奪還 ――recapture――(2)
ヒュスビーダは道に降り立つと、トレーラーを振り返ってほぼホイールだけになった後輪を見下ろしている。
「出たな」
クラウスは険しい顔をあえてこらえる。
平静を保たなければならない。
「トレーラーをやられてはね。穏便に済ませたいとは言ったはずだが」
レイアと同じ機体とは思えないほど、そのヒュスビーダは傲岸さが所作の端々に溢れている。
外装の翡翠を揺らめかせ、ジェノは余裕を崩さずにマースの半歩後ろにつく。
その位置関係を見てクラウスは毒づいた。隙がない。
マースに大鎌を背負わせ、サザは安心したように砕けた調子で声を掛ける。
「さすがに、これで見逃すとは言わねぇよな」
「ああ。障害に対処しろ、サザ」
「へへ、りょーかい」
風を巻き込んで、マースは大鎌を素振りするよう回転させる。
それは意味のない行為だが、同時にクラウスはそんな行動を許すだけの余裕を相手に与えたことを証明していた。
構えたまま身動きをとらないカリオテを見て、サザはあざ笑うように言う。
「ま、無策に突っ込んでくるわけはねぇよなあ。お前の連れはどうした。なにを企んでる?」
挑発に応じるわけもなく、クラウスはただ黙ってタイミングを計る。
冷徹に戦闘を計算する一方で、彼女の深読みに落ち込む部分も確かにあった。
感傷を意識から沈ませる。
敵が戦力を過大評価してくれるぶんには、戦況を動かす選択肢が増えるだけだ。
「行くぜッ!」
マースが走り出す勢いを溜めるように身を屈めた。
瞬間に、クラウスは足踏桿を蹴り込む。
カリオテは身を翻して一目散に逃げ出した。
「ああ? この期に及んで逃げられると思うなよ!」
「サザに任せて、私は素直にパンクでも直していようかな」
「ジェノも来い! どうせメンテボットがあんだろーが!」
「分かってるよ」
二人は会話を交わして、カリオテを追って土手に分け入っていく。
魔動機を動かす始動器そのものの稼動には、操縦者の魔力が必要だ。
トレーラーにも機巧外殻と同様の認証機能が搭載されていて、本来ならば登録した者の魔力以外では始動しない。
それゆえに彼らは警戒せず、トレーラーを離れていった。
藪を蹴倒し、根を踏み越えながらカリオテは森を走破する。
その動きに激しく揺られながら、クラウスは振り返って二機を確認した。
「双方とも追跡か、よし、いいパターンだ。くそ、急げ、急げ!」
目の前で揺れる藪をにらみ、クラウスは仕込みを限界まで利用できるよう努める。
チャンスは二回あるが、挑むタイミングが二度の挑戦を許すかどうか。
ここからは、時間と運の勝負だった。
器用に幹をかわしながら全速力で森を駆け抜けるカリオテは、細かな枝や藪に構っている余裕もない。踏み潰し、なぎ倒しながら森を突き進む。
しかし、それは一方で、木々を突き破る騒音を引きずりながらの行動でもあった。
「はっは! 狭ぇ森はツラいよなぁ!」
サザのマースは、飛び石が水面を浮くような跳躍で藪を飛び、あるいは木を蹴ってカリオテに追いすがる。
カリオテは振り返りもせず、木々を盾に森を縫うように走る。
木々に邪魔されて、マースは距離を詰めても襲い掛かるには至らない。大鎌は森で振り回すには大きすぎるのだ。
苛立たしそうに、跳び掛けに枝を切り落とした。
「くっそ、速すぎる!」
クラウスはぼやきながら藪をかき分けて、全力で走る。
ほとんど前は見えず、木の有無をかろうじて判別するので精一杯だ。
「遅すぎるんだよ、ウスノロ!」
大鎌の尻がカリオテの肩を叩く。だが跳ね返った大鎌の刃が枝に刺さった。
衝撃にバランスを崩したカリオテは、その隙に左腕で機体を押し戻す。
強引に姿勢を整え、再び走り出していく。サザの舌打ちを背に、ひたすら足を動かした。
