01 竜の痕跡と、譲れない依頼
「頼む。この依頼だけは、あきらめてくれ」
目の前の美女に頭を下げた。
原因は、一枚の依頼書だ。
脳裏に浮かんだのは、昨夜出会った親子の姿だった。
母親は不安を悟られまいと笑顔を作り、その隣では男の子が、そんな母親を安心させようと懸命に明るく振る舞っていた。
『任せろ。俺がなんとかしてやる。これでも剣士なんだ。割と強いんだぜ』
『宝物、取り返してくれるの!?』
希望に輝いていた瞳が忘れられない。あの子との約束だけは、破るわけにはいかない。
そのためなら、頭を下げるくらいどうってこともない。
「これは、私にこそ相応しいものです」
美女の声は静かだった。穏やかな声音とは裏腹に、微塵の迷いも感じられない。
「その根拠はどこにあるんだ?」
「私なら成功できると考えております」
「ずいぶんな自信だな」
「実力に見合った評価をしているだけです」
淡々とした口調の奥に、俺と同じく引くつもりがないという意志が滲んでいる。
不満を飲み込み、その顔を見つめた。
女神のような顔立ちに、透き通るように白い肌。均整の取れた体つき。そして、胸元まで流れる濃紺の髪が、午後の陽射しを受けてかすかに艶めいている。
この地方では、ほとんど見かけない髪色だ。
母も同じような髪色をしていたせいだろうか。初対面のはずなのに、ほんの一瞬だけ、彼女に懐かしさを覚えた。
もっとも、雰囲気は母とは正反対だ。育ちの良さが自然と滲み出ていて、冒険者というより、どこかの名家の令嬢と言ったほうがしっくりくる。
そんなことを考えているうちに、周囲のざわめきが次第に大きくなっていることに気づいた。
午後の陽射しが差し込む冒険者ギルドは、依頼帰りの冒険者や昼食を終えた者たちで賑わっている。木製の長椅子では仲間同士が酒瓶を傾け、依頼書の貼られた衝立の前では、次の仕事を探す冒険者たちが肩を寄せ合っていた。そのうちの何人かが、俺たちを見ている。
「喧嘩か? すっげぇ美人だな……」
「相手、碧色のリュシアンだろ?」
「あいつか。まだ竜を探してるのか?」
野次馬たちを睨むと、何人かが気まずそうに顔を逸らした。さすがに冗談を続けるのはまずいと思ったのか、冒険者たちは足早に散っていく。
入口の近くでは、派手な服装をした剣士が足を止め、美女に見とれていた。
「とにかくだ」
余計なことに気を取られている場合じゃない。改めて向き直ると、美女の濃紺の瞳と視線がぶつかった。
「依頼は早い者勝ちだ。先に手を伸ばしたのは俺なんだからな」
「私も受けるつもりで参りました」
「どうしてそこまでこだわるんだ?」
彼女は、本当に意味がわからないというように、わずかに首を傾げた。
「困っている方がいるからです。充分な理由ではありませんか?」
はたから見れば、ムキになっている俺のほうがおとなげないのかもしれない。
それでも、子供との約束を守りたいから依頼を譲れない、なんて理由を口にするのは、格好悪い気がして言えない。
「まぁ、間違っちゃいないけどな」
「でしたら……」
「それでも駄目だ。そもそも狼型魔獣の討伐だぞ。竜を探すわけでもあるまいし」
「竜を探されていらっしゃるのですか?」
その瞬間、彼女の穏やかな表情が消えた。濃紺の瞳が、まっすぐ俺を見据える。
単なる興味じゃない。何かを確かめようとするような、妙に切実な視線だ。
「いや……ただの例え話だ」
「そうですよね。絶滅したと言われる竜を探すなど、夢のようなお話ですから」
柔らかな表情で、軽く流された。やはり、みんな同じ反応をする。
「夢を夢のまま終わらせるのか?」
口にしてから、自分でも苦笑した。
結局、俺は昔からこういうところが変わらない。
それでも、この想いだけは譲れなかった。
「例え話だなんて誤魔化したけど、俺は信じてるんだ。どこかで、竜は生きてるってな」
知らず、声に力が籠もる。
「未知を追うから、冒険者ってのは面白いんだろ。俺の最終目標は、竜を見つけることだ」
「リュシアンさん。探していた情報ですよ」
聞き慣れた声に振り向くと、お下げ髪の少女が呆れたような顔で立っていた。
「シャルロットか。どうした?」
「どうした? じゃありませんよ……おふたりの声が響いて、周りの迷惑になってます」
少女は肩を竦めると、美女へ向き直った。
その容姿に少し圧倒されたのか、シャルロットの表情がわずかにこわばる。
「私はシャルロットと言います。このギルドで案内係をしています」
美女はすぐに背筋を伸ばした。
「お騒がせして申し訳ありません。こちらの方が折れてくだされば、こんなことには……」
「おい。全部俺のせいになってないか?」
