第107話:「騎士団の編成」
朝の空気は、まだ冷えていた。
ゼノリスは廊下を歩いた。石畳が足音を吸い込む。昨日の帳面が、まだ頭の中にある。六十人近い名前と、それぞれの星の色。カイロが一行ずつ記録した文字が、瞼の裏に並んでいた。
農業、鍛冶、医療、建築、教育。
才能の在り処は、それぞれだった。だが、どれも本人が気づいていなかった。あるいは、気づくことを許されていなかった。
訓練場へ続く通路の角を曲がったところで、ゼノリスは足を止めた。
声が届いていた。
「全員、並んでください!」
石壁を震わせるほどの声ではない。だが、通路を抜けてここまで届く。澄んでいて、迷いがない。
ゼノリスは足音を殺して、訓練場の入口手前の柱陰に立った。
訓練場には、すでに人が集まっていた。二十人ほどだろうか。体格も年齢もばらばらだった。壁際に並んだ者たちの前に、小柄なセラが立っていた。軽鎧に身を包み、腰に手を当て、一人ひとりの顔を見渡している。
【至極の理】が、ゼノリスの視界に星を映し出した。
二十余りの星が、訓練場の空気の中に散っていた。黄金の星が大半を占め、白色が数点混ざる。昨日、城門前の広場で見た星とは質が違う。農や工の才能ではなく、もっと別の――身体の密度に根ざした光だった。
荒削りで、まだ形を持たない。
だが、磨けるものばかりだった。
ゼノリスは視線を、セラに戻した。
セラは列の端から歩き始めた。一人の前で立ち止まる。その男の体格を、上から下まで眺める。視線は値踏みではなく、何かを確かめるような目だった。
「あなた、足の運び方が他と違いますね。重心が前にある」
男が硬直した。
「そ、それは?」
「偵察向きって事です。走ることに使えば、速いです」
断言だった。説明がない。だが、その簡潔さが、かえって言葉に重さを与えていた。男は一度だけ頷いた。
セラは次の者の前に進んだ。
ゼノリスはその動きを、柱陰から見ていた。
セラが見立てていく様子は、ゼノリスが【至極の理】で行うものとは違う。星は読まない。数値もない。ただ、眺めて、感じて、言葉にする。正確ではないかもしれない。だが、外れてもいない。
これは、同じ才能の眼だ。
ゼノリスはそう思ったが、口にはしなかった。
列が半分ほど進んだところで、セラが立ち止まった。訓練場の中央へ歩き、くるりと全員に向き直る。
「見ててください」
それだけ言った。
次の瞬間、セラが動いた。
一歩踏み込む。右の拳が、空を打つ。その速度を、ゼノリスは目で追えた。だが、追えた、という事実が、むしろこの動きの異常さを証明していた。普通の者には、動いたという認識さえ間に合わない速さだった。
地面が鳴った。
セラが踏み込んだ石畳の一点が、小さくひびを走らせた。魔力は、一切ない。魔力が介在できない純粋な運動が、石を鳴らした。
訓練場に、沈黙が落ちた。
ゼノリスは柱の陰で、静かに目を細めた。
志願者たちの沈黙が、やがてざわめきに変わり始めた頃、ゼノリスは静かに踵を返した。
通路へ戻り、城門へと歩いていく。
◇◇◇
石畳の感触が、足の裏にある。
セラは訓練場の中央に立っていた。足元のひびから、視線を上げた。二十人余りが、目を点にしたまま壁際に並んでいる。
セラは両手を腰に当てた。
「固まってない! 息して!」
誰かが、ようやく息を吐いた。それを合図に場の空気がわずかに解けた。
セラは足元に目を落とした。踏み込んだ石畳に、細いひびが入っている。
「……あ」
小声だった。誰にも聞こえていないといいな、と思いながら、つま先で軽くひびを踏んだ。広がった。
ゼノ様に怒られる前に直してもらわないと、とセラは思った。とりあえず今は見なかったことにした。
「あなた、名前は?」
気を取り直して、列の先頭、一番体格のいい男に声をかけた。赤ら顔で、肩の広さがセラの倍はある。
「ラグです」
「ラグ、前に出てくれますか?」
男が一歩踏み出す。セラは肩の位置、腰の落ち方、足の角度を一息で確かめた。
