まで頼む」
「言われなくても」
短い拳の衝突。
リュシアンは守り人たちの輪へ向かった。
すぐさまセリーヌが駆け寄ってくる。
「皆、ラモナ島へ向かうと決めました。理力の宝珠を取り戻すまで、わたくしたちの戦いも終わりません」
震えていない。強い声だ。
「最後まで共に歩ませてください」
「こちらこそ、頼む。一晩ゆっくり休んで、その後を考えよう」
夜が、薄くなる。
遺体の回収と葬儀は、王国軍の歩兵隊と冒険者たちが行うことになっている。
セリーヌはイリスの埋葬を希望したが、胴元であるリュシアンのパーティがひとりを手厚くしては角が立つ。
「代わりといってはなんですが、ひとつお願いがございます」
セリーヌとコームに頼まれたリュシアンは、紛失した魔導通話石の探索と回収を行った。
魔導通話石を探しながら、リュシアンは空を見上げる。
「東の空が白む……七日か……」
それは猶予ではない。
「宣告だ……」
夜が明けても、終わらない。
戦いは、形を変えただけだ。
ラモナ島が、静かに彼らを待っている。





