第5話:「歪んだ世界の真実」
ゼノリスは遠征隊のキャンプから離れ、森の奥へと歩き始めた。
東の空が白み、朝霧が森を覆っている。冷たい空気が肌を刺し、枯れ木の間を抜ける風が頬を撫でた。
遠くから、わずかに鳥の鳴き声が聞こえる。まだこの森には生命が残っているのだ。だが、それもいつまで持つだろうか。
ゼノリスは足を止めずに進んだ。この世界で何が起きているのか、もっと知らなければならない。
遠征隊の言葉、森の荒廃、魔物たちの恐怖。全てが何かを物語っているが、まだ断片的だ。この世界の真実を、この目で確かめなければならない。
◇◇◇
森の奥へ進むうち、ゼノリスは開けた場所に出た。そこには野営跡があった。
焚き火の跡。踏み荒らされた地面には、食料の残骸が散乱している。
ゼノリスは慎重に近づき、周囲に人の気配がないことを確認した。既に立ち去った後だろう。
焚き火の灰に触れると、まだわずかに温かい。つい数時間前まで、ここに人がいたのだ。
ゼノリスは野営跡を調べ始めた。地面には、紙が散らばっている。風に飛ばされないよう石で押さえられていたものが、何かの拍子に散乱したのだろう。
一枚を拾い上げた。それは羊皮紙で、インクで文字が記されている。文字は読みやすく整っており、公的な文書だと分かる。
ゼノリスは目を細めて読んだ。
『聖教会布告』
『魔人族および追放者の処遇に関する件』
布告には、こう続いていた。
『魔人族は人族社会の脅威である。発見次第、討伐または捕獲し、最寄りの教会または冒険者ギルドへ報告すること。報酬は一名につき銀貨十枚を支給する』
『追放者(タグ剥奪・記録抹消済みの者)は社会秩序を乱す存在である。発見次第、捕獲または排除すること。報酬は一名につき銀貨五枚を支給する』
羊皮紙の下部には、聖教会の印章が押されていた。
ゼノリスは布告を見つめた。これは、街に貼られていたものだろう。追放者たちが、自分が狩られることを知り、この布告を持って森へ逃げてきたのだ。
そして、地面に転がっているランクタグ。
ゼノリスはそれを拾い上げた。名前の部分は削り取られ、ランクの刻印だけが残っている。
追放者たちが、ここに捨てていったのだ。もう意味のなくなったランクタグを。社会から存在を消された者たちが、最後に捨てた証。
ゼノリスは拳を握りしめた。報酬のために狩られているのは、魔人族だけではない。追放者とされた人族も、同じように扱われているのだ。
◇◇◇
ゼノリスはさらに森の奥へと進んだ。木々が密集し、足元には落ち葉が厚く積もっている。陽の光がほとんど届かない、薄暗い場所だ。
そこで、ゼノリスは立ち止まった。
木の根元に、人が倒れている。
ゼノリスは慎重に近づいた。倒れているのは、痩せ細った男だった。衣服は破れ、体は泥にまみれている。既に息絶えているようだ。
男の足首には、深く食い込んだ跡がある。足枷を嵌められていたのだ。金属が皮膚に食い込み、傷跡が残っている。手首にも、縄で縛られていた痕があった。
男の首には、木札が下がっていた。ゼノリスはそれを手に取る。木札には、焼印で文字が刻まれている。
『追放者』
ゼノリスは木札を見つめた。
この男は捕らえられ、足枷を嵌められた。それでも必死に逃げ、ここまで辿り着いた。だが足枷が足首に食い込み、満足に歩くこともできなかっただろう。飢えと疲労、そして傷の痛みに耐えきれず、この男はここで力尽きたのだ。
男の周囲には、わずかな所持品が散らばっている。空の水筒。破れた布袋。中身は何もない。
ゼノリスは男の遺体を見下ろした。
この男も、私と同じだ。
存在を否定され、価値を汚され、誰にも信じてもらえない。私は『腰抜け』と呼ばれ、この男は『追放者』と呼ばれた。
だが、私にはまだ戦う力がある。でも、この男にはもう何もない。
ならば──。
