第25話:「実戦訓練」
朝の冷気が、肌を刺す。
ゼノリスは訓練場の端に立ち、森の奥を見つめていた。木々の間から朝日が差し込み、地面に斑模様を作っている。鳥が鳴き、風が葉を揺らす音が聞こえた。
カイロとセラが、訓練場の中央で待っている。
二人の表情は、いつもより硬い。セラは拳を握りしめ、カイロは視線を森の奥へ向けている。
ゼノリスは二人の前へ歩み出た。
「では、実戦訓練を始めます」
カイロが短く頷く。セラが背筋を伸ばした。
ゼノリスは森を指さした。
「森の奥に、魔物が潜んでいます。あれを討伐してください」
セラが目を見開いた。
「魔物……ですか?」
「ええ。アイアン級……☆2程度の、森林に棲む魔物です。あなたたちなら、問題なく倒せます」
ゼノリスは二人を見つめた。
「ただし、一つ条件があります」
カイロが視線を向ける。
「二人で協力して倒すこと。これが、今日の課題です」
風が吹き、木の葉が舞い落ちる。朝露が草の先端で光を反射していた。
ゼノリスは続けた。
「カイロ、あなたは影から敵を観察してください。セラ、あなたは正面から引きつける。お互いの動きを見ながら、最適なタイミングで攻撃する」
セラが拳を握った。
「分かりました!」
カイロは静かに応じる。
「……承知しました」
ゼノリスは頷いた。
「まずは、相手を知ることから。観察して、考えて、動いてください」
二人が森へ向かって歩き出す。
ゼノリスは木の幹に手を置き、二人の背中を見送った。
◇◇◇
カイロは森の中を進んでいた。
足音を殺し、枝を避け、影に身を潜める。呼吸を整え、周囲の気配を探る。
森は静かだ。
だが、完全な静寂ではない。
カイロは木の幹に身を寄せ、耳を澄ませた。
遠くで、何かが動いている。
魔物の足音だ。
カイロは視線を向けた。木々の間、薄暗い茂みの中に影が見える。
魔物だ。
四足の魔物。体長は二メートルほど。灰色の毛皮に覆われ、鋭い牙が覗いている。ワイルドウルフだ。
カイロは息を潜めた。
セラは、どこにいる?
カイロは周囲を確認する。だが、セラの姿は見えない。
まだ、森の入口付近にいるはずだ。
カイロはワイルドウルフを観察し続けた。
敵の動きを見極める。呼吸のリズム、視線の向き、足取りの癖。すべてを記憶する。
やがて、背後から足音が聞こえた。
セラだ。
カイロは振り返ろうとして、止まった。
足音が大きすぎる。
ワイルドウルフが動きを止めた。耳を立て、こちらを見る。
まずい。
カイロは身を低くした。だが、遅い。
ワイルドウルフが咆哮を上げた。
◇◇◇
私、ちょっと急ぎすぎた!
セラは森の中を駆けていた。
カイロが先に入ったから、追いかけないと。
でも、足音が大きい。
枝を踏む音が、森に響いている。
セラは歯を食いしばった。
もっと静かに、もっと慎重に。
でも、体が勝手に動く。
早く魔物を見つけて、倒さないと。
セラは茂みを抜けた。
そして、目の前にワイルドウルフを見た。
灰色の毛皮、鋭い牙、獰猛な目。
ワイルドウルフが、こちらを睨んでいる。
セラは拳を構えた。
「来るなら、来い!」
ワイルドウルフが跳躍した。
速い。
セラは横に転がる。ワイルドウルフの爪が、地面を削った。
セラは立ち上がり、拳を振るう。
だが、ワイルドウルフは身を翻し、距離を取る。
セラは追いかけた。
踏み込み、拳を打ち込む。
ワイルドウルフが避ける。
もう一度。
また避けられる。
セラは息を荒くした。
速い。思ったより、ずっと速い。
ワイルドウルフが再び跳躍する。
セラは腕で受け止めた。牙が腕に食い込み、痛みが走る。
「ぐっ……!」
セラは拳を振り上げた。
その時、ワイルドウルフの首に短剣が突き刺さった。
ワイルドウルフが悲鳴を上げる。
カイロだ。
カイロが木の陰から姿を現し、短剣を引き抜く。ワイルドウルフが倒れ、動かなくなった。