「重装備が似合います。盾を持たせたら崩れない。前衛の壁になれます」
「俺……魔力は、ほとんど」
「関係ありません!」
セラは即答した。
「魔力で戦うのは魔術師です。あなたは体で戦う。それだけ!」
ラグがまばたきをした。それから、ゆっくりと頷いた。返事は言葉ではなく、背筋が少しだけ伸びることで返ってきた。
セラは次の者に視線を移した。
「あなたは?」
「エン、です。女です」
「見れば分かります。あなた、さっき私が動いた時、目で追えてたでしょ?」
エンと名乗った女が、驚いた顔をした。小柄で、ともすれば細く見えるが、足首から膝にかけての筋肉が違う。
「追えて……ましたけど」
「それ、才能! 速い動きを目で処理できる者は少ない。あなたは斥候に向いてます」
「でも、私、力が」
「斥候に力はいりません。速さと判断力がいる。あなたにはあります!」
エンが口を閉じた。何かを考えるように、視線が一度床に落ちて、また上がった。
セラはその様子をちらりと見て、先に進んだ。
一人ひとりを止めて、眺めて、言葉にしていく。聖教会が使う鑑定石の光は、ここには一つもない。セラの目と直感だけだった。
外れることもある、かもしれない。でも、間違えたらその時直せばいい。今は、とにかく全員に『その力を活かすべき場所がある』と伝えることの方が先だった。
列が半分を過ぎた頃、一人の少年の前に来た。
十代の後半だろうか。背はそこそこあるが、肩が内に入っている。目が泳いでいた。
「名前は?」
「……トウ、です」
「どうして来たんですか?」
少年は少し迷ってから、口を開いた。
「昨日、ゼノリス様が……才能があるって、言ってくれたんです。だから……来ました」
「ゼノ様が言ったなら本当ですよ!」
セラはそれだけ言って、少年の体を一通り見た。手が大きい。指先が細長い。足の運びは不安定だが、止まった時の重心は低い。
「あなたは斥候より前衛向きです。ただ、自分の体の使い方をまだ知らない。それは訓練で変わります!」
「俺みたいな……」
少年がそこで言葉を止めた。
セラは待った。
「俺みたいな無能でも、本当に強くなれますか?」
静かな声だった。怒りでも懇願でもない。ただ、本当のことを知りたいという声だった。
セラは一瞬、動かなかった。
――泥水の味。
それだけが戻ってきた。地面に這いつくばって、雨の中で、もう誰かに助けてもらおうとも思えなかった、あの日の感覚。
一瞬だけだった。
セラは少年の目を見た。
「当たり前!」
言い切った。
「無能って言葉は、評価した側の怠慢です。あなたを正しく見た者が、今まで一人もいなかっただけ。ゼノ様が見えたなら、それが本当のあなた」
少年の目が、揺れた。
セラは視線を切った。感動を長く見るのが、どうも苦手だった。照れるわけじゃないが、見続けていると自分の中の何かが決壊しそうで、それが嫌だった。
「次!」
声を張って、列の続きを促した。
◇◇◇
全員を見終えた頃、日はまだ高かった。
セラは訓練場の中央に戻り、全員を前にした。
「今から基礎を始めます。走る、止まる、転がる。それだけ。難しいことは何もありません!」
誰かが小さく笑った。
「笑ってていい。簡単そうに聞こえるのは今だけだから」
笑い声が少し大きくなった。場が緩んだのを確かめて、セラは続けた。
「ゼノ様がこの国の才能を見つけている。私の仕事は、その才能を使えるものにすること。一緒に動いて、一緒に強くなります。それだけ」
声が、静かになった。笑いの余韻が消えて、代わりに何か別のものが場に満ちた。
「行くよ!」
セラが先頭に立って、走り出した。
足音が、続いた。最初はばらばらで、揃っていなかったが、それでいい。揃えることよりも、まず動くことの方が先だ。
セラは速度を落とさなかった。
背後から、息の上がる音が聞こえた。誰かが「速い」と漏らした。誰かが笑いながら追いかけた。
ゼノ様が始めたことを、私が続ける。
その言葉は、声にならなかった。胸の中に置いたまま、セラは石畳を蹴り続けた。




