01 蜘蛛に囚われた森
『“蜘蛛に囚われた森”を探せ』
あの男の声が、まだ耳に残っている。
終末の担い手。
狂った男が残した、例の言葉だ。
「蜘蛛に囚われた森……実際に見ると、ここで間違いない」
「がうっ!」
左肩の上で、ラグが短く吠えた。
「突き止めるのに、二ヶ月もかかったぞ……あの野郎」
眼下に広がるのはムスティア大森林。見張り小屋の立つ丘からは、風に揺れる樹海が一望できる。
穏やかな景色だ。
それなのに、胸の奥が落ち着かない。
胸ポケットから羊皮紙を取り出す。
中心から外へ広がる六角形の道。蜘蛛の巣を思わせる測量図だ。
『ようやく見つけました。この森かもしれません』
シャルロットの連絡で、冒険者ギルドに呼び出された。
差し出された地図を見た瞬間、胸の奥がざわついた。
「偶然にしては、出来すぎか」
森に入ったきり戻らない老人を、連れ帰る。
それが一番の目的だが、ついでに確かめる価値はある。
「まずは、ルノーさんを探すのが先だな」
六つある入口のうち、最寄りの道へ足を踏み入れた。
※ ※ ※
「どこにいるんだ」
鬱蒼と茂る森は薄暗い。膝まで伸びた下草が足に絡む。
探しているルノーさんは六十を越える老人だ。無茶をする人には見えなかった。
だが昨日、森へ入ったきり戻らない。
左肩のラグをちらりと見る。
「ヴァルネットじゃそこそこ有名らしいんだ。奥さんは衛兵に頼んだらしいけど、女将のイザベルさんが“それじゃ足りない”ってさ。で、俺に声がかかったってわけ」
「がう、がうっ」
イザベルさんに同意するように、力強い声が返ってくる。
「でもさ、もうひとつ気がかりがあるんだ。半年くらい前から、大森林での依頼を受けた冒険者の消息不明が続いてるらしい……関係なきゃいいけどな」
森の奥に目を向ける。
風がやんだ気がした。
「ラグに謎の距離制限がなけりゃ、空から探してもらうんだけどな」
「きゅぅぅん……」
「あぁ、落ち込むなって」
軽く笑い、水筒をあおる。甘みのある野菜飲料が喉を通った。
「やっぱり水にすりゃよかった……弁当まで持たされて、行楽かよ」
外周を歩いていた、その時だった。
「ひいぃぃっ!」
若い男の悲鳴が森に響いた。
「冒険者か?」
腰の剣を抜き、駆ける。
木々の間で、三人の衛兵が魔獣アレニエに囲まれていた。
一抱えはある深緑の蜘蛛型魔獣。糸一本で木々を渡り、牙に神経毒を持つ厄介な相手だ。
すでにひとりが倒れ、痙攣している。
「直線的にしか動けねぇ。目を離すな」
碧色に輝く刃を振るう。
振り子のように跳ぶ一体を、軌道ごと断ち切った。
毒だけ気をつければいい。
横合いから来た個体を一閃で両断。
踏み込み、二体、三体。
気づけば、足元にはいくつもの死骸が転がっていた。
「怪我はないか?」
若い衛兵に声をかけた瞬間、彼の頭上に影が差す。
「上だ!」
この距離では間に合わない。
だが次の瞬間、黄金色の光が木々を抜けた。
魔力の矢がアレニエの頭部を貫く。
とどめを刺そうと踏み込んだ、その時だ。
「ふんぬうっ!」
巨大な戦鎚が振り下ろされ、魔獣は潰れた。
「潰れてしまえ! 馬鹿タヌキめ!」
鎚を振るうのは、大柄な男だ。
角刈りの短髪、角ばった顔。鎧がはち切れそうなほどの体格。
飛び散る体液も気にせず、なおも叩き続ける。
「兵長、もう大丈夫ですから」
さっき助けた若い衛兵が止めに入る。
「気が済むまでやらせてやれ。鬱憤が溜まってるんだ」
中堅らしき衛兵が肩をすくめた。
「でも、タヌキというのは何ですか?」
「ダミアン長官のあだ名さ。兵長、いびられててな。で、魔獣相手に発散してるわけよ」
これが、ヴァルネット衛兵長のシモン・アングラードか。
噂以上に危険そうな男だ。
「あなたのおかげで助かりました」
「いや、とんでもない。俺はこれで」
頭を下げてくる中堅衛兵を留め、早々に背を向ける。
「碧色に輝く刀身……貴様、リュシアン・バティストだな?」
野太い声が飛んできた。
「え!? あの“碧色の閃光”!?」
「冒険者ごときに色めき立つな」
若い衛兵を小突き、シモンが睨んできた。
「矢を撃ったのも貴様か?」
「弓を持ってるように見えます?」
両手を広げて見せると、背後で枝葉が揺れた。
「矢を撃ったの、アンナだから!」
「は?」
木の上から軽やかに降り立ったのは、小柄な少女だった。
「なんでおまえが」
「それ、こっちのセリフ。まさか、リュー兄がいるなんてさ」
猫のような目を細め、アンナが笑う。
その背後。
森の奥が、わずかにざわめいた気がした。