腑に落ちないことばかりだが、今はシャルロットが持ってきた情報のほうが気になる。
「で、情報って……まさか、竜がらみか!?」
「そうなんですよ。大型飛行生物の目撃情報です。今度こそ、竜かもしれません」
「よりによって、今かよ……」
思わず依頼書へ視線を落とした。そして顔を上げると、美女と目が合った。
先ほどまで穏やかだった表情が、どこか硬くなっている。大型飛行生物という言葉を聞いてから、何かを考え込んでいるようにも見えた。
目の前には、親子との約束がある。
だが、竜の目撃情報も捨てられない。
「くそっ……」
「では、こちらの依頼はお任せください」
美女は柔らかく微笑み、胸元へ右手を添えた。
「待て。そうはならねぇだろ」
「夢をあきらめない方は素敵だと思います。あなたはその熱量で、夢を追うべきです」
「今は目の前の依頼を追ってるんだよ」
「それは私も同じです」
「はい。そこまで」
シャルロットが両手を突き出し、俺たちの間に割り込んできた。
「この依頼は一旦、私が預かります」
依頼書を剥がしたシャルロットは、なぜか俺たちをじっと見比べている。
「シャルロット、どうした?」
「おふたりとも、ずいぶん目立っていますね」
「は? 彼女はともかく、俺なんてシャツとエプロンじゃねぇか。食堂の仕事着だぞ」
「凛々しい目元とか、野性的な髪型とか、リュシアンさんは充分に格好いいですよ」
「そうか?」
苦笑すると、シャルロットに腕を掴まれた。少し離れた場所まで引っ張られる。
「この依頼、何かありますね? また、人助けか何かですか?」
「まぁな……事情を抱えた親子が絡んでるんだ。どうしても助けてやりたくてさ」
「なるほど。そういう理由でしたか」
シャルロットは優しく微笑み、視線だけを美女へ向けた。
「なんだか、不思議な方ですよね……」
「何が?」
「杖と法衣で、魔導師なのはわかります。でも、白い長衣の下は派手ですよね。法衣の胸元は大胆に開いて、スカートも膝上だし……丁寧で上品そうなのに、服装が……」
その時、遠くから鋭い警笛が響いた。衛兵の合図だ。
場内の空気が一変する。ざわめきが広がり、椅子から立ち上がる冒険者たちも現れた。
考えるより先に身体が動いた。
「リュシアンさん」
背中へ、シャルロットの呼び止める声が届く。
「行ってくる」
そのままギルドを飛び出した。
賑わいを見せていた大通りは、いつの間にか張り詰めた空気に包まれている。武器屋と道具屋の店主たちが、揃って街の入口へ視線を向けていた。
「また魔獣らしいぞ」
「定期便の馬車が追われてる。東門の先だ」
嫌な予感が胸の奥を走り抜ける。
「剣をもらいます。代金は後で」
壁に立てかけられていた片手剣を掴んだ。
「おい、勝手に……」
「必ず払います」
店主の声を背中で聞きながら、そのまま走り出した。
間もなく、背後から足音が近づいてくる。
「なんで君がいるんだよ」
振り返ると、例の美女が着いてきていた。
「手伝わせてください」
「危険だぞ」
「困っている方がいるのでしょう?」
まっすぐな視線には、一切の迷いがない。
さっきまで依頼を奪い合っていた相手とは思えず、口元が緩みそうになった。
「俺が前に出る。魔法で援護してくれ」
「前衛との連携経験が乏しいのですが……」
「は? 魔導師なのに?」
「はい」
気まずそうに視線を逸らす。
今まで、誰と戦ってきたんだ。
そう言いかけたが、今は詮索している場合じゃない。
「無理はするな。危なくなったら下がれ」
「承知しました」
少なくとも、引くべき場面は理解しているらしい。
人混みを抜け、東門を駆け抜ける。石畳が土道へ変わり、視界が一気に開けた。
そこで、違和感を覚えた。さっきまで聞こえていた足音が、いつの間にか消えている。
「あれ?」
振り返ると、彼女の姿はどこにもなかった。
「まさか、はぐれたのか」
人混みに巻き込まれたのかもしれない。
「気になるけど、探してる余裕はねぇ」
小さく吐き捨て、再び前を向いた。
街道は長く、まっすぐに伸びている。
土煙の向こうでは、隊列を組んだ六騎の衛兵が馬を走らせていた。そのさらに前方では、一台の馬車が激しく揺れている。
周囲を併走する三つの黒い影が見えた。
漆黒の体躯に、風になびく長いたてがみ。地を蹴る脚は異様なほど力強い。
「カロヴァルか……」
美しい外見とは裏腹に、凶悪な馬型魔獣だ。
「厄介なのに絡まれたな」
借り物の剣を握り直す。
正直、頼りになる代物じゃない。それでも、困っている人がいる。立ち止まる理由はない。
右手の甲に刻まれた竜の紋章へ、一瞬だけ目を落とす。
「よし」
気合いを入れ、土煙の向こうへ駆け出した。





