第16話:「神域の身体」
ゼノリスは、セラを見つめた。
セラは立ち上がっている。まだ体は弱っているが、その目には希望が宿っている。
ゼノリスは、静かに口を開いた。
「セラさん。あなたの力について、詳しく説明します」
セラの目が、真剣になる。
「……はい。お願いします」
ゼノリスは、頷いた。
「まず、座りましょう。話は長くなります」
ゼノリスは床に座った。セラも、ゆっくりと座る。
小屋の入口近くでは、カイロが静かに立っている。周囲を警戒しながらも、時折ゼノリスとセラに視線を向けている。
ゼノリスは、セラに向き直った。
「セラさん。まず、魔力とは何か、ご存知ですか?」
セラは、少し考えてから答えた。
「……体の中にある、力です。それを使って、魔術を使ったり、体を強くしたりする」
「その通りです」
ゼノリスは、頷いた。
「魔力は、この世界のほとんどの者が持っている力です。そして、その魔力の量や質で、人の強さが測られてきました」
セラの表情が、曇る。魔力がない自分を思い出したのだろう。
ゼノリスは、言葉を続けた。
「ですが、魔力とは本来、体を強化するための『補助』に過ぎません」
セラが、顔を上げる。
「……補助?」
「はい」
ゼノリスは、自分の手を見せた。
「例えば、私がこの拳で何かを殴るとします。普通の人なら、その拳の力は限られています。ですが、魔力を纏えば、拳の威力は何倍にもなる」
セラは、頷いた。そのことは知っているのだろう。
「つまり、魔力とは『足りない部分を補うもの』なのです。本来の体の力では足りないから、魔力で補強する」
ゼノリスは、セラの目を見つめた。
「では、もし──補う必要がない体があったら、どうでしょうか?」
セラの目が、見開かれる。
「……補う、必要が……?」
「はい」
ゼノリスは、微笑んだ。
「あなたの体は、そういう体なのです」
セラは、何も言えずにいる。
ゼノリスは、言葉を続けた。
「あなたには、魔力がありません。ですが、それは欠陥ではない。あなたの体は、魔力という『補助』を必要としないほど、完成されているのです」
セラの唇が、震える。
「完成……」
「はい」
ゼノリスは頷いた。
「あなたの身体は、魔力で飾る強さではありません。魔力が介在できない、純粋な完成形です」
セラは、自分の手を見た。傷だらけの手。
ゼノリスは、セラの手を見つめた。
「通常の戦士は、魔力を纏って体を強化します。ですが、あなたは違う。あなたの体は、細胞一つ一つが、既に完成されている」
セラの目が、ゼノリスを見つめる。
「魔力に頼らず、純粋な肉体だけで、あらゆる力を生み出す。それが、あなたの真の力です」
ゼノリスは、静かに告げた。
「あなたの体には、『神域の身体』という名の力が宿っています」
セラの息が、止まった。
「神域の……身体?」
「はい」
ゼノリスは、頷いた。
「それは、魔力ではなく、純粋な物理の極致。世界が見落としていた、真の強さです」
◇◇◇
私は、ゼノリスさんの言葉を聞いた。
神域の身体。
純粋な物理の極致。
完成形。
私の体が、そんなものだというのか。
信じられなかった。
私の体は、ずっと欠陥だと言われ続けてきた。魔力がない。それだけで、私は不完全な存在だと決めつけられてきた。
だが──
ゼノリスさんは、違うことを言っている。
私の体は、欠陥ではない。
完成されている、と。
魔力を必要としないほど、完成されている。
私は、自分の手を見つめた。
この手が、本当に?
この体が、本当に?
