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「命乞いした腰抜け」と汚名を着せられた魔王、その瞳で真実を暴く ~「無能」と捨てられた逸材たちを最強へと導き、誠実な国造りを始めます~  作者: ぼん
第三部:地固め

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第138話:「調和への道」

 槌が鉄を打つ音が、二つ重なっていた。


 会議から五日が経っていた。


 城下の技術開発局。その工房の扉を開けると、焼けた鉄と油の匂いが鼻を突いた。天井の高い作業場の奥で、炉が赤い口を開けている。その手前に作業台が三つ並び、金床の上で火花が散っていた。


 ゼノリスが足を踏み入れると、一番奥の作業台からヴァイスが顔を上げた。額に汗の筋が光っている。手には図面を丸めたもの。その隣で、グロームが金床に向かったまま槌を振り続けていた。振り返りもしない。打つ手も止めない。


「ゼノリス様、ちょうどいいところに」


 ヴァイスが作業台の端を手で叩いた。その上に、木製の模型が置いてある。荷車だった。ただし、ゼノリスが知っている荷車とは形が違う。荷台が一回り広く、車輪の軸が太い。


「新しい荷車です。街道の幅に合わせて、荷車と荷台を広くしました。旧型は荷車の幅が道の半分しか使えていませんでした。新型なら、一度に運べる量が旧型の倍近くになります」


 ヴァイスの指が模型の車輪に触れた。


「車輪と車軸も統一しました。今まで荷車ごとにバラバラだった部品を、三つの規格に集約しています。壊れても、在庫の部品で修理できます」


 ゼノリスは模型を手に取った。木の手触りが滑らかで、接合部の精度が高い。模型の段階でこの仕上がりなら、実物はさらに詰めてくるだろう。


「増産の方はどうですか」


「グロームさんの方が詳しいですが……」


 ヴァイスが金床の方に目を送った。グロームが最後の一打を入れ、槌を下ろした。焼けた金属が水桶に沈み、白い蒸気が上がった。


「車軸の鋳型を作った。同じ型で量産できる」


 グロームが短く言った。手を布で拭きながら、作業台の脇に並べられた車軸を顎で示した。五本。どれも同じ太さ、同じ長さで、表面の仕上げまで揃っている。


「鋳型一つで、一日に三本作れる。工房の人手が足りなければ、型だけ渡して他の鍛冶場でも作れる」


 ゼノリスは車軸を一本持ち上げた。重い。手のひらに金属の冷たさが伝わる。だが、重心が偏っていない。均一に作られている証だった。


「ヴァイスさんが規格を決め、グロームさんが量産の仕組みを作った。見事です」


 二人の視線が一瞬交わった。互いに何かを言い足す気配はなかった。必要な仕事をし、認めるべきを認め、それで終わりだった。ゼノリスは車軸を元の場所に戻した。


「最初の新型荷車は、いつ完成しますか?」


「三日後に一台目が出ます。今週中に四台。来週から、他の鍛冶場にも型を回します」


 ヴァイスが即答した。


「助かります。物流の経路再設計も進んでいますから、新型が出た時点で切り替えられるよう、ノアに話しておきます」


 ゼノリスは工房を出た。背後で、再び槌の音が始まった。二つの音が、交互に鉄を叩いている。


◇◇◇


 工房を出ると、鉄の匂いが薄れた。代わりに、焼いた穀物と土の香りが鼻先をかすめる。


 ゼノリスは市場へ向かう通りを歩いている。工房の区画を抜けると、道の先に屋根の連なりが見えてくる。その手前を、荷車が一台、市場の方角に向かって進んでいた。


 市場が近づくにつれ、声が増えた。


 値をつけ合う声。荷を数える声。包みを手渡す時の短い礼。いくつもの声が重なっている。


 市場に足を踏み入れた。


 台の上に根菜、葉物、干し肉、革細工が並んでいる。軒先には魔石を加工した小さな灯りがぶら下がり、まだ色褪せていない橙色の光が商品を柔らかく照らしていた。


 ただ、棚の一部に空きがあった。生鮮品の台に、昨日の売れ残りが端に寄せられている。荷の到着が遅れている痕跡だった。物流の経路再設計はミレッタとノアが進めているが、中継拠点の増設と新型荷車の投入はまだこれからだ。


 それでも、市場は動いていた。


 獣人族の女が、布を広げて干し果物を並べている。その隣で、人族の男が陶器の皿を重ねていた。二つの店の間に仕切りはなく、客が自然に行き来している。


「三つで銀貨一枚。朝採りだよ」


 エルフ族の青年が、透き通った声で根菜を掲げた。その向かいで、ドワーフ族の老人が木製の匙を削りながら、完成品を箱に並べている。匙の柄に、細い溝が一本ずつ刻まれていた。握った時に指がかかるよう、彫り込んであるのだろう。