ゼノリスは静かに目を閉じた。私が戦わなければ、誰が戦うのだ。
風が吹き、枯れ葉が舞い上がった。木々が揺れ、遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。だが、この男にはもう何も聞こえない。
かつて、私はこの森を支配していた。
圧倒的な力で、人族を寄せ付けなかった。結果として、魔物たちは守られていた。
だが──人は守れなかった。いや、守ろうとすらしなかった。私が守っていたのは、領土という概念だけだった。
だが、私の下には部下がいた。彼らは私に忠誠を誓い、私のために戦った。
今、彼らはどうなっているのだろうか。
魔王軍の残党として、追放者として、この男と同じように森を彷徨っているのではないか。
その結果が、これだ。
私が敗北し、森が荒廃し、弱者が切り捨てられる世界。力だけでは、何も守れなかった。
ゼノリスは、男の遺体にそっと手を合わせた。せめて、この場で弔いの意を示すことしかできない。
◇◇◇
ゼノリスは立ち上がり、森の中をゆっくりと歩いた。
遠征隊の会話、聖教会の布告、捨てられたランクタグ、追放者の遺体。全てが、一つの構造を示している。
勇者と聖教会が作り上げた世界。それは、制度による支配だ。
『不要』と判定された者は、社会から排除される。タグを剥奪され、記録を抹消され、追放者として扱われる。
追放者は、社会の中では存在しないも同然だ。通行も就労もできず、施療も受けられない。保護の対象外。そして、報酬のために狩られる。
魔人族も同じだ。存在自体が脅威として扱われ、討伐または捕獲の対象となる。冒険者たちは報酬のために彼らを狩る。
森の荒廃、弱者の切り捨て、全て繋がっている。勇者は『平和』という名の下に、この仕組みを作り上げたのだ。そして世界は、それを受け入れている。
ゼノリスは立ち止まり、空を見上げた。木々の隙間から、青い空が見える。風が吹き、葉が揺れた。
かつての私は、力で支配していた。圧倒的な力で、全てをねじ伏せていた。だが、それでは何も変わらない。力で支配すれば、また別の力に倒される。私が勇者に敗れたように。
ゼノリスは拳を握りしめた。
――許せない。
勇者は私を『腰抜け』と呼び、世界はそれを信じた。
そして今、勇者が作った制度が、あの男を殺した。追放者を、魔人族を、虐げられた者たちを。
これが『平和』か。
これが『正義』か。
違う。これは、ただの力による服従だ。
では、どうすればいい。
ゼノリスは、黄金の瞳を静かに輝かせた。
誠実さだ。
力ではなく、誠実さで世界を正す。虐げられた者たちを、正当に評価する。
『不要』とされた者たちに、真の価値を示す。
ゼノリスは、自分の手を見つめた。この瞳には新たな力が宿っている。【至極の理】──真実を見抜く瞳。
かつて私が持っていた圧倒的な破壊の力ではない。
この力は、存在の本質を見抜き、真の価値を確定する。人族が示す評価など、この瞳の前では無意味だ。
それが、私の戦いだ。
勇者と聖教会が作り上げた制度と、真っ向から対峙する。力ではなく、誠実さで。この偽りを、真実で暴く。
風が吹いた。森の静寂の中、ゼノリスは決意を新たにした。
この世界を、正さねばならない。
◇◇◇
その時──森の奥から、音が聞こえてきた。
金属が擦れ合う音。ゼノリスは音のする方向を見つめた。ゆっくりとした足音。重く、引きずるような音。そして、金属の擦れる音が、リズミカルに響く。
……追放者か?
足枷を嵌められた誰かがいる。追放され、森を彷徨っている誰かが。
ゼノリスは、音の方向へと歩き始めた。足音を消し、気配を殺して。慎重に、だが確実に。
この世界を正す。虐げられた者を救う。真実を見抜く瞳で、偽りを暴く。その第一歩は、もう始まっている。
誰かが……そこにいる。