セラは腕を押さえた。血が滲んでいる。
カイロが駆け寄る。
「……大丈夫か」
「う、うん。大丈夫」
セラは笑顔を作った。
でも、心の中では分かっていた。
今の、連携じゃなかった。
私が先走って、カイロのタイミングを狂わせた。
セラは拳を握った。
◇◇◇
ゼノリスは二人の元へ歩み寄った。
ワイルドウルフの死骸が、地面に横たわっている。カイロとセラは、その傍らに立っていた。
セラの腕には、浅い傷がある。
ゼノリスは二人を見つめた。
「お疲れ様です」
セラが頭を下げる。
「ごめんなさい、ゼノ様。私が……」
「謝る必要はありません」
ゼノリスは静かに言った。
「初めての連携です。上手くいかないのは当然です」
カイロが視線を落とす。
「……俺の、タイミングが遅れました」
「いいえ」
ゼノリスは首を横に振った。
「あなたのタイミングは適切でした。ただ、セラが少し早かっただけです」
セラが唇を噛む。
ゼノリスは二人の前に立った。
「焦らないでください。連携は経験で磨かれます」
風が頬を撫でる。木陰の涼しさが、汗ばんだ肌を冷やした。
ゼノリスは二人を見つめた。
「あなたたちはそれぞれ強い。だが、今日は二人の力が、かみ合わなかった」
セラが唇を噛む。カイロが視線を落とす。
「連携は、相手の呼吸を知ることから始まります。セラ、カイロがいつ動けるかを感じること。カイロ、セラがいつ限界かを見ること。それが、次の課題です」
カイロが短く応じた。
「……承知しました」
ゼノリスは微笑んだ。
「今日の訓練は、これで終わりです。傷を治療しましょう」
三人は訓練場へ戻った。
◇◇◇
焚き火が、暖かな光を放っている。薪が爆ぜる音が響き、火の粉が舞い上がった。
カイロとセラは、焚き火を囲んで座っていた。
ゼノ様は少し離れた場所で、夜空を見上げている。二人に、振り返りの時間を与えるためだ。
セラは腕の包帯を見つめた。
傷は浅い。すぐに治る。
でも、これは私の失敗の証だ。
セラは拳を握った。
「……ごめん、カイロ」
カイロが顔を上げる。
「何が?」
「私が焦ったせいで、カイロのタイミングを狂わせた」
セラは俯いた。
「もっと慎重に動けば、上手くいったのに」
しばらく、沈黙が続いた。
焚き火の音だけが、静けさの中に響いている。
やがて、カイロが口を開いた。
「……お前の力は、頼りになる」
セラが顔を上げた。
「え?」
カイロは炎を見つめたまま、言葉を続ける。
「正面から魔物を引きつけられるのは、お前だけだ。俺にはできない」
セラは目を見開いた。
カイロが、珍しく長く喋っている。
「お前が前にいるから、俺は影から動ける。それが、……連携だと思う」
セラは胸に手を当てた。
温かいものが、込み上げてくる。
「カイロも!」
セラは笑顔を見せた。
「カイロの動き、すごかった。一瞬で魔物の急所を突いて。私、ああいうの、できない」
カイロが僅かに目を細める。
「……そうか」
火が揺れる。暖かさが、二人を包んでいた。
セラは炎を見つめた。
「明日は、もっと上手くやろう」
カイロが頷く。
「……ああ」
火が揺れる。暖かさが、二人を包んでいた。
しばらくして、セラが立ち上がった。
「私、もう少し訓練してくる」
カイロが視線を向ける。
「……今からか?」
「うん。体を動かさないと、落ち着かないから」
セラは訓練場へ駆け出した。月明かりの下、木の幹に拳を打ち込む音が響き始める。ドン、ドン、と一定のリズムで。
カイロはその音を聞きながら、静かに立ち上がった。森の端へ歩み出し、木々の間に身を沈める。
焚き火の前には、ゼノリスだけが残った。
訓練場から響くセラの拳の音。森の闇に溶けていくカイロの気配。
ゼノリスは微かに笑った。――休め、と言おうとしたが、やめた。
今夜は、好きなだけやらせてやろう。