ゼノリスさんが、また口を開いた。
「セラさん。あなたが今まで訓練してきたこと、覚えていますか?」
私は、頷いた。
「……はい。毎日、訓練しました」
「その訓練で、あなたは何を感じましたか?」
私は、思い出した。
木を殴った時。
石を持ち上げた時。
走り込みをした時。
私は、いつも思っていた。
もっと強くなりたい。
魔力がなくても、強くなれるはずだ。
でも──同時に、違和感もあった。
ゼノリスさんは、私の目を真っ直ぐ見つめた。
「あなたは、欠陥品ではありません。あなたは──完成形なのです」
◇◇◇
私は、ゼノリスさんの説明を聞き終えた。
小屋の中は静かだった。窓から差し込む光が、床の埃を照らしている。光の筋の中で、細かな埃が舞っている。ゆっくりと、ゆらゆらと。
私は自分の手を見つめた。傷だらけの手。古い傷が、幾筋も走っている。訓練で擦り切れた皮膚。拳を握ると、固くなった皮膚がわずかに引っ張られる感覚がある。
この手が、完成形。
その言葉が、私の胸の中で何度も響いている。
私は、ずっと間違っていたのだと気づいた。魔力がないことを恥じて、自分の体を欠陥だと思い込んでいた。
でも違った。
私の体は最初から完成されていた。ただ誰もそれに気づかなかっただけだった。私自身も、気づけなかった。
胸の奥に、何かが込み上げてくる。熱いものが、喉を通って上がってくる。
目から、涙が溢れた。
頬を伝って、顎から落ちる。膝の上に、涙が落ちて小さな染みを作る。
止まらない。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらない。
私は顔を覆った。両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。肩が震える。呼吸が乱れる。息を吸うたびに、胸が震える。
温かい手が、私の肩に触れた。
ゼノリスさんの手だ。大きな手。優しく、私の肩を包んでくれる。
「泣いても、大丈夫です」
優しい声が聞こえる。穏やかで、包み込むような声。
「今まで、辛かったでしょう」
私は頷いた。顔を覆ったまま、何度も頷いた。
辛かった。
本当に辛かった。
誰にも認められず、誰にも必要とされず、ただ捨てられるだけだった。
でも──もう大丈夫だ。
私には、この人がいる。
私を認めてくれる人がいる。
私は、ゆっくりと顔を上げた。
涙でぐしゃぐしゃの顔を、ゼノリスさんに見せた。視界がぼやけている。涙で、ゼノリスさんの顔がにじんで見える。
ゼノリスさんは、微笑んでいた。
優しい笑顔。
私は涙を拭った。手の甲で目元をこすり、涙を拭う。でもまた涙が溢れてくる。
私は、震える声で尋ねた。
「本当に、私は……強くなれるんですか?」
ゼノリスさんは、頷いた。
「はい。あなたは強くなれます」
その言葉が、私の胸に染み渡る。温かい言葉。希望をくれる言葉。
「これから、あなたの力を引き出していきます。焦る必要はありません。一歩ずつ、確実に」
私は深く息を吸った。鼻から空気を吸い込む。小屋の中の空気。埃っぽい匂いと、木材の古い匂い。でも、今はそれが心地良く感じられる。
私は涙を拭った。もう泣いてばかりはいられない。
やるべきことがある。
強くなる。
この人の力になる。
私はゼノリスさんを見つめた。涙でにじんだ視界の向こうに、ゼノリスさんの黄金の瞳が見える。優しく、だが強い意志を秘めた瞳。
この人は、私を救ってくれた。
価値があると、言ってくれた。
だから──私は、この人についていく。
私は深く息を吸った。胸いっぱいに空気を吸い込み、それをゆっくりと吐き出す。震えが、少し収まる。
そして──私はゼノリスさんに告げた。
「私を、あなたの下に置いてください」
◇◇◇
ゼノリスは、セラの言葉を聞いた。
「私を、あなたの下に置いてください」
その声は、まだかすれていた。だが、迷いはなかった。セラの目は真っ直ぐにゼノリスを見つめていて、決意に満ちている。
ゼノリスは、静かに問いかけた。
「セラさん。本当に、それで良いのですか?」
セラは、即答した。
「はい」
その声には、力があった。
ゼノリスはセラを見つめた。涙に濡れた顔。赤く腫れた目。だが、その目には希望が宿っている。
この少女は、もう絶望していない。
この少女には、未来がある。
ゼノリスは、静かに頷いた。
「分かりました」
ゼノリスは立ち上がった。床がギシッと軋む。古い木材が、重さに悲鳴を上げる。ゼノリスは体の埃を払い、セラに手を差し伸べた。
「では、明日、改めて誓いを交わしましょう。今日は、ゆっくり休んでください」
セラは、目を見開いた。
「……明日?」
「はい」
ゼノリスは、微笑んだ。
「誓いは、大切なものです。あなたの体が回復してから、きちんと行いましょう」
セラは、少し考えた。その目が、ゼノリスを見つめている。やがて、セラは頷いた。
「……はい。分かりました」
ゼノリスは、セラの肩に手を置いた。温もりが、手のひらから伝わってくる。セラの体は、まだ冷たい。だが、確かに生きている。
「あなたを、必ず強くします。約束します」
セラの目に、また涙が浮かぶ。だが、今度は笑顔だった。
「……ありがとうございます」
セラの声は、震えていた。だが、それは嬉しさからくる震えだ。
ゼノリスは、小屋の入口近くに立っているカイロを見た。
カイロは、ゼノリスと目が合うと、静かに頷いた。その目には、理解と、そして──歓迎が浮かんでいる。
新しい仲間。
二人目の家臣。
ゼノリスは、窓の外を見た。光が、少し傾いている。時間が経ったのだろう。空は、まだ曇っている。灰色の雲が、低く垂れ込めている。
だが、雲の隙間から、わずかに光が差し込んでいる。
ゼノリスは、セラに向き直った。
「今日は、ここで休みましょう。明日、新しい一歩を踏み出します」
セラは、頷いた。
「……はい」
ゼノリスの心に、静かな確信があった。
明日、セラと誓いを交わす。
そして──三人で、新しい道を歩み始める。
小屋の中に、静寂が戻った。
だが、それは孤独の静寂ではない。
共にある者たちの、穏やかな静寂だった。