 課題はまだ残っている。だが、手は打ち始めている。ヴァイスの荷車が出れば、この棚の空きも埋まるだろう。


 ゼノリスは市場の通りを歩いた。足元を、子供が二人駆け抜けていった。一人は人族の男の子。もう一人は耳の長いエルフ族の女の子だった。二人とも、手に干し果物を一つずつ握っている。


 風が通りを抜けた。屋根の隙間から、青い空が覗いている。


 ゼノリスは市場を抜け、噴水広場に向かった。


◇◇◇


 噴水広場に、人が集まっていた。


 市場の南側にある石畳の広場だった。中央に、低い石組みの噴水がある。水脈から引いた水が、細い柱を描いて落ちている。普段は荷車の転回に使われたり、領民が水を汲んだりしている、領民たちの憩いの場所だ。だが今日は、噴水の周りに長机と椅子が並べられ、長机には布が敷かれていた。


 長机の上に、食べ物と食器が並んでいる。焼いた根菜、刻んだ野菜の和え物、干し肉を薄く切ったもの、木の皿に盛られた果物。どれも領内で採れたもので、特別な品はない。だが、並べ方に意図があった。一つの皿に、異なる種類の料理が隣り合って載せてある。匙と木の器が、席ごとに置かれていた。


 ゼノリスは噴水広場の端で足を止めた。


 四、五十人はいた。獣人族、人族、ドワーフ族、エルフ族。種族ごとに固まらず、長机の席に散らばっている。噴水の縁に腰を下ろして食べている者もいれば、椅子に座ったまま隣の者と言葉を交わしている者もいた。子供たちは、噴水の水に手を突っ込んで笑っている。広場の隅では老人が木陰に座り、干し肉を噛みながら周囲を眺めていた。


 ヴァルドが、長机の端に立っていた。熊の耳が、周囲の声を拾うようにピコピコ動いている。大きな体を少し屈め、目の前にいる人族の女に何かを説明していた。女が頷き、長机の方に目を向けた。


 長机の一角で、獣人族の若い男が器を手に取った。器の中に刻んだ野菜の和え物が盛られている。男は器を両手で持ち上げ、顔を近づけた。口を器の縁につけ、直接啜ろうとしている。


 向かいに座っていた人族の子供が、目を丸くした。隣の人族の女が、声をかけ匙を一本持ち上げて見せた。


 獣人族の男が顔を上げた。首を傾げている。女が匙で和え物を掬い、口に運ぶ動作をして見せた。男がそれを見て、ああ、という顔をした。女の手から匙を受け取り、不器用に握った。


 匙から和え物がこぼれた。男が眉を寄せ、もう一度掬った。今度は口まで運べた。


 人族の子供が拍手した。男が照れたように耳を伏せた。女が笑い、男も笑った。


 その向こうで、声が上がった。


 噴水の反対側だった。人族の男と獣人族の女が、長机を挟んで言い合っている。


「食い物を地面に直接置くな! 皿があるだろう」


 人族の男が、長机の下に敷かれた布を指さした。布の上に、焼いた肉が一つ転がっている。


「地面じゃない。布の上だ。うちの里ではこうやって分けるんだ!」


 獣人族の女が言い返した。耳が後ろに倒れている。怒っているのではなく、戸惑いが苛立ちに変わりかけている顔だった。


 周囲の領民が手を止めた。長机の近くにいた何人かが、二人の方を見ている。


 ヴァルドが動いた。


 大きな体が、二人の間に割って入った。人族の男の肩に手を置き、獣人族の女の方にも目を向けた。


「待て。どっちも悪くねえ」


 低い声だった。叱る声ではなかった。


「人族の里では、食い物は机の上の皿に置く。獣人族の里では、布を敷いてその上に分ける。どっちも、食い物を大事にするやり方だ」


 人族の男がヴァルドを見上げた。獣人族の女も、耳の角度が少し戻った。


「ここは、どっちの里でもねえ。だから、どっちのやり方も間違いじゃない。ただ、隣に知らない食べ方の奴がいるってだけだ」


 ヴァルドが獣人族の女に向き直った。


「布の上に置くのはいい。ただ、ここには机も皿もある。試してみろ」


 女が黙った。それから、長机の上の皿を一枚取り、布の上の肉をその上に移した。人族の男が小さく頷いた。女も頷いた。それだけだった。


 ゼノリスは噴水の傍からその一連を見ていた。あの会議室で聞いた『知らないだけです』という言葉が浮かんだ。知らないまま人数が増えれば、同じことが繰り返される。だが、間に立つ者がいれば、知る機会に変わる。


 広場の別の一角に目を移した。


 噴水の脇に、長机が一つ据えられていた。その周りに椅子を寄せ合い、木の杯を手にしている。人族の男、獣人族の男、エルフ族の女、ドワーフ族の男、魔人族の若い男。顔が赤い者もいれば、まだ冷静な者もいた。