その後方からマースを追いかける翡翠は、森を走りながらもそれほどやる気がない。
「ずいぶん張り切ってるな、サザ。これじゃ私が割り込む隙もない」
クラウスの息は切れて、顎は上がっていた。
「くっそ、もう少し! 見えてんのに、ちょっとは待ってくれ!」
その瞬間、カリオテの足に大鎌が差し出され、刈り取られるように払われる。
カリオテは頭から地面に落ちて一回転し、木に激突して跳ね返った。
サザの高笑いは森に響き、大鎌を縦に回して構えたマースが木を蹴って高々と跳躍している。
「鬼ごっこは終わりだ、クソ野郎!」
防護術式を阻害し鋭利さを増す術式が刻まれた大鎌が、情けも容赦もなく振り下ろされた。
転がろうとするカリオテの胸部装甲を穿ち、切り裂いて、操縦席を貫く。
会心の笑みを浮かべていたサザの笑みが、一瞬にして凍りついた。
「無人――自動制御だとォ!」
全力で走っているクラウスは、藪の向こうに翡翠の機体を捉え、会心の笑みを浮かべる。
「そこだ!」
「なに!」
振り返るヒュスビーダの胸部に、クラウスの投げつけた『それ』が粘っこい音を立てて張り付く。
左手に残る魔導線を握り、クラウスは魔力を注ぎ込む。
「さっさと起きろ、ポンコツレイアああああ!」
ヒュスビーダの翡翠が、弾けるように消え失せた。
湿った苔に覆われる岩のように、暗く染まるヒュスビーダは倒れもせずに立ち尽くしている。
それを見上げ、クラウスはしばらく息を忘れていた。
苦しくなって息を吸う。
藪の根に掘り返された土の臭いを感じて、やっと笑う。
機巧外殻の妖精頭脳は、限定的な自律判断によって操縦を支援する。
それは例えば銃器の照準であったり、単調な歩行であったり、あるいは戦闘機動を考慮しないなら悪路の走破さえ可能とする。
本来は、魔術師が魔術の詠唱に集中する場合の機体を動かすための機能であるが、クラウスはそれを利用したのだ。
マースに追われる自動制御のカリオテがいつまで持つかが一つ賭けだったが、間に合った。
「ジェノぉおあああああッ!」
マースが地面を蹴る。
大鎌を振り回し、邪魔な藪はおろか木さえもぶちぶちと引き裂くように断ち切って、一直線に駆けつけてくる。
「げ、うわあ!」
クラウスは青息吐息のまま、どうどうと脈打つ体に鞭打って退避する。
疲弊した体は空っぽの陶磁器のようで、簡単に砕けてしまいそうだった。
わざわざ伐採された木が、枝葉の欠片をばら撒きながら落雷のような音を立てて倒れる。
疲労に足を取られて、クラウスは転んだ。乾いた木の臭いが降り注いでいる。
赤いマースはわざわざ大鎌で魔導線を引きちぎって、ヒュスビーダを揺り起こす。
「ジェノ。大丈夫か、おい」
「当然だ」
粗野な男の声と同時に、ヒュスビーダの外装が壊れかけたライトのように再び輝きを点す。
「動揺しすぎだぞ、サザ。単に補助頭脳を阻害する術式を当てられただけだ」
「そうか、補助頭脳を阻害する術式を」
マースは静かにクラウスを振り返った。
その腕には、相変わらず術式の赤い光を宿す大鎌が握られている。
見えるはずもないのに、サザと目が合った気がして、クラウスは皮肉に笑って見せた。
全身が緩んだように力が入らない。肺が熱く、なにか言ってやろうにも声が出なかった。
クラウスの作戦はシンプルなものだ。
なんとかして、ヒュスビーダの補助頭脳に一撃を入れる。
正確には、頭脳を阻害する投擲術式をぶつけ、強制的に補助頭脳を再起動させる。
ヴァルサは五つも投擲弾を持ち歩いているが、二つだけならクラウスやサリスも、護身用に持たされている。今のクラウスは、遺跡探索の装備をそのまま持っているのだ。
ヒュスビーダから、ひどく不機嫌そうな声が恨めしそうに響く。
「……目覚めのキスには乱暴すぎない?」




