第5話:「歪んだ世界の真実」
『発見次第、討伐または排除すること──』
ゼノリスの手が、止まった。
月明かりの下、拾い上げた紙片に目を走らせる。羊皮紙。公的な書式。読みやすく整った文字──そして、紙面の下部に押された聖教会の印章。
これは、布告だ。
ゼノリスは、全文を読んだ。
『聖教会布告』
『魔人族および追放者の処遇に関する件』
布告には、こう続いていた。
『魔人族は人族社会の脅威である。発見次第、討伐または捕獲し、最寄りの教会または冒険者ギルドへ報告すること。報酬は一名につき銀貨十枚を支給する』
『追放者(タグ剥奪・記録抹消済みの者)は社会秩序を乱す存在である。発見次第、捕獲または排除すること。報酬は一名につき銀貨五枚を支給する』
羊皮紙の下部には、聖教会の印章が押されていた。
ゼノリスは布告を見つめた。
この布告の中にある『脅威』『社会秩序を乱す』という文言に、何かが引っかかる。嘘とまでは言い切れない。だが──意図的に歪められた言葉だ。
街に貼られていたものだろう。追放者たちが、自分が狩られることを知り、この布告を持って森へ逃げてきた。
そして、地面に転がっているランクタグ。
ゼノリスはそれを拾い上げた。名前の部分は削り取られ、ランクの刻印だけが残っている。
追放者たちが、ここに捨てていったのだ。もう意味のなくなったランクタグを。社会から存在を消された者たちが、最後に捨てた証。
ゼノリスは拳を握りしめた。報酬のために狩られているのは、魔人族だけではない。追放者とされた人族も、同じように扱われているのだ。
◇◇◇
ゼノリスはさらに森の奥へと進んだ。木々が密集し、足元には落ち葉が厚く積もっている。陽の光がほとんど届かない、薄暗い場所だ。
そこで、ゼノリスは立ち止まった。
木の根元に、人が倒れている。
ゼノリスは慎重に近づいた。倒れているのは、痩せ細った男だった。衣服は破れ、体は泥にまみれている。既に息絶えているようだ。
男の足首には、深く食い込んだ跡がある。足枷を嵌められていたのだ。金属が皮膚に食い込み、傷跡が残っている。手首にも、縄で縛られていた痕があった。
男の首には、木札が下がっていた。ゼノリスはそれを手に取る。木札には、焼印で文字が刻まれている。
『追放者』
ゼノリスは木札を見つめた。
この男は捕らえられ、足枷を嵌められた。それでも必死に逃げ、ここまで辿り着いた。だが足枷が足首に食い込み、満足に歩くこともできなかっただろう。飢えと疲労、そして傷の痛みに耐えきれず、この男はここで力尽きたのだ。
男の周囲には、わずかな所持品が散らばっている。空の水筒。破れた布袋。中身は何もない。
ゼノリスは男の遺体を見下ろした。
この男も、私と同じだ。
存在を否定され、価値を汚され、誰にも信じてもらえない。私は『腰抜け』と呼ばれ、この男は『追放者』と呼ばれた。
違いは──私がまだ息をしているということだけだ。魔力は枯渇し、体は衰え、名誉は地に落ちている。この男と私の差など、紙一枚ほどもない。
それでも──私は、まだ立てる。
この目がある。真実を見抜くこの瞳がある。
ゼノリスは静かに目を閉じた。ならば、私が立たなければ、誰が立つ。
風が吹き、枯れ葉が舞い上がった。木々が揺れ、遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。だが、この男にはもう何も聞こえない。
かつて、私はこの森を支配していた。
圧倒的な力で、人族を寄せ付けなかった。結果として、魔物たちは守られていた。
だが──人は守れなかった。いや、守ろうとすらしなかった。私が守っていたのは、領土という概念だけだった。
だが、私の下には部下がいた。彼らは私に忠誠を誓い、私のために戦った。
今、彼らはどうなっているのだろうか。
魔王軍の残党として、追放者として、この男と同じように森を彷徨っているのではないか。
その結果が、これだ。
私が敗北し、森が荒廃し、弱者が切り捨てられる世界。力だけでは、何も守れなかった。
ゼノリスは、男の遺体にそっと手を合わせた。せめて、この場で弔いの意を示すことしかできない。
◇◇◇
ゼノリスは立ち上がり、森の中をゆっくりと歩いた。
遠征隊の会話、聖教会の布告、捨てられたランクタグ、追放者の遺体。全てが、一つの構造を示している。
勇者と聖教会が作り上げた世界。それは、制度による支配だ。
『不要』と判定された者は、社会から排除される。タグを剥奪され、記録を抹消され、追放者として扱われる。
追放者は、社会の中では存在しないも同然だ。通行も就労もできず、施療も受けられない。保護の対象外。そして、報酬のために狩られる。
魔人族も同じだ。存在自体が脅威として扱われ、討伐または捕獲の対象となる。冒険者たちは報酬のために彼らを狩る。
森の荒廃、弱者の切り捨て、全て繋がっている。勇者は『平和』という名の下に、この仕組みを作り上げたのだ。そして世界は、それを受け入れている。
ゼノリスは立ち止まり、空を見上げた。木々の隙間から、青い空が見える。風が吹き、葉が揺れた。
かつての私は、力で支配していた。だが力による支配は、別の力に倒される。私が勇者に敗れたように。勇者が作った制度も、力の形を変えただけだ。
ゼノリスは拳を握りしめた。
あの男の死に顔が、まだ目の裏に残っている。
勇者の『平和』が、あの男を殺した。追放者を、魔人族を、都合の悪い者たちをすべて切り捨てる仕組みを『正義』と呼ばせて。
では、どうすればいい。
力では変えられない。力は、また力で潰される。
ゼノリスは、黄金の瞳を静かに輝かせた。
──誠実さだ。
真実を見抜き、真の価値を示す。『不要』とされた者たちに、正当な評価を与える。力ではなく、誠実さで。
ゼノリスは、自分の手を見つめた。この瞳には新たな力が宿っている。【至極の理】──真実を見抜く瞳。
かつて私が持っていた圧倒的な破壊の力ではない。
この力は、存在の本質を見抜き、真の価値を確定する。人族が示す評価など、この瞳の前では無意味だ。
それが、私の戦いだ。
勇者と聖教会が作り上げた制度と、真っ向から対峙する。力ではなく、誠実さで。この偽りを、真実で暴く。
風が吹いた。森の静寂の中、ゼノリスは決意を新たにした。
この世界を、正さねばならない。
◇◇◇
その時──森の奥から、音が聞こえてきた。
ゼノリスは顔を上げた。
金属が擦れ合う音。ゆっくりとした足音。重く、引きずるような──足枷の音だ。
さっき見た遺体の足首に食い込んでいた、あの跡と同じものを嵌められた誰かが、この森のどこかを歩いている。
まだ──生きている者がいる。
ゼノリスは、音の方向へ歩き始めた。