 最初は穏やかな酒の席だった。空気が変わったのは、人族の男が杯を強めに置いた時だ。


「俺は家族のために働いてる。女房と子供に飯を食わせるために、毎日鍬を振ってる。それが一番大事なことだろう」


 間を置かず、ドワーフ族の男が鼻を鳴らした。


「違うな。良い物を作ることが先だ。良い物があれば、家族は勝手に食える」


「知を深めることこそが、種の未来を守る」


 エルフ族の女が静かに重ねる。


「群れだ。一人じゃ生きられねえ」


 獣人族の男が低く言い、杯を傾けた。


「生き延びることが全てだ」


 魔人族の若い男が言い切る。視線が鋭く細まる。


「理由なんか、後からついてくる」


 一瞬、静寂が落ちた。


 次の瞬間、音が弾けた。


「だから、お前のそれは甘いんだ――」


「甘い? 物も作れねえ奴に言われたくねえな」


「知を軽んじる者に未来はない」


 言葉がぶつかり合い、机の上の杯が揺れる。


 声は一段、また一段と荒くなっていった。


 周囲の視線が集まり始めていた。


 だが、人族の男がふと口を止めた。杯を手に取り、一口飲んだ。それから、机を見た。


「……でもよ。こうやって種族の違う奴と酒を飲んでること自体、前の場所じゃ考えられなかった」


 獣人族の男の耳が動いた。


「……それは、そうだな」


「前にいた里では、他の種族と口を利くことすらなかった」


 エルフ族の女が杯を両手で包んだ。


「俺のいた街では、魔人族ってだけで石を投げられた」


 魔人族の若い男が言った。声に怒りはなかった。事実を述べる声だった。


「ここじゃ、投げられねえだろ」


 ドワーフ族の男が言った。


 五人が黙った。噴水の水が落ちる音だけが、しばらく続いた。


「……何のために働くかは違うが、ここにいる理由は同じかもしれない」


 人族の男がポツリと言った。


 誰もそれを否定しなかった。


 獣人族の男が杯を上げた。ドワーフが自分の杯をぶつけた。エルフの女が小さく杯を傾け、魔人族の若い男が黙って口をつけた。


 言い争いは、いつの間にか消えていた。


 ヴァルドが五人の少し離れた場所に立っていた。口を挟まなかった。ただ、丸い耳が一部始終を追っている。さっきの食事の場では間に入った。ここでは、黙って聞いていた。


 噴水広場の隅で、エリオットが紙に何かを書き留めていた。細い指がペンを走らせている。記録だろう。どこで何が起き、何が解けたのか。


 エリオットの目が噴水広場を一巡した後、ゼノリスの方に向いた。目が合った。エリオットが小さく頷いた。それだけだった。


◇◇◇


 交流会から数週間が経っていた。


 新型の荷車が街道を走り始め、中継拠点の増設が完了した。ヴァルドの交流会は二度目、三度目と回を重ね、共同の食事場や工房での小さな摩擦は目に見えて減っている。


 執務室の机の前に、ノアが立っていた。


 机の上に、紙が三枚並んでいる。数字の列と、ノアの手で引かれた線が、それぞれの紙を埋めていた。


「集計が出ました」


 ノアが一枚目の紙に指を置いた。


「まずは、中継拠点の荷の処理量です。新型荷車の投入後、滞留はほぼ解消されています。市場への到着遅延もなくなりました」


 二枚目に指が移った。


「次は、市場の取引高です。前月比で三割増。新型荷車で一度に運べる量が増えた分が、そのまま取引に反映されています」


 ノアの指が三枚目の紙に触れた。


「最後は、多種族間の摩擦報告です。交流会の開始前は月に五件以上。直近では一件。しかも、当事者同士で解決しています」


 ゼノリスは数字を目で追った。どの紙にも、上向きの変化が並んでいる。


「ノア、率直に聞きます。この領地の経済は、今どのあたりにありますか」


 ノアが帳面を開いた。直近の計算が並んでいる項だった。


「周辺国と比較して、一人あたりの取引高はすでに上位です。生産量、物流の効率、多種族による労働力の多様性。どれも伸びています」


 ノアは一度言葉を切った。帳面のページを一つめくり、数字の列を指で追った。


「経済指標が全て上昇しています。世界最高水準が見えてきました」


 静かな声だった。だが、数字に裏打ちされた言葉だった。


 ゼノリスは窓の方に目を向けた。午後の光が、執務室の床に長い影を落としている。窓の向こうに、城下の屋根が並んでいた。その先に市場があり、街道があり、農地がある。


 答えは、ゼノリスの手元から出たものではなかった。それぞれの持ち場で、それぞれの手が動いた。その結果が、この紙の上に並んでいる。


「ノア、一つ聞いてもいいですか」


「何ですか?」


「この数字を出すために、何日徹夜しましたか」


 ノアの手が止まった。帳面を持つ指が、わずかに強く握られた。


「……二日です。ですが、必要な徹夜でした」


「……体は壊さないでください」


「善処します」


 ノアの口元が、ほんの少しだけ動いた。笑ったのか、苦笑したのか、ゼノリスには判別がつかなかった。……後でカイロを呼ぶことにしよう。


 窓の外で、風が城下の屋根を撫でていった。



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